心理と本音
「ノア、ちょっと席外すから何かあれば連絡してちょうだい」
「分かりました、どちらへ?」
「今日発注のドローンの受け取りと……少し野暮用ね。よいしょっと。…あ、そうだ。何か飲み物でも買ってくるわ、希望とかある?」
「ユウカちゃんにお任せします」
「そう?じゃあ、またあとでね」
「……………」
早朝。
未だに生徒の影も少ないミレニアムにて、重役に就くノアとユウカが他のセミナー役員の姿もないセミナー室で仕事に勤しんでいたところ、その片割れが退室し、残された一人が無言でカリカリとペンを走らせていた。
「……あら?これは……」
そんな彼女が目を通すのは何も各部活からの予算案のようなミレニアム内に限った話ではない。外部からミレニアムに入る発注書や依頼も少なくない。特にミレニアムでも随一の技術力を誇るエンジニア部のマイスター達なんかは引っ張り蛸だろう。そんな中でも、少々異彩を放つ書類が一枚。そこに書かれた【シャーレ】という文字に目を通すノアの手が少し止まる。
「(……最近、ユウカちゃんがよく口にしてる……)」
勿論、ユウカの口から聞かずともシャーレのことは把握しているつもりだが、ネットの記事やテレビのニュースよりも信用できる友人の口から幾度となく発せられるその文字列に、複雑な気持ちを抱くのはセミナーの書記。
「……………」
勿論、ユウカ自身は貴重な体験をしたし友人もできたと良い顔でアビドスの件を振り返っていた。楽しそうな彼女の姿を素直に喜ぶ自身もいるが───反面、自身でも説明のつかない心のモヤがそのシャーレの先生とやらを考えると浮かんでしまうのだ。
「…………一度会って、お話ししてみたいものですね」
そんなことを呟きながら、アビドスに関するシャーレからの報告書を別の場所へ移す。大方アビドスの件に関与した他の学校へ送付しているのだろう。それだけでも律儀な人間であることが理解でき、やはり誠実な人間というのは疑う余地はない。
「………ユウカちゃん──ではありませんね。複数人……知らない方…?外部の業者さんでしょうか?」
静寂に包まれる室内に、廊下から微かに響く足音。一瞬自身の友人がもう仕事を終え帰還したのかとも思ったが、聞きなれた彼女の足音とはペースも重みも異なるその音に他の誰かではないかと記憶を辿るが、分かったのはそれほど深く面識のない第三者であるということ。もう間も無くここへ到着することを予感しセミナーの役員として少し身構えるノアが───扉の開閉と共に覗いた彼の顔を見て、一瞬小さくあっと声を漏らした。
「───すまぬ、ユウカ──……は、おらぬか……ん?」
「……あっ……」
「あぁ、仕事中か。すまん、邪魔をしたな」
───シャーレの先生。
ネットの記事にも写っていたその顔に間違いはないだろう。背後に連れている複数名の───明らかにミレニアムではない生徒の集まりから見ても、彼が該当の人物であることは疑いようがない。そんな彼は前情報通り誠実なようで、目的の人物が室内にいないと見るや否や、彼を見つめる一人の生徒の、手元に積まれた書類と握られたペンを見て謝罪を行った。
「あぁいえ、お気になさらず。ユウカちゃんなら少し仕事で出払っていますから、戻るまで今しばらくお時間を要するかと」
「なに?…そうか、なら仕方ないの……他の部活に顔を出すか」
「あ!では主殿!イズナはエンジニア部の部室を覗いてみたいです!」
「これこれ、イズナよ。あまり声を張り上げるな」
「あ、す、すみません…!」
唐突にヒョコッと、大柄なシャーレの先生の背後から姿を現す生徒が元気のある威勢の良い声色で柱間へ返事をする。そんな彼女が、柱間に叱られると分かりやすいくらいの落ち込みようで耳と尻尾がへにょりと垂れ下がっていた。どうやら常識も持ち合わせているようで、一先ずの好感は抱いたのかノアが小さく微笑んだ。
「ふふ、大丈夫ですよ。今は私しかいないので」
