自由と混沌
『せ、先生。妙に落ち着いてますね』
「いやなんぞ、治安の悪さを押し出されると妙に身構えてしまっての。逆に肩をすかされた気分よ。良い意味でな」
現在、ゲヘナ地区。先日、シャーレの顧問として先生に就任した柱間を待っていたのはやはり元の時代───というか、元の世界との認識の乖離や知識の欠如であり、カタカナ語に苦労したり電子機器の扱いに苦労したり───などという生易しいものではなく、危うく信号無視をしてキヴォトスデビュー当日にして警察のお縄になりかけるという、元の世界で一国を背負った男の末路とは思えない醜態を晒すところであった。
──ちなみに、その際は咄嗟にアロナが待ったをかけたため大事には至らなかったのだが。
『ハシラマ先生は、治安が悪いと聞いて何を想像したんですか?』
「そうさなぁ……まぁ、余り気分が良くないものかの。キヴォトスでは縁のないことぞ」
『はぁ、そうですか』
そんな彼はあれから数日、連邦生徒会から送られてきた、想像していた数倍の紙の束を随分と便利な筆───シャープペンシルというらしい───を用いて処理していた。本来であれば電子上で事務仕事をこなすところだが、書類の送付という形を連邦生徒会が取ったのは、柱間とのやり取りを経て彼がそういった類のものに不得手であることを理解したリンによる配慮である。と言ってもいつまでもその形態が許されるはずもないので、リンのそこはかとない電話口での圧力を受けながら、アロナの手解きを受けつつ"パソコン"の操作を学んでいる最中である。
「にしても、流石に言うだけあって随分広い学区ぞ。アロナよ、ゲヘナ学園はまだかの」
『えーっと……あと十分くらいですね!もう一息ですので頑張りましょう、ハシラマ先生!』
「あぁ」
そんな彼が今足を運んでいるのは彼ら自身の口からも発せられている通りゲヘナ地区である。連邦生徒会からの仕事をそこそこに、キヴォトスへの理解を深め土地勘をつける意味でも当初リンの言っていた通り、自らの足でキヴォトスに繰り出すことにした柱間。そんな折、さてどこに行こうかと考えた時、シャーレ奪還の際世話になった生徒達のいる学園へ、先日の礼も兼ねて向かおうとしたわけだが、そんな彼をゲヘナ学園の誇る「治安の悪さ」が引いてしまった。
「しかし、まぁオレの予想が外れていたとは言え、あまり健全とは言えぬ雰囲気よな」
『あ、あはは……で、でも!一癖二癖あるかもしれませんが良い生徒さんもたくさんいるんですよ!』
「ははは!心配するな、アロナよ。別にここの者達に幻滅したわけではない。逆に、この破天荒な雰囲気もオレは嫌いではないぞ」
そんな和気あいあいとした二人の会話を、バックで流れる銃声や爆発音が彩ること十分弱。お?と小さく柱間が声を上げた。
「やっとか!見えてきたぞ、アロナ!アレか!」
『あ!着きましたか、ハシラマ先生?そちらが『自由と混沌』が校風の、キヴォトスでも一二を争うマンモス校であるゲヘナ学園です!』
「ほぉ〜、話には聞いとったが、圧巻ぞ!これほどの規模の学校は初めて見るのぉ!」
遠目からでも分かる、彼の記憶には一つとしてない巨大で広大な建築物にあどけない子供のような笑顔を隠すこともなく、興奮した様子で目を輝かせる。勿論木の葉で、延いては元の世で見たこともない規模の建造物を目にするのはこれが初めてなわけではないが、ソレが学校というだけで彼の心をより一層引き立てていた。
「うむ!良い学び舎ぞ!…しかし、チナツから一向に返信が来んの」
『チナツさんは風紀委員の一員ですからね…それに、"ゲヘナ学園の"と来れば休む暇もないでしょうから』
「うぅむ、やはり唐突に押しかけたのは不味かったか…」
歩を進めつつ、それなりに扱いに慣れてきたシッテムの箱を器用に動かし彼女からの連絡がないか確認するが、朝方彼女に本日伺う旨の連絡をしてからというもの彼女からの返信がない。今日は平日、ともすれば風紀委員の仕事も当然の如く止むことを知らず街中でチラリと赤い腕章を付けた生徒達を見かけることも少なくなかった。
