Hashirama Archive   作:アテナ18号

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責任の取り方

 

 「……もしもし、今、大丈夫かしら」

 『え、あの、えっと……あ、あまり大丈夫では……』

 「……?……何かあったの?」

 

 『あ!い、いえ!な、何でもありません!!その、風紀委員会の方ですよね!失礼しました!』

 

 「……?大丈夫ですか、ヒナ委員長。難しいお顔をされていますが…」

 「…いえ、アビドスの子の反応が、ちょっとね」

 

 早朝、身支度を整えゲヘナを発つのは風紀委員会のトップと、その側近である行政官。ともすれば、彼女らを頂に据える、背後に控える大軍勢を幻視してしまいそうになるが、今日に限っては不良の取り締まりのために二人が足を運んでいるわけでもなく、目的は先日アコ自身が先生に誓ったアビドスへの謝罪。文面や言葉だけでなく自ら出向いているのは、その学校の規模からすればゲヘナとアビドスが対等なわけもないのだが、だからこその誠意の現れとも言えるだろう。

 故にこそ、アコが自身の不手際で委員長に迷惑をかけることに申し訳なさを覚えるのも当然の話だが、部下の失態は上司の失態。自身が出向かないわけにはいかないだろうとヒナも風紀委員会の代表としてアビドスまで足を運んでいる次第である。

 

 「……どうしたの。日を改めた方が良い?」

 『い、いえ、何も問題は……』

 「………何があったの。とても大丈夫そうな声色はしてないけれど」

 

 『……その……いえ、何も──ちょ──……シロ───何して───』

 

 ヒナがコテンという擬音と共に小さく首を傾げる。電話越しに聞こえてくるのは、何かもみくちゃになっており少し離れた距離から聞こえる取っ組み合いと数人の声。いったい何が、と考えるのも束の間、先ほどとは声色の違う別の生徒の声が聞こえてきた。

 

 『ん、もしもし、ゲヘナの風紀委員会の人?』

 「え、えぇ、そうだけれど……」

 『今どこ?』

 

 「今?…もうそろそろ、アビドス自治区に入るところだけれど…」

 

 電話越し聞こえる、淡白そうで、それでいて切羽詰まったようにも聞こえる声に返事を返す。隣に立つ自身の側近も、会話の内容は聞こえないながらも自身の反応を見て何かあったのかと訝しんでいた。

 

 そんな折、電話先の声の主───シロコが、声を大きくして口を開いた。

 

 『頼みがある』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

─────少々時を遡ること、小一時間前。

 

 早朝、いち早く登校したアヤネが対策委員会の教室へと足を運んでいた。決まっていち早く学校に着いた時の彼女は、慣れた手つきで箒を取り出し軽く鼻歌を口ずさみながら軽く掃除を行うのが日課である。その後はホワイトボードに今日の議題を書き出したり、マジックのインクを交換したり、その他備品の手入れを行ったりなど、皆が登校するまでに場を整理しておくのが彼女のルーティンにもなっている。

 

 何でもない───というには、最近激動の過ぎる日常を過ごしている彼女だが、兎も角やはり見慣れた教室は心に一定の安寧を与えてくれるようで、まだ自分以外誰もいない静まり返った校内だが、朝日が明るく照らし、それでいてぼんやりと薄暗い廊下を行くアヤネが対策委員会の教室の扉を開けるのだが───

 

 「……あれ?なんだろう…?」

 

 見慣れた教室の、見慣れた机の上に置かれた、見慣れない書類と封筒。

 

 確かに昨日教室を出る前に掃除は怠っていなかったし、何よりあんなに机の中央に目立つように配置された紙一枚、見逃すことはないだろう。であれば自分より早く登校した人間が、誰かしらいるのだろうか。

 

