世界大会で優勝した、妹が病んだ 作:サツマイモおいしい
何のために今まで頑張ってきたんだろう。
自室のベッドの上で膝を抱えながら、数え切れないほど考えた問いを脳裏で繰り返す。
私にとってクラウンハーツが……否、兄とのあの夢が全てだった。
二人で世界一になる、そのために今まで走り続けてきた。
日本一凄い兄の隣に立つために、隣に立っていつか二人で世界に羽ばたくことを夢見て。
だけど、それももう叶わない。
───お前はもう要らない
体の芯から揺さぶられるようなその言葉に思わず布団を被り耳を塞ぐ。
あの日からずっと胸中を占めている兄の言葉。
とてもあの優しかった兄から出たものとは思えない、私という存在を否定する呪詛の如き言葉が深々と胸に突き刺さっていた。
思い出すだけで呼吸が加速し視界が明滅する。
痛い、辛い、苦しい……助けてよ、お兄ちゃん。
───お前はもう要らない
「違う……お兄ちゃんはそんなこと……」
口下手で家族以外の人には褒められた態度ではなかった兄だったけど、それでも家族には、中でも私にはずっとずっと優しかったのに。
頭を撫でてくれた、肩を貸してくれた、抱きしめてくれた、夢を一緒に見てくれた。
だから、どうしても信じられなかった。
もう一度会って話したい、だけど事実だったらと思うと怖くて怖くて堪らなくて。
そんな時間が、もうずっと続いている。
「お兄ちゃん……」
あれから兄は帰って来ていない。
あの日雪の上で茫然と座り込む私を置いて、兄は再び姿を消してしまった。
本来家で休暇を取る予定だったのにいないということは、兄にとってこの家にいる価値がないということ。
つまり、兄からしてみればもう私は無価値以外の何者でも───
「違うッ!!!」
そんな筈ないと拳を枕に叩きつける。
兄は私を必要としてくれた、あの日私に手を差し伸べてくれた、私と一緒なら世界一になれると言ってくれた。
それを否定することは他でもないあの日の兄を否定することで、それだけは許せなかった。
しかし、それなら兄はなぜ私の前から姿を消したのか。
何故兄は私にあんなことを言ったのか。
───本当はもう分かってるくせに
「だ、だれ……?」
耳に入った私以外の声に思わず布団から顔を出し部屋を見渡す。
しかし探せど探せど声の主は見当たらない。
───お兄ちゃんが私を捨てたんじゃない
「またッ」
怖くなって布団を被ってもその声は鳴りを潜めない。
それどころか心を締め付けるように大きくなっていった。
───私がお兄ちゃんの期待を裏切ったのよ
「もうやめて……!」
分かってる、もうとっくに分かっていた。
お兄ちゃんはずっと私に期待してくれていた。
お兄ちゃんはずっと私のことを待っていてくれた。
それを裏切ったのは、他でもない私自身だ。
───結局私は世界一なんてどうでもよくて
もう一人の私が私の顔を覗き込みながら嘲笑する。
その顔は兄を嗤っていたかつての大人たちとそっくりだった。
───ただお兄ちゃんの隣にいたかっただけなんでしょ?
その言葉こそ私の嘘偽りのない本心。
兄の夢だから一緒に目指したいと思った。
兄の力になれると思ったからこの世界に飛び込んだ。
兄のことを見ているだけだった自分が嫌だったからその手を取った。
神嵜 結は神嵜 唯の隣に居られるなら何だって良かった。
───あなたは捨てられたんじゃなくて見限られたのよ
言葉は続く。
悪意が心を蝕んでいく。
───お兄ちゃんは私がいなくても世界一になれた
背けてた事実を直視させられる。
───今のお兄ちゃんが求めているのは自分と同等以上の存在
あの日の自分の力を嘆く兄が脳裏を過ぎる。
───今のあなたはお兄ちゃんの練習相手にもなれない利用価値すらないゴミ
兄が家族に優しかったのは自分を育ててくれた恩が両親にはあるから。
私に優しかったのは私に兄譲りの才能があったから。
日本では私しか兄に並べる存在はいなかった、しかし世界にそれ以上の存在が数えきれないほどいたとしたら?