『どうしましょう?風紀委員のお仕事が落ち着くまでもう少し街中を見て回りますか?』
「そうだのぉ……いや、どうせなら学内の様子を見学しようぞ。それに、可能であればここの生徒会とも顔を合わせておきたい。確か、"生徒会"がその学園における最高機関だったな?」
『はい!各部活の活動資金の分配、校風、学園の指針、その他外交などなど。基本的に生徒会の元学園の運営が行われますね!』
「であればシャーレとしても、オレ個人としても関わりを持っておきたい。そちらの方が円滑に話が進むだろうしの」
『おぉ、確かに!先生、中々手慣れてますね!何かこういったご経験が?』
「ま、少しの。……えーっと、校門はどこぞ……あそこか」
大通りを歩き塀に沿って歩道を進んでいると、巨大な中庭へと通じる大きな門が見えて来る。さて外がアレだったのだ、さぞや校内はと顔を覗かせるが意外にも予想よりは静まり返っており、少なくとも彼の視界に今直ぐには問題行動を起こしそうな生徒の影は見えなかった。
「意外にも静かだな」
『風紀委員さんの努力の賜物ですね!』
「あぁ、チナツも頑張っておるようだの。それで学び舎の方は──「待てッ!!」
校門をくぐり、敷地内へ足を踏み入れようとした瞬間、侵入者を咎める鋭い声が響き渡る。と言っても、戦車の発破音よりも小さいその声に耳を傾けるのはせいぜい柱間ともう一人くらいのようで、その他大勢は気にかける様子もなくどこ吹く風と自由気ままに振る舞っていた。
「───っと、オレか?」
「当たり前だろ!何勝手に敷地内に入ろうとしてるんだ!ウチの教員でも用務員でもないだろ!」
「…なるほどの、確かに。それは済まなかったの。オレは───」
「あぁもう、言い訳とかいいから。コッチは朝から規則違反者の指導で疲れてるんだ。やっとこさ休憩時間に入ったと思ったら目の前で問題行動起こされて……」
「いやその、それは心労を察するが、まずはオレの話を───」
「あーもううるさい!どうするの?大人しくお縄に着く?それともそのまま回れ右して帰る?……というか、今更だけどデカイな」
どこか気だるげな様子の褐色の生徒が、白銀のツインテールと白い制服に一際目立つ赤い腕章を際立たせつつ、首が痛くなるほどの高身長の男に怯む様子も見せずにガンを飛ばす。並み居る不良生徒ならこれだけで小さい悲鳴を漏らすモノだが、そんな彼女の様子とは裏腹に当の本人はただただ困ったように頬を人差し指で掻いていた。こうなるならやはり前日にチナツに連絡をしてから伺えばよかったとぼやきながら───
「───銃を下ろしなさいッ!!イオリッ!!」
───そんな柱間の声を聞いていたかのように、突如としてイオリの背後から怒鳴り声が響き渡った。
「ッ、ち、チナツ?えと、な、なに──……」
「銃を下ろせと言ったのですッ!!そちらのお方はシャーレの先生です!!」
「?…しゃーれの……え!?シャーレの先生!?え、こいつ…じゃなかった、この人が?」
休憩時間を削ってまで業務に勤しむ自分に怒号を飛ばす友人の姿に呆気に取られ、彼女の言葉を咀嚼するのに時間を要すること数秒、あぁなるほどと目の前に立つ人物がここに足を踏み入れる資格を持った、法規的機関の顧問であることを理解すると同時に顔を青く染めて咄嗟に銃口を下げる。
「貴方は何をしているのですか!ハシラマ先生のことなら先日も話したし、SNSでも話題に上がっているでしょう!」
「で、でも、話には聞いてたけど顔は見たことなかったし…」
「キヴォトスで、大人の男性と来たらシャーレの先生以外いないことくらい直ぐに分かるでしょう!」
「そ、それはそうなんだけど……」