 そんなことを考えながら、いったい何の紙だろうと近寄ったアヤネが───顔色を変え、顔面を蒼白させて駆け寄り紙をひったくるように両手で鷲掴みにする。近づくにつれ鮮明に読み取ることができる情報の一言一句が、彼女に焦燥感を与えていた。

 

 「──な、なんで…!?どう、いう、こと……!?」

 

───小鳥遊ホシノの退部届。

 

 パクパクと声にならない声を上げ口を動かすアヤネの脳が理解を拒み、力の抜けた両の手からはらりと退部届が零れ落ちる。ハッと意識を切り替える彼女が慌てて拾い上げようと手を伸ばし───机の上に置かれた封筒に視線が移る。恐る恐ると手を伸ばし開封すると案の定、中に入っていたのはホシノによる決別の言葉。その切り出しは、深い謝罪から始まり、言葉の端々から後悔や懺悔の念が滲み出ていた。

 

────ごめんなさい、取り返しのつかないことをした、合わせる顔がない、対策委員会の、皆の先輩として失格だ、等々。

 

 昨日の今日でいったい何があったのかと────そんなわけもないのに、あまりに唐突すぎるためタチの悪い悪戯かと疑るが、文面に書かれた無視できない一文に、再度言葉を失ってしまう。

 

────自身が勝手に行動したために、金利が上がってしまった。

 

 「……は?え、え?」

 

 既にパンクしかけの頭に、これ以上何をと文面を読み進めていたアヤネがやはりその一文で言葉を失い、読み進めていた目を止める。何故ここでいきなり金利の話になるのかと困惑を積み重ねるが────これがただの悪戯や冗談でないことくらい分かりきっていることで───震える手で端末を操作し確認して────スマホを地面に落とし、その場にへたり込む。そこに映った法外な返済額を見て、もはや立つことすら叶わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────アビドス対策委員会のみんなへ。

 

 こんな形で別れの挨拶をしてしまうことを許してほしい。いや、やっぱり許さなくていい。私は、本当に取り返しのつかないことをした。

 

 皆には言ってなかったけど、私は昔からスカウトを受けていた。カイザーPMCの傭兵として働く代わりにアビドスの借金を肩代わりするという契約。でも、先生が来てくれて風向きも変わったし、もしかしたらと思う気持ちもあった。

 

 でも、先生はカイザーコーポレーションの人間と繋がってた。昨日みんなが……たしか、柴関ラーメンに行って、ゲヘナの人と一悶着あったんだよね。その後先生はゲヘナに行って、色々話してアビドスに帰ったんだっけ。その間私は、上記の契約相手と話をしにカイザー側の人間と話をしていたんだけど。

 

 先生が、その人と繋がっていた。

 しかも先生は、私とカイザーの契約を知った上で、その男と友好関係を築いていた。

 

 私は、あの人が信用できない。やっぱりバカな私は大人に騙されるのだとつくづく思い知った。だから、焦ってしまった。先生と男が、電話越しに色々語っていた内容に、アビドス砂漠に何かがあると話してたから、夜間に乗り込んだ。皆んなに迷惑をかけられないから、一人で済ませようとした。

 

 

 アビドス砂漠にあったのは、カイザーPMCの基地。結局、アビドスの借金につながる何かの情報が得られたわけじゃなかった。それどころか、私はカイザーPMCに見つかって───不法侵入として、アビドスの信用を落とされ、法外な金利を要求された。

 

 

 ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。私は、何も信じることができず、皆んなのことも無視して勝手にことを起こした。借金のことは、カイザーに話をつけて、私一人の身でどうにかことをおさめてもらうよう頼んでみる。もう、これでしか責任を取る方法が思いつかない。

 

 本当に、ごめんね、皆。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『も、もう、私、ど、どうしたらいいのか……』

 「──よくぞ話してくれた、アヤネよ」

 『せ、せんせぇ……ほ、ホシノ、先輩は……』

 

 「心配するな。オレが何とかしよう」

 

