「えっと……これは……」
───アビドス高校、対策委員会室。
いつもは活気の溢れる会議室だが現在流れるのは心地良いそよ風と、書類をめくったりタイピングする作業音。そんな無機質な音を時折アヤネの声が彩るがやはり物静かなこの光景は何処か異質で───加えて、退屈で欠伸の出そうなこの作業を行う彼女の顔が何処か穏やかな余裕のある表情をしていたことが、この空間の異様な雰囲気に拍車をかけていた。
ただ、その普段とは違う空気というのがこのアビドスに新たな、それも良い風が吹き込んできた事であるのは───文字通り、アビドス外から舞い込んだ一人の生徒が微笑みながらアヤネの肩に手を置く光景から、間違いないのだろう。
「───アヤネさん、こっちは纏めておいたわ」
「あ。ありがとうございます!───ユウカさん!その、すみません、少しお聞きしたいのですが…」
「えぇ、構わないわ。何かしら?」
「その、こちらなのですが……」
連邦捜査部シャーレの部員であることを示す腕章を掲げる一人の生徒が、親身になってアヤネの言葉に耳を傾ける。セミナーの会計を担当する彼女の手腕により整頓される、手付かずであった出費や返済関連の書類が迅速に片付けられていく様子を見るに───アビドスの今後を憂う必要は、今しばらくないのだろう。
アビドス校内を、心地良い風が吹いていた。
─────黒服とカイザー理事が連邦生徒会によって拘束されて数日。
カイザーコーポレーションの重役が捕まったという話は瞬く間にクロノスの報道部により大々的に放映され、またこの件に関して連邦生徒会長代行、行政官七神リンが声明を出したことにより多くの者の目に留まることとなった。
───結論から言えば、その日の内にカイザー理事は解雇され、全ての罪が被せられる形で生徒誘拐事件の容疑者としてそのまま矯正局に収容されたとのこと。また、今回の件でブラックマーケットでの不法な金融取引が明るみになり、連邦生徒会の捜査が入ることとなった。これらの一連の流れが実にスムーズに進んだことには、やはり連邦生徒会の直接的な関与は大きな要因であるが、一説にはトリニティやゲヘナによる裏での工作があったことが実しやかに囁かれているが、定かではない。
───ただ、今回の件でもう一つ、世間の注目の的となった組織がある。
その名を聞いた者が脳裏によぎったのは記憶に新しいサンクトゥムタワーの制御権の件。それほどまでに当時の各学園自治区での混乱は凄まじく、今でも尾を引いている問題も少なくない。故にその件と合わせて今回ブラックマーケットの多角化企業の闇を暴いたというビッグニュースと共にその名がお茶の間に舞い込んできた事は、連邦生徒会長が失踪して以来信頼を失っていた連邦生徒会の力強さを象徴する良い出来事になっただろう。
ただ、一つだけ問題があるとすれば───この発表に対してその組織を束ねる当の本人が不服そうな顔であったこと。彼からすればアビドスの問題に関しては生徒ら自身が自分達で手にした勝利であるのだが、ニュースだとシャーレの尽力による所が大きいという報道がなされていた所。
勿論彼自身シャーレの生徒達は勿論、そこを通じて多くの生徒が協力してくれた事は理解しており頭の上がらない想いをしていたが、それ以上に生徒の名声を奪ったような感覚に納得がいっていなかった。
これ自体は復興中のアビドスに余計に関心が集まることを避けマスコミの視線を逸らす目的もあったのだが、そんな事は気難しそうに眉を顰めるシャーレの顧問にとっては関係のない話なのだろう。
そして現在、未だ世間の目を引いている連邦捜査部シャーレの顧問はと言うと───
「───よっと!──ふぅ、これで全部か?」
「あぁ。おーい!運んでいいぞ!」
───アビドスにて、瓦礫の撤去作業に勤しんでいた。
場所はアビドスの繁華街。アビドス高校やシャーレ、便利屋の奮闘によりカイザーPMCの撃退に成功したものの彼らの残した戦禍の跡は濃く、店を丸ごと潰された者や住処を失った者などその規模は広範囲に及び、他の自治区まで引っ越しを余儀なくされた者も少なくない。
勿論今回の件に関してカイザー側の過失が全面的に認められたため彼らからの補填があるにはあったが結局人手という問題は解決できず人員総出でアビドスの復興に勤しんでいる最中である。
「しっかし、アンタいいのか?ここでこんなことしてて。シャーレの先生って言やぁ……今色々話題になってんじゃねぇか。まぁこっちとしちゃあ猫の手も借りたい状況だからありがてぇ限りだがよ」
「なぁに、気にするな!元よりオレがこの自治区まで足を運んだ理由はアビドス復興の為ぞ。感謝するなら俺を呼んだアビドスの子らか───」
普段とは異なる作業着に身を包む柱間が粉塵対策に付けていたマスクを外して息を吸いながら、額から滴る汗を拭って視線を少し遠方へ向ける。自分達とは異なる場所で作業に勤しむ子供たちの集団に柱間だけでなく隣に佇む親方も少しだけ顔に笑みを浮かべていた。
「───彼女らに言ってくれ。随分立派になったものぞ」
「あぁ、ったく……ついこないだまで目の上のタンコブだったチンピラがあぁだからな。アンタの紹介じゃなけりゃ雇ってねぇぞ」
「目の上のたんこぶ?」
「そりゃそうだろ。このレベルじゃねぇが……アイツら───ヘルメット団の素行を考えりゃあ予想は着くだろ?ま、最近は妙におとなしかったがな」