先ほどまでアレほど強気だった銀髪の生徒がその覇気は何処へやら、同僚の言葉に少しの抵抗は見せつつも落ち込み、片や興奮冷めやらぬといった様子で捲し立てていた。おそらくチナツは勿論、イオリと呼ばれていた生徒にも、先生は銃弾一つで命が危ういという共通認識はあるのだろう。故にこそイオリも下手に言い返せないという状況に陥っているのだろうか。そんな二人の様子を見て罪悪感を覚える柱間が割って入るように会話を遮る。
「ちと待てチナツよ。今回の件は完全にオレの落ち度ぞ。そこの……たしか、イオリ、だったか。その子をあまり責めてやらんでくれ」
「しかし…」
「イオリとやら。良い働きぶりぞ!不審者を見つけてからの迅速な判断、風紀委員として立派に職務に励んでおるようだの」
「いや、その…ご、ごめんなさい……シャーレの先生とは知らなくて……」
「よいよい!謝罪するならオレの方よ。他里──こほん、他の学園へ土足で踏み入ろうとした者があったのだ。お前の判断は何も間違っておらん。だからそんな顔はするな、イオリよ」
「いやその…え、えっと……怒ってないのか?」
丸い言葉でその場を収めようと試みる柱間だが、未だに罪悪感が拭えないのか、少々怯えた様子のイオリが時折視線を外しながらチラチラと柱間を見上げていた。そんな彼女を安心させるように頭を撫でつつ、顔に笑みを浮かべる柱間が口を開く。
「怒るも何も、その逆ぞ!生徒の活躍をこの目で垣間見て喜ばぬ教育者などおらぬ。ここに来るまでにも風紀委員の奮闘はこの目で何度も目にしたとも。精が出るの!」
「……そ、そっか、分かった」
「…はぁ、ハシラマ先生は甘いんですから」
チナツの突っ込みを豪快に笑い飛ばす大人の姿に緊張の糸が途切れる二人。勿論先の言葉はイオリを気遣ってのものだろうが、彼の態度が世辞ではないことを言外に伝えていた。言葉には形容できない、裏表のない態度こそが元の世界で火影に就任した、皆に認められる力の一端ではあるのだが、本人が自分に無頓着である限りそれを自覚することはない。
「さて……自己紹介が遅れたな。と言ってもチナツがもう言ってしまったが……シャーレの先生をやっておる、千手柱間ぞ!よろしく頼む、イオリよ」
「あ、うん。えっと、風紀委員会所属、銀鏡イオリ。よろしく、ハシラマ先生」
「ハシラマ先生。本日はどういったご用件でしょうか?」
「いや何、キヴォトスを見て回ろうと思ってな。手始めに、先日の礼も兼ねてゲヘナ学園に来たのだが……朝方チナツに連絡をしておったが、中々返事が来ず困っていたところぞ!ハッハッハ!」
「……え?」
「……チナツ?」
素っ頓狂な声を上げたチナツが、いやいやまさかとスマホを開いてモモトークを確認すると、確かにそこにある柱間からの個人チャット。今し方彼が言った要件が全て綴られており、顔から汗を垂らすチナツを今度はイオリが責めるような瞳で睨みつけていた。
「ハシラマ先生から連絡来てたんじゃないか!何で教えてくれなかったんだよ!言ってくれれば余計ないざこざも無かったのに!」
「き、気づかなかったんです!今日は朝から風紀委員の仕事で忙しかったので……」
「気づかなかった!?私が先生とは気づかなかった時はあんなに怒鳴った───「よさぬかよさぬか!オレのことでいがみあってくれるな!」
ギャーギャーと騒ぎ立てる所を見て年相応の幼さを感じつつ、宥めるように二人の間を取り持つ。かつては一国の長を務めたことがある彼をして、たった二人の幼い子供の世話に苦戦し、先は長そうだと頭を抱えるのであった。
「
「イオリ、はしたないですよ」
「ははは!構わぬ構わぬ!チナツも遠慮せず好きなものを取ると良い」
「……では、お言葉に甘えて」
先ほどまでの剣呑な雰囲気は何処へやら、現在風紀委員室。先生が持ってきた礼代わりの菓子包から漂う甘い匂いに惹かれたイオリが、早速とスプーンですくって口に運ぶと顔を綻ばせ、そんな彼女の様子に柱間も笑みを浮かべる。
