牙狼 -陰陽泥-   作:オアシス・ダンナー

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第壱話 荒廃 -kouhai- ⑥

☆★☆

 

 

 

 黒いスーツに身を包むのは何時振りだろうか。冠婚葬祭用の喪服であるのだがその違いに見分けなんて付かない。

 何故用途に合わせ微かな違いだけの物を複数用意させるのだろうか、それも高い金を払わせて。

 これが資本主義の功罪なのかと仁は床の軋みに顔を顰めつつ廊下を進む。

 古い家屋特有の据えた臭いに混じり微かな線香の香りが鼻腔をくすぐる。

 嫌いだとも好きだとも言い難い奇妙な感覚だった。

 

「こちらのお部屋です」

 

 着古した和装の女性に案内され横開きの扉の先に入る。

 こじんまりとした一室だが部屋の半分を仏像を主とした装飾に覆われており、輝く金色は仏像をさも価値のある物だと言いたげであるが釈迦や他の仏様はこれに納得するのか甚だ疑問である。

 もう半分は横に長い木椅子が幾つか並んでいる。

 先に来ていた二名が仁に気付いた様で手前の化粧の濃い初老の女が薄く口角を上げた。

 もう一人は些事だと言わんばかりに視線を元に戻しガムでも噛んでいるのか頬が動く。

 葬式の場にそぐわない染めた金髪に、服の上下は真っ赤なスウェット。靴はサイズの合わないサンダルと来ている。

 仁の眉間は嫌悪感を隠さず皺が寄ったが、特に何かを言う訳でもなく二人とは離れた席に腰を落とした。

 

「……久しぶりね、仁」

 

 まるで何かを勘繰る様に擦り寄る気持ちの悪い声色が鼓膜を襲う。

 返す言葉は抑えの効かない重苦しいため息だ。

 そしてこう思った。やっぱり来るべきじゃなかった、と。

 思わずポケットの中の財布に手を置くのだった。

 

 あの奇妙な一日はまるで通り雨だった。翌日も、その翌日も何か危害が加えられるのではとビクビクして過ごしていたが、あの男はそれから姿を現すことは無くただ淡々とした毎日に戻った。

 あまりにも現実的に感じないので夢だったのではと思うのだが、その度にあの時渡された名刺が頭を過る。

 財布に仕舞っているそれを見るとやはり現実だったと再確認する。

 そして残る恐怖心と共に湧き立つ興味。もしかすれば……と考える甘えた心。

 仁は毎度その楽観的な考えを振り払っていた。

 

 そういう日々の中で唐突に連絡を受けた訃報。

 血を分けただけの父親が暴漢に遭い、頭を強く打って亡くなったとの知らせが入ったのだ。

 感情としても公的としても既に縁が途絶えている関係。当初は全く行く気は無かったのだが、色々と事情が違ってきてしまった。

 自分の名を使い消費者金融を巡って借金をしていた。

 その話を母親だった者からされ、頭に血が昇る心持ちで今回の場に現れたのだ。

 

 同意をしていない契約なので勿論弁済の義務は無い。

 弁護士に相談した上でのその回答に心底安心感を覚えたものだった。

 顔を合わせたら怒鳴り散らしてやろうと当初は意気込んだが、それも日が経って落ち着き今では酷く冷静である。

 部屋の中は居心地の悪い冷めた空気に包まれ、そしてその内に、仁の入った扉が再度開くと外から住職が現れた。

 袈裟を着熟し頭部を刈り上げた姿。顔の深い皺にはその年季を感じさせ、落ち着いた瞳を閉じると小さく会釈をする。

 

「この度はご冥福をお祈りします」

 

「恐れ入ります。よろしくお願い致します」

 

 遠くの初老の女は深々と頭を下げる。

 仁はその様子に反吐が出そうだと嫌悪感を隠せずにいた。

 住職は先頭の席に着き、暫くすると読経を淡々とあげ始める。

 この心を落ち着ける独特な音程と長い時間は、故人との別れに向き合う為に存在しているのだろう。

 しかし仁には物想いに耽る程の父親との記憶など無い。その代わりとしてか疼くのは体の古傷だった。

 妙にひんやりとした空気がそうさせたのか、若しくは葬式という場が今も苛まれる過去の体験を呼び起こすのか。

 仁には理由等知るべくもないが、痛みだけは確かな物としてそこにある。

 そして怒りとは違う心の底で沸々煮えたぎる宿恨が密かに顔を出していた。

 

 つつがなく葬儀を終えると場所を火葬場に移し出棺の段に入る。

 生き地獄だ、早く終わってくれ。そう思いながら激しい動悸に身を震わせていた。

 

