”耳無し”どもにロックを捧ぐ。   作:流星の民(恒南茜)

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#1 「ふたりぼっちのアストロノート」

「一緒に、奏でてみましょう?」

 

互いに触れ合った指先は、温かい。

ほんのりと熱を持った弦に一緒に指をかけた。

こくりと頷けば目の前の顔はぱっと綻んで、私の手をぎゅっと握ってくれた。

 

「お母さん、これはなに?」

「──”ギター”。私が大好きな、故郷の楽器──私の宝物、みたいなものかしら」

 

母と二人、隣同士で互いに手を取り合って、ギターを奏でる。

少し不格好で、歪んでて、それでも温かい、二人だけの音色。響かせるのは、わたしたちだけ。

 

──そんな幼少期の思い出を、いつまでも抱きしめていたかった。

 

 

◆ ◆ ◆

 

◆ ◆

 

 

 

『私達、”ヒト”は進化の段階で、いわゆる”不要なもの”を削ぎ落としてきました』

 

空気を震わして、鼓膜を揺らす。

発話をすることで文明を発展させてきた私達には、当たり前のように隣にあって。

それでも、進化の果て──文明と私達の種族はそれを不要とした、だから切り捨てた。

 

『今、わたしたちは”テレパシー”として、特殊な音波により発話をせずとも意思を送受信でき、かつ、高度なセンサーとしても使える器官を得ています。ですから、その代わりに削ぎ落としたものは──』

 

私にあって、皆には無いもの。

皆とは違う、私だけの特徴。

 

「……耳と声、でしょ」

 

たとえ授業中であろうとも、話の途中であろうとも、私にだけは発言が許される。

だって、誰も聞き取ることはできないから。

テレパシーをもってすれば確実に、高速で行えるやり取りを、私はわざわざ”耳”で音を拾い集め、”声”にして発するという無駄なことを通してしか行えない。

私の声を受信できる器官である”耳”が、皆には備わっていないのだから。

 

『だからこそ、耳は退化していき、やがて消えていったというわけです──聞いていますか? リッカさん?』

 

と、()()()のヒト達のための授業だったからこそ尚更に聞く気なんて湧くわけもなくて、どこか憂鬱な気持ちだったから、手が止まっていたのだろう。顔を顰めた先生が気づいたら私の方を覗き込んでいた。

 

《すみません。少しテレパシーの受信が遅れてしまって》

『でしたら仕方ありませんが……なるべく授業にはついてきてもらえないと困りますよ。テストだって近いんですから』

 

咄嗟に手元の端末で筆談をしつつ、ノートアプリへと遷移する。

そうやって先生をあしらいながら、私は誰にも聞こえないため息を吐いた。

 

『またやってるよ、”奇形児”ちゃん』

『ほんと。授業止めてさ、コミュニケーションも遅いんだから嫌になっちゃう』

『あれで何考えてんだかわからないんだもん』

 

一斉に脳裏を駆け抜けるテレパシーに思わず目眩がしそうになる。

いつも鈍臭い子、”奇形児”。

それが、一応は同じ教室で女子高生として共に学校生活を送っているクラスメイトからの私──”リッカ”の評価だった。

 

「……しょうがないじゃん」

 

だって、私にできるのはテレパシーを受信することだけ。

皆と違って、発信することはできないのだから。皆がテレパシーを使ってコミュニケーションを済ませている間にも皆に聞き取れない”声”を使うことしかできない私は、筆談をするしかないのだから。

 

『合理的に生きるため、常に最良の選択肢を取っていく。そのためならば、過去に固執することなく、不要なものを切り捨てることも重要です』

 

それが、異星・地球で生まれた母親を持ち”混血の奇形児(ハーフ)”として生まれ落ちてしまった私の宿命だった。

 

『わたしたちの進化の歴史というのは、往々にしてそういうものであったと言えるでしょう。それでは、きちんと復習しておくように』

 

進化に進化を重ねていったヒトが形成した”耳無し”の社会。

その片隅において、私は切り捨てられて然るべき存在だった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「……行くか」

 

どうにも気持ちのやり場が無くて、何もかもがままならない時、私は部屋の隅に置いてある母の”お下がり”を手にして外に出る。

既にオレンジがかった空は、環境が違うこの星でも自分たちの種族に誇りを持っていられるようにだなんて、お題目の元に時間経過で人工的に色づくものだというのは知っていたけれど、空のその深さが──光源の加減のお陰で遠く落ちた私の影を引き連れて走るのが、どうしようもなく好きだった。

 

