瀞霊廷 中央区 官庁街
自身の配備先を聞いた九番隊新隊長──東仙要の脳裏に過ったのは、今は亡き金蘭の友──歌匡の姿であった。芳しい追憶に浸りつつも任務地へと急ぐ東仙の瞬歩が緩むことはなく、後に続く隊士たちは東仙の心境を知ってか知らずか沈黙を保ったままその背中を追っている。
六車拳西を始めとする護廷十三隊隊長格の面々が藍染惣右介の策謀に呑まれて虚の因子をその身に宿し、浦原喜助らと共に行方を晦ませた事件から数えること数日。隊長格の失踪に加え、副官に次ぐ席次であった笠城平蔵や衛島忍、藤堂為左衛門の三名がこの事件によって殉職して上位席官の座が大きく空いたことで、上位席官唯一の生き残りである東仙がそのまま繰り上がる形で隊長の座へ就く運びとなった。
従来であれば選任候補として名前が挙がることすらない第五席を召喚しての異例の隊長任命は、他の誰でもない護廷十三隊総隊長──山本元柳斎重國その人の独断によって敢行されたものであった。前例の無い采配ではあったものの、先の結果を告げる臨時の隊首会に参加した者の大半が、その主たる目的が〈魂魄消失事件〉を皮切りに連続する未曾有の事態の可及的速やかな解決と護廷十三隊の中で現状最も不安定な状態にある九番隊の維持であると直ぐ様理解したため、会は比較的穏やかな雰囲気のまま閉じることとなった。
山本が提出した隊長選任案に対し、尸魂界の最高司法機関である〈中央四十六室〉は当初難色を示していたが、『東仙に与えられる隊長の肩書きは脱獄囚による暴動鎮圧を期限とした暫時的なものであり、資格の妥当性については後日正式に隊首試験を開き、能力や人格を含む各項目を検分した上で、不相応だと判断すれば職位は剥奪する』という山本の言論に込められた『あくまでも従来の規則に背くつもりは無い』といった旨の主張を蔑ろにすることは出来ず、そうして半ば言いくるめられるような形で賢者たちが首を縦に振り、山本の選任案は実現を果たしたのであった。
〈第五席〉の隊長就任。総隊長の意図を見抜いて黙認した隊長格らとは異なり、下位席官を中心とした隊士たちの中には、その言葉尻だけを聞いて「分不相応な辞令だ」と揶揄する者も多く見受けられた。
瀞霊廷に災いを齎す排すべき旅禍として刃を向けられた黒崎一護が度重なる戦いの中で信頼を勝ち取り、重霊地である空座町の死神代行として正式に任命された未来とは異なり、この当時は各隊の繋がりが薄く、他隊の隊士の実力についての情報が非常に乏しかった。そうした事情から知る者こそ多くはなかったが、東仙が属する〈九番隊特攻部隊〉のここ数ヵ月の虚討伐任務における討伐数は、隊長である六車を除けば東仙が群を抜いており、その記録は副隊長の久南白をも超える程であった。
席次の見直しを計りたい、という旨の申し出を六車から事前に受けていたこともあり、全てを知る山本からすれば満を持しての今回の任命でもあったのだが、一夜にして隊の主力を喪った九番隊隊士たちの心労は山本の想像以上に重く、安定さを欠いた彼らの魂にその意図が十分に伝わることはなかった。
〈変化〉は新たな風を齎す。裏表を持たない不定形な風に例えられるように、それは良い面だけを運んでくるとは限らず、もう片方の面によって既存の枠組みが大いに搔き乱され、無惨に瓦解する可能性も大いに孕んでいる。猜疑心に苛まれる九番隊の隊士たちも決して東仙のことを軽んじているわけではなく、寧ろ討伐任務での東仙の活躍は当事者である彼らが一番よく識っていた。その一方で、五位の者が隊長にならざるを得ない九番隊を取り巻く現状に対しての絶望感の方が遥かに大きかったことが不利に働き、九番隊の隊士たちを慮る山本の配慮に反し、隊士たちの士気は失意の底に沈む結果となったのである。葬列と見紛う程の先の沈黙も戦いに向けた覚悟によるものではなく、混乱や悲壮感といった行き場の無いそれらの感情を噛み潰した動作が見せた妙であった。
そんな中、東仙同様に席次が繰り上がって新たに副隊長となった元第七席──榑林哲二が足音だけが弾む静寂を破る。
「隊列が伸び始めたな」
「嗚呼、私にも聴こえている」
独り言ともとれる榑林の呼び掛けに対し、東仙は顔だけを僅かに右後方に向けて後に続く隊士たちの足音と荒れた吐息を拾う。光を失った瞳が機能しているかのような物言いに榑林は思わず東仙の顔に目を遣ったが、面頬や額当て、眼鏡型の採光器によって顔の全体が覆われていたためにその顔色を拝むことは叶わなかった。
「私の顔に何か付いているか?」
「……東仙、おまえ……。いや、何でもない──……」
『指示を頼む』言い澱んだ榑林の真意に気付くこともなく、隊士たちへ指示を出すために東仙が足を止める。配備地へ向かう途中で部隊を分ける、という東仙の頭の中に元々あった計画の散開地点までは二里余りを残していたが、想定よりも大幅に隊列が縦に伸びつつある現状を鑑みるに計画の前倒しをせざるを得なかった。
淡々とした口調で隊士たちに細かな配備位置と作戦内容を告げる東仙の傍らで榑林は恐怖に震えていた。声を掛けた先の一瞬。東仙の顔を覆う白を基調とした三つの防具が虚の仮面そのものに変化した気がしてならなかったのである。刹那に垣間見た悪夢はそれだけに留まらず、死神の証足る死魄装も体毛のように毛羽立って全身を覆い尽くし、総隊長から授けられた真新しい隊長羽織ごとその身を真黒に染め上げていた。肩から巨大な二本の角を生やし、二対の翅と腕を持った異質な〈怪物〉は本能に直接語りかけてくるようなおぞましい霊圧を放っており、黒い肉体と純白の仮面から成るモノクロの身体の中で唯一、榑林を見据える深緑の瞳だけが眩しいほどの色彩を放っていた。
額から滲み出る脂汗を拭いつつ、恐怖心から本能的に伏せた視線を今一度東仙へと向ける。その恐怖が杞憂だと嘲笑うが如く、目の前にはいつもと変わらぬ穏和な気配を宿した東仙要が居た。疑念の目を向けられた東仙自身も榑林の霊圧の揺らぎには気付いていたが、予てよりの計画を榑林程度の下位席官如きに気取られる筈はないと思い看做し、それに対して敢えて自ら言及することはしなかった。
内に秘めたどす黒い正義を包み隠すかのように純白の隊長羽織が風に靡く。羽織の主である東仙から指示を受けた隊士たちは、上位席官を長とした五つの分隊へと分かれると、隊長である東仙を残して官庁街と貴族街の要地へ向けて散開していった。
分隊が飛び去った瞬間から一拍遅れて東仙の元を離れた榑林は焼けるような胸騒ぎを感じていた。榑林の瞳が数秒前の光景を繰り返し反芻する。死魄装を纏った隊士たちが四方に散っていく何の変哲もない筈の光景。しかし、東仙を覆うようにして現れた仄暗い未来を刹那に垣間見た榑林の瞳には、その光景が東仙から溢れ出たどす黒い〈正義〉が世界へ向けて放たれたように見えた。
「(東仙……お前を信じていいんだよな……?)」
友を想う榑林の無音の祈りが、闇の奔流に呑まれて潰えるのに然程時間はかからなかった。