───もうあなたの知っているお兄ちゃんは何処にもいないのよ
今までの優しい兄は全部嘘になって、これからは冷たい兄が本物になるの?
気づけば、私は写真立てとトロフィーが並ぶ棚の前に立っていた。
眼前に並ぶのは幼い頃から積み上げてきた兄との大切な思い出。
そこには兄に抱き着く私とそれを受けて微かに笑う兄の姿が溢れていて、
「いやだ」
気づけば言葉が零れていた。
掌が赤くなるほど拳を握り締め、震えるもう片方の手で写真立てを手にする。
「いやだ、いやだ、いやだッ!」
この気持ちも、あの時間も、全部嘘としてなかったことになんて出来ない。
あの笑顔をあの優しい手をあの眠たくなってしまうほどの抱擁も、嘘だったと認めることは断じて出来なかった。
ましてや、もう二度と兄と一緒に笑いあえないなんて絶対に嫌だった。
悪意を中心に感情が渦巻いていく。
「許さない、認めない」
兄にもう一度私を認めさせる。
そうすればまたあの頃の兄に戻ってくれる、あの頃みたいに二人で笑いあえるはず。
兄に私を認めさせる手段は単純明快、私が兄よりも強くなればいいだけだ。
「───ぶっ殺してやる」
それが、私の新しい夢になった。
▽▽▽
煌めくような銀に近い白髪に空を映したような碧眼。
見慣れた中高一貫の制服に包まれた黄金比のスタイル。
出身地、経歴、名前───どこからどう見ても、神嵜 結その人が我が国が総力を挙げて牽引する一大プロジェクトの参加者に名を連ねていた。
「おーまいがー……」
トラウマを植え付けられるほどクラウンハーツが嫌いになっていた筈なのに、承諾しなければ参加出来ないプロジェクトに妹の名前があるのなぁぜなぁぜ。
もしかして周囲の期待が原因で断ろうにも断れなかったからだったりする?
俺が帰国する前から妹に招待状が届いていてその時点で妹が承諾済みだったのなら辻褄あうけど、もしそうなら今の俺が妹の参加を辞めさせてくださいと割って入ることは不可能だ。
何せ我が国のお偉いさんたちがバックについてるし、俺が原因で生まれたプロジェクトに俺が口を出そうものならメディアがうるさくなるのも必然で、これ以上家族に迷惑かかるのは俺としても避けたい。
妹が辞退するなら話は別だろうが、現時点で名前が公表されてるってことは辞退する気はないのだろう。
「うーむ」
一年くらいなら別に問題ないんじゃない? という気持ちと一年もマイシスターを苦しめるつもりか? という気持ちがせめぎ合ってる。
しかもここに来て結の才能をこのまま埋もれさせてしまうのも惜しいよなぁという気持ちと、でも辛いなら辞めさせてあげた方がいいに決まってるじゃんねという気持ちまでもが加わり始める。
「もしかしたらトラウマ克服する切っ掛けになるかもだし、好きにさせてあげた方がいいのかなぁ」
兄としては心配の一言に尽きる。
しかしチームメイトの兄妹事情を聴くにあまり関わりすぎるとウザがられて関係にヒビが入るとか言っていたし、ただでさえ気まずい関係なのにこれ以上悪化したらお兄ちゃんは立ち直れる自信がありません。
「うん、とりあえず一ヶ月後に国内プロとエキシビションするみたいだし、その時の状態見てから決めてもいいかもな」
俺個人の力で出来ることなんてたかが知れているが、妹のためならなんだってする所存です。
もしかしたら仲直りの切っ掛けになるかもしれないしな!