「…ごく。それでハシラマ先生、ゲヘナ学園を見て回るって言ってたけど、具体的に何か用はあるの?正直ここまで街中の様子見てるのなら、教室とか見て回ってもそんなに変わんないよ?まぁ多少は落ち着いてるかもだけど…」
「部活を見て回るのなら止めはしませんが…」
「大体がテロリストだもんなぁ……」
「ぬ?テロリストぞ?」
テロリスト、と聞いて首を傾げる柱間。部活と言うからには生徒会より公的に認められた組織である為、最低限節度があるもののはずだが、そんな彼の予想は続く言葉に呆気なく打ち砕かれる。
「うん。例えば、そうだなぁ…美食を追求するとか言う研究会があるんだけど……」
「ほぉ!良い部活ではないか!」
「……度々飲食店へ赴き、自分達の判断で合格点に達していなければその店ごと爆破してしまいます…」
「……思ったより過激ぞ。生徒会は何か言わぬのか?」
「先生知らないの?ウチの校風、『自由と混沌』だよ?その程度歯牙にも掛けないさ、
「ぱんでもにうむ、そさえてぃ?」
「ゲヘナの生徒会の名称です」
「なるほどのぉ…」
思ったより一癖二癖どころの話ではないなと顎をさする柱間。おそらく、先の口ぶりから他の部活動も似たようなものだろうと察しをつけ、どうしたのものかと腕を組み眉間に皺を寄せる。勿論、他の学園と単純比較すれば直ちに矯正すべき異常事態なのだろうが、ここの住人はこの環境に既に慣れ親しんでおり、何よりイオリが言った通り『自由と混沌』が謳い文句のこの自治区で、余計に干渉すべきではないのかもしれない。
「ま、あんまり気にしなくていいよ、ハシラマ先生。多分先生が思ってるより重大な事件とかそんなものではないから。私達は大変だけど」
「はいそうですか、と頷くわけにはの。オレの立場上」
「心中お察しします、ハシラマ先生」
「……そう言えば、あれからどうです?シャーレの活動は。上手く回っていますか?」
忙しなくケーキを口へ運ぶイオリを尻目に、チナツが柱間の活動を憂いて尋ねると、そうだったそうだったと何かを思い出したように懐から数枚の書類を取り出し机の上に差し出した。
「そのことでも少し話があっての。コレを見てくれるか?」
「何これ?……シャーレの、入部届?あぁ、そういえばシャーレって一応部活って括りなんだったっけ?チナツ」
「はい。しかし、なるほど……もしや、今のところ誰も?」
「いやぁ、話が早くて助かるの!ずっと一人で作業しておったら連邦生徒会の方からスカウトに動けと急かされてな!」
はははと大口を開けて笑うのはこの人の癖のようなものなのだろうなと悟らせる、今日何度目かの大笑い。連邦生徒会からお達しが出ると言うことはそれなりに危機感を覚えるべきもののはずだが、おそらく目の前の大人はそこまで深く考えてはいないのだろうと少し連邦生徒会に同情を覚えつつ、言葉を返す。
「えっと、では今まで一人で作業を?」
「あぁ、オレの業務の肩代わりで生徒達の時間を奪うわけにはいかぬからの」
「でも、どうせ連邦生徒会に怒られたってことは仕事が間に合ってないんでしょ?それで先生の本業が上手くいってなかったら本末転倒じゃないか」
「うぐ、まぁそれは……図星ぞ……」
先とは打って変わって、今度は開けていた大口を閉じてボソボソと呟く柱間。喜怒哀楽が、まぁ目にとれてわかりやすい人だとため息を吐く二人が仕方ないなぁと言う雰囲気を隠しもせず書類を手に取り目を通す。
「えーっと……ふ〜ん、バイト代とか、学校がある日の活動では補填も出るんだ。悪くないじゃん」
「あぁ、流石にシャーレの負担の肩代わり、だけで所属させるわけにはいかぬからな」
「私は構いませんよ。勿論、風紀委員会の仕事もありますから要請に応じて毎回シャーレの活動を優先できるわけではありませんが…」
「いや、所属してもらえるだけで有難い。各学園に連絡を取れる生徒がいるだけでも話が変わってくるからの」