 空はまだぼんやりと薄暗く、若干青みがかってきた空の下───生徒の運転する車で現場へと急行しながら通話を行うのは、連邦捜査部シャーレの顧問、千手柱間。いつになく険しい表情で、しかし声色は柔らかくアヤネを落ち着かせるように優しい声で彼女を宥める。

 

 『……せ、先生は、その……』

 「事実ぞ、オレはその男と手を取り合おうとした」

 『そう、ですか…』

 「あぁ。これは偏にオレの甘さが招いた事態ぞ」

 『い、いえ!そんな!先生のせいでは───「だから」

 

 

 「感謝する。それでもオレに声をかけてくれた。アヤネよ、お前の信頼に報いよう。任せてくれ、ホシノは必ず連れ戻す」

 『……は、はい。お願い、します…!』

 

 電話越しに伝える、啜り泣くアヤネの声に───顔を強張らせる柱間。見たこともない表情と、無言の圧により運転席に座るユウカがごくりと唾を飲み込み額から汗を垂らすが、そんな彼女の様子に気づいた柱間がサッと表情を和らげユウカに謝罪する。

 

 「おっと……すまぬなユウカ、こんな朝早くから」

 「あ、いえ、それは構いませんが……」

 

 柱間の様子が普段通りに戻ったことにホッと安堵の息を漏らすユウカが、相手の声は聞こえないながらも柱間の言葉から何かアビドスによからぬ事態が起こっているのだろうと勘ぐり、どこか落ち着かない様子で運転を行う。早朝、シャーレに訪れた彼女が唐突に柱間に頼まれて、一息つく間もなくシャーレを飛び出し向かう先はアビドス自治区。まだ朝も早く道路には車の影も少なく、伽藍堂の道を進んでいた。

 

 「あの、もう一人の部員の方はよかったんですか?今日は二人だったと思うんですが…」

 「あぁ、今は少しでも時間が惜しい。アイツには悪いがオレから断っておこう」

 「……それほどの事態なんですね。もし良ければ何が起こっているのか伺っても構いませんか?」

 「まぁ、そうだの。何も知らずに今アビドスに向かっても混乱するだけぞ」

 

 青信号になり再発進するのと同時に柱間が語り出したアビドスの現状に、顔を顰めるユウカ。思ったよりも深刻な現状に───あの日、ヘルメット団の問題が解決して以降、勝手に事態は好転していったのだろうと楽観的だった自分に腹を立てていた。

 

 「そんな……」

 「ユウカよ、アビドス自治区に着いたらある場所でオレを下ろしてくれ」

 「え?アビドス高校へ向かうんじゃないんですか?」

 「あぁ。オレは直接黒服の元へ向かう」

 「……ホシノさんの契約相手、でしたっけ」

 「あぁ」

 

 その名前を口にすると同時に、目つきの鋭くなる柱間。その目線の意味は彼への純然たる怒りよりも、自身の甘さを自覚しての自戒の念なのだろう。

 

 「なら、私も…」

 「いや、お前はアビドス高校へ向かってくれ。今不安定な彼女らのそばにいてやってほしい。何かあればオレに連絡を取れるようにな」

 「で、ですがそれでは先生が一人に……」

 

 

 「頼む」

 

 他の生徒と落ち合う予定だとか、少し様子を見てくるだけだとか、心にもない嘘をついて自分を安心させるような発言をすることは容易だろう。しかしそれをせず、ただ口にした二文字に含まれる意図は、そんな安易な気休めなど意味をなさないことを自覚した彼の、それでもなお一人で背負おうとする覚悟の表れだろう。

 

 「……ッ……はぁ。わかりました!……本当に、何かあれば先生もすぐに連絡して下さいよ」

 「あぁ。心配をかけるな」

 「まったくですよ!もう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……………。

 

 「……………」

 

