「……ま、悪かねぇが……まだまだだな」
「う、ううぅぅぅ………」
「わ、わぉ……い、イズナがあんな一方的に……」
「す、凄いんですね……C&Cの方って…」
悪くはない、と口では言うがその顔は退屈そのもので、上下関係を叩きこむように地面に倒れ伏すイズナの背中に腰を下ろしていた。イズナの実力をよく知る二人が信じがたい光景に半ば絶句しながら、思わずこぼすような形で感想を漏らすと、その背後、部屋の奥から襖を開いて着替えを済ませた柱間が姿を現した。
「──ハッハッハッ!予想通りコテンパンにやられとるな!イズナ!」
「あ、あるじどのぉ……!教えていただいた技術が全く通用致しません…!イズナの腕が悪いのでしょうか…!?」
「そりゃあお前、あくまで小手先は小手先だからの。当人の実力はあるかもしれんが、それ抜きでもネル程になると通用せんことも増えるだろう」
「そういうこった。あたしに勝ちたきゃもうちょい地力を上げるこったな。ま、負ける気はねぇがよ」
「うぅ……イズナ、一生の不覚です……」
「お、おいおい、模擬戦でボコられただけだろ、んなに気ぃ落とすなよ……」
やっとこさイズナの背中から離れたネルが気怠そうに肩を回しながら振り向くと、涙目の稽古相手の姿が目に入ってくる。人の良い彼女が覚える必要もない罪悪感に駆られたのか、気まずそうに頭を掻きながらイズナの手を取り引っ張り上げた。
「お、お疲れ様です、お二人とも。あの、もしよろしければこちらを……」
「お、気ぃ利くな、サンキュー。……ぷは!にしても、こんなデケぇ屋敷に住んでんだな、先生。流石に連邦生徒会のお膝元なだけあって随分高給取りなんだな、シャーレはよ」
「いや、ちぃと百鬼夜行のいざこざに介入した時に、ここの生徒会に礼としてな」
「譲り受けたってか?マジかよ、百鬼夜行のトップは随分太っ腹なんだな」
「あぁいや、持ち家ではない、賃貸ぞ。格安のな」
「ふ~ん……ま、どっちでもいいけどな」
ツクヨの差し入れに感謝しつつ豪快に飲み干し喉を潤したネルが視線を外したまま空になったコップをお盆に返すと、何故か嬉しそうなツクヨがいそいそとソレを受け取り慎重に整える。腰に手を当てて周囲を見渡しながら古風な屋敷に感嘆の声を上げるネルが柱間と雑談を行いながら、縁側に腰を下ろした。
「あの……ネル殿」
「ん?何だよ」
「……イズナは、何がいけなかったのでしょうか……地力、と申されましたが、具体的には」
先ほどまで落ち込んでいた彼女の顔が未だ晴れたわけではないが、目尻に僅かな塩水を浮かべながらも反省を怠らないイズナの向上心に口角を上げるネルが口を開いた。
「……誰の入れ知恵───つっても先生か。……ま、身体能力の差は今すぐどうにかなるモンでもねぇとして、だ。自分の技に自信持ちすぎだ、テメェは」
「?自信があるのは良いことなんじゃないの?」
「絶対に技が通じると思い込んでる」
「そ、それは…」
ネルの言葉に疑問を抱いて口を開くのは落ち込む部員の頭を撫でながら二人の会話に耳を傾けるミチル。欠点であるかのようにイズナの長所を口にするものだから首を傾げて尋ねるが、どうやら単純に良い話でもないらしい。
「お前の技が通じなかったからってお前が劣勢になったわけでもねぇだろ。なのにパニックに陥りやがって。お前、成功体験しか積んでこなかっただろ」
「え?でもイズナ、結構先生にはボコボコにされてるような……」
「あ?そーなのか?」
「うん、えっとね………あ、これかな。録画あるけど見る?……あ、と言うかイズナ、見せちゃっていい?」
「え?あ、はい、イズナは構いませんが……」
ノートパソコンでフォルダを開き、そこに無数に保存された録画ファイルの内から適当に選び、ネルに見えやすいようにパソコンの向きを変えて動画を再生する。そこに映るは、クナイを片手に携えたイズナと柱間が金属のかち合う音を響かせ白兵戦を行う様子。