「……そうか」
何か嫌なことでも思い出したのか溜息を吐いて辟易とした顔をする親方に反して彼の言葉に嬉しそうに顔を綻ばせる柱間が、一言断りを入れてその場を後にする。視線の先では作業に従事する彼女らが、困ったように手を止めて会話をしていた。
「なぁ、これ……」
「アルミは……名前からして金属だろ」
「じゃあ金属ごみか?あれ、でも分けろって言ってなかったっけ」
「でも……じゃあ、金属ってなんだよ、アルミだけ特別なのか」
「スチール缶は?」
「……金属?」
「一緒じゃん!」
「どうだ?調子は」
「……ん?あ!先生!」
近くによって声をかけるまで彼の気配に気づかないほどに会話に熱中していたのか、振り返り柱間と目を合わせた瞬間嬉しそうに声を高くするヘルメット団員。と言っても皆が皆そういうわけではない。その場にいる皆が一定の信頼を寄せてくれているのは勿論なのだが、彼女らの中でも際立って柱間に駆け寄る三名の団員の正体は言わずもがなだろう。
「どうしたんだ?こっち来て」
「なに、お前達の顔が見たくなってな」
「え~?先生ウチら好きすぎでしょ~!」
「ハッハッハ!あぁ!好きすぎて辛抱ならんくてな!元気そうで何よりぞ!」
「ま、前からだけどさぁ、本当に先生は遠慮ねぇよなぁ、そういうとこ。気持ちわりぃ~」
気持ち悪いと罵っておきながら満更でもない顔をする少女が、頭の上にかぶさる大人の手にニヤケ面が止まらないようで無意識のうちに口角が上がっていく。先日の襲撃時、顔を合わせることはあったもののどこか蚊帳の外で結局柱間と別れてしまったため、その分も含めて甘えているのだろう。もう頼りたくない、と決別の言葉を口にしたもののやはり本人を前にすると自分の心には正直なようで、柱間を前にして三人の少女がキャッキャと騒いでいた。
そんな折───
「…キショ」
「あぁ!?今誰だキショっつったやつ!!」
「いやキモイだろ、いきなり猫被りやがって……」
「そんなんじゃねぇわ!ぶっ殺すぞ!」
「お、おい!やめぬか!」
端から見れば確かに妥当な評価なのかもしれない。
見てくれでこんなことを言うのも酷い話だが───セリカやアヤネを筆頭にアビドス生徒のような正規の生徒と異なるのは学力や素行だけでない、その装いも酷いものだ。ところどころほつれ、破け、皴だらけ。こまめに洗濯をしているわけでもないだろうから変な汚れや謎のシミもある。それだけなら良いのだが───なにも良くないが───当然というべきか、臭いも凄い。くさいというか、硝煙だったり、工業的な香りなど、なんかいろいろ混ざった複雑な匂いがする。
それらが影響しているのかは分からないがその目も随分とスレたもので、彼女達自身にその自意識があるかは置いておくとして淀んだ目で睨みつけるような視線は流石に近寄りがたい雰囲気を醸し出してしまう。
だからこそ、自分達を生徒として───そして何より女性として丁寧に扱ってくれる男性に惹かれてしまうのも無理のない話である。故にこそその毒牙を知らないものからすれば、仲間がいきなり猫被ったように見えるわけだが。
「それと改めて先日は世話になったな」
「あぁ、良いよ、そんくらい」
「そういうわけにはいかぬ、結果的にお前たちのおかげでアビドスは助かったといっても過言ではないからな。勿論、オレもな」
「でも実際成り行きで行くことになっただけだからなぁ…」
「そう言えば……結局、どうしてお前達はあの場に?」
柱間がそばにいる少女の頭をなでながら周囲のヘルメット団員に話を尋ねるが、色々な思惑が複雑に絡み合った結果かと思われたそれは以外にも単純な───偶発的な事故に近いものであった。
あの日───カイザーPMCに襲われた彼女らは孤軍奮闘しながらもその場から散り散りとなり逃げおおせる形となる。リーダーを中心に固まっていた彼女らも例外ではないのだが───そんな彼女らの下に近づいてくる一台の装甲車。先手を撃つように───その実部下が勝手に仕掛けたのだが───バズーカ砲を一発撃ちこんだのだが───
「……それが、黒服とホシノの乗っていた戦車だった、と」
「うん。まぁ幸いアタシらが……えっと……ホシノだホシノ。アイツと……ほら、以前の……その、セリカのことで知り合いだったから……一応、その場は丸く収まって」
「そうか……しかし、それがどうしてお前達まで基地へ来ることになる。ホシノが頭でも下げたのか?」
「…黒服ってやつの口車だよ」
「あ、リーダー!お疲れ様です!」
柱間の疑問に応えるのは肩で息をしながら瓦礫の山を歩き皆の下に合流する彼女らのリーダー。汗を拭ってペットボトルから水分を補給し、無造作に瓦礫の玉座に腰をかけて柱間を見上げる。
「黒服が?」
「……ホシノの背後で様子見てるだけかと思ったら、お前がカイザーに捕まってるだかなんだか言い出して……そしたら、そこのバカ三人が着いて行くっつって止まんなくてな……」
「う、ウチらのせいみたいな言い方してるけど、リーダーこそあの男に乗せられてたじゃないっすか!『先生に貸しを残してたままでいいのですか?』って……」
「あッ!?」
「う……」
「これこれ、やめよ。理由は異なれど、どちらもオレを助けるために動いてくれたのだ、感謝するぞ」