ま、そういうことなら私も、とチナツに続いて書類に名を書き連ねるそうして出来上がった二人分の署名を満足そうにファイルに仕舞い懐に収めた後、改めて感謝をのべる柱間。
「チナツ、イオリ。改めて感謝する。もしシャーレの活動で世話になることがあればよろしく頼むの」
「うん、その時はよろしく、先生」
「よろしくお願いします。……さて、この後はどうされますか?学内を見て回られます?」
「あぁ、それも良いが先ず生徒会、確か、パンデモニウムソサエティー、だったか、そちらに顔を───「失礼いたしますッ!!」
パンデモニウムソサエティーに顔を出すなどと不吉な事を言い出した先生を咎めようとしたところ、会話を遮る形で風紀委員が勢い良く扉を開け放ち声を張り上げる。突然の事態に驚く柱間をよそに、どうやら風紀委員の二人にとっては慣れたことのようで、ため息を吐きながら腰を上げる。
「現在駅前にて温泉開発部が掘削中!騒ぎに乗じて本校生徒の無賃乗車や暴動が発生、ハイランダーより救援要請が来ております!」
「駅前で何やってんだあのバカ共は!?委員長は!?」
「現在、他の暴動の鎮圧へ向かっておりまして…」
「アコ行政官と連絡は取れますか?」
「それが、現在万魔殿の方に……おそらく、いつもの嫌がらせかと」
「こんな時に限って…!チナツ!いくよ!……チナツ?」
非常時における指揮官の不在という大きな懸念を残しつつも、ここでぼやいたところで事態が好転するわけもなく、焦燥感を抱えたまま部屋を後にしようとして───自身の同僚が、どこかすがるような、申しわけないような視線を先生に送っている姿が視界に映った。
「ハシラマ先生、その……」
「…なるほどの、大凡事態は把握した。───チナツ、そしてイオリよ。こんな時に悪いが───
───シャーレとしての初仕事を頼みたい。
───どこからだ、どこから間違えた。
普段の快活で、余裕を思わせる態度の彼女からは考えられない、焦りと困惑と───少しの恐怖心を帯びた顔。額から滴り落ちる塩水が爆破による衝撃で散っていく。
「(ヒナ委員長は別の場所へ行っている。アコ行政官はマコト議長のいつものイチャモンで対応できるはずがない。なのに何で───)」
対応が早すぎる、と思考がまとまる前にまた一人部員が吹き飛ばされ意識を失う。その光景に、よもや今更狼狽えるような彼女ではないはずなのだが、何故か目の前に広がる、たかだか風紀委員の切り込み隊長が率いる烏合の衆に───無敵の軍勢を幻視する。
「あ、あちゃ〜、なんか今日の風紀委員、ずいぶん強くない?どうしよっか、部長」
「は、ハーハッハッハッ!!確かに幾分気合いが入っているようだがこんな時こそ冷静に振る舞おうじゃないか!温泉は心の安寧!さぁ諸君!我々の心の安らぎを奪わんとするかの暴虐に屈することなく───」
などと口にしてみて、何とか士気を奮い立たせるものの、やはり何故かただただ劣勢に陥るだけで、脳がパニックに陥り後手後手へと回ってしまい。どんどんと部員が気を失い横たわっていく。別に一人一人の射撃の腕前が急激に上がったわけでも、身のこなしが達人になったわけでもない。一人一人を見れば少し経験を積んだだけの、やはり素人に違いないのだが───言うなれば気迫を持っていた。鬼気迫る、と言った様子ではなく、自信に満ち溢れている、の方が近いのだろう。
これは、鬼怒川カスミの与り知らぬ事だが───突如として風紀委員の指揮を取ると言ったシャーレの先生。彼の指示通りに動くと全て上手くいくのだ。と言っても、大して練度も高くない自身の手で相手に大打撃を与えたわけでも、彼の指示を聞けば突如として相手の意表をつけるようになったわけでもない。