シャク、シャク、と。足元の芝生を鳴らしながら、遠くに見える大木に向けて足を進める。

進化は大事、とはいえども、私たちヒトは環境破壊を恐れたゆえか緑化事業として、近頃は町外れの空き地に芽を育たせることも珍しくはない。

 

その中でも、私が普段よく訪れているその公園は小高い丘の真ん中に一本の大木があって、風に押されてキィキィと揺れていくブランコが吊り下がっていた。仮初の夕日に染められて橙色に色づきながら。

緑化事業の最初期に作られた場所だ。その眺めが私は好きだったけれど、幸運にもというべきか、同じ考えを持っている人は存外少ないようで、いつもここに来れば私は一人ぼっちになれた。

 

腰掛けたブランコは、一人で座る分には少しスペースが余るから、隣に”お下がり”を置いてケースを開けてやる。

そこから顔を出すのは──くびれた茶色い木製のボディー。

その身体は空洞で、中心から頂点──ヘッドにかけて真っ直ぐに伸びた細長い指板と、そこにピンと張られた弦を弾くことで音が出るようになっている。

母から貰い受けた唯一の形見、遺されていった宝物。

 

「……よろしく、ギター」

 

ピックをかけると、ピンと張る。

力一杯弾いてみると弦が空気を震わして。

周囲に響く大音声が瞬く間に聴覚を塗りつぶす。

 

「ふはっ」

 

ああ、胸がすく。心の内が発散されているようで、拡散された音色が私だけの世界を作り出しているようで──次第に指先には力がこもっていく。

弦を弾き、かき鳴らし、つかえた気持ちも全て音に変えて、鬱屈なんて吹き飛ばせるぐらいに世界へと私をぶつけていく。

 

そこにいるのはひとりぼっち、ギターを鳴らす私だけ。

だけれど、それがいい。それでいい。

誰にも知られない場所で、誰にも聞こえない音楽を鳴らす──それが私にできるささやかな抵抗。

”奇形児”とされてきた私だけが持ちうる特徴を使って、自身の存在を証明するやり方なのだから。

 

いつまでもそうしていられたら──どれだけ良かったろう。

 

『へー、ここマジ景色よくない? アタシ達だけで独占できたらすっげぇじゃん』

『ホントそれ。イイトコ見つけたな』

 

私の鳴らした音に混ざったノイズ。

遠くに見えた影二つから放たれたテレパシーが私にも届いた。

男女二人……カップルらしく手を繋いでいる。しかも、着ているのは同じ制服。その瞬間にマズイ、と。

ピックを取り落とした瞬間、一際大きい歪んだ音が周囲に響き渡った。

 

『でもさ、なに? このノイズ。……これ、アンタの?』

 

女の方が近づいてきた──かと思うと、私のことを睨みつけてきた。

 

「……なんのこと、言ってっ……」

『なに口パクパクさせてんの? つーかさ、このノイズってお前が持ってるヤツのせい?』

 

お母さんの形見、地球のもの、ここには無い──楽器。

訝しげな視線が私の抱いているギターに向けられる。

その瞬間、彼女が激昂している理由に思い至ってしまった。

テレパシーは、特殊な器官を用いて音波をやり取りするもの。今日の授業でも学んだことだ。

だとしたら──ギターが、その送受信に何かしらのノイズを及ぼしてしまう可能性というのは十分にあり得ることだった。

 

「そんな、つもりじゃっ」

『だから、何伝えてーのか言えっつってんだろ!』

 

受け取った瞬間にビリビリと脳が痺れるような、そんな強い意思が送られてくる。

そんな風に次第に苛立っているらしい男の隣で、女の方が伝えた。

 

『てかさ、こいつ……アレじゃない? ”耳あり”、テレパシーを送れない奇形児……みたいな』

『んだよ、じゃあ話しても無駄じゃん』

 

同じ学校であるためか、案の定──私の正体は割れていた。

”耳あり”、”奇形児”──それこそ耳と声を、劣ったものを捨てて器官を発達させてきたここの人々は、もっぱらそういった相手には厳しい。

そして、もちろん……私に対しても、それは例外ではなかった。

 

男の方がそれ以上もう何かを伝えてくることはなかった。

ただ、屈んで──その瞬間に。

 

「きゃっ!」

 

落ちていた石を拾い上げた──かと思うと、私に向かって投げられる。

まるでその辺に出てきた目障りな虫を排除しようとするかのように。

それに対する自衛のつもりだったのだ。如何に、大事なものを危険に晒すことになると知っていたとしても。

 

──ガンッ!