リーダーが威圧するように睨みを効かせると流石に組織の頭を張るだけあってその眼圧は中々のもので、萎縮したヘルメット団員が思わず柱間の作業着を両手でギュッと鷲掴みにする。そんな彼女の恐怖を悟ってか間に入り仲介すると、リーダーは不満げにそっぽを向き、ひっつき虫のように自分のそばから離れない少女は安堵したようにホッと息を吐いていた。
「…っと、もうそろそろ失礼しようかの」
「え?も、もう行っちまうのか?別に呼ばれてねぇし…」
「すまぬな、アビドスとは別件で───いや、別件ではないか。先日の件で他校を回る予定でな、これからゲヘナに向かう予定ぞ」
「ふ~ん、大変そうだな」
「なに、お前達に比べたら気楽なモノぞ。……おぉ!そうだ!忘れるところであった!一つ、渡したいモノがあってな!」
「なんだ?金か?」
「ソレはきちんと今の仕事を終えたら正式に支払おうぞ。そうではなくてな……えっと……お、あったあった。これを」
そう言って懐から取り出したのは一つのファイル。うっすら透けて見えるのは何やら事細かに文章の書かれた契約書類のようなもので、その時点で余りその類の物に縁の無いヘルメット団は辟易していた。一番近場の少女が引っ付き虫と化していた手を放し、無造作にファイルを受け取ると中身を取り出し軽く目を通して───驚いたような声を上げる。
「んだこれ………───しゃ、シャーレの入部届!?」
「は!?な、なんで!?」
「何でも何も……書いてる通りぞ。強制ではない、気が向いたら考えてくれ。では──「いや待て待て待て!」
驚くヘルメット団員とは対照的にさも当たり前であるかのような態度で返事を返しその場を立ち去ろうとする柱間。そんな彼を慌てて呼び止め問い詰めるのは、やはり例の三人。彼女らにとって勿論その勧誘が嬉しくないわけではないのだが、どうしても過度な施しに抵抗感を覚えるくらいには人間ができてきた彼女らにとって二つ返事で受け入れがたく、顔を歪ませていた。
「ど、どういうつもりだよ!アンタ、自立促せといてこんなの……!」
「自立……?まぁ、自立はしてほしいと願っておるが……それとこれとは関係ないだろう」
「無関係なわけあるか!こんな……!」
言葉に詰まる一人の少女。この契約書を突き返す気概で食って掛かるも今までさんざ彼に施しを受け、自分から彼を突き放すような言動に罪悪感を覚えないでもない彼女が、それでも勇気を振り絞って声を上げるのだが──
「……こ、こんななぁ!シャーレの後ろ盾がなくたってアタイらは──「違う」──……へ?」
「お前達がシャーレに欲しい」
「な……!?……あ……うぅ……!」
「……はぁ、よくそんなキザッたいセリフ、しらふで言えるよなアンタ……」
返す言葉を失った少女の背後で彼女らのリーダーが呆れつつ口を開くが当の本人は特段気にした様子もなく続けて言葉を紡ぐ。
「お前達が既に立派な人間として成熟していることくらいオレは知っておる。だからこそ不出来なオレを支えてほしいと思ったのだ」
「いや不出来って……謙遜が過ぎるぞ先生……」
「事実ぞ、現にオレを助けてくれたではないか、お前達は」
「いや、それは……てか、ホシノが……」
「謙遜が過ぎるのはお前達ぞ。自信を持て。お前達はどこに顔を出しても恥ずかしくない───俺の生徒ぞ!」
「…………考え……とく……」
「……」
「……ウチも……」
子供の自分達より何倍も純真無垢な笑顔で抱擁を交わされれば遂に反抗心はなくなり、ぼそぼそと口先を動かし小さな声で渋々柱間の言葉を了承する。その返事に満足したのか屈んでいた膝を伸ばして立ち上がると、今度こそその場を後にしようと踵を返そうとするが、
「あぁ、勿論お前達も気が向いたら返事をくれ。全員分の書類もあるからの」
「書くかよ、バカが」
「ハッハッハ!ならば仕方ない!また勧誘にでも来ようぞ!ではな!」
「あ、おい!……所属するまで押しかけるつもりじゃねぇだろうな、あいつ……」
リーダー並びに他の団員への勧誘も行い、やっとこさ姿を消す柱間。彼の背中から視線を外し何やら騒がしい近場の団員に目を向ければ、案の定というか例の三バカが誰が最初に名前を記入するかでしょうもない小競り合いが起きていた。そんな彼女らを見つめたリーダーが困ったように空を見上げるとこんな肉体労働の日に限って生憎の晴天で、雲一つない空の向こう側から日差しが照り付け───誰にも気づかれることなく、小さく微笑んだのであった。
「───オラァ!休憩終わり!仕事しろシゴトォ!」
────風紀委員会が機能不全。
この、眉唾に近い噂話は何とか隠蔽工作を図った天雨アコの手腕を以てして、しかしアビドスの騒動により搬送される多数の風紀委員を全て隠し通す事は不可能であった。このことから先の噂話が真実であると確信したゲヘナの不良やテロリスト達は勢いづき、直近のゲヘナの治安は近年でも稀に見るレベルに最低値を更新していた。
そしてここにも先日まで風紀委員会の手が回らない、ゲヘナにおいてそれなりのビッグネームであるテロリスト達が一つ。名を───美食研究会。元々そんな噂があろうとなかろうと信念の赴くまま舌に任せて犯行に及んでいたのだが、にしても事件が飽和しヒナが手一杯である現状、連日爆破三昧であった彼女達がゲヘナの飲食店経営者を震え上がらせていたのは想像に難くない。
「……い、如何でしょうか?」
「んー!おいひぃ!」
「えぇ、悪くない味ですわね。美食……とまではいかないにしても、味付けや下処理に関してはお店の回転率や調理時間を考えると及第点を与えても良いでしょう」
