ある朝、暁山瑞希が気掛かりな夢から目覚めた時、自分の胸が
「…………は?」
改めることでもないが、それでも再度確認しよう。暁山瑞希は『男性』である。性別雄で、喉仏がはっきりと見えるし声変わりもしている。子を孕むことはできず、どう足掻いてもその体つきが男性のものであるという事実は変わらない。
普段スカートを履いていたとしても、初対面の人に性別を『女性』だと勘違いされたとしても、瑞希が『男』であるという絶対的な事実は変わらない。
暁山瑞希は男性だ。だから、あんなにも悩んでいた。
が。
「ぇ、は? な、なに……、これ……?」
屋上で告発されたあの時よりも、裏路地で告白されたあの時よりも、心無い言葉を掛けられたあの時よりも、はるかに動揺した。
だって、『暁山瑞希』という人間は
だから、あんなにも悩んでいた。
だから、あんなにも泣き叫んでいた。
だから、あんなにも──逃げていた。
その前提が覆る。それは……一人娘が妹を連れて井戸に飛び込んで焼け死んだような…………、あり得ない『こと』。
「……落ち着け」
胸部に手を当てる。確認したい。これは現実? ここは現実? それとも。
「っ」
胸に手を当てると、その感触が伝わってくる。
……瑞希は男性で、今まで女性の胸に触ったことなどほとんどないから断言はできなかったが、それでも彼はこう思った。
これは『本物』だ、と。
「…………どうして」
もちろん、もちろんだ。瑞希とて理解している。男性的な体つきから女性的な体つきになるということは、現代においては不可能なことではない。整形によって人が顔つきを変えていくように、今の世の中、手術によって性別を変えることはできないことではない。
それをしている人もいるし、それが肯定的に捉えられる土壌も育ちつつある。無論、それが金銭的、あるいは心情的にも難しい側面があることは事実ではあろうが。
「でも、ボクはそんなことはしていない」
手術を受けた記憶もなければ、そんな届けを出した覚えもない。
勝手にされたなんてことはあり得なくて、最初からそうだったなんてことは絶対にない。
「なに、…………これ………………?」
だからこそ浮かぶ疑義、疑問、疑心。
フィクションであれば
「…………冗談でしょ」
二重の意味で瑞希は呟いた。冗談、冗談? それこそ
慌てて自らの身体を
胸部の膨らみ、目立たない喉仏、筋肉量の多少、身体の柔らかさ、女性特有の下着、そして何よりも──────
その全てが表していた。今の瑞希の性別を。
「冗談でしょ⁉︎」
混沌とした混乱の中に突き落とされる。まるで突然異世界にでも転移したかのような『異質』。理解できない。理解できない。理解できない!
理解できない──────だが。
「ど、どう」
だがっ‼︎
「
暁山瑞希は間違いなく『男性』だった。それは間違いない。
ただ今の暁山瑞希は『女性』だった。それもまた、間違いない。
夢ならば、それでもいい。
夢ならば、どれだけいい?
どうする?
その四文字。何が、何を、何で、何に?
どうするか、ではもはやないだろう。
「お母さん、に」
言ったところで、何になる? 『起きたら女性になってたんだ』なんて、言ったところで何になる? 家族に告白したところで何にもならないし、病院に行ったところでどうしようもないだろう。現代医学で対処できることではなく、現代科学で対応できる領域ではなく、現代社会で対抗できる現象ではない。
性別転換。
そういうファンタジー。
フィクションであれば楽しめたはずのそれは、リアルになった途端に襲ってくる『異常』。
この先、暁山瑞希はどう生きればいい?