 

抱えていた木製のボディーが大きく揺れて、空っぽの内側から悲鳴を上げるように、ひしゃげたような音を立てた。

はっと視線を落とした時、真っ先に映ったのは凹み。

私が抱いていたギターに目立つ形で付けられた傷が瞳を焼いた、その時だった。

 

『チッ、当たんねーか』

 

もう一度、男が石を拾い上げる。

それが私に放られようと大きく振りかぶって──。

 

「よせ──ッ!」

 

それ以上、私に石が当たることはなかった。

放られる前に目の前で男が倒れたから。飛んできた脚が男の頭を捉えて、そのまま横から蹴り飛ばしてしまったのだ。

 

「死罪だろっ! 楽器を傷つけんのは──ッ!」

 

そこには一人の女の子が仁王立ちしていた。

背丈は大体私と同じぐらい、倒れた男をなおも睨みつける瞳はツンとつり上がっていて、強気な印象をもたせる。

蹴り上げた反動で宙に浮いたポニーテールが、その背中でゆらゆらと揺れていた。

 

ただ、着ている襟元の破れたシャツやジーンズだとか、そんな風貌よりも私の目を引いたのは──。

 

「……耳っ」

 

彼女に耳があって、声を発しているということ──その二つだった。

 

『てめッ、覚えてろよ……』

「二度と触れんな! さっさとどっか行けっ!」

 

男の方は立ち上がると、一緒にいた女を連れてその場を立ち去る。

それでも、その言葉は届いていなかっただろう。多分、テレパシーを受信できていない。

今しがた私を助けてくれた少女──彼女が持っている特徴の数々は──。

 

「あなた、地球人……?」

 

──私の母と同じものだったから。

 

「お前……あたしの言ってることが、わかるのか……?」

 

途端に、その黒い目は大きく見開かれた。

潤んで、揺らめいて、小さくえずく。その頬を雫が伝う。

 

「……良かったっ……やっと、通じたっ……!」

 

ぎゅっと、突然抱きしめられて。

その温かな体温よりも熱い液体が私の身体に触れる。

ちっとも状況を理解できないまま──むしろ、一難逃れて安心していたのは私だったはずなのに。

 

私の胸元でしゃくりあげながら泣きじゃくる、一人の少女。

ただしばらくの間、彼女はそうしていた。

 

「……あの、助けてもらったこと、ありがとうございました。でも……どうして、急に泣いて……」

「こんな意味わかんない場所で、誰も喋らない気味悪い場所で、あたしの日本語が聞こえてきたらそりゃ泣くっての……!」

「だから、落ち着いて。事情を教えてくださいっ」

 

彼女の背中を擦ってなだめて、ようやく彼女は鼻水を啜りながらも泣き止んだ。

 

「……お前、地球人じゃないのか……?」

「……私は違いますけど、母は地球人でした。それも、あなたが言ってるニホンの出身で……だから、言葉だけはわかりますっ」

 

相手を刺激しないよう、なるべく共感している素振りを見せられるように必死に言葉を選んでいく。

その甲斐あってか、彼女は頷きながら私の言葉を聞いてくれた。

 

「……つまり、お前もここの出身で……だけど、母が地球人だから耳もあって、日本語を話すこともできる……そういうことか?」

「はい。母からの遺伝で耳があって……日本語も教えてもらいました。その解釈で合ってます。それで、あなたは地球人なのに、どうしてここに……?」

「あなたじゃない、”サキ”。名前で呼んでくれていい。お前は?」

「リッカ、です」

「わかった、リッカ。それじゃ、説明するよ」

 

一度咳払いをして──それすら私には新鮮に思えたけれど──サキは話し出す。

 

「そもそも、私は地球で普通に暮らしてたんだ。それが夜道で気を失って……気づいたらこの星に来てた。最初は妙なもんだったさ。何せ、見た目はあたしたち地球人と似てるのに、話さなければ耳もない、声も聞こえてないときた」

「……ここの人たちは皆、テレパシーで会話するんです。だから、声が必要無くて……それで、サキが遭遇したっていうヒトですけど……」

 

どこか聞き覚えのある話だった。

サキにしてみれば、言葉も通じなければ話すこともできない──そんな環境に身をおいて、ワケがわからなかったことだろう。私も私自身の境遇を呪ったことはあれど、流石に彼女には同情してしまう。

 

「……多分、ヒト攫い。ここよりも文明が退行してる星からヒトを攫ってきて、売り物にするんです。自分よりも劣った生き物というのを、ここのヒトたちは愛玩動物として扱おうとしますから」

「……それって、ペット扱いってことか……?」

「……概ねは。……私の母も、そういう境遇でしたから」

 

歪むサキの顔には、言いようのない感情が滲み出ていた。

 