場所は駅前。
意気揚々と美食研究会が足を踏み入れた飲食店は中々に高利な価格設定で、あろうことかこのゲヘナにおいてデカデカと"味で勝負"なんかいう胡散臭い看板を掲げ最近SNSで名を上げていた、新興の店である。
そんな、何とも自信に満ち溢れたオーナーの営む飲食店で、ここまで怯えながら彼女らの反応を窺うのは勿論店が破壊されることを危惧してのものだが───もう一つ。
箔が付くのだ。
彼女らも毎回毎回店を爆破しているわけでもなく、足を運ぶのも話題になっているからこそ味の保証がある程度された店が多い。ゲヘナで名の通ったテロリストであるからこそ、彼女らの審査を合格したというのは飲食店にとって一つのステータスとなるのだ。
まぁそんな一つのステータスと店を爆破される危険性を天秤にかけたら、どう考えても美食研究会が来店しないに越したことはないのだが。
「ほ……で、では──「しかし」──は、はい?」
「値段に釣り合っておりませんわね。駅前という立地を考慮すると恐らく観光客等の外からの人間に向けた……所謂、二重価格、のようなものであることは分かります」
「そ、それは……」
「え。ちょ、ちょっとハルナ!ここやっちゃうの!?」
「美味しかったよ?」
「えぇ、お二人の言う通り味に文句はありません。ただその回りのサービス……コース料理でもない単品での価格設定……分相応かと言われれば……」
「そ、そんな……!」
芳しくない反応にみるみる顔を青ざめさせるオーナー。周囲の客もソワソワと騒ぎ立て、ある者はこれから始まる解体ショーを予見し金の支払いを済ませて料理を残したまま出て行く者もいる始末。オーナーの見守る中、ガサゴソと懐をあさって───一つのリモコンを取り出すハルナ、それが何を示すのか分からないほど鈍感ではなく、ヒュッと小さく息を呑む音が響き渡る。
「では──「あーちょいちょい、待って待って〜」──……はい?」
発破しようとスイッチに指を重ねた瞬間、その場の息を飲む空気にそぐわない抜けた声が店内に響く。考えるまでもなく自分に向けられたものであることは疑いようのないその声の方に顔を向けると、一人の生徒が料理に舌鼓を打っていた。
「んー、おいしいねぇ。外食なんて柴関ラーメンばっかだったから新鮮だなぁ」
「……ふむ?何でしょうか?」
「ん……ふぅ。いやぁ〜、ごめんね?いきなり声かけて、それで唐突なんだけどさぁ、君らって……えーっと、何だったかな……あそうだ!美食研究会、って子らであってるっけ?」
「えぇ、おっしゃる通りですが……成程、ゲヘナ外の方ですわね?」
「うん、そだよ〜。訳あってヒナちゃんやアコちゃんに用があってお邪魔してるんだ〜」
「ひ、ヒナとアコ!?」
「──あらあら、それはそれは……」
「……それで、何のご用でしょうか?」
唐突に風紀委員会のワンツートップの名前が出てきて一気に警戒心を高める美食研究会の面々。ジュンコは店が爆破される前に少しでも胃に詰め込んでおこうと料理を頬張る手は止めないまでも少し汗を垂らしてその少女を見つめ、アカリも柔和な笑みを浮かべたまま、薄らと瞳を開いて様子を窺っていた。
「……うひゃあ〜!改めて見ると、本当にたっかいね!柴関ラーメンのに2、3倍はするじゃん!」
「そ、それは……そういう価格設定でやらせていただいていますので……」
「えぇ、そうでしょう?ですので、値段に見合わないサービスを提供する店には分をわきまえていただかなければ」
「そ、それは何卒───「そこまでしなくてもいいんじゃない?」──……へ?」
高いと叫んだ少女からまさか擁護の言葉が飛んでくるとは予想だにしておらず、腰を直角に曲げるオーナーが振り返りその声の主を見つめると、メニュー表を開いてペラペラとめくりながら料理を眺めていた。
「いやさ、高いのは高いけど観光客向けなんでしょ?外から来た人なんか財布の紐も緩くなるしさぁ、商売なんてそういうもんじゃない?そりゃ私も外から来た人間なんだから良い気はしないけどね、狙ったターゲット層に売り出す、立派な戦略だと思うよ?」
「あら……てっきり、私の言葉を否定するものとばかり思いましたが、高利な価格設定には言及しないのですわね」
「うん、高いのは高いと思うし。でもお店だって善意でご飯を提供してるわけじゃないしさ、仕方ないんじゃない?だからお店をメチャクチャにするのはやめてあげて欲しいな〜」
「……とのことですがどうしますか?ハルナ」
「……ふむ」
顎に手を当て考えを巡らせるハルナ。ここで彼女が悩んでいる理由は単に目の前の少女の言葉に耳を傾けたからではない。というか、何なら自分の信念に従えば彼女の言葉などほとんど心に響いていない。ただ警戒しているのは───一見無防備に見える目の前の少女の策についてだ。
ヒナとアコの名前を出したのは、一種の牽制とも取れる。十中八九風紀委員会の差し金だろうが目の前のノホホンとして気の抜けたピンク髪からは、イオリやヒナのような凶暴性は一切感じられない。そんな彼女が自分達のことを把握した上で声をかけたのなら、何か策があるはずだと勘繰るが───そこまで考えて、思考を止める。ここで怖気付き犯行を取り止めるとあらば結局自身の美食への道もただの自己満足であると自身で認めたようなものなのだ。