「……あ、ほらね。負けちゃった。まぁこんな感じでイズナも汚泥を啜ってる───……?」
「……………」
「あ、ちょ」
動画も終わりに差し掛かり、決着がついたところで画面から目を離し振り向いたミチルの目に映ったのは、録画に映る柱間の見事な身のこなしに嬉しそうに尻尾をぶんぶんと振るイズナの姿と───口を少し開いて齧りつくように画面に釘付けになるネルの姿。ここまで過剰な反応を見せるとは思っていなかったミチルが、微動だにしないネルを見て困惑していた所、突然マウスを奪ったネルがシークバーを巻き戻し特定の場所を何度も再生し───一時停止して、自身の親指を歯噛みして、再び巻き戻す。そんな行為を何度も繰り返していると、自身の行動を査定されていると感じたイズナが緊張したように体を強張らせていた。
「……ね、ネルどにょ?」
「…え?あ、あぁ。すまん」
「あ、うん。……えーっと、それで…」
様子を窺いながら恐る恐る口を開いたミチルに、ハッと意識を切り替えるように視線を動かしたネルがマウスから手を離し、画面から離れる。その後もどこか、何か思い悩んでいる様子だった。
「……見たぜ、コテンパンにされてんじゃねぇか。予習はバッチリなはずだろ、んで予測できなかった」
「え、えっと、それは……」
「───先生を神格化でもしてたか?」
「ぬ…」
「そ、そんなことは!」
「──はぁ、図星かよ。ったく……」
ネルが呆れたように片手を膝に置き、片手で頭を掻きむしる。彼女の言葉に思い当たる節があるのか、何故か離れて話を聞いていた柱間まで苦虫を噛み潰したように顔を歪めていた。
「──いいか?先生に通じなかったら生徒に通じない可能性も考慮しろ。確かに先生は腕が立つ。だからって外れ値として除外すんな。お前が思ってるより───先生は凄くねェ」
「あ」
「──そんなことはありませんッ!!先生は最高の忍者でイズナに背中を見せて下さると誓ってもらいましたッ!!凄くないなんてことありえませんッ!!」
「こ、コレッ!イズナ!」
自身が師事する立場であることも忘れ、怒りを隠そうともせず声を張り上げるイズナを慌てて諫める柱間。あくまでネルは自身が無理を言ってわざわざ百鬼夜行まで足を運ばせただけであって、そんな彼女の好意を無下にするようなイズナの態度に慌てる柱間だったが───
「───はぁ?何言ってんだ。現に先生は───
───あたしより弱いっつってたぜ?自分でよ」
「な…ッ!」
「……え…?」
────何故。
というのが、ネルの言葉を聞いた時の柱間の最初の感想だった。自身を慕うイズナに対して、どう考えてもいざこざを生む発言に疑問を抱いたのは、短い交流ながらも美甘ネルという人間の為人をある程度は理解していたため。彼女の言葉通り柱間は実際に己が言葉で敗北を認めたわけだが、気の利く彼女ならイズナの心情を察して物事をある程度伏せつつ───それこそ、柱間に余計な手間を掛けさせるような真似はしないだろうし、何より彼女自身が嫌悪するだろう。だからこそ、イズナと柱間の両者を煽るような発言に驚いた柱間が───
───次の瞬間、溜息を吐いて天井を仰いだ。
「───だよなぁ?──先生」
「………はぁ~~~~………やってくれるの、ネルよ……」
「?」
腰を下ろすネルが振り返り、好戦的な笑みを浮かべて柱間を見上げる。その表情で彼女の意図を察した柱間が困ったように眉間を指で押さえた。そんな二人のやり取りをミチルが首を傾げて眺めていた。
───映像を見せたのは間違いだったか。
そんなことを考える柱間の下に、慌てたように駆け足でイズナが近寄っていき、飛び込むように彼のお腹に体を預け羽織を鷲掴みにして彼を見上げると、彼女の泣きそうな瞳にバツが悪そうに柱間が小さく呻き声を上げる。