 亡霊のように生気の無い足取りで道を行く、長髪のピンク髪が特徴的な一人の生徒。普段の様子とは乖離したその姿に、同一人物かと疑いたくなるほどに顔色が変わっていた。向かう先は黒服という、彼女の心底嫌悪する一人の男の居場所。焦点の定まらない瞳でぼんやりと正面を見据えながら、それでもなお止まることはない。全ては、自身の尻拭いをするために。

 

 「……ッ」

 

 何か思考しようとすると、やはり浮かび上がるのはアビドスに対する罪悪感。皆を、アビドスを守るなどと意気込み一人で全てを抱え込んだ気になって、結局は負債を残して消えていく。後輩たちに───そして、何より、先輩に顔向け一つできない、情けない結果で幕を下ろす。なんとも虚しい結末である。とぼとぼと、迷子のような足取りで、しかし迷うことなくただ一つの目的地へと足を運んでいた。

 

 そんな、彼女が唐突に立ち止まる。

 

 

 「待ちなさい、小鳥遊ホシノ」

 「………」

 

 ぼんやりとぼやけていた視界が、何者かの声かけにより覚醒する。二重に重なる輪郭が段々と定まり、視界の先に白い長髪とゲヘナ特有の大きな角の特徴的な一人の生徒。その傍には青い髪の生徒が佇んでいた。

 

 「彼女が、小鳥遊ホシノさんですか?随分と、その……」

 「えぇ、やつれた様子ね」

 「……うへぇ、えっと、君たちは?おじさんに何か用かなぁ」

 

 何でもないようににへらと表情を変えて笑顔を浮かべるが、ヒナに負けず劣らずの、目の下の濃い隈が彼女の笑顔を霞ませる。そんな痛ましい様子にため息を吐いてヒナが口を開いた。

 

 「…ゲヘナの風紀委員長、空崎ヒナよ。先日アビドスに迷惑をかけたから、その謝罪に来たの」

 「……先日は私の独断でアビドス高校の皆様には多大なるご迷惑をおかけしました。謝罪いたします」

 「うへぇ〜、わざわざ律儀なことだねぇ。お疲れ様、二人とも」

 

 「……それで、貴方はどこに行こうとしてるのかしら?小鳥遊ホシノ」

 

 「……おじさん?おじさんは、ちょっと野暮用でね〜。すぐにアビドスに戻るからさ」

 

 

────あぁ、面倒くさいなぁ。

 ホシノの鋭敏な嗅覚が、目の前の少女との衝突を予感させる。それでもなおくだらない、通じもしない言い訳を口にするのは、戦いの前のギアを上げるルーティンのようなものかもしれない。互いが互いにゆっくりと得物に手を近づける。

 

 「……そう。アコ、離れていて」

 「い、委員長?」

 「ちょっとちょっと、どしたの風紀委員長ちゃん。そんな怖い顔してさ」

 

 「……貴方の後輩に頼まれてね。貴方を止めてほしいって。アビドスに迷惑をかけた、その迷惑料ということで」

 

 

───頼みがある。

 

────ホシノ先輩を見かけたら、止めてほしい。

 

 

 「そっかぁ。でも、おじさんもちょっと急用があってさぁ、通してもらえないかなぁ」

 「退部届を出しておいてそれは、無理があるんじゃないかしら」

 「……そこまで聞いてるんだ、そっかぁ」

 

 仕方ないなと呟いて、得物を手にして盾を構えるホシノに対して、ゆったりと愛銃に手をかけ、照準を定めるヒナ。二人の様子を見て慌ててその場を離れるアコが戦場から消えた頃に、ホシノが口を開く。

 

 「……ごめんね、風紀委員長ちゃん。おじさん、今ちょっと急いでるから、悪いけど手加減できないよ」

 「……そう、ならちょうど良かったわ。私も………情報だけでしか知らないけど───暁のホルスに、手加減する気はなかったから」

 

 互いが互いに牽制しあい、数秒間、場が沈黙を支配した後───アビドスの一画にて、銃声が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……が……ぐ……ぎぇ……!」