「せっかく逃げ出してきて、何とか食いつないで、遠くまでって……それで、こんなオチかよ……」

 

突然攫われて、言葉も通じない奇妙な場所に連れてこられたと思えば、自分がペット扱いされていたと発覚したのだ。そういう反応にもなるだろう。

その上で逃げ出してきたというぐらいなのだから、どれだけ大変な思いをしてきたかは想像を絶する。裏社会にある程度精通していてヒト攫いから地球人を買う層なんて──それこそ、さっきのカップルよりもずっと──ロクでもないヒトなのだろうから。

 

「……少しだけ。少しだけの間でいい。難しいこと、忘れさせて欲しい」

 

ブランコに二人、隣り合わせ。

身を寄せてくると、サキは私の抱いているギターにそっと触れてくる。

さっきあんな風に傷つけられた後だ、思わず警戒心が先に働いて取り上げるように遠ざけようとしてしまう。

 

「……それに触って、どうするつもりですか?」

「……リッカのそれ、ギターだろ? ここで見たのは初めてなんだ。……頼む、弾かせてくれ」

 

だけれど、冷静に考えてみればサキは私を助けてくれたヒト。

そして、そんなに弱った顔をされてしまったら……思わず差し出してしまわざるを得なかった。

 

「……凹んじまって。可哀想にな」

 

そんなことをぽつりと零しながらも、サキは弦に指をかける。

優しげにピンと弦を弾いて、まるでその指先が別の生き物にでもなったかのように滑らかに、指板の上で踊りだした。

 

「──”そよそよ頬を撫でる風”」

 

奏でられていく音に、声が乗っていく。

重なって一つの音が紡がれ、それが流れるようにして私の耳に訴えかけてきた。

 

「"流れ行く音が耳をくすぐる”」

 

それは、長らく忘れていた音だった。

音に声を合わせて、またもう一つ、新しい何かが生まれていく。

チカチカと私の記憶の奥に眠る音色が目覚めて、それが紡がれていく音に合わせて塗り替えられていく感覚──。

 

「”届けたい 奏でたい”」

 

これを何と呼ぶか、私は知っていたはずだ。

声を発することもしなければ楽器だなんてもっての外、ここのヒト達は決して知らないもの。

 

『こうやってギターを弾いて、声を乗せる。そうすると、不思議と身体を揺らしたくなる、心地良い。ねぇ、そうじゃない? リッカ』

『……何だか、不思議な気持ち……何なの? ……これ』

 

ギターと一緒にもう一つ、母が私に遺してくれた──素敵なもの。

 

 

「”世界を色付ける──うた”」

 

 

──歌だ。

母が大好きだったもの、ギターを弾きながら口ずさんでいたもの──それをサキは知っていた。

 

「今のって……歌、ですよね?」

「……ああ。地球にいた頃は、あたしもギター弾いて、歌ってたんだ。……大好きだった。バンドなんてのもやってたよ」

「……バンド?」

「皆で楽器を持ち寄って一つの音楽を奏でる。そして、歌うんだ」

 

彼女の口調は楽しげだ。そして、その気持ちは私にも何となくわかってしまう。

ギターをただ一人で弾くことでさえ楽しいのに、それを皆でやれたら──ぶつけ合えたら──。

 

「……それって、素敵ですね」

 

どうしようもなく、素敵なことに違いなかった。

 

「リッカもそう思うか? じゃあさっ……!」

 

先程までの暗い表情が嘘みたいに、サキは立ち上がると私に顔を寄せてくる。

 

「だったら……一緒にやってみるってのはどうだ? ギター持ってるんならさ、弾けるだろ」

 

だからこそ、その提案は堪らなく魅力的なもので。

今までひとりぼっちで音色を奏でていたのが、誰かとやれる──そんな素敵なこと、少なくとも私には考えつかないぐらいだ。

それだけに首を横に振ることが──断ることに、どうしようもなく胸が締め付けられるようだった。

 

「……弾けますけど、それはヤです」

「どうして……素敵、なんだろ……?」

 

そうだ。サキの言う通り、一緒に音楽をすること、彼女が言うにはバンドをすることは素敵なことだと思う。

それでも、頷いてしまったら私はもうここにいるのが難しくなってしまう。

 

「……私も浮かないようにするので精一杯なんです。母みたいにはなりたくないから」

「……母みたいにはなりたくない? それって、どういう……」

 

ただでさえ、中途半端な”耳あり”で、隠れてギターを弾いてて──それだけでも、さっきみたいなカップルに絡まれて、石を投げられてしまう。挙げ句、母の宝物を傷つけてしまった。