「すまんな、気を遣わせて」
「どうしたのイズナ、唐突にエンジニア部に行きたいって」
「確か、桜花祭の花火を作ったのがそこだと小耳に挟みまして……」
「花火……?……あ!桜花祭の、ホログラムの、ですかね…?」
「……確かに、百夜堂からミレニアムに対してそう言った話が来ましたね。その花火の作成をエンジニア部に依頼したはずです」
聞き覚えのある話に記憶を辿りながら直近の書類を漁るノアが目的の物を見つけ目を通して声を発する。唐突な彼女のによりやはりそうだと判明した事実にイズナが喜色満面、先ほど言われたことも忘れて声を上げた。
「やはりそうですか!主殿!イズナはあの感動を生み出してくださったエンジニア部の皆さんに是非感謝を述べたいです!」
「分かった分かった!エンジニア部に向かうから声を抑えろ!……ふぅ、すまんな騒がしくして。失礼した」
「いえいえ。ところで、皆さんはエンジニア部の部室の場所は把握しておいでですか?」
ノアの言葉に、え?という表情を隠そうともせず4人が互いに顔を見合わせる。
「へ?せ、先生殿はミレニアムのこと把握してるんじゃないの…?」
「い、いや流石に規模が広すぎて、まだ全ては把握しておらんくてな…」
「え、えっと……じゃ、じゃあどうしましょう…?しらみ潰しで探しますか……?」
「イズナはそれでも構いません!」
ツクヨの言葉に、同調するように笑顔でうんうんと頷くイズナと、このクソほどデカい施設を一々全部見て回るのはちょっと、という思いを隠そうともせず顔を引き攣らせるミチル。そんな彼女らの間で腕を組んで考え込む柱間の様子を見て、ふふっと小さく微笑んだノアが声をかけた。
「……もし良ければ、私が案内いたしましょうか?」
「なるほど、ゲーム開発部に…」
「あぁ、ただちと少しばかり早く来すぎたのか不在で手持ち無沙汰になってな。だから少しユウカの顔でも見ておこうかと思ったのだが……お、ここか?」
「な、なんか中から凄い音聞こえてくるね……」
「エンジニア部の皆さんのことですからまた徹夜で作業ですかね」
ノアの好意に甘えた4人が、道中で軽い自己紹介や他愛のない会話をしながら彼女の案内の元エンジニア部の部室───もとい、開発室へと向かう。巨大なスライド式の電子扉を抜けると分厚い壁越しに聞こえていた音が直に耳に入ってて、鼓膜を突くほどの工事現場のような音に思わず顔を顰める忍術研究部の三人。対照的に柱間は、一部室というにはあまりにも広く巨大な作業所と、そこに無造作に並べられた無数の発明品に感嘆の声を漏らしていた。
「おぉ…!こいつは凄いな!これを一学生が使っておるのか!」
「はい。ミレニアムではこうした機器の発明に携わる方をマイスターと呼びますが、エンジニア部の皆さんは学校の内外に関わらずこのキヴォトスにおいて最上の技術力の持ち主ですね」
「陳腐な言葉しか出てこんが、本当に凄いな……利益や金ではこうはならん、見てくれだけで並々ならぬ情熱を感じるの」
「初対面のお客さんにそこまで言われるとは、生みの親である私も鼻が高いよ。噂のシャーレの先生とやらのお眼鏡に適ったようで何よりだ」
「ん?」
忍術研究部も少しだけ耳が音に慣れ、柱間と同じく無数に立ち並ぶ発明品の数々に目を輝かせていた所、少し低めの、それでいて良く耳に届く落ち着いた声色の生徒が安全ゴーグルを外しながら油臭さを漂わせつつ一行の元まで歩み寄ってくる。
「すみませんウタハ先輩、作業中でしたか?」
「いや、丁度終わってドローンに任せてるところさ。今は手が空いてるよ、それで、何のようかな?」
「シャーレの皆さんが、少しエンジニア部を覗きたいとのことです」
「ふむ、部室見学かい?構わないよ。それで……」
ウタハがノアと言葉を交わして事情を把握すると視線を外して柱間を見つめる。その視線の意図を察した柱間が自己紹介を行った。
「ん、こいつは失礼した。今し方ノアの言った通り、シャーレの顧問をやっておる千手柱間ぞ!よろしくの」