例えば、脈絡もなく一旦下がった方が良い。例えば、今なら行ける、前に出ろ。と言った、別段特別な指示でも何でもないただの回避と攻撃の指示。噂のシャーレの先生による戦術指揮は、特に意外性もないとても分かりやすいものであったが───程なくして皆の共通認識に存在した、居心地の良さ。別に場が好転したわけではないのだが、確かに今日はあまり身体が痛くない。突撃しろと言われたタイミングで被弾覚悟で前に出るが、聞こえるのはこちらの銃声音だけ。おそらく単純な処理速度を考えれば我が身を顧みず突撃した方が、その瞬間だけで言えば早かったのかもしれない。
しかしてその牛歩の歩みに風紀委員が文句の一つも言わない理由は───やはり、快感。いつもテロリスト達にゴミ虫のように散らされる自分達の手で確かに、そして一方的にジワジワと追い詰めているという実感。それが彼女らに、実力以上の過信とも言うべき自信を与え、そして何より───
『よいぞ!!敵は焦りより足並みが乱れ、お互いのカバーを忘れておる!……よし!次の火の手が止み次第突撃ぞ!!』
「先生の指示を聞いたなッ!!私に続けッ!!!」
「「「「ハッ!!!」」」」
先生への信頼。最初は懐疑的でどこか指示の伝達にもタイムラグのあった応答が、盲目的とも言うべき反応速度で疑う事なく行動へ移していた。……柱間の、戦の世で神と謳われた男の戦術指揮を、疑うこともなく完璧に指示通りに動く軍勢、そんなキヴォトスにおいては頭一つ飛び抜けた練度の集団を相手にするには温泉開発部には荷が重く───程なくして、勇ましい掛け声と共に情けない悲鳴が辺りへ響き渡った。
最初に現場を軽く見て、柱間が考えたことは───言ってしまえば、造作もない、であった。少しゲヘナで名の知れた、くらいの集団。であれば彼の手に掛かれば、道中で見た風紀委員の練度を鑑みれば自身の指示に従って動いてもらえれば難なく処理できるだろう。
そう、指示に従ってもらえれば。
当然のことながら、誰とも知らぬ指揮の元動けと言われ、表面上はさておき、はいそーですかとなるわけもない。ともすれば先ずは短時間で自身の指示が信頼に足るものであると納得してもらうこと。故に最初は足踏みをして、彼女らに心地よい経験を積ませる。と言うのも参考までに風紀委員の基本的な戦術を聞き、物量作戦という話を耳にしてこの方向へ舵を切ったのだった。ただ、実感させるだけでは時間がかかりすぎる。故に柱間が次に取った策が───
『おぉ!既に鎮圧したか!期待以上ぞ!』
『聞きしに勝る、無双の軍勢よ!!流石ぞ!風紀委員会よ!』
『素晴らしい働きぞ!このまま畳み掛けよ!』
───めちゃくちゃ、褒めた。
バカらしく聞こえるが、これがとても効果的であった。何しろゲヘナ学園でこうした、世間一般的な正義を掲げて行動に移しても基本的に褒めてくれる人間など同じ同僚か上司か、絶滅危惧種より少ない善よりの人間くらいで、苦労する我が身を奮い立たせるのは己の心という何ともストイックな精神のものばかりだが、今は違うのだ。結果を出せば褒めてくれる、立てば背中を押す声が聞こえる。ともすれば、彼女らは結果以上の仕事をしたという良い意味での勘違い、錯覚に陥り自信に満ちるはずであると、慢心をさせたのだ。
と言うのが、本作戦を決行した理由の三割──二割で、結局は───
「うむ、怪我はないかの?皆の衆」
「あ、はい!問題ありません!」
「シャーレの先生!ご協力、感謝いたします!!」
「よいよい!オレではなく、お前達の努力の賜物ぞ!よく頑張ったの!」
───生徒に怪我を負わせたくないから慎重だった、というのが大半の理由ではあるのだが。
ハハハと大口を上げながら生徒の頭を撫で群がる風紀委員達の相手をする柱間の後方で、イオリとチナツが現場処理を行いながら言葉を交わす。
「……ねぇ、チナツ。何者なの?あの人」
「詳しいことは私も……元々教員をやっていた、というわけではないようですが……」
「即席にしちゃあ隊の動かし方が上手すぎるよ。手慣れてる、なんてレベルじゃなかった。……シャーレとかいうよく分かんない組織辞めて、ウチに来ないかな?あの人」
「……イオリ」
「ちょ、冗談だって!そんな怖い顔しないでよ!」