「………………………………」
家族の次に瑞希の脳裏に浮かんだ顔は、二つ目の『居場所』──もう一つの家族の姿だった。
悩みを抱え、それでも前に進もうと努力する気高い彼女達の姿──────『ニーゴ』のみんなの、顔。受け入れてくれるだろう。支えてくれるだろう。話しても問題ないだろう。そんなことはわかりきっている。
絵名も、まふゆも、奏も、瑞希の『告白』を受け入れてくれた。何も変わらないなんてことはなかったけれど、一緒に居てくれた。うれしくて、涙が流れた。
ほんの数日前のことだ。
昨日までは間違いなく普通だったのに。原因不明、理由不明、根源不明。なぜか、今の瑞希は女性になっていて。
『おかえり、瑞希』
『もう、大丈夫なの?』
言うべきだ。
言わない選択はない。
困ったら相談して、ぶつかったら連絡して、問題は一緒に抱えてもらうべきだ。それが『仲間』、それができるから『仲間』。
『どうしようもなく、嫌なんだっ!』
戸惑って、惑って、走り回って、逃げ回っていた『カレ』は……もういない。いてもいいと、いてほしいと、そう言われたから。『ここ』にいても、大丈夫だよと、安心させてくれたから。
長い銀の髪の救世主が。
人形になるしかなかった優等生が。
諦めを知らない無才少女が。
カレを、抱きしめてくれたから。
「ほんと、……ボクの人生って問題ばっかりだなあ…………」
思わず、瑞希は項垂れた。一つの問題が解決したと思ったら次から次へと問題が浮上してくるなんて、全く前途多難だ。まだまふゆの問題だって解決してはいないのに、本当にどうしようもない。
……一か月前だったら絶対こんな簡単に『その選択』を取ることはできなかった。
信じたい、信じてる。だからこそ、言えない。
反転した信用は悪意に順転して離別へと流転し永久に正転する。
それが怖かった。
だけど、今は怖くはない。
もう、ないんだから。
「言おう」
覚悟は決めた。あの時よりもはるかに軽やかに。
「みんなに、相談しよう」
行動は決めた。いつかよりもはるかに簡単に。
「ボクがこの先『女』として生きていくんだとしたら、どの道いろいろと必要になる」
誰を頼るか、誰に何を言うか、病院に行くべきか、政府の手が入るのか、家族とどう向き合うべきか。そのすべては決めなければいけないことだ。
一人ではなく、みんなで。
家族に相談して、『ニーゴ』に話して、友達と分け合って。
一人じゃない。
暁山瑞希は独りじゃない。
もう、孤独ではない。
「だからまずは、お母さんに相談しよう」
それは間違いなく『成長』だった。逃亡と逃避、想いのぶつけ合った高架下、待ってくれていたみんな。あの出来事が間違いなく瑞希を次のステージへと押し上げていた。
だから、結果論でいえばあの屋上での暴露は良かったことなのかもしれない。
自業自得。めぐりまわって『誰かがやってくれた』告発。だからこそ瑞希はここまで深く繋がりあうことができた。切れた糸をもう一度固く結びなおすことができた。
そう、切れない。
もう、どんなことがあってもこの四人の関係性は絶対に切れない。そう確信をもって言える。
ぶつかりあったからこそ強まった『絆』。今なら、言える。
彼女達こそが、暁山瑞希の親友だと、仲間なのだと。
「──よし」
そんな気合とともにベッドから下りて、瑞希はパジャマ姿のまま階下へ向かった。
本来ならば覚えるべきであった違和感を覚えることすらもできず、瑞希は階下に降りた。
◆
「ぅ、げぇ……っ! うぷ、……ぅ‼ はぁ、はぁはぁ……はぁっ‼ ──────ぅぁ」
どこで、誰かが、泣いていた。
誰よりも孤独な誰かが、誰にも知られず泣いていた。
「やだぁ……やだよお……。……繧上◆縺は、……繧上◆縺ぁ………………」
これはすべて自業自得。自分自身で招いた業。悪いのはたった一人。
「おいて、いかないで」
だから誰も救えない。自縄自縛。お前が悪くて気味が悪い。
──────それでも、見つけてもらっていいですか?
明けない夜はないのだと、証明してもらってもいいですか。
この二十五時の集いで、あなたに。
フィジティブ:「fugitive」。英語で『逃亡者』の意。
Twitter:@LAST_LOST_LIGHT