彼女が言う”バンド”というものをしてしまったらもっと目立つだろう。その時に自分はおろか、地球人であるサキを庇えるだろうか。

私に、自分自身を……ましてやサキを守れるわけがない。

 

「……死んだんです。この星の環境で地球人で、しかも”耳あり”しか好まない音楽なんてやってて、周囲は厳しいのに、父も仕事が忙しいからって庇ってくれないから……心労が祟りました」

 

だって、ずっと一緒にいてくれた母を守ることすら私にはできなかったのだから。

そして、私とサキ──”耳あり”と地球人が一緒にいることは余計に目立つ、迫害される。

 

「……じゃあ、さ。あたしも死んじまうのかな……そんな風に……」

 

私の手を取るな。そうやって縋られても、どうしようもないっていうのに。

私たちが一緒にいたところで、余計に悪影響しか産まないだろう。こんな状況で保身に走っても祟られない……祟らないで、欲しい。

だから、唯一私にでき得る手段でこの場を誤魔化した。

 

「……父の連絡先です。ヒト攫いの保護をしていますから、私よりはまだマシだと思います」

 

もしものことがあったらと特に構ってもくれないくせして父に持たされていた名刺、それをサキに強引に押しつける。

 

「ちょっ、リッカ!」

 

母が死んでから初めて出会った、声で意思を交わすことができた相手。

きっと、向こうにとってもここに来てからそんな相手を見つけられたのは初めてだっただろうに。

それを置いて、ひとりぼっちにしてでも、私は駆け出す。

呼び止められはしたけど、追いかけられることはなかった。

 

走るたびに胸に触れるギターの凹みが、守れなかったものの証明として、チクチクと胸を突き刺す。

夕暮れ、遠くに落ちた私の影が行く先を黒く塗りつぶしていた。

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

『──ねぇ、リッカ。今日はどうして口を聞いてくれないの?』

 

夕食の支度をしながら母が聞いてきたことを、ツンと口を尖らせて無視する。

この日あったことを思い出すとするならば、母が口にしたことには触れたくなんかなかった。

まだ幼かった日、学校に入りたてで少しだけ自意識が芽生えてきた時だったから、なおさら私は意固地になっていたのだろう。

 

『リッカ。今日の夕飯はあなたが大好きなものにしたわよ……?』

『今日は何があったの? お友達とはどうだった?』

『ねぇ、少し楽しいことをしましょうよ。ほら、ここにギターが……』

 

『──うるっさいっ!』

 

母から貰ったもの。それが私の発する声と言葉。意思疎通をするための手段。

それを使って相手を遠ざけた。きっと、傷つける言葉を放って、母を遠ざけようとしてしまったのだ。

 

『……どうしたのって、全部全部全部、うるっさいっ! お母さんのせいだって、どうしてわからないのっ!?』

 

だって、私のコンプレックスだったものは──周りと私を隔てていたものは、全部母のせい。

そんな意識が、強く、強く、当時の私には根付いていたのだ。

 

『どうすれば……どうすれば、皆みたいに話せるようになるのっ!? お母さんみたいな変なやり方じゃなくって……!』

『……っ』

 

母が黙り込んだのも、悲しげな表情をしてその場で崩れ落ちてしまったのを見たのも、その日が初めてだった。

外でも家でも、いつもニコニコと笑顔を浮かべていて、どれだけ周囲から後ろ指さされようとお構い無しだって──そんなヒトだって印象だったから。

 

それでも、のちに父から聞いた話は大きく食い違っていた。

 

『母さんはさ、ああ見えて僕と出会った頃はいつも泣いてた──その泣き声すら、僕には聞き取れなかった。一人ぼっちにしてしまったんだ』

 

父はヒト攫いで迷い込んできた異星人を保護する過程で母と出会い、今の情勢では地球に帰すのが難しいからと、自身に嫁いでもらうことで彼女の権利を守ろうとしたらしい。

そこに愛があったのかはしらないけれど、母が死んでからというもの、学費と仕送り以外で父と私を繋げるものは何も無い。

 

一晩、うずくまっていた。

空がまた明るくなっても、私は腹を空かせたままうずくまって、回想に耽っていた。

誰もご飯を作ってくれやしない、誰も私に声をかけてくれやしない。

ましてや、慰めるために手を取ってくれるヒトだって──もう、喪ってしまった。

 

父は母を一人ぼっちにしてしまったと嘆いた。

だけれど、本当の意味で母を一人ぼっちにしてしまったのは私だ。

だって、この世界で唯一母の言葉を理解できたのは当時の私だけなのだから。

 