「……申し訳ありませんが、これも美食への道ですので」
「そ、そんな!?」
「……うへぇ〜、そっかぁ……じゃ、仕方ないね」
そう言って、気怠そうに懐から何かを取り出すような仕草を見せる。その一挙手一投足も何処か鈍臭く、見ているこっちの毒気が抜かれるほどに隙だらけであったのだが───
「……えーっと……あ、あったあった。んしょっと」
「………あら、風紀委員でしたのね。先程はゲヘナ外から来た、と申されておりましたが……」
「ちょっと個人的に───というか、ウチの学校がお世話になってね〜。───ま、おじさんのせいなんだけど。お礼も兼ねて臨時でやらせてもらってる感じかな?それは兎も角……」
徐々に臨戦態勢を整えるアホ毛の特徴的な小柄な生徒が、制服の上から左腕に腕章をつけてゆっくりと座席から降りる。いよいよ戦闘の開幕を予見した美食研究会も警戒心を露わにするが、そんな彼女に余裕のある態度で───少女が、声をかけた。
「……君らには関係ないけどおじさんさぁ。自分勝手な理由で飲食店を爆破するって、ちょっとタイムリーなんだよねぇ……もう一回聞くけど」
「辞める気は、ないんだね?」
「ひ…!?」
「……ッ」
「───ハルナ、これは……」
「?」
ホシノが得物を両手に握り今までうっすらと開いていた目を開眼させて皆を見つめた瞬間───空崎ヒナを彷彿とさせるような、絶対的強者の波動を感じ取る。先ほどまで対等な立場を貫いていたハルナが思わずを唾をのみ、額から小さく汗を垂らすが眼前の少女は未だ銃を構えることなく───先手は取れると愚かな勘違いをしたハルナが、ゆっくりとスイッチに指を近づけ───
「……そっか、んじゃ仕方ないね……───」
「───ぇ…?」
「んじゃ、眠っててね~」
───スイッチを押すことなく意識を手放した彼女の最後に見た景色は、まるで瞬間移動したかのように距離を詰めた小鳥遊ホシノの───ゼロ距離からのシールドバッシュだった。
「……美食研究会、温泉開発部の鎮圧完了。また、間もなくアラバ海岸での暴徒殲滅も完了するかと……」
「…そうですか、ありがとうございますチナツ。……小鳥遊ホシノさん、委員長より話は聞いていましたが……これほどとは」
「こんなこと言うのも不謹慎だけど、カイザーPMCが欲しがるのも納得だな……」
場所はゲヘナ校舎の風紀委員会室。先ほど現場から帰ってきたチナツとイオリがアコと共に───今朝、アビドスの件の迷惑料として無数の風紀委員の穴埋めに臨時で雇われた小鳥遊ホシノの話をしていた。実際に彼女のことを情報で、そして直で実力を知るのは対面したヒナのみで、そんな彼女が「小鳥遊ホシノなら大丈夫」と言うのならそれ以上に信頼できる言葉はないのだが───やはり不安になるのはたった一人であること。ヒナほどでないにしろゲヘナでも屈指の実力者であるイオリでさえ単独でのテロリストや暴徒の鎮圧は容易ではない。それこそ小鳥遊ホシノに任せられた案件は本来ヒナが一人で担当するような厄介者ばかり。果たして大丈夫かと心配していた他の風紀委員達を、その成果で黙らせたのが現状である。
「どうでした?イオリ。現場に出たのですから少しは彼女を見る機会もあったのでは?」
「まぁ……その、委員長とは別ベクトルで凄いな。委員長が蹂躙ならあの人は制圧かな」
「と言うと?」
「委員長は有無を言わさず絨毯爆撃で一斉にって感じだけど……あの人は、ジワジワ追い詰めるって感じ。絶対に倒れない不死身の個が一生追い詰めてくるような……ほら、チナツはこないだ正義実現委員長、現場で見ただろ?アレをもっと堅実にしたようなイメージだな」
「……イメージがつくようなつかないような」
三人から漏れ出るのはいずれも畏怖の念で、よもや先日までノーマークだった寂れた自治区にこれほどの人間がいるとも思わなかったろう。隠れた実力者という言葉はあるが、それがキヴォトスという世界の頂きに迫るほどとは想像もつくはずがない。
「……あ、先生の方も終わったようです」
「そ、そうですか……」
「ふふ、行政官?そんなに先生のことが心配だったのですか?」
「は、はぁ!?そんな訳ないでしょう!!というか、それを言うなら救護担当のあなたが心配するべきでは?」
「アコちゃん、声でかい……というか、先生も先生で結局何者なんだ…?」
チナツから入った連絡に、首を傾げるのはイオリ。先程はホシノを随分持ち上げたが、そんな彼女を以てしても今の風紀委員会を立て直すには今一歩届かないほどに被害は大きく、そんな時に白羽の矢がたった───というか、自身から名乗り出たのが彼である。以前のことから彼の指揮に対する信頼は疑いようもなく、ホシノと比較して素直に受け入れられたのだが意外な事に彼の参入を渋ったのは天雨アコその人である。最初は彼女の下らないプライドかとイオリも呆れたものだが問い詰めるとそういうわけではなく、どうやらゲヘナという無法地帯にて前線に出て指揮を取る彼の手法が心配でならなかったらしい。素直にそう口にしたわけではないが言葉の端々や態度から匂わせる不安そうな雰囲気に柱間が笑顔で彼女の頭を撫でたことは想像に難くないだろう。
「まぁ、何でも良いではありませんか。事実として助けられているのですから素直に、先生、として受け取りましょう。この際ですからアコ行政官も戦術指揮について先生にご教授を賜っては?」