「とりあえず母さんと父さんには様子見といてって言っとこ」
その後、両者から早く仲直りしろと返信が帰って来たのは言うまでもない。
ほんとごめん。
▽▽▽
切っ掛けはたまたま通りかかった家電量販店のテレビから流れる試合映像だった。
数十年振りに世界選手権の代表チームに選出された日本人、その海外での活躍をまとめた傑作選なるもの。
その日本人とは当時クラウンハーツに疎い僕でも知っていた、日本では知らない人はいない超有名人───神嵜 唯。
誰も彼もがクラウンハーツの競技者として協会に選手登録し、学校では連日チームの勧誘活動に明け暮れ、将来は神嵜選手のようなトッププレイヤーになると夢を語るのが今のこの国の常識。
僕はその流れに乗れなかった変わり者だった。
別にクラウンハーツが嫌いとか嫌な思い出があるからとか、そういうことは特にない。
ただ何となく、現代最高のスポーツと言われるこの競技にイマイチ惹かれなかったというだけ。
だからクラスメイトたちが毎日のように、この選手が凄かったとかこの試合が熱かったとかこんなプレーが出来るようになりたいと言っているのを、僕だけが一線引いた場所で眺めていた。
そんな僕を気遣ってくれた人たちはたくさんいた。
国内プロがアップしている入門動画を見せてくれたり、名シーンと言われる場面を見せてその熱を共有しようとしてくれたり、実際にやってみようと手を引いてくれた子もいた。
一通り試してはみた。
試しもしないでただ否定するのは愚者の在り方だと知っていたから。
だけど、僕の心に熱が灯ることはなかった。
あの日、何となく通りかかったテレビの前で、神嵜 唯のプレーを見るまでは。
神嵜選手は文字通りレベルが違った。
国内トッププロなんて足元にも及ばない彼の強みとも言える魔力操作技術は、海外でも遺憾なく発揮され周囲のプレイヤーたちを翻弄していた。
その在り方は正しく変幻自在、型に嵌らない自由な戦闘スタイルは『アタッカー』としての理想形だった。
彼の進行を止めるために現れた相手の『ディフェンダー』を苦も無く斬り伏せ、後方から砲撃してくる『ストライカー』の魔力砲を掻い潜り敵陣地に進攻しながら、
そして障壁が消え露になった
その魔幻体には傷一つなく、正しく完全勝利と呼ぶに相応しい試合だった。
───すごい……ッ
気づけば、手に汗握って称賛がこぼれていた。
一度やってみたから分かる。
生身ならまだしも、魔力で構成された魔幻体であそこまでリアルな動きを再現するのは高難易度なんてレベルではない。
魔幻体は魔力で再現した肉体を自身のイメージで動かす仕様上、どうしても理想の動きを出力するのにラグが生まれる。
彼にはそのラグが一切ない。
だから僕らが考えて動き出そうとする頃には、彼はもうその刃でこちらの首を刈り取っている。
彼にとって魔幻体はイメージ上の産物ではなくもう一つの肉体なのだろう。
そして緻密なまでの魔力操作技術がその性能を十全に発揮し、今の彼が出来上がった。
───僕も、あんな風になりたい
初めて心に熱が灯った。
彼のその自由な在り方に魅せられた。
───チーム募集まだやってるかな
期待に胸が躍る。
色付いた未来に鼓動が高鳴る。
居ても立っても居られなくて、帰宅途中だったというのに小走りで学校へ引き返しすぐに友人が募集していたチームに加入申請を出した。
───これが今まで皆が感じてた熱なんだ
灯りだした熱が大きくなっていくのを感じ取る。
この熱を知らない人に共有したくなる気持ちが痛いほどに分かってしまう。
ああ、自分はなんて勿体ない時間を過ごしていたのだろうか。
───ダメだ、眠れない
お風呂に入って、ベッドに潜り込んで、後は眠りにつくだけ。
いつもならすんなりと夢に誘われるのに、その日は意識が誘われるものかと現実にしがみついて離さなかった。
まるで、遅れた時間を取り戻せと言っているように。
───少し、少しだけ
そう自分に言い聞かせて、僕は生まれて初めて夜更かしをした。
日が昇るまでネットに挙げられている神嵜選手の動画を中心に、過去の試合映像を見返したりクラウンハーツの起源を調べたりもした。
そんなこんなで気づいたら登校の時間になっていて唖然としたが、罪悪感も危機感もなく確かな満足感だけが胸を占めていた。
───今日は皆との会話に混ざれそうだ
それが心の底から楽しみで。
気づけば、あっという間に半年という月日が経っていた。
───なにこれ、プロジェクトβ?
高校入学を目前に控えた僕の下に届いた一通の手紙。
この時の僕は思いもしなかった。
───へー、面白そう
軽い気持ちで承諾したこの瞬間が、僕の転換期であったことを。
───どんな人たちが来るのか楽しみだなぁ
あの場所で、生涯の
この時の僕は、まだ何も知らない。