Hells Are Bloom   作:甘草粥

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其の四

 

 息も絶え絶えに屋敷の壁際で膝を着くシスイを守るように、先の攻撃によって(はね)のひとつを失った無骨な肩翼の蝶が東仙の前に立ち塞がる。

 額から流れ落ちた血が混ざって濁った瞳を爛々と輝かせながらシスイが歪な高笑いをあげる。

「…視える…。視えるぞ東仙要…………。葛藤に苛まれる貴様の姿がよく視える……‼」

 欠け落ちた翅の空白を隔てて互いの視線が交錯する。立ち上がるための支えとしている〈綾蝶〉からは大量の鱗粉が流れ落ち、瞬く間に周囲の色彩を奪いながら広がっていく。

「──ひとつ教えてやろう。『正義』とは単なる言葉ではなく、万物に宿る(・・)可能性を秘めた姿無き『武器』だ。反論の余地すら与えず己の言葉を是とする『刃』であり、力無き者を高みから射貫く『槍』だ。悪を討ち(たお)すことで漸く得られるもの──……」

 『それこそが正義(・・)正体(・・)だ』屋敷中に蔓延した鱗粉のように、その言葉は悲哀に満ちていた。その言葉を合図として屋敷が大きく歪んで繭のように球形に圧し固まり、破裂した繭の中から先ほどの数倍の大きさを誇る蝶を象った瓦礫の怪物が姿を見せる。限界まで広げられた翅が雲ひとつない空を覆い隠し、青い鱗粉()が煌めく幻想(まやかし)の夜空を作り出す。

 明るく美しい夜空が産み落とした日の陰りを肌で感じながら、東仙は祈るかのように刀の鍔に手を合わせ、抑えていた霊圧を解き放った。

 

卍解────」

        「────『清虫終式・閻魔蟋蟀』

 

 鍔飾りの輪が高速回転して発せられた耳を劈くような音さえも無明の闇に呑まれて感覚の外へ消えていく。シスイの魂魄を啜って更なる力を得た蝶の怪物を容易く凌駕する程の巨大な円蓋(えんがい)が旧丙暖壬邸を包み込み、シスイが投獄されていた〈地獄〉が地上で再び目を覚ます。

 丙暖壬シスイという男は〈雲〉になったのだと東仙は思った。人の形を捨て、存在さえも不確かな身体となり、光を(とざ)すことを生き甲斐として命を繋ぐ。そんな復讐に囚われた者の成れの果てが、夜の底よりも深く冷たい暗闇の中心に茫然と立ち尽くしていた。

「『視えている』……と言っていたが、それは些か(おご)りが過ぎるな」

 狼狽しながら手当たり次第に周囲を攻撃するシスイと東仙の距離が縮まっていく。光も音もない無明の世界に封じられた東仙の足音が暗闇を伝い、鼓動へと変化してシスイの心臓を打ち鳴らす。

「己すらも見失った(めし)いたその眼に映るものは最早何も無い」

 同じ過去を辿ったからこそ、言葉ではその()を決して止められないことを東仙は()っていた。振り返ることすら許されない一方通行の音と攻撃が東仙の傍らを通りすぎて行く。

「君は始めから何も視えて(・・・)などいない。安寧で満たされた輝かしい過去も……倦んだ世界を変えたいと願う(叫ぶ)今も……」

 『こうして私に命を刈り取られる未来さえも』シスイの左心房で鈴の()が鳴り、〈閻魔蟋蟀〉が作り出した円蓋が勢いよく弾け飛ぶ。満点の鱗粉()が浮かぶ空の下、あえかに振り散る胡蝶の羽音が夢の終わりを告げていた。

 