「あぁ、やっぱりか、見間違いじゃなくて良かった。私はエンジニア部部長、三年の白石ウタハだ。こちらこそよろしくお願いするよ、先生。それで後ろの子達は?」
「今日のシャーレ当番の人間ぞ」
後ろを振り返った柱間が続きを促すように三人に視線を送ると慌てて三人が柱間に続いた。
「あ、えっと、百鬼夜行連合学院三年生、忍術研究部部長の千鳥ミチル、です……えー、よろしく」
「同じく忍術研究部所属、一年生の久田イズナです!よろしくお願いします!にんにん!」
「に、忍術研究部一年生の大野ツクヨです……!」
「ふむ、よろしく。それでどうしたんだい?唐突にエンジニア部を覗きたいなんて。シャーレの仕事で来たってことだろうけど……今日エンジニア部にお邪魔する、なんて話は私は聞いていないが……」
「いや、シャーレの仕事とは関係ない。実を言うと目的の生徒がまだ学校に来ておらんくてな。少し暇ができたからどこか見て回るか、という話になったのだが……」
「それで、ウチかい?まぁ別に構わないが……「あの!」っと、何かな?」
ウタハが不思議そうに首を傾げていた所、二人の会話に割り込むように身を乗り出しウタハに迫るイズナが大きな瞳をかっぴらいて声を上げる。少し驚いたウタハがそちらへ視線を向けると何処か興奮した様子でイズナが自身を見つめており、はてどうしてこうまで熱のある視線を注いでいるんだと別の理由で再び首を傾げていた。
「せ、先日の百鬼夜行の桜花祭にて使用した花火のホログラム、エンジニア部の方がお造りになられたとお聞きしました!」
「花火のホロ……あぁ、それは確かに私たちのモノだね。……なるほど、だからウチに来たのか。どうだった?私達の成果物は見事祭りの夜空を明るく照らすことが出来ただろうか」
「はい!イズナ、桜花祭が大好きで毎年毎年締めの花火は欠かさず見てましたが、いつもと一味も二味も違ってとても記憶に残る花火でした!」
「そうだね、正直最初にホログラムって聞いた時は、花火特有の肌のピリ付くような衝撃とか鼓膜を叩く音の波とか、そういう醍醐味が薄れちゃわないか心配だったんだけど……全然杞憂だったよ」
「は、はい…!ホログラムとは思えないほど、凄い再現度でした……!それに実物の花火とは光の加減も異なってて、独特の雰囲気でした……!」
「なるほど、好評なようで何よりだ。いかに百鬼夜行が祭りを重要視しているかは私も把握はしているつもりだ。だからこそその締めを飾る花火の制作を任せられたことは一技術者として光栄なことでもあるが責任も多分にあったからね。無事に終わったようで安心したよ」
感情の激しい起伏の見られないウタハが、それでも嬉しそうに頬を緩めて小さく笑う。クールで冷静沈着な印象を受ける彼女の人間くさい姿に忍術研究部の三人も嬉しそうに微笑み返すのだった。
「えっと、それでイズナ、エンジニア部の発明品に興味が湧きまして!もし良ければ見て回りたいな、と!」
「そこまで私達の発明品に関心を寄せてもらえるのはマイスター冥利に尽きるというものさ。あぁ、良いとも。折角の学園外からのお客さんだしね、存分に見てまわってくれ」
「本当ですか!ありがとうござ───うぐぅ!?」
「ど、どうしたイズナ!?」
「あ、あるじどのぉ……は、はなが……!」
「ん?あぁ……これはすまない。さっきまで作業中だったから油が染み込んでてね……というか、あっちはもっと酷いよ」
ウタハとイズナが互いに顔を合わせ言葉を交わし、良い雰囲気になってイズナが握手を求めて歩み寄ったところ───近づいたことによりウタハから発せられる強烈な油臭さに鳥肌を立てて涙を浮かべ、耳と尻尾をピンと立てた。そんな彼女にもっと残酷な現実を告げるウタハが試しにと自身の匂いを嗅いで少しだけ首を傾げていた。
「え?今でも結構臭うよ?これより?」