「あ、主殿!!」
「ぅ……な、何ぞ…?」
「う、嘘ですよね!?主殿がネル殿より弱いなんて、そ、そん、そんな…ッ!」
「そ、それはだな……」
イズナの縋るような弱弱しい声色にたじろぐ柱間が、落ち着きのない両手を右往左往させて言葉の代わりに身じろぎで弁明を行うが、時間の経過と共にイズナの目は潤うばかり。視線を動かしネルを見つめれば───案の定、ニヤリと笑うだけで、何かを期待する彼女の笑みには現状を打破するための救援を期待することはできなさそうだった。
「おいおい、先生に迷惑かけんなよ。生徒の前で弱音を吐くのも辛いんだぜ?」
「(どの口が……)」
「──そ、そんなはずはありませんッ!!だ、だって主殿はッ!イズナにや、約束してくれてッ!!」
「ぅ……」
「ちょ、ちょちょちょ!落ち着いてイズナ!別に先生が凄いのは腕前だけの話じゃないしさ!」
「お、落ち着いて!イズナちゃん!ね?」
ネルの言葉を受けて頭に血が上ったのか、顔を真っ赤にして声を張り上げるイズナを見て慌てた部員二名が彼女を宥めようと頭を撫で背中を擦るが彼女の気が晴れることはない。
「で、ですが……」
「一旦落ち着いて、ね?」
「………」
「落ち着いた?イズナ」
しばしの沈黙の後───目じりに涙を浮かべてぽつりと呟いた。
「……あ、主殿は……オレを超えてキヴォトス最高の忍者に成れ、と……」
「そ、ソイツは……」
「……だ、だから、イズナは……あ、主殿は……イズナがキヴォトス最高の忍者に成るその時までッ!……あ、憧れであって、欲しくって……」
「ぬぅ……」
イズナの声色に涙声が混じり、柱間を更なる罪悪感が襲い掛かる。
「うんうん、気持ちはわかるよ、イズナ」
「……い、イズナ、今朝も、主殿に言われたばかりです……主殿を、妄信するなって……」
「イズナちゃん……」
「──で、でも…ッ、ひぐッ、い、イズナッ!あるじどのにッ、最高でッ、最強の忍者でッ、ひぐッ、いてほしくて……ッ!」
「わー!な、泣き止んで!イズナ!先生はすっごい忍者だから!」
慌てるミチルの背後で目を覆って下唇を噛み困ったように無言で顔を上げていた。そんな彼、彼女らの様子を少し離れた所で見ていたネルはと言うと───少しやりすぎたかと、今更になって罪悪感を覚え気まずそうに口をへの字に曲げていた。
「……あ、あるじどのより……ねるどのの方が…つ、強い、の、ですか……?」
「───すぅ───………ふうぅぅぅぅぅぅぅぅ………」
「しぇ、しぇんしぇいどにょ……」
赤子のように泣きじゃくるイズナが、服の袖で目を擦りながら、か細い声で柱間に尋ねると───彼の記憶の中の弟を想起させるような、極大の溜息を吐く。そんな彼の様子を憐れむミチルだが、かと言って掛ける言葉が見つからずただ恩師を見つめるだけだったが───観念したように頭を掻く彼が、遂に口を開いた。
「……ミチル」
「へ?な、なに?」
「撮影用具はあるか?いつかの時に使った、クナイのレプリカを二つほど借りたい。できれば染料もあると助かる」
「え?あ、うん、あるけど……」
突拍子もない発言に、首を傾げるのは声をかけられたミチル本人に限った話ではないようで、周囲の人間も彼の発言の意図に気付けず、同様に頭の上にクエスチョンマークを浮かべていた所───柱間が、ネルを見つめて口を開いた。
「ネルよ」
「あ?なんだよ」
「ちぃと付き合ってくれるか?」
その言葉を聞いた瞬間───ネルとイズナが、ベクトルは違えど───同時に口角を上げるのだった。
「───はッ!──いいぜ」
「……おはよう、二人とも」
「あ、おはようございます、カリン」
「おはよ!」
───鏡の一件を終えてから翌日。