・始解:綾蝶(あやはびら)
 朱御稜家の初代当主──九皐(きゅうこう)が元となる浅打を偶然入手し、解放させた斬魄刀。解号は『(こしら)えろ』。
 〈綾蝶〉が持つ〈幸福を(もたら)す能力〉によって呉服店を興すことができた九皐だったが、〈使用する度に魂魄を削る〉というもうひとつの力を認知していなかったため、〈無条件に幸福を齎す宝剣〉だと誤認したまま家宝として次代へ継承させてしまい、何代にも渡ってそれが続いたことでそれに応えるように〈綾蝶〉自身も〈朱御稜家〉に生まれた者全員の魂の精髄を漏れなく写し取り、そうして混在させて作り上げた能力を血筋を受け継ぐ者たちへ与える特異な斬魄刀へと変化することとなった。
 当主の座を継いだ者を刀の主と認め、対話と同調を受け入れると同時に、持ち主である当主だけに留まらず、当家の血を引く者すべての魂の精髄を本人の意思に関係なく写し取る性質を持つ。
 前当主から写し取った魂の精髄を次期当主の始解として顕現させる特殊な斬魄刀のため、当主交代によって斬魄刀の所有権が移った時点で次の所有者に始解が顕現する。
(上記の特性により、当主となるより先に浅打を所有していたとしても、魂の精髄は既に綾蝶に写し取られているため、その浅打が変質することはない)
 能力解放と共に青緑色の鱗粉が刀身に浮かび上がり、鱗粉を付着させた人やものを自由に動かすことが可能となる。(所謂〈浮遊状態〉にさせてその動向を操るだけの能力であるため、〈刀を振るわせる〉などの細かい動きを強要することはできない。また、鱗粉の付着量によって多少前後するが最大でも100キログラム程度までしか浮かせることができず、それに加えて対象の数が多いほど能力の性能は低下する)
 鱗粉自体に毒や殺傷性といった効果は無いものの、皮膚や衣服に深く食い込んで容易には剥がせない形状をしているため、炎やそれに類似する力で焼き払わない限り浮遊状態は解除されない。
 〈月牙天衝〉のように刀を振り抜き、刀身に纏った鱗粉を遠くへ飛ばすことで、欠点である刀本体の間合いを〈能力〉の間合いで補いながら戦うことが可能。

卍解:綾羅蝶(あやうすはびら)九嘉小裁(ここのかこだち)
 能力解放と共に太刀筋が刃の性質を持った〈刃衣(はごろも)〉と呼ばれる織物へと変化する。刃衣は九つまで具現化することができ、具現化された数が多いほど刃衣の靭性は高くなり、それと引き換えに裂傷性が低下する。
(靭性と裂傷性は反比例の関係にあり、一枚のみ具現化させた場合は優れた裂傷性と脆さを兼ね備えた刃衣となる)
刃衣はそのまま放って攻撃する他に、幾重にも折り重ねて防御に使用したり、相手を包み込んで拘束するといった攻防に長けた使い方をすることが可能。
※正式な継承者ではないシスイを含め、朱御稜家の歴代当主の中に卍解を修得した者はいない。

無碍艶翅(むげのつやばね)
元々の刀身の先に翅脈のような紋様の刃が伸び、計七尺余り(約216センチメートル)の大太刀へと変化した姿。単に卍解の能力が強化されただけでなく、作り出した〈羽衣〉を蝶結にして蝶の化身を作り出すことで、始解時の『物体を浮遊させる鱗粉』も扱うことが可能となる。
 魂魄を削ることで具現化数に伴う短所や浮遊対象の数や重さにおける制限を消すことができ、味方を安全圏に避難させると同時に、破道の五十七──大地転踊のように、崩れた外壁や土塊を操り、宙に浮かせて身動きを奪った敵を攻撃するといった芸当も可能。


・清虫七式:蠱独奏(こどくそう)
 具現化した輪環状の音波で相手を囲って全方向から押し潰す技。
 〈孤独相〉……普段よく見かける低密度下で育った緑色を基調としたバッタのこと。『蝗害(こうがい)』など大発生時の高密度下で育ったものは茶色と黒を基調とした個体に育ち、〈群生相〉と呼ばれる。


・清虫零式:霄壤剣(しょうじょうけん)
 抜刀術の要領で音波で刀を加速させて放つ突き技。
精霊蝗虫(ショウリョウバッタ)〉……オスメスの性差が非常に大きく、別の名前が付く程に違って見える特徴を持つ。「天と地ほども違う」という意味の「霄壤」から、霄壤(ショウジョウ)蝗虫(バッタ)と呼ばれることもある。
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