「最後のお別れとなりますので」

 

 そう言って火葬場の職員は棺の上部を開き案内をする。

 初老の女が最初に向かい、声を上げて涙を流し始めた。

 悲劇のヒロイン振りやがって、気色の悪い。仁の感情に再度怒りの火が灯る。

 きっと女という生き物は頭で物を考えない。この男と生前散々大喧嘩して、その鬱憤の矛先を感情のまま自分に向けてきた事実を仁は忘れていない。

 夫に先立たれた可哀想な私。それが悲しくて悲しくて仕方ないのだ。

 だから過去の行い等忘れて人目も憚らず大泣き出来る。

 目の前の醜悪な行為に対して仁はそう分析した。

 

「はぁ」

 

 隣の不肖の弟が一言漏らした。

 その感情の一切を閉ざした無の瞳は、あの一人舞台に勤しむ女に伸びている。

 男はふと踵を返す。

 

「飽きたからそろそろ帰るわ。じゃあな」

 

「あの男の顔、見て行かないのか?」

 

「見てどうすんの?」

 

 呆れる様に一つ乾いた笑いを吐いて弟はそう言った。

 そして振り返る事無く場違いなその姿は遠のいて行く。

 仁はその様子にそれもそうだよなと寸分違わぬ同意見だった。

 用がなければこんな所。何一つ納得が行かないまま顔を戻すと、棺から下がる母親の姿に嫌々ながら足を向ける。

 近づく度に鮮明と映る棺桶は装飾も何もなく、しかし走る木目により芸術としての趣きが感じられた。

 こんな男の為に使って良い代物ではない。憤りを感じつつも顔の前に立ち、中に収まって居るであろう物体を見下ろした。

 

 血色を白に染め、生命として役目を終え、ただただ事切れただけの肉体。

 瞳を閉じる姿に寝ている様だと喩える言い回しがあるが、明らかにそれとは異なっている。

 中にある筈の命を感じない。抜け殻に他ならない。

 ——道端のペットボトルと変わらないな。

 擦れた感想とは真逆に沸々と燃え上がる怒りの念を確かに自覚する。

 もう死んでいるのだ。恨み辛みの行き場等ある筈がない。

 

「仁。お父さん最後だから。お別れの言葉を……うっう」

 

 自分の行動全てを美化出来る創作者はこうまで自分に酔いしれる。

 物事の何一つすら確りと記憶に留められない人間というのは、第三者の目線に立てない人間というのは、心底羨ましいと仁は思った。

 振り上げそうになっていた拳もその熱量を失うというものだ。

 馬鹿馬鹿しい。ここにいる者達も、そして振り回されている自分自身すら空虚の極み。

 もう充分だ。そう仁は踵を返す。

 何かを口にする老女の言葉は耳を入らず、弟の後を追う様にしてこの一室から抜け出すのだった。

 

 葬儀場の外に出て広い駐車場の端を進みながら自販機の前に立つ。

 何かしらの缶コーヒーに手を伸ばし重苦しく取り出し口に落ちたそれを拾う。

 蓋を開け一気に飲み干すが体を駆け巡る清涼感では仁の頭に掛かるモヤは晴れない。

 根から絶やさなければ雑草は幾らでもその顔を現すのだ。

 缶を力強くゴミ箱に放り仁は横長の椅子に腰掛け空を向いた。

 コンクリートと何かの配線。端にはトタンの雨避けが目に入る。

 

 何も為せず、何も残せず、ただ命を徒に消費した末路がアレだ。

 あの血縁者気取りの女の向かう先も、そして先に帰路に着いた弟もきっとそうなる。

 その血の呪いを受けた者の宿命なのだろう。

 仁は思わず頭を抱え胸に伏せる。

 俺だって例外じゃないんだ。こうはならないと努力しようとも目に見えない壁に阻まれ恨み節の中命が尽きる。

 それが堪らなく恐ろしい……。

 

 徐にスーツのポケットから財布を取り出すと仁は黒い名刺を一枚目の前に。

 同時に凝り固まった体の力が次第に抜けていく。

 ……今分かった。何故かこの名刺に目を向けると心が落ち着くんだ。

 怪しさに包まれていてもその感情は否定出来ない。

 

「私はいつでも待っている……か」

 

 あの男の言葉が永遠と仁の頭の中でリピートしている。

 怪しい風体は確かに危険信号を発したのだが、どうしたって魅力的な言葉に他ならない。

 選ぶか、選ばざるか。

 どちらの道を進んでも待っているのが暗闇ならば……。

 仁は生唾を飲み込み、その意思を確かに固めるのだった。

 

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