 

 「…………」

 

 

───気まずい。

 そう心の中で呟くのはトリニティのティーパーティーに席を置く、桐藤ナギサその人。いつもと変わらぬ優雅な笑みを絶やさず、淑女たれと振る舞う彼女の平穏そのものな顔の下で、こうまでして冷や汗をかかせるのは、本来であればその彼女の平穏を守る為にドアの近くで控え彼女を護衛する、トリニティの特記戦略である、このキヴォトスに置いても五本の指に入る実力者である剣先ツルギ。しかしこと現在においては護衛対象たるナギサの平穏を保つばかりか、平静を装う彼女を以てして額から汗を垂らすほどの圧を放っていた。

 

 「……がぎゃ……ぐぎぎぎききぃ……!」

 「………」

 

────怖い。

 言ってしまえば、その一言に尽きる。

 勘違いしてはいけないのが、普段の彼女は別に言葉は交わせるし目上の人間にも敬語を使え、理知的なやり取りも行える組織の長に相応しい知性を携えた良識のある人物である。あくまでナギサがツルギを上手くあしらい、その権力をもって彼女を上手く手駒にできるのは────当然の話だが、言葉を交わしてくれるからである。チェスは対局しなければ成立しない。対面に座ってもらってこそ、彼女の培った技術と経験が活きるのである。そして、トリニティの、それこそナギサの相対する相手にこの枠組から外れる人間はほとんどいない。それこそゲヘナのテロリストでなければ───というか、基本、あらゆる人間がまず話を聞くところから始めるだろう。

 

 今、ここに例外が一つ。

 

 「が、ぎ、ぐげぁ……!」

 「………」

 

 ナギサは、ハスミではない。

 視線の先の、今にも爆発しそうな時間爆弾を解除する手立てを知らない。何でこんなに不機嫌そうなのか理由がわからない。仮にその理由を知らなくても、ナギサだって人の一人や二人優しく抱擁し宥める手段くらい心得ている。だが、ツルギの放つ圧が、その気休め程度の安易な発言を許さない。椅子に座って盤面上のコマを動かそうとしたら、対面に座る相手がいつでもチャブ台をひっくり返してきそうな、そんな雰囲気。そんな時に限って、天真爛漫で破天荒な自分の友人はこの場に現れることはなく、ただただナギサだけが気まずい雰囲気に包まれていた。

 

 

 「う、ぐ、ぐぎぎぎぎぎ……!」

 「(……ど、どなたか……助けを……)」

 

 正直、ここが厳正なるティーパーティーの会合所だということすら無視して、痺れを切らしツルギが壁をぶち抜いて何処かへ走り去ってくれた方が気が楽だったが───変に理性の働く彼女が、最後の一線を越えることはなくその瀬戸際で変な呻き声を上げながら耐えていた。それは大変立派なことなのだが、ナギサにとってはありがた迷惑であったことは言うまでもない。

 

 そんな折。

 

 「……失礼いたします、ナギサ様。正義実現委員会副委員長、羽川ハスミです。ツルギと交代に参りました」

 「……ふぅ。お疲れ様です、ハスミさん。ツルギさんも、ありがとうございました」

 「はぎゃ…!」

 

 態度には表さず、心でホッと一息つく。

 彼女の心を乱していた荒れ狂う荒波は息を潜め、再び彼女の愛する平穏が戻ってきたのだった。

 

 「ツルギ、気持ちは分かりますがあまり気を立ててはなりませんよ。シャーレならまた機会があるでしょうから」

 「……わかっている……」

 「(言語を取り戻した……ハスミさんは凄いですね……ん?シャーレ?)」

 

 ハスミの、ツルギの扱いに内心驚愕しながらも、少々気になる単語を耳にする。それは先日邂逅したばかりの、トリニティの長をして聖人と言わしめる、思慮に長けた人物、その男性の所属する組織の名前だ。もしも正義実現委員会の委員長の心を乱していたのが件のシャーレであるならば、何かシャーレであったのだろうかと、少し気になり言葉を交わす。

