牙狼 -陰陽泥-   作:オアシス・ダンナー

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第壱話 荒廃 -kouhai- ①

 どこが人生の躓きだったのか。一人でいる時間が多ければ多いほどその振り返りが頭をよぎる。

 夢を追い安定した企業に就職する事を怠ったからか、はたまた身の丈に合わない夢を抱いてしまった事か。

 辿り辿っていくと生まれてしまったのがそもそもの間違いなのではないかとさえ思ってしまう。

 一切の才能が無ければ諦めも付いただろう。

 悲惨なのは多少のそれに縋り人生と心血を全て注いでしまう自身の見通しの甘さである。

 馬鹿な人間は安易に希望を作り出してしまうから救いようもない。肝心なのはその先であり、一縷の希望の奥底は光りたり得ない。

 何事も身を持って痛感しなければ本当の意味では理解できないという事か。

 

「……おい! 会計まだかよ!」

 

 考え込んでいるとそんな怒声が響き渡った。

 

「あ、申し訳ありません。今参ります」

 

 そう言ってレジの奥から出てカウンターの前に立つと男が立っていた。

 

「客が来てんだからさっさと来いよ!」

 

「はい。申し訳ございません」

 

 普通に呼べば良いものを。一々切れ散らかして疲れないのだろうか。

 さっさとご要望の物を差し出して会計を済ませると、目の前の男は舌打ちしながらそそくさと店を後にする。

 サングラスをしていて分かり難いが肌の老化具合から歳は40程。服装は上下黒のスウェットに靴はサンダル。

 年寄りになる程時間を待てないと、とある書物で皮肉的に書かれているのを見たことがあるがそれはあながち間違いではないのだろうな。

 そう思うと鼻で笑った。

 

 深夜帯はやはりこういった変な客が多い。

 この前はパンツ一丁で来店して物を買って行った露出狂もいて、特に被害はなかったので面倒から警察は呼ばなかった。

 オーナーと話したことがあるがどうもこの地域はそういった変人が集まるキライがあるらしい。その時は疲れた人間が多いのだろうと結論付いたが、本音を言えばそんな各々の事情はが関係ない。

 暫くしない内にまた自動扉が開き、軽快な音声が客を迎える。

 

「いらっしゃいませー……へ?」

 

 素っ頓狂に声をしゃくりあげてしまった。慌てて小さく咳払いをする。

 理由はと言うと、この時間に笠を被る僧侶の身なりをした者と、ラフに短パン半袖の服装をした気の良さそうな兄ちゃんが並んで現れたからである。

 またこんなのか。いや、普通に買い物してもらう分には構わないのだが……。

 流石に立て続けだと辟易する。

 ラフな法の兄ちゃんがカゴを取るとそのまま何食わぬ顔で商品を見定め始めた。

 

 互いに何か話しているようだが、どうも声というよりも音と自分が認識してしまっているのか内容は理解できない。

 狭い店内なのだがどうしてだろうと、そう疑問符が浮かんだが唐突にフッと肩の力が抜ける感覚を覚える。

 彼等はどういった関係なのか気にはなるが所詮他人事だ。別に事情を知ったところで『そうなのか』で結局完結するだろう。

 そんな事より仕事に戻るか。雇われてる義務を果たさないといけないし。

 そんな気持ちが急に湧き出してきた。

 

 少しして彼等の会計も済ませるとそれから訪れる客の気配はぱったりと止んだ。

 客対応だけが自分の仕事ではないのでその他の雑事を熟しながら時間は過ぎていく。これももはや慣れた一日の流れである。

 その内に日がいつの間にか明けてきて、ぼちぼちと肉体労働者の方々が仕事前の買い物に姿を見せ始めた。

 そしてまた一つ扉は開く。

 

「いらっしゃ……あ、店長。おはようございます」

 

「おはよう仁君。今日どうだった?」

 

「いや、はは。いつも通りですよ」

 

 他愛のない会話をしつつ時計を横目で見ると、もうそろそろ退勤を示す頃合いである。

 二、三言葉を交わすと程なくしてバックヤードに姿を消した店長は数分もしない内に仕事着に着替え終わり、恰幅の良い体を揺らしながら隣に並ぶ。

 

「それじゃもう時間だから上がっちゃっていいよ」

 

「一人ですけど大丈夫ですか?」

 

「あぁ、大丈夫大丈夫。女房が少ししたら来るから」

 

