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「……よし、これで終了って所かな」
雑木林に埋もれて木漏れ日程の光しか差さない薄暗い社の前で屈む志崎研は、手に収まる大きさの日本人形を模したオブジェを前にしてそう呟く。
日中の活動において魔戒騎士はオブジェと称される陰我溜まりの浄化に精を出していて、志崎もまたその例に漏れず、自分の管轄する一帯の見回りを行っていた。
ゲートと化す可能性のあったその人形は、虫食いや雨による腐食を受けて酷い有様であるが元は綺麗であったであろう事が伺える。
まじまじと見つめる志崎の瞳の瞬きの瞬間に微かな憐憫の情が浮かんでいる様に思えた。
物思いに耽る間は数秒。ゆっくりと立ち上がると早々に枯れ葉のマットを踏みしめつつ雑木林を抜け出るように歩を進める。
出口とも言えない獣道に近い道を出ると一際強い橙色の光が視界を包んだ。志崎はまるで影響がないと言った素振りを見せていたが、アスファルトを踏みつけ少々の心地の良い冷風が吹くと腰横に両手を当て思いっきり背筋を伸ばした。
一仕事終えたのもあってか妙に清々しい気分を感じていた。
「後は夜になってからどうなるかだ。日留女様への進捗を報告できるようになりたいものだが……。な? 君もそう思うだろう?」
手の中の物に気安く語りかけるが勿論の事返事はない。
恥ずかしくなり志崎は空いた手で後頭を擦る。
頬を軽く叩き、帰るかと一つそう思い、自分の小芝居で感じた小っ恥ずかしさを隠す様に足を前に出させた。
時折聞こえるカラスの夕鳴きは、幼子だった自身の幼少期を思い出させる。
初めて親父にオブジェの浄化作業を習った時も確かこんな鳴き声だったな。
志崎は視線を軽く地面に移すと口元を小さく上げた。
雑木林を出た周りは民家が密集しており、コンクリートで舗装された坂の道路を志崎は懐かしさのまま下っていくと国道に繋がっているようで大道路に合流する。
自然の中で腐敗した人形を携える一般成人男性と形容すると酷く人目につきそうではあるが、魔戒騎士の羽織る魔法衣がそれを偽装する。便利である。
志崎は悠々と人通りも車通りも多いその道を超え、少し外れた辺りは農地に包まれ再度人の往来は少なくなった。
むせ返るような肥料の臭いが鼻についたが、慣れたもので目尻の一つも動かしはしない。
えづく代わりに一つ昔の事を思い出していた。
父と昔この道を通った時、何故か作業中のトラクターに目を惹かれて立ち止まった事がある。
トラクター一つを指すというよりは農作業の景色とでもいうのだろうか、眺めているだけで何故か心が落ち着いた。
そんな様子に父は「俺たちが護らなきゃいけないものだ」と微笑みながら話しかけてきて、その当時は意味が分からなかった。
でも騎士として成長した今ならそう諭した理由が分かる。
何気ない日常を護る事。それが自分達の使命なのだと伝えたかったのだ。
志崎は当時と変わらないであろうその光景に目もくれず、心に残る物を確かに感じながら先を進んで行った。
また歩くと林を分断するように引かれた道路の入口へ着き、その真ん前で立ち塞がる形で仁王に立つ。
太刀を模した二尺六寸の魔戒剣の鞘を少し抜き、鍔と打ち鳴らす様に強く下ろすと辺りにつんざく金属音が木霊する。
すると数秒の後、林が吹き荒ぶ暴風を浴びたかの様に木々をなびかせた。
志崎は今日は木々の調子が良いなと感じる。
その反応を皮切りに先を進むと途中でアスファルトは途切れ、木々に近いほどの高さを持つ門構えが目の前に現れる。
志崎は毎度であるがその様相に近寄り難い威圧感を醸し出していると感じていた。
広がり囲む塀もその印象に一役買っており、何者も寄せ付けぬ堅牢さを携えていると理解できる物だ。
門の前に立つと軋み上げながら開いていくと年老いて背の曲がった女給の1人が奥に立っていた。
志崎の姿が目に入ったのか頭を軽く下げる。
「お帰りなさいませ若旦那」
無機質な印象の元で慣れた様にそう言った女給は、面を上げて志崎の顔を見据えた。
志崎は軽く口角を上げる。
「ただいま戻りました。今日の爺様の様子はどうでした?」
志崎のその言葉に女給は首を振り「お変わりはございません」とそう一言返した。
まぁ歳も歳だから難しいのかもなと志崎は思いつつ一つ会釈をし、自宅へと向かって行った。
横開きの玄関扉を開けて無駄に広い土間が迎えると志崎の緊張の糸が少しだけほぐれる。
すぐさまそんな事ではいけないと糸を張り直すが、やはりまだ修行不足なのだろうなと自嘲する。
すると先まで続いた廊下の奥から引きずる様な足音が耳に入る。
「おかえりなさい」
そう言って現れたのは紫の帯を巻く紺色の和装に身を包んだ白髪の老女。志崎の祖母である。
温和に浮かべていたその笑みはまるで柔らかな日差しの様であり、否が応でも安心感を覚えてしまうそんな力があった。
「お祖母様。ただいま戻りました。こちらは特段問題なく終わりました」
志崎はそう言葉を返す。
「無事で何よりです。ご飯が出来ていますから先にお上がんなさい」
「いえ、先にお祖父様に会いに行きます」
そう言うと祖母は明らかに顔を曇らせる。
「……別に毎日顔を合わせなくとも良いのですよ。ほら、研も疲れてるでしょう?」