「あぁ。私はもう鼻が麻痺してるから気にはならないが……ノアは気にならないのかい?」
「何度も顔を出してる内に慣れましたので」
「な、慣れたんですか……す、凄いですね……」
「あ、主殿は気にならないのですか……?」
「ん?オレか?」
余裕そうな表情を浮かべる者がノアと、シャーレの先生その人。前者は彼女の口にした通りだが、柱間に関しては最も近い距離でウタハと言葉を交わしており臭わないはずがなく、それを曲解したウタハが謝罪を口にするがどうやらそういうわけではないらしい。
「すまない先生、気を遣わせてしまって」
「いや、気を遣ったとかではなくオレは嫌いじゃないからな、この匂い」
「えぇ!?そうなんですか!?」
「そうなのかい?私の前だからと無理はしなくていいよ?」
驚いたような顔をするのはイズナだけでなく他の忍者研究部の二人やウタハ本人も同様で、やはり話に伝え聞く生徒思いな大人に気を遣わせてしまったのかと少し不安になったウタハの気持ちを知ってかしらずか柱間が捲し立てた。
「そりゃあ単純な臭いの良し悪しを語るなら素直に良いとは言えぬかもしれぬが……この油の匂いは、お前達とは切っても切り離せぬものだろう?」
「まぁね、ずっと付かず離れずの関係さ。金属加工のための切削油や潤滑油、防錆油や加工後の処理油。その用途は多岐にわたる。私達の活動には欠かせないものだね」
「であるならウタハよ。これは貴様が日々機械と向き合ってきた証だ。努力の層が積み重なって空気に染み込んだものだと思えば、嫌悪感よりも敬意が湧いてくる。好きな香りだな、オレは」
「……ふふ、随分口が上手いな、先生は。そんなことを言われたのは初めてだよ」
一瞬柱間の言葉に瞬きを繰り返し呆けるウタハが、数秒の後に頬を綻ばせる嬉しそうに微笑んだ。彼女の煤まみれでくすんだはずの顔色が少し輝きを増し、そんな彼女に当てられたのか柱間も笑い返す。
「そうか?なら誇らしいことぞ。オレしか分からぬ努力の香りを独り占めできてしまうの!ハッハッハ!」
「…はは!やめてくれよ、先生。そこまで言われるとこそばゆくて仕方ない」
「うむ、ならここら辺にしておこう。すまんが適当に案内してくれるか?」
「あぁ、構わないよ。忍術研究部、だったかな。そっちの三人も……えっと、どうしたんだい…?」
先ほどまで目を輝かせていたはずの三人が、バツが悪そうに頬を掻いたり視線を泳がせたり、オロオロと取り乱したり。そんな彼女らの様子を不思議がるのはウタハと柱間だけで、ノアは彼女らの行動の意図が理解できるのか、あぁと声を漏らしていた。
「忍術研究部の皆さん、そこまで思い詰めなくても大丈夫ですよ。先生が特異なだけでしょうから」
「…ん?オレ?」
「……なるほど。あぁ、ノアの言う通りだよ。君らの反応が普通さ、気にしなくていい。アレを他人にも要求するのは贅沢な話だ」
「で、ですが……」
ノアの言葉で合点が言ったのかウタハが三人を諭す。どうやら彼女らは自分達が油の匂いに対して明確に嫌悪感を示した自己に対して嫌悪感を抱いているらしい。
「い、イズナは露骨に嫌そうな顔をしてしまいました……エンジニア部の方のお気持ちも考えず……」
「気持ちを考えてなかったのは私の方さ、配慮が足りず嫌な思いをさせてすまなかったね。ただここで互いに謝っていてはイタチごっこさ。お互い落ち度があったということで止めておこう」
「し、しかし……」
「ふふ、律儀な子だね。そうだな、それでは気が収まらないというのなら……是非ウチの発明品を見ていってくれるかい?正直君たちが見学に来たと聞いてさっきからウズウズしてるんだ、中にはあまり日の目を見ない子達もいるからね。いいかな?」
「!は、はい!是非!」
ウタハが余裕の笑みを浮かべて諭しながら元々の予定であった部活の見学へと話題を移すと、途端に瞳を輝かせるイズナ。やはりそこは如実に歳の差が現れているのだろう、三年生として余裕を持ってイズナを宥める姿には上級生としての風格が漂っていた。そんな彼女らの、学園の垣根を超えた仲睦まじい様子に後方で見つめながら微笑んでいた柱間に、ノアが声をかける。
