■ ■
「暇だなぁ……」
ぽつりと、そんな言葉が零れた。
此処は妖怪の山、その麓。其処を守る様に、剣と盾を各々の手に持ちながら哨戒をしている白狼天狗―――犬走椛は、ついそう零してしまった。
妖怪の山は、その名前の通り妖怪達が暮らしている山だ。彼女の様な天狗は勿論、河童など様々な妖怪が此処に住み着いては社会を形成している。
だからと言うべきなのだろうか。妖怪の山はどちらかと言えば閉塞的で、徹底的とまでは言わないまでも外との関わりを絶っている。
と言うのも、今はまだ我々が知る様な平和な時代ではないのだ。弾幕ごっこ―――スペルカードルールなんてものが存在しないこの時代において、人間と妖怪というのは決して相入れる事のない存在だった。
まだ人間と妖怪が相容れていなかった時代。幻想郷が幻想郷として独立してからそれなりの年月が経ったが、それでも我々が知る様な進歩は遂げてはいなかった。
そんな時代だからか、この頃はまだ人間と妖怪は多少の争いがあった。
争いとは言うものの、知性のない妖怪が人間を襲ってしまったり、妖怪の山に入り込んでしまった人間を天狗が攫ったり、そういう程度のものだが。
まぁ、
取り敢えず、そういう事情があるにはある。しかし人間は妖怪を恐れているし、子供にもしっかり言い聞かせている為、最近ではそういう人間が山に入る事は全く無かった。
だからこそ、椛は暇を持て余していた。白狼天狗としての哨戒の任をサボる事なくこなしてはいるものの、しかしだからと言って退屈ではないという訳でもなかったのだ。
「仕事に文句を言うつもりはないけれど、やっぱり退屈は毒ね。せめて話し相手ぐらいは欲しいところなんだけど」
吹く風は心地好く、気温も丁度良い。虫達の鳴き声も鬱陶しくはない。環境的には何ら問題などないのだが、如何せん退屈だった。
妖怪にとって退屈というのは毒だ。畏れが無ければそもそもの存在理由が見出せないし、かと言ってやり過ぎれば巫女によって消されてしまう。
程々の刺激、程々の争いというものが妖怪には必要だった。まぁ、彼女は他の妖怪と比べればそういった刺激が欲しいという訳ではないのだが。
別に刺激なんかは必要ない。ただ退屈でなければそれで良いのだ。知人と話すも良し、趣味の将棋を指すも良し。わざわざ自分から争い事に首を突っ込むなんて、鬼みたいな事をする趣味は彼女にはなかった。
人間が来ないなら、それに越した事はないのだ。例え人間が来たとしても、彼女はそれを追い払わなければならないのだから。
別に人間が嫌いという訳ではない。しかし、好きという訳でもない。あくまでも業務として追い払う、それだけだ。
だが、ここまで退屈だと人間が話し相手でも良いんじゃないだろうか? とすら彼女は思えてきていた。
だって山に入れる訳でもないし。あくまで麓に留めて、話し相手になってもらうだけなら何ら問題なんてないだろう。
「って、ダメダメ。何を考えてるのよ、私」
ブンブンと、白狼天狗の特徴である獣耳の生えた頭を振って、それを振り払う。
幾ら退屈が過ぎるからとはいえ、人間を話し相手にするのはやはりダメらしい。こればっかりは天狗として仕方のない事だった。
「はぁ……取り敢えず、次の場所を見ないと」
思考を切り替えて、その眼に意識を向ける。
彼女が持つ『千里先まで見通す程度の能力』を以てすれば、その場から動かずとも周囲を文字通り
千里……具体的な距離に言い換えるのであれば、約39万3000キロメートルである。
妖怪の山程度であれば容易く見渡せるその能力は、しかし意識して使用しなければ、あまりにも多過ぎる情報量によって疲弊してしまう。
妖怪とは言え、肉体の構造は殆ど人間のそれと何ら変わりないのだ。脳がパンクするとまではいかなくとも、それだけの距離の光景を一気に認識するのは、妖怪であろうと疲れてしまう。
一部を意識して、その部分だけを見通す。獣道に木々に雑草、ついでに同僚。何ら異常など無い――――――そう判断しようとした時。
「え…?」
つい意識が途切れて、能力が解除され景色が目の前のものへと戻った。
「人間の子供…?」
呟いて、有り得ないと断じる。
青い着流しを身に纏った少年が、小屋の前で鍛錬をしていた。それは何らおかしな事ではない。
おかしいのはそもそもの前提の話――――――この妖怪の山に人間が居る事、そして今日に至るまでそれに気付けなかったという事だ。
妖怪として生まれ落ちた時から、この山で天狗として生きてきた。この能力を使いこなせる様になったのだって、ずっと昔からだ。
天狗達の間で人間が妖怪の山で暮らしているなんて情報は聞いた事も無いし、そもそもあんな小屋も人間も今日初めて目にしたのだ。
「いや、そんな事は今はどうでもいいか。見た感じ、半妖半人って訳でもないし……接触しないとよね」
剣と盾を構えて、森の中を疾走する。
子供であるかと言って、容赦する理由はなかった。そもそも、この妖怪の山に侵入しているというそれだけで排除の対象だ。
天狗としては下の部類に値する白狼天狗。だが、それでも天狗は天狗。風を手繰り寄せ、それに乗って駆けるなぞお手の物。
まさしく疾風。これでも天狗達の中では速い方ではないというのだから、何とも恐ろしいものだ。
木々をすり抜ける様に駆け巡り、あらゆる障害を乗り越えて数分足らずで目的地まで辿り着く。
「――――――こんにちは」
パキッ、と。
割れた薪を集め、斧を木台に突き刺して椛の方へと向き直り、目を剥いた。
「人型の犬に会ったのは初めてだ」
「―――狼なんですけど!?」
こんな感じで、妖怪の山育ちの人間を彼女は見付けたのだ。