「大丈夫ですよ。行ってきますね。……あ、そうだ。よかったらこのお人形預かってもらえませんか? 浄化は済んだのですがどうにも居た堪れず持ち帰ってしまいました。出来れば自分で綺麗にしてあげたいのですがやり方も分かりませんし時間も取れるか知れないので……」
志崎は手元の汚れ切った人形を祖母に手渡した。
すると途端にくぐもった瞳に輝きが差す。
「あらあら、随分汚れちゃってるけど可愛いお人形さんね。任せて」
「助かります」
「何処から手を付けましょうか」等と嬉しさに溢れた独り言を放つ祖母を後にして研は廊下の先を進み突き当たると右へ続いており更に行く。
床板が所々で軋む音の中で研は一つの思いに巡らせていた。
祖父の容態が少しでも快方に向かうといいのだが、と。
すると物想いの中の研を現実に返すかの様に一つ、重鈍な器が割れた破砕音が耳をつんざいた。
途端に走り出し、横開きの一つの間の前に立つと勢いよくそこを開く。
「お祖父様!」
志崎の目の前の光景は酷く汚れたものであった。
棚やクローゼットをひっくり返したのか中の物が周囲に散乱。所狭しと埋め尽くす中でタンスを必死な形相で漁る老人が1人割れた食器の破片を物ともしていない。
視線はその割れた食器に移ると、その破片の模様を見て祖父自身が非常に大切にして丁寧に梱包していた物だと気づいた。
言葉にならない感情が湧き上がるが、それを抑えて室内に入る。
足下に注意を払いその小粒程の破片を一つ拾った。
そして自分の両頬を一つ叩いた。
「お祖父様ただいま帰りました。何をしてらっしゃるんですか?」
「無い、無い! 俺の魔戒剣が無いんだ!」
そう言って更に慌てふためき周囲を更に散らかすその姿は、志崎が遠い日に見た雄々しき魔戒騎士の姿とは酷く乖離していた。
昔とは似ても似つかぬその姿に本当に同じ人物なのだろうか、誰かが化けているだけでは無いのか?と思うが要所要所にその痕跡は残っている。
「魔戒剣は継承なされたじゃないですか。覚えておりませんか?」
「そんな事は知らん! 誰かに取られたのだ盗まれたのだ!」
志崎の祖父を襲っている記憶障害と妄想性障害の併発。この所特に酷くなって年々行動は過激になっていると実感があった。
もう治る事は無いのだろうなと薄ら理解しつつあるが、それでもやはり不条理は感じている。
救えた者も救えなかった者もいるが、それでも守りし者として長年ホラーと闘い続けていた。
運も多分にあったのだろうがこの歳まで生きられて、その結果がこんな当人なら絶対望まない醜態を晒す様に成り果てる。
祖父の人生は何だったのだろうかと志崎は思う。
「若旦那様……」
後を付けてきたのか女給が扉の前に立っている。
その表情はやはり物悲しげである。
「少し待ってくれ」
志崎はそう言うと腰に携えた魔戒剣を引き抜き横手に添えた。
祖父の前にそれを差し出す。
「おお、おお。俺の剣! ……お前が盗んだのか!」
乱暴にそれを奪い取ると唐突に祖父の拳が志崎の頬に飛ぶ。
志崎はまたこうなるのかと淡々な面持ちで、悠然と手の平で受け止めると続く脇を狙ったであろう蹴りに膝を上げて応対する。
そしてそのまま後方に飛んだ。
「研!!」
続く祖父の怒号にまだ自分の名前は覚えているのかと一瞬驚愕するが、その隙を突く様にまるで捨て身で飛び交って来た祖父の行動対処がワンテンポ遅れてしまった。
その結果。「へぶっ!?」と蛙が潰れたと見紛う声を発しながら、祖父の持った鞘に収まる魔戒剣の峰が頬を振り抜いていた。
鈍い痛みの中、まだまだ甘いなぁと志崎は思う。
そして半ば反射的に剣を握る祖父の手を抑え、続くであろう二の手三の手を封じる。
「……やっぱり違うんだよなぁ」
か細く独り言を漏らすと志崎は左の拳を硬く握り、祖父の鳩尾に真っ直ぐと振り抜いた。
うめき声を一言残すとそのまま立ち崩れ、志崎は祖父の脇を抱えて静かに地に下ろす。
そして手のひらから抜けた魔戒剣を再度自分の脇に。
「すいません。後片付けとお願いします」
「畏まりました」
女給は特段何か言葉を続ける事はなく、淡々と要領の良い動きで部屋の散らかった物品を片付け始める。
その気遣いに感謝しつつ、志崎は祖父を床に寝かし重い足取りのまま部屋を後にする。
正面の縁側の窓を開いて腰を下ろすとドッと不快感と疲れが志崎を襲う。
ホラー狩りに勝るとも劣らない程の労力であると感じていた。
魔戒剣を膝の上に置き呆けて庭先を眺め、志崎は祖父の力量について逡巡する。
魔戒剣を持たせてみれば或いは……と思ったがやっぱり駄目だったなぁ。
いわく過去の呆けた武将が開戦を示す法螺貝の音で正気に戻ったとの逸話があり、志崎は今回その法螺貝を魔戒剣と置き換えてみたのだ。
聞き齧った事をそのまま真似しただけであるのでそこまでの期待はしていなかったのだが、やはり落胆の色は隠せないものである。
昔のお祖父様はもっと強かった筈だ。でも……もうどれほど剣技に優れていたか到底思い出せない。
志崎は雄々しく脳裏に焼き付いていた筈の祖父の背中に思い馳せる。
自分の小手先の技で意識を刈り取られてしまう程弱くなったその姿が鮮烈であり、過去の栄光でさえ消し去ってしまう様である。
朧げに残るあのお祖父様と一度でいいから戦ってみたいが……。
志崎は大きくため息を吐くのであった。