「……先生、少し宜しいですか?」
「ん?なんぞ、ノア」
「ユウカちゃんはシャーレで頑張ってますか?」
当たり障りのない、なぜこの場で切り出したのか分からない質問に特段疑問を覚えることもなく即答する彼がよもやシャーレを通して自身のために尽くしてくれる生徒の努力を否定するはずもない。満面の笑みでユウカを褒めちぎる彼の言葉に、やはり薄く笑いを浮かべるノアがクスリと微笑んだ。
「あぁ、勿論ぞ!アイツがおらんかったら今のオレはいないと言っても良いほどに助けられておる。特にアビドスでのアイツの活躍は一言では語れぬな、オレは勿論のこと、アビドスの生徒達も皆ユウカに感謝しておるの」
「ふふ、そうですか。ユウカちゃんが先生のお役に立てているようで、友人として私も鼻が高い限りです」
「まぁ、少し甘えすぎなところはあるかもしれぬがなぁ……」
「いえいえ、ユウカちゃんは良く時間があれば先生の話ばかりで、頼られていることがとても嬉しいそうですから、遠慮せずユウカちゃんに声をかけていただいてよろしいんですよ?」
「…………」
「……?先生?どうされました?」
本人のいないところで友人をダシにいつもの調子で言葉を交わしていた───つもりのノアが、何の前触れもなく唐突にノアを見つめ、気難しい顔をする柱間に首を傾げる。自身の能力を遺憾なく発揮し記憶を辿るも一言一句とてやはり違和感を抱かせるような文字の羅列はどこにもなく、であれば自身の身だしなみに何処か問題があるのかとも思ったが───どうやらそういうわけではないらしい。
「……なぁ、ノアよ」
「はい?何でしょう」
「その、勘違いだったら気にしなくて構わないのだが……」
「?」
「言いたいことがあるなら、遠慮するな。オレに気を遣わなくて良い」
「─────………えっと、先生?どうしたんですか?いきなり」
一瞬言葉に詰まるかとも思われたが、一切の動揺もなく、あくまで困惑した様子を違和感を抱かせないほどに装うノアが、顔色一つ変えずに自然体に疑問符を浮かべる。さも柱間が的外れなことを言っているように場の雰囲気を仕向けるような彼女の態度にも、やはり釈然としないのか柱間は言葉を続けた。
「いや何、別に勘違いならそれで良いのだ」
「……えっと、私が何か粗相を?」
「いやすまん、気にせんでくれ」
それだけ言って、先ほどの意味深な言葉を切り上げる柱間に────ここで話を止めておくべきだと自身に言い聞かせるノアが、脳裏にチラつくのは興味と関心。自分で言うのも何だが何処にも自身の振る舞いに落ち度はなかったと自負できるほどのポーカーフェイスの筈だったのだが、彼には何かが見えていたらしい。
そんなことを考えるノアが、自身で自身のポーカーフェイスを認めたことに気がついて困惑する。ポーカーフェイスなんて存在せず、自身は目の前の男性に短いながらも信用を抱いていた。先ほどの他愛ない会話の何処にも嘘偽りはなく、隠し立てた感情もない。
しかし彼には何かが見えていて───その、自身でも気づかないモヤモヤが存在することを柱間にうっすらと指摘されたことで気になり───思わず、尋ねてしまった。
「……あの、どうしてそう思われたのでしょうか?」
「いや、少し他人行儀な気がしてな」
「そうでしょうか?先生とは初対面ですし、そんなに距離をとっていたわけでも……」
「いやなに、ユウカが随分お前のことを語るからな」
「……え?ユウカちゃんが、ですか?」
「あぁ」
思わず少し目を見開き驚いたような顔をするノアの表情に、先ほどまでの無意識の拒絶が減った顔色を覚えた柱間が少し顔色を取り戻す。
「セミナーの話をする度にお前の名前を出してな。まぁ百聞は一見にしかず、会わんと人柄も分からないものだが………ユウカが、お前のことをただの一友人以上の目で見ていることくらいオレにも分かる」