 そう言って叩くような高い笑いを浮かべて、仁はそれに愛想を返した。

 

「わかりました。それでは先に上がらせて頂きます」

 

「はい、お疲れさまでした。今日の夜もよろしく頼むよ」

 

 別れを告げると店内を後にし、バックヤード内の更衣室に足を踏み入れ、その中は物で溢れ返る狭いスペースであるが慣れたものでうまく躱しながらロッカーの前に立つ。

 それを開くと直様にケイタイを取り出し、連絡の通知が来ていないか確認する。

 

「……今日は来てないか」

 

 あるのはスパムと呼ばれる詐欺等々で使われる悪戯メールだけ。

 まぁそんなものだろうなとそれにも慣れてしまって流れのようにケイタイを戻し、淡々と服を着替えて少ない荷物を抱える。

 期待をするから落胆が生まれる。只々ひたすらに平坦な気持ちでいればいいのだ。

 物思いに耽りながら更衣室を出ると、目の前に見知った女性が立っていた。

 店長の奥さんだ。

 

「あ、おはようございます」

 

「おはよう。ちょっと朝バタバタしちゃって来るの遅れちゃったわ。ごめんね」

 

「いえいえ大丈夫です。それではお先に……」

 

「あ、待って待って」

 

 そう呼び止められると手に持っていた袋を目の前に。ビニールが張るほどに詰められて膨らんだそれは中身を透過していないので何かわからない。

 訝しみながら受け取った。

 

「これ実家から送られてきたジャガイモ。いっぱいあって食べ切れないから上げるわ」

 

 軽い口調でそう言った店長の奥さん。

 なるほど。よくよく見ればビニールに突っ張った形が楕円を描いている。

 

「態々すいません。有り難く頂きますね」

 

「良いの良いの。それじゃお疲れ様ね」

 

「はい。お疲れさまです」

 

 従業員室内から販売スペースに戻り、少しだけ増えた客の横をすり抜けながら店長へと声を掛け職場から外に出る。

 途端に白い光に眩しさを感じて思わず瞼が萎む。

 掌を陰にしながら様子を見ると雲一つのない快晴であり、既に高い気温からこれからもっと温度は上がっていくであろうと分かった。

 肌を差す熱に鬱陶しさを覚えつつ足取りは体が覚えた帰路に自然と進むのだった。

 

 

 

 鉄錆色の塗装剥げは直さないのだろうかと常々考える。

 築30年のアパートともなるとそういった細かな所から綻びが生まれてくるのだろうが、修繕費諸々も安く済む訳ではないのか越してきた当時からそのままである。

 その剥がれた塗装の欠片が溜まる階段を登り、擦れる音が耳に障るなと気になっている最中に一つ大きく響いた衝撃音に肩が上がった。

 一体何だ?とその元となるであろう一階側に、手すりから頭を覗かせるとヨレたスーツの二人組が下の住人の扉の前に立っていた。

 

「安斉さーん! 支払いの期日過ぎてますよー!」

 

 そう言って更に力強く、さもわざとらしく扉を叩く。

 借金の取り立てか。五月蝿いなこんな朝っぱらからとケイタイを取り出し時刻を確認すると9時57分。選挙カーでさえもう少し遅いと思うが……いや、それは活動者にもよるか。

 でも酷く仕事熱心なものだと仁は半ば感心をする。

 

「おう手前ダンマリ決め込んでそのまま逃げられると思ってんじゃねーだろうな。毎日だって来てやるぞこっちはよ」

 

 スキンヘッドの如何にもな風貌の男がそう続ける。

 物々しい雰囲気に巻き込まれないと言い切れないので、変に矛先がこちらに向く前にさっさと部屋に入ってしまおう。

 急ぎ気味に201号室、202号室と通り過ぎて203号室の前に立つ。

 鍵を開けると最後に「おせーんだよこのタコ!」と続く怒声が聞こえた気がしないでもあった。

 

「ただいま」

 

 誰もいないので意味はないがつい言葉が出てしまう。

 安アパートにしては無駄に防音性が高く部屋の中は静かであり、然う然う隣の生活音が漏れることがない。

 勿論壁を叩いたり常識外れであるが激しい運動を部屋で行ったりすればその限りではないが。

 貰った物を片手に居間まで向かうと何時に使ったのか知れないアクリル絵の具の一本に足を取られる。

 突如襲う痺れるような痛みに悶絶し、足の裏に張り付いたその絵の具を剥がすとラベルは白色と書かれていた。

 昨日無くしてしまった物だ。面倒だからとそのままにしてすっかり忘れていた。

 だらしないなと自省しつつ、違和の残る片足を庇いながら画材を一纏めにした用具入れに戻し、手荷物を机の上に乱雑に置くと質素なパイプ椅子に腰を掛ける。

 

