前作と違い甘々な展開となっています。読んで頂ければ幸いです。
……寝る前に紅茶はまずかったな。
不完全に覚醒した脳は、眼前の薄暗い天井を正確に処理している。
いつもなら既に寝ている時間のはずなのに、それでもこうやって起きてしまったのは随分と懐かしい夢を見てしまったからだ。
なんだか眠る気にもなれなくなってしまったので、俺は一人で寝るにはあまりにも大きすぎるベッドから起き上がり、隣に眠る人影を見やった。
そこにはすうすう寝息を立てる淡い水色。
俺の元担当ウマ娘、もとい愛バのメジロアルダンが浅い呼吸を刻んでいた。
アルダンの長く透き通るような乱れ髪は、白絹の上に鮮やかな波模様を描いている。
愛おしいほどに美しい彼女にそっと毛布をかけ直し、俺はベッドから足をおろした。
そのまま俺は音を立てないように広々としたバルコニーに足を運んだ。
昔住んでいたトレーナー寮の倍の広さはあるであろうバルコニーは、静かな満月に淡く照らされている。
窓を開けて外に出ると、途端にまだ抜けきらない冷気が鈍く肌を刺した。
寝巻姿ではやはりどうにも肌寒いので、ベッドからブランケットを持ってきて正解だった。
中国の春はもう少し先だったか、と考えながら俺は備え付けられた深い木目の椅子に腰掛けた。
トレセン学園で見ていたものとは少し違う、まだまだ硬いであろう桜の蕾を俺はぼんやりと眺めながら、先程の夢についてゆっくりと思い出した。
あの時の桜の蕾もまだ緑付く程度だったような気がする。
メイクデビュー戦前の彼女は、まるで大丈夫と自分に言い聞かせる子供のような、それでいてプールに初めて飛び込もうとする子供のような、そんな顔をしていた。
当然だ。
1200mダートなどというあまりにもあまりな適性外のレースだったのだから。
それでも、彼女の走りは凄まじかった。
彼女の代名詞でもある重戦車の低く、重い猛りは俺の目を奪うのには十分だった。
あの病院で見かけた儚げな美少女のものとは思えぬ程の気迫と決意、そして輝きを、そのガラス細工の身体から感じたのだ。
レースの決着は僅かな差でありながら、他とは一線を画す強さを高らかに掲げる彼女にスカウトを望まないトレーナーなどいなかった。
俺は、そんな群衆の血走った目が向かう方向へ脇目も振らずに進んで行った。
対応に追われる彼女が俺の声に気付き、互いの視線が交錯した瞬間、永遠とも見紛うおだやかな感覚が体の中にするりと入り込んできたことを鮮明に覚えている。
そして瞳の桜色に気付いた時、俺は確かに彼女にスカウトの言葉を投げかけたのだろう。そしてやはり彼女が微笑みをたたえた口で俺に返した言葉はーーーーーー
そこまで考えたところで、静寂を破る遠い衣擦れの音と、う〜んという可愛らしい声に俺ははっとした。
声の主の方へ振り返ると、もそもそと動く毛布から寝覚めの人魚。
アルダンが、少しだけ眠そうな眼を擦りながらこちらへ向かってくる。
「あれ、起こしちゃった?」
「いえ、なんだか今日は途中で目が覚めてしまって」
「お、じゃあ俺と同じだ。」
「ふふっ、同じですね。あなたこそ、どうしてこちらに?」
言いながら、彼女はすぐ隣の椅子に腰掛け、俺たちは横に並んで夜景を見やる。
遠い都市の輝きたちは煌々と虹色に自らを主張している。
緑豊かなこちらの静寂とは対照的に、終わることのない人の喧騒が聞こえてくる気がする。
「………少し、懐かしい夢を見てしまってね。」
「夢、ですか?」
「ああ、とてもとても懐かしい、俺たちのレースの夢だ。」
「………」
「もう10年も前のことを思い出すなんて本当に久しぶりだ。」
「……卒業後すぐにこちらへ移住してしまったのですから、トレセン学園での日々が懐かしく思えてしまうのも仕方ありませんね。」
「もうここへ来て7年もたつのかぁ……」
「ふふっ、あの頃の青春は、まるで魔法のような輝きでしたから。」
思えば、あの頃の俺たちはギラギラと飢えた獣だった。
度重なる怪我と敗北、それでもトレセン学園の化け物たちと互いに鎬を削りあった日々。
手探りながらも、出遅れたディスアドバンテージを2人で必死に埋め直したジュニア路線。