「えっと……先生?」
「だからアイツの言葉で勝手に色々ノアという人物像を描いてたわけだが………話に聞くより、少し冷たい印象を受けてな」
「………そんなに、だったのでしょうか?」
正直、それでも納得ができない。正直今日出会って彼が善性の人間であることは疑いようがなく、自身も好感を抱いていた。自分が彼を拒絶する理由はなく、であれば"生塩ノア"がシャーレの先生との溝を作るはずがないのだ。
「いや、だから勘違いなら、と言ったろう?オレも確信はなかった。本当に何となくだ。それも……何処か、既視感のある目な気がしてな」
「既視感、ですか……?」
「そうだ。しっかし、何だろうのぉ。………………───あぁ!なるほど。今理解した」
ノアを置き去りに一人で納得した様子の彼を見ていると、更にモヤモヤが募ってしまう。それを苛立ちと形容するには、未だに彼に向けたこの感情の理由を見つけられなかった。
そんな、彼女の心の荒波を察してか───はたまた別の理由か。柱間が頭を下げる。
「───ノアよ。すまなかった」
「………え!?ど、どうされたのです、か……?」
困惑するノアが、驚いたように目を見開いた理由は彼の唐突な訳もわからない謝罪と───何故か溜飲を下げてしまった自分自身に対して。まさかノアがただ苛立ちを下げるためだけに他者へ形だけの誠意を要求するような人間でなければ、この感情の起伏には柱間の絡んだ他の理由があるのだと冷静に分析できてしまうノアが、いまだに困惑の波が止まぬまま、柱間の言葉を待ち続ける。
「………ユウカを、オレの都合で危険なことに巻き込んだ。申し訳ない」
「………ぁ…」
その言葉を聞いて、先ほどまで出口の見つからない迷宮を彷徨っていた彼女の思考回路がクリアと化しモヤが晴れると同時に───逆恨みにも近い、無意識下の醜い感情を自覚して自己嫌悪に陥るノア。しかしそれでも口をついて出るのは謝罪ではなく、止まない疑問への回答。弁明よりも自身の心を晴らすことを優先してしまう自身の行動を自覚しつつも答えを求めるのは目の前の包容力を兼ね備える男性に生徒として甘えてしまっていたからかもしれない。
「……何故、お気づきになられたのでしょうか」
「お前ほどではないが、オレもユウカをそれなりに知っておるつもりだ。アイツを信用しているし、信頼している」
「それが、どう……」
「だからこそ、ユウカを信用するなら───そんなアイツ自身の口から伝え聞く親友なら、アイツの為に怒ってやれる筈だ。恥なくて良い、ノアよ。それはお前とアイツとの絆に泥を塗る行為だ。寧ろ誇ると良い、そこまでユウカの為に義憤に駆られる自分自身に」
「───………申し訳ありません、先生」
「………受け取っておこう、その謝罪」
「……ッ」
聡いノアだからこそ、自分を責めずに立ててくれた柱間の言葉を否定することもできず、かと言って今更彼の言葉通りに自信を抱けるはずもない。精一杯、何とか喉から捻り出したのは言い訳のようなか細い謝罪で、しかし結局直後柱間が素直に謝罪を受け取ったことで再び顔を曇らせるノア。
本来の彼の性格なら生徒の謝罪など受け入れ難いはずで、それでもなお深くは語らず謝罪を受けとる───即ち、ノアの非を認めたのは彼女の気を楽にする為だろう。柱間に受け取りたくもない謝罪を無理やり突きつけてしまったことを自覚したノアが言葉を失っていた所に、慣れた手つきで柱間が彼女の頭を愛撫する。
「その、先生……」
「繊細で優しい子だ、お前は。ユウカも良い友人を持ったものぞ」
「……………」
「ノアよ、もしユウカの行動を尊重してくれるなら、どうかお前の怒りを否定してやるな」
「それは、どういう……」
困惑しているノアに、あくまで笑みを絶やさず語りかける柱間が優しい声色で語り続ける。