「ふむ、先生の指揮を、ですか……悪くはなさそうですね……」
「えぇ……アコちゃんがいきなり手のひら返して褒めまくってきても気持ち悪いだけだよ……」
「あら?随分口が回りますね、まだまだ体力があるようでしたらイオリもホシノさんにしごかれては如何でしょうか?」
「ぜ、絶対にいやッ!!!」
柱間やホシノが奮闘していた頃。
当然の如く他二人以上にゲヘナを駆けまわり最も治安維持に貢献していたのは言わずもがなゲヘナにおける生徒会長であるマコト以上にその名を轟かす、絶対的力の象徴たる空崎ヒナその人。今日も相変わらず目の下に隈を作り、肉体に蓄積する疲労から目をそらしながら業務に勤しんでいた。 ただ幸いなのはシャーレの先生と小鳥遊ホシノという臨時的な戦力の加入により直近の多忙な日常が少し改善されたことだろうか。
ただ当然のことながら外部の人間を招いておきながら組織の長が休息を取るなど彼女の思考からすれば有り得ないことで、碌に鏡で自身の顔も確認せず、仕事を終えたらしいシャーレの先生を労いに行ったのだが───それが不味くもあり、幸運であったのかもしれない。
『……ヒナ、貴様大丈夫ぞ?』
『え?な、なにが…?』
『……なるほど、自覚なしか。重症ぞ……いや、風紀委員の多忙具合は聞いておったから、もしやこれが標準なのか……?』
『…………??』
柱間を見つめる小柄な少女の内に秘めたる暴力性からは想像もつかぬ程に小動物のような、コテンと首を傾げる仕草は何とも愛らしいがいつもなら喜色満面、笑顔で頭をなでる彼が困ったように眉を顰める理由は黒く染まった目の下の隈であることは言うまでもない。腰に手を当て目を覆い、空を仰いで溜息を吐く、お手本のような仕草にますますヒナの疑問は増すばかりで、自分は何か粗相をしてしまったのかと少し不安に駆られていた。
『……ヒナよ、貴様、この後はどうするつもりぞ?』
『この後?一旦委員会室に帰る予定だけれど───あ、小鳥遊ホシノも回収しなきゃいけないわね……』
『……そうか……──よし!』
顎に手を当てて何か考える柱間が唐突に声を上げて身を屈めると、少し驚いたヒナが体を硬直させる。次の瞬間背中を見せる彼の発言に、一瞬言葉が理解できず、固まるヒナであった。
『ヒナ、少しオレの背で休め』
『へ……?』
「うえぇ!?な、何してるのヒナちゃん!?」
「た、小鳥遊ホシノ、こ、これは、その……」
「お!無事ぞ?ホシノ!」
仕事を終え、近場にいるらしい柱間と合流しようと浮足立つホシノが向かった先で見たのは、まるで親子のように背中に背負われるヒナの姿。いつもの凛々しく頼りになる立派な委員長としての姿は鳴りを潜め、もたれ掛かるように柱間に身を預けていた。
「ぶ、無事だけど……ってそうじゃなくて!な、なにやってるのさ先生!?」
「見ての通りぞ!」
「見ての通り、じゃなくてさぁ!」
「せ、先生、その、重く、ない?邪魔ならやっぱり……」
「その逆ぞ、随分軽いの?もっと食べて肉を付けんといかぬぞ?それと……邪魔か、などと寂しいことを言ってくれるな!生徒とこうして触れ合えてオレは嬉しい限りぞ!」
やはりと言うべきか、歯の浮くようなセリフをなんの恥ずかしげもなく平然と口にしてしまうのがこの男の良いとこでもあり悪いとこでもある。前者はやはり彼の善性も合わさり受け取った本人が疑うことも許さずその甘ったるい言葉を素直に受け取ることができる点だろう。
そして、後者はやはりこちらも、その素直な言葉である。生徒との信頼を育むのにこれ以上ないほどに効果的な彼のコミュニケーションはもはや毒ともいえる。相手の毒牙を抜き力を奪い、かの風紀委員長ですら容易に気を許して身を預けてしまう。ある種生徒に対しての最大の武器と言っても良い。
「……そ、そう、分かった…」
「あー!ひ、ヒナちゃん女の顔してる!」
「お、女の顔!?ちょ、小鳥遊ホシノ!あなた何を……!!」
「まぁ落ち着けホシノ。ヒナは普段から多忙に追われる身ぞ。少しくらい休ませてやりたくてな、そういうことぞ」
「で、でもぉ!……はぁ、そういうことにしてあげるけどさぁ……」
何か納得いかないのか、不服そうに柱間に背負われるヒナを見上げるホシノ。彼女はやはり彼の大きな背中を十二分に堪能しているようで、ホシノの渋々了承する言葉を耳にして安心したのか目を閉じ体を預けていた。そんな彼女にわずかな、浅ましい抵抗を見せるかのように先生の手を握るホシノ。普段なら自分からこんな風に積極的に近寄ることのないホシノの珍しい反応に気を良くした柱間は終ぞホシノの想いに気づくことなく───まるで子連れの親子のような三人は、大人しくゲヘナへと帰還したのだった。
………その際、帰還した先生の姿を見て安堵したアコが───背負われた委員長の寝顔を見て表情を二転三転させたことは言うまでもないことだった。
───ゲヘナでの仕事を終え、次に向かうはトリニティ──ではなく、アビドス砂漠のど真ん中。
カイザーPMCの基地すらない、枯れ果てた大地で柱間を呼び出し待ち続けるのは───先日、彼とアビドスを救った一人の大人。もとより彼が引き起こした事件でもあるため、マッチポンプもいい所なのだが。
「……すまぬ、遅れたか」
「いえ、丁度良い頃合いです」
「丁度良い頃合い……?まぁ良い、しかし無事そうで安心ぞ」