ガラガラと、とある一教室を間借りするC&Cが朝の支度を整えながら今日の業務をチェックする。勿論彼女らも学生の本分は存在するのだが当面は鏡の件によりセミナー───特にユウカからの任務がひっきりなしに立て込んでいるのが現状である。
「昨日はごめん……物品の補充は大丈夫だった?」
「え?あぁ、気にしなくて大丈夫ですよ。部長に頼んだので」
「……何か言ってなかった?リーダー」
「えぇ、それはもう。ですが最終的に納得していただきましたので……カリンは他人の心配をする前に再試で落ちないようにしてくださいね、今後の活動にも影響が出るので」
「う……ぜ、善処はするけど………あ、リーダー、おはよう。……リーダー?」
アカネの言葉に苦虫を噛み潰したようにカリンが表情を歪めると、彼女に続く形で少々乱雑に扉が開かれる。音的にも消去法的にも来客は一人しか思い当たらないようで、視界に入れる前からリーダーと口走って振り向けばやはりそこに立っているのは我らがダブルオーの姿に違いないのだがどこか様子がおかしく、カリンの言葉に返事を返さず無言で歩き出す。
「アカネ」
「は、はい?……と、これは……あ、昨日頼んでおいたモノですね。ありがとうございます」
「……………」
ネルがやっと口を開いたかと思えば手にぶら下げていた少々大きめのレジ袋をアカネに向かって放り投げる。それを難なく受け止めたアカネが中身を確認して感謝を述べるのだが───やはり言葉は返ってこない。昨日に続いて───いや、より一層というべきほどに不機嫌そうな彼女の様子に三人が顔を見合わせる。
「どうしたの?リーダー。昨日の今日でなにかあった?」
「…………」
「………本当にどうしたんだ?リーダー」
「さぁ………ん?…あら?」
アスナが物怖じすることなく尋ねるが、拗ねた子供のように口を開かず、行事悪く机に腰かけるだけで進展はなし。困ったようにアカネとカリンが言葉を交わしていた所───ネルの制服の襟元に、濃い赤色の汚れを見つけ、声を漏らす。
「部長?制服に汚れが……」
「……クソが」
「はい?」
「───クソッたれがアッ!!!」
「うわ!どうしちゃったの?リーダー」
アカネが制服の汚れに言及した直後───ネルが机から降り立ち───怒りをぶつけるように脚を振り上げ机を蹴り飛ばすと、ミレニアム最強のエージェントによる剛力によって破断された机の破片が大きな音を立てて吹き飛び、ドミノ倒しのように他の机も同時になぎ倒す。その八つ当たりを以てしても彼女の怒りは冷めやらぬようで、荒くフーッと声を漏らしながら肩で息をしていた。
「お、落ち着いてください部長!どうされたのですか!?」
「負けたんだよッ!!」
「……は?り、リーダーが負けた?じょうだ──」
「冗談言ってるように見えんのかッ!?テメェにはッ!!」
「ッ、ご、ごめん……」
ダブルオーの実力を知っているからこそ出てしまったカリンの失言に、ネルが怒りを露わにして怒鳴り散らすと、部活仲間であるにも拘らず完全に委縮してしまう。そんな様子を見かねたアスナがネルを宥めつつも、肩を撫でて強い口調で諫めた。
「だめだよ、リーダー」
「あぁッ!?」
「落ち着いて。怖いよリーダー。カリンとアカネが委縮しちゃってる。嫌なことがあったからって、部員に八つ当たりしちゃだめだよ?落ち着いて、ね?」
アスナの普段は見られない真面目なトーンの声色が響いたのか、段々と息の整ってきたネルが頭を掻いて溜息を吐き出す。どうやら落ち着いた様子に二年生二人が露骨に安堵してホッと息をついていた。
「……悪かったな、さっきは怒鳴って」
「い、いや、大丈夫だけど……負けたって……」
「部長、いったい何があったんですか?」
落ち着きは取り戻したものの、やはり顔色は優れない。苛立ちが完全に収まったわけではないようで、壁に背中を預けるネルがアカネの"何があった"という言葉で昨日の事を思い出したようで舌打ちを放った。