シャーレとしての活動を、柱間の努力を軽視した発言に青筋を立てるチナツがジロリとイオリを睨みつけると、彼女が慌てて弁明を行うがそんな会話の流れを断ち切るように労いの言葉がかけられた。
「イオリとチナツも、無事ぞ?」
「あ、先生。お陰様で。特に怪我とかはないよ」
「はい、私も」
「であれば良かった。すまんの、唐突にしゃしゃり出て指揮を取るなどと言い出して」
「別にいいよ。というか、ウチの連中見たら不満の一つもないくらい分かるでしょ?」
「あぁ、彼女らの期待に添える指揮をできたようで何よりぞ!」
振り向いて、事後処理に動く風紀委員達の方を見ればジーッと三人───と言うか、柱間を見つめていたようで、それがバレると慌てたように───それこそ、掃除中の悪ふざけが先生に見つかった生徒のように作業に勤しむ。それをうんざりしたような顔で眺めるイオリと、微笑ましく思って再び労いの言葉を彼女らにかける柱間。今日出会ったばかりのはずのシャーレの先生に遠方から敬礼を行い、その場を後にするのであった。
「……というか、生徒の心を掴むのも上手いんだな。ウチの人間が全員骨抜きにされないか心配だよ。この生徒たらしめ」
「ははは!お前達の目にそう映ったのなら先生としてこれ以上ない褒め言葉ぞ!」
「ふふ、今回の件に関わった者たちは皆すべからくハシラマ先生に感謝と尊敬の念を抱いていますよ。勿論、イオリも」
「ちょ、チナツ!……ま、まぁ、実力は認めてやってもいいかな、取り敢えずは」
「うむ、信用を得たようで何よりぞ。……さて、もうこんな時間が」
腕時計で現在時間確認する柱間。元よりゆっくりゲヘナ学園を見て回るつもりであったが、今回の事件の対応と事後処理に時間を食い、今から踵を返してゲヘナ学園に向かってもまた駅前までとんぼ帰りになるだけだろう。仕方ないかと頭を掻いて二人に別れの言葉を告げる。
「すまぬな二人とも。もう少し腰を下ろしてゆっくりと言葉を交わしたかったが」
「あれ?もう帰るのか?」
「あぁ、シャーレの業務も進めておかなくてはいかんのでな」
「そうですか……あ、シャーレの業務、と言えば今回の件は……」
「あ、そうじゃん。完全に忘れてた」
ハッと気付いたように今回のシャーレの貢献に対する謝礼の話を始めるチナツ。何事もなく、さも先生が協力するのは当たり前と言う態度で柱間がいたため忘れかけていたが、というか忘れていたが、結果的に見れば急遽風紀委員会がシャーレの先生に戦術指揮の代行を願い出たと言う形、もっと言えばゲヘナ学園のテロリストの鎮圧にシャーレが関わったのだ。部活と言えど、どうやらシャーレは聞いたところ連邦生徒会に認められた公的な機関。何かしらの金銭的なやり取りがあるだろうと考えていたのだが───
「あぁ、そのことなら心配するな。何もいらぬ。いや、既に受け取った、と言った方が良いか」
「受け取った?まだ何も渡してないけど……まさか、生徒達の笑顔とか言うなよ」
「ははは!それで通ればオレも元の世で扉間にとやかく言われなくても済んだのだがな!…こほん、そうではない。イオリよ。今回の件、風紀委員会からシャーレへ戦術指揮の依頼、という形式ぞ?」
「ん…まぁ、そうだな」
懐疑的な視線を向けるイオリに対して、顎に手を当て首を傾げるチナツが思考を巡らすこと数秒、柱間の言い分を察したように、あっ、と声を上げる。
「……先生、それはちょっと…」
「ほぉ!既に理解したか、チナツよ。流石ぞ」
「え、ちょっと何だよ!私抜きで話を進めるな!」
「すまんすまん。それで、だ。見事解決したのだから、風紀委員会からシャーレへ謝礼が送られる、と」
「うん」
「そしてその謝礼は今回シャーレの一員としてテロリストの鎮圧に貢献した部活動の生徒に割り当てられる、そうだの?」
「うん………うん?」
「故に、今回であれば
「そうはならないだろ!屁理屈が過ぎるぞ!」