学校に行かなきゃな、なんて。どこか冷静に思考は巡っている。

顔を上げた先には、凹んでしまったギターがあった。

 

「……あ」

 

守れなかったもの、母の大事な形見。

そして、見捨ててしまった相手──母と境遇が同じヒト。

 

「……うっ」

 

視界が滲む。喉に詰まっていたものが、せき止められていたものが上ってきて、思わずえずいてしまう。

 

「……うぁっ」

 

何一つ守れない私には、母にとっての宝物を持っている価値なんてない。

これを持っていられるほどに、私は立派なヒトじゃない。

 

それでも、昨日出会ったサキは違った。

地球と違う環境であろうこの星で一人、何とか生き延びてきて、言葉が通じなくたって、行動で自分の嫌う人間を黙らせて。

ギターだって、私が弾くものよりずっと上手くて、その歌声は私が気晴らしに弾くものとは違って、誰かに届けようとするものだった──自分の感情を。

 

そうだ、昨日の私はそんな彼女の泣き声を聞いて、なおも無視した。

このギターは二度、私が一人ぼっちにしてしまった相手に触れている。

一度目はお母さん、二度目はサキ。

 

これ以上、見ているだけでも辛抱できなかった。

 

「……捨てようかな」

 

だからこそ、いっそのこと──と。

そんな思いつきを否定するだけの余力はもう、私にはなかった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「……あぁ」

 

人工の晴れ空は、私の心とは真逆の方向に向かっている。

ちっとも気が晴れることは無く、ギターを抱いて外を歩く。

これを捨てるとすれば──最期に送ってあげるべき場所は、大好きだったあの公園ぐらいしか思いつかなかった。

多分、私ももうそこには訪れないだろうから、しっかりと”お別れ”できるはずだ。

 

胸に抱いたギターの感触、そこに刻まれた凹みは何度見ても胸をえぐってくる。

これを見ることも守る必要も今後ないのだと思えば、ほんの少しだけ気持ちが軽くなるような気がして、小走りで向かっていた、その途中だった。

 

前方に捉えた人混みと、私にしか聞こえない叫びが耳を突いた。

 

「誰か、あたしの言葉は届かないか──っ!?」

 

『なにアレ? 新しい”耳あり”?』

『何言ってんのか全然わかんねーんだけど』

『そうか? 見せもんとしてなら悪くないんじゃね?』

 

そして、テレパシー。

その場にいたヒトはおよそ十人ほどだったろうか。そして、人混みの真ん中で叫んでいるのは案の定というべきか、サキだった。

多分、彼女は見世物にされている。だって、”耳あり”なんて珍しいから。私自身も似たような扱いを受けてきたけれど、外から見るのは初めてだった。

 

ここを突っ切れば、公園はすぐそこだ。

幸い皆の注意はサキに向いているし、サキも人混みの外にいる私には気づいていない。

ぱっと捨てて、後は普段通りにしていればいい。そうしていれば、けなされることはあれど、これ以上私が悪目立ちすることはないのだから。

 

「……ごめん」

 

絞り出した言葉と共に、ギターを抱え直して駆け出す。

突っ切った先で、本当の意味で決別できるのだろうから。

 

平日の朝というのも相まって、公園の周囲はいつも閑散としているけれど、今日に至っては誰一人としていなかった。

丘を上った先に見える、一本の大木。

そこにぶら下げられたブランコが──胸に抱いたこの子を弔う場所になるのだ。

 

「……じゃあねっ」

 

乱暴に振り下ろしたギターがひしゃげる──けれど、それだけでは壊れないぐらいにこれは頑丈にできていた。

 

「こんなのっ、こんなのっ……!」

 

幾度も幾度もぶつけて、凹んでいく、これのせいで──母との間に心残りができた。

いつまで経っても忘れさせてくれなかった、ギターなんか弾いてたせいで攻撃された、出会ってしまった──サキに──また、自分の弱さを晒すことになってしまった!

 

「どうしてっ……どうしてっ、壊れないんだよぉっ……」

 

なんで、こんなに憎くて、力いっぱい叩きつけてるのに壊れないんだ。

こういうところだけは頑丈なんだ!

 

「……だったらっ!」

 

それならば、音を奏でるという本来の目的を断ってやればいい。

 

──ブチッ!

 

思い切りむしり取った弦は、断末魔のように甲高い音を立ててまずは一本、切れる。

こうやって残った残りの五絃を全て断ってしまえば……もう、声は失われるのだ。

このギターが役目を失ってしまえば、これ以上私が苛まれることだって無いのだ。

石を投げられることもなくなる、苦しむこともなくなる──思い出せば思い出すほど、ロクなことがない。

お母さんとのことを思い出してさ、うずくまってさ、どうして……”これ”のことを考えるたびに、守らなきゃだとか、こんなに難しいことばっかり私に押し付けてくるんだ。

 

──ブツンッ!