「……チッ!──…先生だよ」
「……先生?」
「───先生に負けた、文句のつけようもなくな」
『では改めて説明するが……先に
『おう』
『本番一回の一本勝負、それで良いか?』
『構わねぇぜ』
忍術研究部の見つめる先、中庭にて向かい合う二人が───撮影用のペンキが刃に塗られたクナイのレプリカを片手に向かい合う。その光景を、イズナはただただ自身の信頼する最高の忍者の勝利を祈り、ツクヨは緊張で心臓の鼓動を早め───そしてミチルは動画のネタになるかもとたくましい根性の下、カメラを片手に固唾を飲んで見守っていた。そんな中、バツが悪そうに柱間が、クナイを手に持ったまま後ろ手に頭を掻きむしり溜息を吐いた。
『しかし悪いの。オレの見栄を張るために付き合わせて』
『気にすんな、アンタとやれんだ。どんな形でもこっちからしたら願ったり叶ったりだ。それに……』
『?』
『……見栄を張る、ねぇ。恥の上塗りの間違いじゃねぇか?先生を立てるためにわざと勝利を譲ってやるほどあたしは人間出来ちゃいねぇぞ』
小慣れたような手つきでクナイの穴に指を通し、クルクルと回しながら挑発的な態度と言葉で柱間を煽るネル。その顔には喜びの色が隠しようもないほどに、好戦的な笑みと共に漏れ出ており、これから始まる勝負に対する彼女の期待が如何ほどのものかを如実に表していた。随分長い間髪をまさぐっていた柱間が観念したように大きく笑って手を下ろす。
『ハッハッハッ!確かにな!……では始めるか』
豪快に笑い飛ばす柱間が少し身を屈めて石ころを拾い上げると、天高くソレを投げ飛ばす。何秒後かに予見される開始のゴングを待ち望む二人が、ゆっくりとクナイを構える。ネルは順手、柱間は逆手に握り身構えると微動だにもせずただお互いに視線を交差させ───
───カツンと、小さい音が響いた瞬間、互いに地を駆けた。
『(!前に来るかッ!おもしれェッ!)』
地面を駆けるネルが、視線の先で同様に自身へと迫りくる柱間の姿に笑みを浮かべる。先日の件や彼の大人しい為人を考慮すれば防戦に徹するものとばかり考えていたため、前へ出てくる彼の好戦的な姿勢に喜びを隠せずにいた───
───のだが、
『──はぁッ!?』
『え!?あ、主殿!?』
逆手に握ったクナイを正面に構えつつ身を低くして走っていた彼が上体を軽くねじってクナイを握りしめていた手を振り上げる。その光景を見た者がまさかと思ったのも束の間──
『フンッ!』
───ネルの目前数メートルに迫ったタイミングで、やはり彼女の予想から外れることなく柱間が一点モノのクナイを投擲する。試合が始まって早々に得物を手放す愚行を犯すはずはないだろうという予想は早々に裏切られ、ネルの頭部目掛けて超速でクナイが迫り、自身で投げたソレに追従する形で柱間が目前まで迫っていった。
『──当たるかよッ!!』
当然と言うべきか、ネルの動体視力を以てすれば宙を舞う金属塊を避けることなど容易で顔を逸らしてクナイを回避すると、その瞬間ネルの懐に潜り込むように柱間がさらに身を低くして突っ込むと、ネルの手首に向かって手を伸ばす。
『(なにがしてぇんだ?アタシのを奪う気か?)』
互いの手が届く距離で密着する二人が、瞬時に手を動かす。柱間が左手を伸ばしてネルの右手──クナイを握る手を狙うが、やはりネルの動きには一歩遅れるようで柱間がネルの手に触れる前にクナイを投げ飛ばし左手に持ち変える。
『──そらよッ!』
『おっと!?』
『──残念だ、一発限りの運ゲーで何とかしようなんて、なッ!』
ネルに迫る柱間の手を、足で蹴り上げることで軌道を逸らす。キックを避けることも叶わず体勢を崩した柱間に向かって、ネルがクナイを振り下ろす。アレほど自信満々に付き合えなどとほざいた大人の策が、やはり小手先であったことに落胆し得物を振るうと、ネルの一挙手一投足に一瞬遅れる柱間が左腕で自身の眼前を防御するしかなく────