何がおかしいという顔で、イオリの訴えに対して不思議そうに首を傾げる柱間。憤るイオリに対してチナツはどこか観念した様子でため息を漏らしていた。
「私は風紀委員会としてテロリストを鎮圧したんだ!そんな暴論が通るわけないだろ!」
「暴論も何も、事実ぞ?」
「いいやおかしい!風紀委員会に後日正式に今回の件を報告すればいいじゃなか!」
「ふぅむ、しかしだの。今回の件はオレとお前達の独断であって、現場を把握しておらぬ上司に謝礼を払えと言うのはちと心が痛まぬか?」
「う……!だ、だったら私のポケットマネーで……!」
「最初に言ったように貰った分はシャーレの生徒……今回であればお前達に返すからの。これはオレが意地を張っているわけではなく、シャーレがそういう組織というだけの話ぞ」
「で、でも……うぅぅぅ!何か納得いかない!ただ働きをさせるのが申し訳ないとか、そういうのじゃなくて、何か子供だからって大人に良い様に丸め込まれてる感じがして……な、何か嫌だ!」
「何か嫌だって、イオリ……」
気持ちは分かるけど、と言葉にはしないが少しかわいそうな目で同僚を見つめるチナツ。大声で啖呵を切ったイオリの視線の先ではやはり大人の余裕を見せる柱間が大声で笑い飛ばしながらイオリの頭を撫でていた。
「ハハハ!まぁそういうわけぞ!なぁに、そもそもがシャーレは基本生徒の申し出に対してはボランティアな所はあるからの。勿論、貰うときは貰うが……今回の件に関しては、金銭的な援助も人員の補充も行ったわけではないのに金をもらってもオレが困るだけよ。オレが風紀委員の活動に介入するための仲介を担った、その程度に捉えておいてくれ、二人とも」
「……わかった、なんかまだ納得いかないけど」
「ハシラマ先生がそうおっしゃるのでしたら……でも、先生らしくない言い分ですね。なんと言いますか、回りくどいような、らしくない考え方のような……」
「するどいの、チナツ。まぁオレの、ではなくこう言った狡猾さは弟の入れ知恵ぞ。アイツには遠く及ばぬがな」
不貞腐れたイオリが、しかして頭の上を無遠慮に撫で回す初対面の男の手を退けることはない。不貞腐れながらもその感触にどこか心地よさを覚えているのは隠しようもない事実の様で───そんな、強がりながらも幼さを見せる彼女の姿にやはり父性を刺激される柱間が、惜しみつつも彼女の頭から手を離す。齢15か16か、元の世で考えれば戦場に出てもおかしくない、大人に片足を突っ込んでいる年齢なのだがどうにもこの世界の生徒達を相手にしていると、幼き時代の目に入れても痛くなかったかわいい孫の姿を重ねてしまいそういった対応をとってしまう。
「……さて、少し寂しいがもうそろそろお別れぞ。どうやら路線も復旧しそうだしの」
「ん……そっか。まぁ、また暇なときに来なよ。次はもう少し落ち着いて話したいし」
「その前に、シャーレのお仕事で世話になるのが先かもしれませんがね」
「あぁ、次会う機会がどちらにせよ、その際は仕事の話ではなくもう少し落ち着いて雑談をできると良いの」
それだけ言い残しその場を後にする柱間。その場の風紀委員の熱烈な見送りを受け、駅のホームへと消えて行くのだった。そんな彼の、小さくなっていく背中を見届けたイオリが今日何度目かのため息を吐き、同僚へ言葉を投げる。
「…な〜んか、不思議な人だな。シャーレの先生って」
「不思議、ですか?」
「うん、なんかこう、妙に惹かれるというか……ハシラマ先生って、キヴォトス外から来たんでしょ?前は何やってたんだろ」
「さぁ……それも、次の機会に尋ねられると良いですね」
「ん、そうだな……私達も帰るか」
「はい」
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それでは、また次回。
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