 

残り四弦、あまりにも力任せに引っ張ってしまったから、爪と指との間に血が滲む。

ジンジンと傷んでいるはずなのに、そんなのがちっとも伝わってこないぐらいに、体中が脳とは切り離されて──痺れているような気がした。

痛くないなら、どれだけだってむしっていられる──だって、私にとって”これ”はいらないもの──。

 

──プツッ、ツッ。

 

いよいよ半分が失われようとしていて、それでも手を止めることはできず、強引にむしったけれど。

その瞬間に、血のせいで滑った指先が、ただ弦を弾いてしまって。

 

「……あ」

 

その瞬間に、音が奏でられた。

 

『一緒に、奏でてみましょう?』

 

──奏でられてしまった。

 

「……ああっ」

 

ちっとも帰ってこない父の代わりに私の隣にいてくれたお母さん。

一緒に過ごした記憶はどんなに強い衝動をも押し潰してしまうように、私に冷水をぶっかけようとするかのように、その声が脳裏を過ぎってしまったのだから。

やっぱり無理だ。できるわけがない。

 

「……っ、あ」

 

うずくまる、ずっと抱いていたからか身を預けたギターには、私の体温が既に移っていた。

抱いた体に触れるその体温が温かかったから──私は、手を止めざるを得なかった。

 

……これから私はどうすればいい?

 

壊しきれなかったギターを半ば引きずって引き返す最中、先程サキが叫んでいた場所が目に入った。

 

「……もう、いないんじゃん」

 

そこには人混みも、サキの姿ももう跡形もなく消え去っていた。

あの後、サキはどこに行ったのだろう。私の父親の下に行けば、少しはマシな対応をしてくれるだろうか。

本当に私が向き合うよりもより良い結果が、その先には待っているのだろうか。

 

「……違う」

 

お母さんは父に保護されたけれども──それでも、言葉が通じる相手はこの星にはいなかった。

テレパシーの送受信すらできず、情勢のせいだと誤魔化されてまともに母星に帰ることすらできず、そして、最後にはこの星で死んでいった。

 

「……のせいだ」

 

それはヒト攫いのせいだったかもしれない、周囲のヒト達が冷たかったせいかもしれない、もしかしたら、アクションが遅かった父のせいだったかもしれない。

ただ、そうやってヒトに責任を押しつけるよりも──ずっと。

いたじゃないか。言葉が通じて、寄り添える場所にいたはずなのに、見捨ててしまった──。

 

「……私のせいだっ!」

 

──私が。

そんな私自身が許せない。許せてたまるか。まだ間に合うとするのならば、ギターを壊すことすらできずにフラフラと当てど無く彷徨って、そうやって過去と決別することができなかったのなら。

 

「サキッ!」

 

その延長線上にある”今”に、向き合うしかないんだ。

肩にかけていた学校鞄をその場に投げ出し、片腕で指板を掴んでギターだけを手に、駆け出す。

ぎゅっと握った拳からは未だに血が滲んでいる。だけれど、そんな痛みがどうした。

とにかく前に行け、探せ。私たちだけに使える意思疎通のための手段──声で。

 

「サ──キ──ッ!」

 

彼女の痛みはきっと、こんなものじゃないのだから。

学校の前すら突っ切って、街中を駆け続けた。昼食も関係ない、お腹が空っぽでもただただ走り続けた。

空が橙色に色づく、そうやって時間が巡ってもなお、私は影を引き連れてひた走る。そして──。

 

「……見つ、けた」

 

学校近くの通りで。

朝と同じく、いや、それよりももっと多くのヒトに彼女は囲まれていた。

 

『おい、またあの”耳あり”だよ』

『今度はなにしてんのかね? いい加減に諦めろって感じなのに』

 

心無いテレパシーが私の脳裏を巡る。

 

「あたしは──言葉が通じるヒトを探してますっ! 会話を、諦めたくないからっ!」

 

そんな風に嘲る言葉がサキには届いていない。

テレパシーを送受信する器官がない以上、誰かに言葉を届けることも受け取ることもままならないのだから、だからこそ、心無い声がどれだけ届いても彼女は諦めない──諦められないのだろう。

 

一度彼女の申し出を断った。

ここで下手なことをしたら、もしも庇いでもしたら、余計に私は悪い意味で注目を浴びてしまう。

きっと、もっと生きづらくなる。

 