『おらッ!!』
『フンッ!!』
────何の意外性もなく、ネルのクナイが柱間の手首を切り裂いた。
『そ、そこまでッ!』
ミチルの声が大きく鳴り響く。その隣ではツクヨとイズナが口をポカンと開けて目を見開き───視線の先ではピタリと動きを止めた両名が佇んでいた。
『しょ、勝者───』
ぴちゃ、ぴちゃとインクの滴る音が小さく鳴り響く。柱間の手首から濃い赤色のインクが滴り落ち───
『───ハシラマ先生ッ!!』
────ネルの首から、同様に朱色の染料が、ツーっと流れ落ちていた。
『さ、流石ですッ!!主殿オ!!』
『す、凄いです、先生…!』
『───ハッハッハッ!!恥の上塗りをせずに済んで一安心ぞ!!』
腰を上げて大きく笑う柱間の下に満面の笑みのイズナが駆け寄り彼に抱き着いて尻尾を大きく左右に振っていた。彼女の頭を撫でてやるために手を上げ───
───なぜか右手に握っているクナイを左手に持ち替え、空いた手で彼女の頭を撫でると、より一層彼女のケモ耳と尾の動きが激しさを増すのだった。
『……おい』
『ん?なんぞ』
『───何しやがったッ!!──んでクナイが戻ってきたんだッ!!』
───クナイが戻ってきた。
魔法でも疑う異様なその言葉に嘘偽りはなく───ネルが柱間の手首を切る瞬間、彼女の首に走る冷たい粘性の感覚。ぴちゃ、という音と共に何かが後方から首筋を掠めたかと思えば───視界の端からクナイが現れ、柱間の手元に吸い込まれて行く光景を最後に試合終了の合図が鳴り響いた。
『コイツか?──そら、こんな感じでな』
『す、凄いです主殿!こ、これはいったい?』
『テメェッ!自分の分だけ細工してやがったのかッ!?』
ネルに突っ込まれた柱間が何の気はなしにクナイを投げると───まるでヨーヨーのように柱間の手を軸にして大きく円を描いて宙を舞う。ソレを見て怒りを露わにするネルが声を荒げると、柱間は至って冷静に口を開いた。
『あぁ、試合開始直前に───オレの髪を結んでおいた』
『……かみ、だと…ッ!?』
『……あ!ほ、本当です!何か、細い糸が……!』
イズナがクナイを受け取り、いったいどんなからくりがと弄っていると、手に引っかかる細い何かの感触を覚える。柱間の言葉に、そんな仕草なんてと記憶を遡るネルがハッと目を見開いた。
『──クナイ握ったまま頭搔きむしってた時か!?』
『あぁ。ちぃとバレないか心配ではあったがな!』
『ッッッ!!姑息な真似しやがってェ……ッ!!』
───時間にして、モノの数秒。
一瞬の決着ではあるが、その内容は慢心と───経験値の差が如実に表れた結果となり、自尊心の傷付けられたネルが怒りを露わにするが、そんな彼女を無意識に煽るようにイズナが声を大きく上げる。
『流石です主殿!!やはりイズナの目に狂いはありませんでした!!ネル殿を手玉に取るその手腕ッ、やはり主殿は最高の忍者です!!』
『────』
『い、イズナよ!言葉を控えろ…!』
『?何故ですか?ネル殿は負けましたよね?』
────手玉に取られた、ネルは負けた。
誰かに言われるまでもなく自覚していることではあるが、嫌味のようにも聞こえる純粋無垢なイズナのチクチク言葉にネルがピキッと青筋を立てる。ネルに背中を向けて柱間に抱きつく彼女は背後で揺れ動く憤怒の炎に気付くことはなく、何気なく口走る言葉の数々で無意識にダブルオーをおちょくっていた。
『──もう一回だッ!!もう一回やるぞッ!!今度は──』
『ネルよ。最初に断っておいたはずぞ、一本勝負、とな』
『なッ!?ッッッ!!じゃあ、別の勝負だッ!!さっきのが一本勝負ってだけだろッ!!さっきの試合を取り消せっつってんじゃねぇ!!もう一回試合えっつってんだッ!!』