彼の変な言い回しが気になったものの一旦は置いておき、先ずは目の前の人物───黒服の無事を祝う柱間。結局は彼の悪事も徹底的に証拠が隠滅されカイザー理事に罪をかぶせる形で釈放されているのは流石の手腕と言ったところだろう。
「クク、ありがとうございます。まぁ元より今回の事件の首謀者はカイザー理事ですからね、私に責任はございませんので」
「……過程が過程なだけに、その言葉を素直に受け取ることは叶わんな」
「えぇ、それで構いません。私も清廉潔白な身を証明するため貴方を呼んだわけではありませんので」
「そうか。それで………なぜ今更こんな所にオレを呼んだのだ?何もないと思うが……」
そう言って柱間が周囲を見渡し視界に映るのは───全面、砂景色。所々電柱や家屋の跡が見え隠れするため記憶に古い、かの風の国ほどではないにしろ、生産性の欠片もなく、人の営みすら見えないこの場所に呼び出された柱間が、首を傾げながら黒服に尋ねる。
「単純な話です。───間もなくこの場より、アビドスへ危機が訪れますので」
「──何だと?」
目の前の男の言葉に、険しさの増す柱間の顔。
そんな彼を茶化すことなく、黒服が言葉を続ける。
「どういうことぞ、黒服」
「……話に入る前にまず、先生」
「ぬ?」
「こちらを」
そう言って黒服が、胸ポケットより小さな何かを取り出し柱間に手渡す。
それを見た瞬間、何かを思い出すようにアッと小さく声を漏らす柱間。
「ソイツは……」
「はい、あの日、先生より賜った信頼の担保……」
名刺を渡すかのように黒服が丁重に扱うソレを、同様にゆっくりと右手で受け取りジッと見つめる柱間。それを眺め───黒服との、彼との初めての邂逅の日を思い出す。
『……いつの世も、変わらぬな』
あの日、黒服の言葉により憂いた人の世の危うさを記憶をなぞりながら今一度思い出す柱間。あの発言をした際の、黒服の困惑した雰囲気は今も記憶に新しい。
『黒服よ。つまりお前は、オレを恐れているのだな?』
『えぇ、そう捉えていただいて構いません。勿論、単なる一武力であればこうまで気を配る必要はない。ただ、貴方が思慮深く、頭も回り───何より、自身の中心に自身がいない。……私には到底理解の及ばぬ領域ではありますが、貴方は生徒の為ならばその全てを切り捨てることが可能なようです。これほどやり辛い手合いはいない』
『………ふむ』
『生徒第一、それが先生の───『少し語弊があるな』───?』
鮮明に脳裏に浮かぶ、あの日の出来事。調和を願う自身の夢を阻むのは、平和を実現するために得た、自分自身の力に対する畏怖と言う皮肉に、それでも虚しさを嘆くことなく前に進もうとする忍の神。至極穏やかな瞳でジッと男を見つめれば、その純粋無垢で子供のような瞳に───気圧されてしまったのかもしれない。自身を値踏みするような彼の瞳、明らかに動揺が生まれていた。
───生と時間を代価に、力を与える、先生にとっての武器。……貴方の枷を外すための鍵、と言い換えても良いでしょう。
丁寧ながらも隠し切れない、言葉の端々から伝わる千手柱間に対する恐怖は悲しいことに彼にとっては聞きなれたもので───しかし、我が身から離れずこびり付き、その力は自身が死するまでその身から分かたれず、死してなお忍の世に禍根を残すこととなった。
───貴方ならば可能なのでしょう。私達の計画を力によって強引に崩壊させることが。
だがもしも、ソレを手放せるなら───そんな力がなくとも手を取り合える、そんな可能性があるのなら、希望に満ちた世界が広がっているのなら。
───私の計画も、それに類する数多の事象も……アビドスの努力でさえ、貴方は全て児戯にできる。
オレは喜んで、捨ててやろう。そちらに賭けてみるとしよう。
『なぁ、黒服よ。………──────
───ならばコイツを、貴様にやろう』
「………大人のカードです」
「……久方ぶりに見たな。しかし良いのか───いや、なるほど……」
自身の手のひらに収まるほど小さな長方形の板によもやそんな力があるのかと疑いたくもなるがシッテムの箱という前例や、パソコンを筆頭に多くの科学的な技術を体験した彼にもはや疑う気もなく、そういうものなのだと素直に受け入れていた。そんな柱間が訝しむことはやはりこれを自身へ返却した意図。アレほど自身へ警戒心を露にしていた黒服が、結果的に手のひらを返しアビドスへ協力して自身の命まで救ったのだ。であればあの時黒服が口にした言葉以上に、このカードとやらの重要性は高いのだろう。
なら、そんな担保を手放して良いのかと口にした矢先───思い出す、先の黒服の言葉。
アビドスへ危機が迫っている、と。
「話が早くて助かります。……時に先生、貴方は私と共にカイザーの基地、そしてアビドス自治区に攻め込んだ無数の大隊をこの目で見ましたね?まぁ後者に関してはすでに鎮圧された後のガラクタの山でしたが」
「あぁ、夥しい数だったが……それがどうした?」
「あれらはすべて───本来、
「──何だと?たった一体?どこか、他の集団との抗争に備えてではなくてか?」
「はい」
不安をあおるような黒服の言葉に、驚愕した柱間が確認するように尋ね返すが無慈悲にもその不穏な空気は晴れることなく、彼が言葉を続ける。
「──対デカグラマトン大隊、それが彼らの正式名称です」
「でかぐら、まとん?珍妙な名ぞ……何ぞ?それは──
───っと!何ぞ!?」