力の抜けた手からするりと落ちたギターが地面に触れて、ゴンと鈍い音を立てる。

これを一緒に奏でてくれた二人──お母さんとサキ。

お母さんはもういない。それでも、サキは今目の前にいる。

 

不安と緊張、慣れない人混みに心音が高まる、チカチカと点滅しだした視界を補うように息を吸って……その瞬間だった。

きゅっと引き絞られた視界が捉えたのは、人混みの真ん中にいるサキの姿。

 

もしも、彼女といることを選んだとしたらどうなるだろうか。

それを考えた瞬間に……何故か、口元が緩んだ。

歌が上手くて、言葉が通じて、私のことを対等に思ってくれる相手。

もうこの機を逃したら、二度と出会えないかも知れない、そんな相手……。

 

一度は守れなかった。そのせいで、お母さんを喪った。

だけれど、今はまだ間に合う。これが最後の機会だとするのならば──。

 

指先を残った弦にかける。凹みに当たった指が僅かに震えて、弦は二本、私自身で切ってしまった。

何度もこの子を痛みつけてしまった後悔が脳裏を過るけれど、それでも、私はもう少しだけ胸を張っていたいだけなんだ!

 

勇気を出して、守って──そうやって、少しでも贖罪になるのなら、この凹みだって許してあげられるなら、弦を切ってしまった自分の弱さすら許せるのなら、そうしたい。

守れないままギターを傷つけた自分が憎い。今更助けてだなんておこがましい。それはわかっているけれど、せめて今だけは一緒に──。

 

「……お願いっ」

 

思いきり、下へ。

一思いに、腕を振り下ろす。大音声がその空洞から放たれた。

 

『なにっ!?』

『ちょっ、キモっ!』

 

悲鳴にも近いテレパシーがいくつもいくつも脳裏を巡っていく中、全部無視してひたすらにかき鳴らし続けた。

 

「──ああっ!」

 

指先から吹き出した血が弦を赤く染める、爪が剥がれでもしそうなぐらいに弾き続ける。

ここのヒトたちは大きすぎる音に弱い。だから、それこそ私ですら耳が痛くなるような音を奏でてたら、皆耐えきれるはずもなかった。

 

見世物なんかより大切なのはまず保身だ。皆が一目散にその場を後にして、やがてたった一人、残ったのはサキだけだった。

 

「……来て、くれたんだ」

 

私を助けてくれた時の威勢の良さとは程遠い、気の抜けたような声に思わず私も張り詰めていた気が緩んでしまう。

 

「……ごめん。私が逃げ出したから、不安な思いさせちゃった」

 

だけれど、伝えるべきことはしっかりと伝えなければ。

頭を下げて謝る──母から教わったニホン式の謝罪の方法で精一杯の謝意を伝える。

何せ、彼女によほどの心配をさせてしまった。この星で一人ぼっちで、言葉も通じないまま生きていかなきゃいけないんじゃないかって。

 

「それでも、嬉しい。ありがと、リッカ」

 

互いにその場にへたり込んで、サキに至っては、私にもたれかかってくる。

こんなに不安にさせてしまったのは私の決断が遅かったからだ。「ごめん」と、そう口にした。

 

弦一本から、音は紡がれていく。

だけれど、それは続いていく中で幾重にも幾重にも交わっていって、やがては一つの大きな音となって、音楽としてはっきりと形になる。

 

「……ねぇ、サキ。一つだけ聞いてもいい?」

「なに? 今は気分がいいから何でも教えてあげるよ」

 

だからこそ、そんな現象を私達になぞらえたらどうなるか。

 

「サキは、私がいいよって言ったら、ずっと一緒にいてくれる?」

「もちろん。だってさ──」

 

即答して、サキが継いだ言葉に、思わず私は笑みを溢してしまった。

 

「ふたりぼっち。一人じゃないなら、いつまでだって叫んでられる。そんな気がしてくんよ」

 

一人じゃ最初の一音を奏でる勇気すら湧かない。

それでも、私達二人なら──一緒に奏で始めることができる。

ほんの僅かな抵抗に過ぎないかも知れないけど、うずくまっているよりはまだマシなはずだから。

 

「じゃあ、歌ってよ。昨日サキが弾いてたやつ、私が弾くから」

「お、良いじゃん。何だか、”バンド”してるみたいだ」

 

誰一人見えない路上で座り込んで、弦に指をかける。

鳴らした一音にサキの声が乗って、私達の音は重なった。

そうしてささやかに、たったふたりぼっちから始まっていくものを紡いでいく。

 

 

「”世界を色付ける──うた”」

 

 

私達の、音楽(ものがたり)を。

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