『また今度な。空も暗くなってきた、飯にしようぞ』
ネルとは違って落ち着き払った態度の柱間がそう呟くと、ミチルとツクヨがその場を後にして外出の支度を整える。どうやらどれだけ言っても今目の前にいるこの大人が自分の要望を聞き入れることはないと理解したネルが、悪態をつきながらクナイを地面に投げつけた。
『ッ、クソがあッ!!』
『イズナ、これからも主殿を───『イズナよ』─は、はい?な、何ですか?主殿』
『勘違いはしないでくれ。オレは別にネルに勝ってはいない』
『へ?』
『───おい、おちょくってんのか?テメェ』
情けをかけられたような発言に、歯軋りを起こして怒りを露わにするネルの圧に、イズナがごくりと唾を飲み込むが彼に限ってそんな慰めがネルのためにならないことなど百も承知のはずで、言葉を淡々と続ける。
『事実ぞ。わざわざオレの土俵に合わせてもらったしな。実戦なら銃を使われればオレは手も足も出んかったろう』
『やめろッ!!変な気ィ遣うんじゃ───『違う、ネルよ』──……』
『イズナ。確かにオレから学ぶこともあるだろうが───オレ以外から学ぶことも多い』
『……え、えっと…?』
『詰まる所、ネルの言葉を忘れるなということだ。オレとの演習はあくまで演習。"千手柱間"に通じなかったのではなく、ただ単にオレに通じなかったとして今後の糧としろ。よいな?』
『は、はい!そ、それは理解しました!』
『うむ、なら良い。そら、お前も支度をしてくると良い』
『はい!』
失礼しますと元気な声でその場を後にするイズナ。そんな彼女を見送った後、さてとと言って振り向いた柱間がネルの元まで足を運んだ。
『再三になるが済まなかったな、ネル』
『……』
『服もダメにしてしまったな。弁償し──『いい』──?』
『……服はこのままでいい』
『このまま?と言っても随分目立つが……』
『だから良いんだよ。こんな目立つ敗北の汚泥を塗りたくりやがって……本当に腹が立つ』
不機嫌そうに胡坐をかいて地面に腰を下ろすネルがフンと鼻を鳴らす。
『なぁ、先生よぉ』
『ん?なんだ?』
『……もう一回やったとして、アタシはアンタに勝てんのか?』
『そりゃあやってみんと何とも──『言い方変えるわ』
『さっきのは小手先か?数こなしゃあ勝てんのか?アタシは』
『……ふむ』
ネルの質問に、顎に手を当て考え込む柱間。そのまま数秒沈黙を貫いた後、ゆっくりと口を開いた。
『……やはり、やってみんと何とも言えん』
『……チッ、そーか『ただ』
『───もう少しは、見栄を張れそうだの!』
『───ハッ!舐めやがって!……テメェに勝ってから買い替えるとするか、コイツも』
そう言って野性的な笑みを浮かべると、自身の首を撫でる。指先に付着した乾燥したインクがパリパリと音を立て小さな破片となり地面に落ちると、それを追いかける視線を落とすと制服に染み込む濃いインクが目についた。ソレを眺めて小さく微笑むネルの隣に大きな手が伸び───何も言わずに手を取ってネルが立ち上がる。
隣で並び歩くネルの頭を柱間がやさしく撫でると、照れくさそうに頬を掻いて───彼のケツをひっぱたくのだった。
「……良い話じゃないですか。なんで怒ってらっしゃるので…?」
「起きてから思い返すとやっぱムカムカすんだよッ!!ダアアアァァァアアアッ!!!」
アカネの言葉に頭を両手で掻きむしって叫ぶネル。そんな自分達のリーダーを眺めて呆れたように溜息を吐き───軽く微笑む部員達であった。
ご清覧ありがとうございます!
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それでは、また次回
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