同期のヤエノムテキ、サクラチヨノオーの類稀なる成長に果敢に喰らいついたクラシック路線。
栄華を築いた永世三強の伝説の終焉を、激闘の末の敗北を持ってその目に焼き付けたシニア路線。
そのレースのどれもこれも、10年たった今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
「最後のレースは、確かジャパンカップだったな」
「ええ、あのレースは酷いものでしたね。」
「あぁ、全くだ。戦略も、実力も、何もかも酷いもんだった。」
「ですがーーー」「でもーーー」
「「本当に、素晴らしいレースだった。」」
泥沼で青臭い2人の青春は、少し、いやかなり厳しいものだったけれど。
それでも、泥中の水晶の輝きは、価値をそのままに。
「ーーーっ、クシュッ」
「あ、身体冷やしちゃったか。ほら、この毛布使って。」
「うぅ、すみません……ですが、あなたこそ少し、寒いのではありませんか?」
「いや、俺は大丈夫だって。それよりアルダンこそ身体を気遣ってあげなきゃ。」
そう言って強がってはしまっものの、ブランケットを彼女の肩にかけてしまったことで、途端に温もりは失われ鈍い冷気に身を震わせる。
こっちが日本と似た気候とは言っても、春の到来はもう少し先のこと。
だからまぁ分かってはいたのだが
「ぶぇぇっくしょいッッ」
「やっぱりあなたも寒いんじゃないですか!こういうところだけは無理しないで良いのに…全くもう。」
そう言って彼女は肩にかけていたブランケットの一端を俺の方に差し出し、2人の肩が密着するように巻きつける。
「ほら、こうすれば一緒に温まるでしょう?」
「うぅ、すまん。面目ない…」
「……ですが、ふふっ、あなたのくしゃみ、とっても可愛らしかったですよ?」
「それは君もね。」
そう言って俺たちはクスクスと笑い合ってから、一緒に夜空を見上げた。
トレセン学園では見ることもなかったような、満点のプラネタリウムが俺たちを惹きつける。
その輝きは本当に、本当に綺麗で、どれくらいだろうか、俺たちはずっと見惚れていた。
と、寝室の壁掛け時計がぽーん、ぽーんと囁く。
どうやら気付かぬうちに日を跨いでいたようだ。
「……今年の秋にはあの子も小学一年生か。」
「ええ、まだまだやんちゃで少し心配ですけれど。」
「ははっ、良いじゃないか。君が産んでくれた子は本当に元気だよ。それに、君に似て走るのも大好きだ。」
「ですがやっぱり、あちこち擦り傷だらけで帰って来るのは勘弁していただきたいのです。」
「まぁそうだね。でもあの子の笑顔を見てると何も言えないよ。」
「もぅ、あまり甘やかしたらダメですのに……気持ちはわかりますけれど。」
少しだけむすっとした顔のアルダンに、俺はそっと口付けをする。
驚いた顔の彼女は、お返しにとこちらの唇を食んでくる。
こういう時に顔を赤らめてしまうのは、俺だけが知っている彼女の癖だ。
「…なぁ、最初に俺が君をスカウトした時のことを覚えてるか?」
「……ええ、しっかりと。」
「その時、君が俺に返してくれた言葉も?」
「あら、忘れてしまわれたのですか?あんなに情熱的に口説いてきて下さったのに。」
「あぁ、実は歳のせいか、ど忘れしてしまったみたいでね。よければもう一度聞かせてもらえないかな?メジロアルダンさん、」
彼女は頬を赤らめてくすり、と微笑む。
つられて俺も頬が熱くなり、ふふっと笑う。
「ーーーぜひ、君をスカウトしたい。」
「ええ、ぜひともーーーお受けいたします。これよりの道行き、どうか共に歩んで下さいませ。」
まだまだ夜の冬空は長く深い。
これで終わりです。なんかアフターストーリーが本編よりながくなっているような気もしますが多分気のせいですね。今回の舞台は一応中国の上海近くの保養地(メジロ家豪邸)を意識してみました。良いですよね、上海。行ったことはないですけれど。今回は大分重苦しい感情を排除(まぁちょっぴり残してますが)しているので前回より読みやすくはなっているのかな、と思います。もしよかったら感想などいただければ幸いです。いつも読んでくださって本当にありがとうございます!