「……ッ、随分と早いですね、仕方ない。時間がありません、手短に話しましょう」
また知らないカタカナ語が現れ問いかけるように黒服に声をかけた刹那────大地が揺れる。地震と言うよりは断続的に発生する振動のようなものが地の底から鳴り響き、バランスを崩した二人がよろけて片膝を付くがそれでもなお揺れは鳴りやむこと知らず、そればかりか勢いが次第に大きくなっていき、柱間を以てして彼に緊張感を走らせる。
「先生、デカグラマトンと言うのはとある一つの人工知能───並びにソレに感化されし信奉者達を含めた大系を指します」
「よ、よく分からんぞ!」
「そうですね……シャーレ、と言えばまずあなたが出てきますが所属する生徒も皆含めてシャーレです。デカグラマトンに関しては先生が先に言った人工知能に該当し、その信奉者たちが生徒に該当します。まぁ厳密には色々違いますがざっくりかみ砕くとこのようなモノでしょうかね」
「……う、うぅむ、やはりピンと来ぬな……それで、その……デカ何とかというやつが───というか、この揺れがソレか!?」
「───はい、ご推察の通りです。……先生」
「なに───ぬぉ!?」
黒服に返事を返そうとした瞬間、一際大きな揺れが鳴り響く。
柱間の体幹を以て容易に立つことすらままならず、彼自身の声が掻き消えるほどに強烈な地鳴りが二人の鼓膜を突き刺す。突風が吹き荒れ異常気象とも錯覚しそうなこの砂嵐が───よもや、ただただ巨大な人工知能の起こした人為的な災害だと、予想の付くはずもない。
「……私は一度貴方にこう言いましたね」
「なに───言って───」
「──たった一度だけ、私が貴方に願う時が訪れる、と」
「……!それは───うぉ!?」
柱間が黒服の言葉に反応した次の瞬間───一際大きな地鳴りと共に、爆発のような衝撃波が地面より発生し大きな砂煙を上げて───地の底より、何かが現れる。
砂埃により目を閉じる柱間が───地鳴りが収まった頃、晴天であるはずの空に何故か陰りを自覚して空を見上げた瞬間───思わず、言葉を失った。
「………何ぞ、コイツは……!?」
【────……………───……】
空を見上げた瞬間彼の視界に映ったのは───大きな一体の機械。その全長が砂漠を練り歩く蛇のような巨影であることに気づくにはあまりにもその胴体と頭部は大きく───彼の脳裏をよぎるのは、元の世界にて人々の生活を脅かし───亡き親友が手中に収めていた、自身の手を煩わせた尾を持つ怪物であった。
「……これを見て、足の竦みすら覚えないとは……やはり、貴方は何かをお持ちのようだ」
「黒服よ!こいつは!?」
「………デカグラマトンに感化されし、神命を予言する10人の預言者。セフィラの最上位に位置する、天井の大三角の一角」
「そのパスは理解を通じた結合。───『違いを痛感する静観の理解者』の異名を持つ、その名は───
───ビナー」
【────ウゥ゛うう゛ウゥゥ……】
「ぬぅ!?」
身構える柱間の遥か上空にて、大地から芽吹いた大樹の枝が重力に従ってしな垂れるように、ゆっくりと首を落とすビナーが小さく唸り声をあげる。機械のような、生物のような、単調で、それでいて生命の鼓動を感じさせるような心をざわつかせる奇妙な鳴き声を辺り一帯に轟かせる。
「……今現在、彼らの対処をしていたデカグラマトン大隊は力を失い───暁のホルスもアビドスを離れている今、かの預言者───新たなる神の神秘に対抗せし神秘は存在しない。仮に撃退できたとて、今現状アビドスにかの預言者が侵攻を開始すれば────今度こそ、アビドスは再起不能に陥るでしょう」
「ッ!まさか、貴様───」
「先生」
そう言った黒服がゆっくりと立ち上がり、バランスを崩して身を屈める柱間を見下ろしながら、ゆっくりと口を開く。
「私は貴方に───かの、デカグラマトンに対抗し得る───否、暁のホルスをも凌駕せし、偉大な神秘を予感している。────さぁ、約束を果たしていただきましょう」
「ッ!」
【────オ゛ォぉぉ゛オオ゛おォォ……ッ!!】
先ほどまで、ただ唸り声をあげるだけで足元の矮小な存在に気づく素振りすら見せなかったビナーが───確かに、柱間と視線を交差させた。その瞬間、彼の瞳と体に走る機械的な筋が光を灯し───それがデカグラマトンの意識の覚醒であることを、地に轟くおどろおどろしい呻き声に否が応でも自覚させられる。
「シャーレの先生───千手柱間。さぁ───あなたの神秘を」
黒服の言葉に合わせるように、ビナーが息を吸い込む。人工知能を搭載せし機械生命体に備わるはずの無い、生物的な機構が柱間を───脅威と認識し、威嚇するように口を開くと、辺り一帯の瓦礫や砂を吹き飛ばすほどの衝撃波が轟き───開戦の狼煙が上がるのだった。
【────グゥ゛オ゛ォオオぉぉ゛オオ゛ッ゛ッッ゛ッ!!】
「───私に、お見せください」
ご清覧ありがとうございます!
色々な後始末と、何故黒服があそこまで柱間を信用していたかの答え合わせの解でした。
エピローグで何だか壮大な物語が始まりそうになってますが、エピローグは次回で終わりです。
それと、思わせぶりに書いちゃいましたが柱間vsビナーはそんなに描写する気はないので事前にご了承いただければ……
それではまた次回
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