「ユウカだけではない。ゲヘナやトリニティ、多くの者が協力してくれた。だがノアよ、お前がユウカを心配していたように他の学園でもその心労はあったのだろう」
「………」
「だが、結果として皆がオレを助けてくれた。トリニティなんかは組織のトップが丸々出張ったものだからな、一歩間違えれば外交問題にもなっていたのだろうが────だからこそ、彼女らの行動は尊かったのだろう」
聡明なノアが段々と、全容を聞くまでもなく彼の言わんとすることを理解するほどに複雑な表情を浮かべる。
「ユウカはアビドスの人間ではない。今後の学生生活にどんな影響があるかも分からないし、お前の危惧したように大きな怪我を負ってもおかしくなかった。それでもアビドスに手を貸した彼女の勇気はより一層讃えられるものぞ」
「………」
「ノアよ、お前の怒りが不当なのではなく、ユウカがそれを踏まえて前に進んだのだ。お前が抱いていたオレへの憤りがただの勝手な早合点と言ってしまえば、ユウカの行動を浅いと貶すようなものだ。だからあまり思い詰めるな」
柱間の暖かい手に居心地の悪さと心地よさを同時に覚えるノア。彼を無意識下で遠ざけていた事実に対する気まずさと、それでもなお離れ難い大人の余裕に、足が動かない。都合の良い自分の体を自嘲するように嫌悪感を抱いていたところ、柱間が少し身を屈めてノアの顔を覗き込む。
「えっ、あの、せ、先生?」
「……ただ、それでも気にしてしまうと言うのなら───
────今度、シャーレの仕事を手伝ってくれぬか?ユウカと二人でな」
「えっ?」
「──はは!何ぞ!そういう顔もできるのではないか!」
唐突に、何の脈絡もない言葉に素っ頓狂な顔をするノアの、決して笑顔でないながらも作った仮面の下を覗かせた彼女の顔を見て満足そうに笑う柱間が彼女の肩をパンパンと叩いて再び顔を上げる。そんな彼の顔を名残惜しそうに目で追いかけるノアが、新たに入室を知らせる扉の開閉音に釣られて扉へ顔を向けた。
「……あれ?ノアと……先生?来てたんですか?」
「あぁ。仕事で来たんだがちょいと時間ができてな、部員がエンジニア部を覗きたいと言っての。今はノアと雑談をな」
どうやら部屋に入ってきたのは先ほどまで話題に上げていた自身の友人である早瀬ユウカその人。普段なら穏やかに愛おしく見つめられる彼女の顔も、どこか気まずい気持ちで視線を泳がせるノアが急いで取り繕うように表情を作り変える。
「ノアと?ねぇノア、先生と何の話してたの?」
「あ、え、えっと、少しユウカちゃんの話を……ぁ」
「……わ、私の話?ちょ、ちょっと!また勝手なこと言ってないでしょうね!ノア」
「あ、いえ、その……」
彼女らしくなく、馬鹿正直に答えてしまったノアが自身の失態に気づいて慌てて弁明や言い訳、作り話を脳裏で考えるが思考が二重三重してまとまらない。そんな彼女に助け舟を出すかのように柱間が───二人に別々の衝撃を与えた。
「───いやなに、随分可愛い顔をしている、とな!」
「─────ぇ─」
「な、なぁッ!?ちょ、ちょっと!!本人いないところで何て話してるんですか!!」
「ハッハッハ!!事実だしの!!さて、オレもエンジニア部の作品とやらが気になるから見てこようかの!」
「ちょ、ちょっと!逃げないでくださいよッ!!あーもう!!ノア!!あなたも何話して───……?ノア?」
「……ユウカちゃん」
「え?な、何よ」
憤るユウカが羞恥で顔を赤く染めて怒鳴り散らすが、当の本人は全く効いた様子もなく、踵を返して笑いながら、部屋の奥にあるウタハと忍術研究部の元まで姿を消していく。そんな彼の後ろ姿を見つめて言葉を失う親友の様子を不思議がったユウカが声をかけると────頬に赤みを宿して優しく微笑むノアが、返事を返した。
「……先生って、良い方ですね」
ご清覧ありがとうございます!
パヴァーヌ一話と言っておきながらゲーム開発部一人も出てなくてすみません!次回からはしっかり本編進めますんで……
それではまた次回