 

 「失礼、ハスミさん」

 「?…はい、何でしょう」

 「シャーレで何かあったのですか?随分と、ツルギさんは心を乱されていたようですが……」

 「あぁ……失礼しました、ご心労をおかけしたようで……」

 「いえ、ご心配には及びませんよ」

 

 もっとも、ご心労をかけられたのは事実なのだがと呟くことはなく、ハスミの言葉を待つナギサ。

 

 「実は本日は、ツルギのシャーレの当番日だったのですが…」

 「ふむ、しかしツルギさんは先ほどまで私の護衛をしていましたね」

 「はい。朝方、急遽先生から本日のシャーレの当番について、休止の知らせが入りまして」

 

 「……休止、ですか?」

 

 「はい。何やら諸事情によって、らしく。ツルギはハシラマ先生のことを随分と慕っていますので、先生のお力になれる機会を失ってしまったわけでして……」

 「……ぐ、ぎぎきぃ……!」

 

 「…………そうですか」

 

 唐突に、ナギサの表情が変わる。

 ツルギにとっては、やむを得ない不幸な事象の一つに過ぎないが、ナギサにとっては話が違ってくる。勿論、ツルギの気持ちが分からない、という話ではない。あの人となりであればツルギのように慕う人物の一人や二人、などという枠では収まりきらない生徒からの愛を受けていることだろう。であれば彼との邂逅の喪失に心を痛めるのも無理はないと理解はできる。

 

 ただ、問題はそこではない。アビドスで何か起こったかもしれないということだ。

 

 勿論ナギサ、ひいてはトリニティにとって力を失った現在のアビドス高等学校などという弱小高校に何かあったところで知ったことではなく、その慈愛を分け隔てなく分配する枠組に収まるほどの器にない。ともすればナギサがここまでアビドスに着目するのは、やはりシャーレが関わっていることと───カイザーコーポレーションが関わっていることに他ならない。

 

 前者は分かりやすく、シャーレへの貢献───言ってしまえば、媚を売るため。今現在このキヴォトスに置いてシャーレという台風の目の価値を最も高く評価しているのは自分だろうという自負を持つナギサだからこそ、かのゲヘナ学園の行政官に先んじて先生との邂逅を経ることができたわけだし、ゲヘナの行政官が下手を打ちアビドスと先生に敵対行動を取ったと聞いた時はほくそ笑んだものだ。故にこそ今回も、もしアビドスの問題に乗じてトリニティが関与することができればシャーレの先生の中でのトリニティの地位を盤石なものにできるだろうと思案していた。

 

 そして、後者に関してはカイザーコーポレーションの不祥事や粗を探す点が大きいだろう。カイザーコーポレーションはグレーゾーンでの生業を主としている多角化企業で、トリニティにも魔の手の伸びる、ブラックマーケットの会社である。そんな大企業が、アビドスという弱小校を焦点に、連邦生徒会の一組織と衝突する可能性を孕んでいる。これは大いに、カイザーの落ち度を探る良い機会になるかもしれないと目をつけていた。

 

 上記の点から、顎に手を当て、さてどう動くかと今後の展開を慎重に考えていたナギサを────とある一つの情報が突き動かした。

 

 「おっと、申し訳ありません。……はい、私です。………は?………コホン、失礼。間違いありませんね、その情報。……わかりました。……ツルギさん」

 「ぐぎゃ……?」

 

 

─────ゲヘナの風紀委員長と行政官が、アビドス自治区へと向かいました。

 

 

 

 「命令です。今直ぐアビドス自治区へ向かってください」

 




ご清覧ありがとうございます!
投稿がめちゃくちゃ遅れてしまい申し訳ありません…!
それではまた次回

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