「はぁ……」

 

 背もたれに体を預けながら飯を食うか風呂に入るかもしくは……と悩む。

 そうこう考えているとついついケイタイに手が伸びて、ニュースやらSNSやらを開いて見てしまう。少しだけ少しだけと言い聞かせるも、ある程度意思を強く持たなければそれも無駄になる。 

 見た目は平たく薄い物なのにどうして依存してしまうのか。たまに振り返るととても不思議に思う。

 10分程目的も無く弄っていると一つ通知が届いた。

 内容に目を通すと贔屓にしている絵描きの新作が投稿されたことを示す物であり、思わず心が跳ね上がるのを感じていた。

 

 その人は水彩画がメインで主にウォッシュと呼ばれる技法を多用している。

 多用というよりかはむしろそれしか使っていないと言ったほうがいいか。黒色の色材のみで絵を仕上げる人である。

 彼か彼女か知らないが、主に異形の怪物とも呼ぶべき未知の想像上である生物をその人はキャンパスに宿らせる。

 初めてその人の絵を目の当たりにしたときの衝撃は今でも忘れられない。

 二手二足の人間に則した上で人外を示す二本の角、全身には人であれば肉の部分とも言える部位が大小様々な骨に置き換わっているようで、まるでボディービルダーの様に隆起した筋肉を表して所狭しに厚く張っている。

 全体としては腕が項垂れた棒立ちとして描かれていて、白濁とした尖った眼光はこちらを覗くようにせんと真正面を向いていた。

 題名は“ワレワレ”。これを見てしまった当時から憧れを抱いて同じような物を描きそれを仕事にしたいと思ってしまった。

 

 この人物は同じ絵を描き続けている。それこそ学生時代から現在に至る6年ほどの日々で永遠と。

 もしかしたらSNS上で上げているのがこの絵だけという可能性もあるが、大方その通りだろう。

 新作が上がる度に頬は緩み、その日が始まりであれば軽快に。終わりであれば綺麗に締めくくれる。

 だが同時に思い出し目線は沈むのだ。彼彼女は自分ではなく、それを羨む影響されたファンでしかないのだと。

 無理矢理顔を持ち上げた先に映るのは自身の無知、怠慢、浅薄さが色濃く混ざりあったコンプレックスの坩堝である。

 酷くどうしようもないと思う。

 

 仁の瞳は呆然と部屋の壁の方へ向けられていた。

 居間の一区画を抜いて作った描く為のスペースであり、借り部屋を汚さないための半透明のビニールの仕切りから薄く、木製のイーゼルスタンドと掛けられているキャンパスが切間からチラつかせていた。

 描かなくては。

 ケイタイを静かに置いてその隔絶された空間へと足を進めた。

 マイナスの感情。希望にしか目を向けられなくて努力を重ねた時代とは違って、もはやその原動力でしか筆に手を伸ばすことはできない。

 創作意欲の全てはこの人に依存していると言っても過言ではない。幸いなのは一定のペースでその人が絵snsに上げてくれる事。

 この悪夢のようなルーティーンが最後の一線。これが無ければ完全に駄目になってしまう。

 ……いや、絵描きを目指す者としてはもうとっくに終わっているか。

 ビニールの仕切りに手を掛けると一瞬動きが止まってしまうがそれを払い除け、目を逸らしたくなる激情に耐えると仁は小地獄へと今一度向き合った。

 簡素な椅子に腰を押し付け、目前の中途半端に描き付けられた線画は正に自分自身をそのまま表現した物だと自嘲する。

 

 仕切りを閉じると唐突に擬音のように濁った音が宙に響く。

 

 「スムチニ……ザササ……」

 

 全身が怖気立つ程のその声色は小さく、か細く消え入りそうであったが仁の耳に入ることなく霧散する。

 しかし例え聞こえていたとしても、自身の因果に向き合う仁にとっては部屋の軋みの如く意に返すものではない。

 恐怖心を心根から沸騰させるソレを聞かずに済んだことは寧ろ僥倖なのかもしれないが。

 

 


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