夢ならせめて覚めないで   作:空言流転(旧魔庭鳳凰)

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誰も君の形を縛ってなんかない──────変われ

変われよ!


第三章 弐番目に良いやり方
第九話 逃げた、その後で


 例えばの話をしよう。

 例えば、あなたの友人が記憶喪失になったとして、あなたのことを何も覚えていなかったとして。過ごした日々も、手にした想い出も、積み重ねた毎日も何もかもがなかったことになったとして。

 第一声が『あなたは誰ですか』で、毎日通ってもあなたのことを思い出せずに、医者からも『記憶が戻る可能性は限りなく低い』と言われたとして。

 その時、あなたはどうするだろうか。

 あなたは友人に好意を抱いていた。友愛ではなく情愛を。恋人になりたいと、結婚したいと、将来を共にしたいと心の底から深く深く深く想っていた。

 だがあなたの友人は記憶を喪った。あなたとの想い出を喪った。

 

 さて、問題だ。

 記憶喪失になったあなたの友人はあなたが好意を持っていた友人と同一の存在だろうか。

 

 言うまでもなく、人の人格を構成するのは過去だ。誰と過ごしたか、何を食べたか、どこに行ったか。そんなランダムな『何か』が人の在り方を決める。例え、同じ人間だったとしても……、過去が異なるのであれば別人ではないだろうか。

 そう、記憶喪失になった友人とあなたの友達だった人間は『違う』人だ。

 別人だ。残念ながら、そこに異論を挟む余地はない。

 

 つまり、宵崎奏が大好きだった暁山瑞希が蘇ることは二度とない。

 

 同じ姿をしていても、同じ言動だったとしても、同じように動画を作ってくれるとしても。

 それでも、過去がない以上『カノジョ』は違う人だった。

 そしてそれは逆から見てもそうなのだ。

 同じ姿をしていても、同じ言動だったとしても、同じように曲を作ってくれるとしても。

 それでも、共有する過去が存在しない以上暁山瑞希が知っている宵崎奏と『この世界』の宵崎奏は別人だった。

 リセットされた関係性はどう足掻いても歪になる。他人ではないが、『知らない人』同士。構築すべき新たな関係性にどうしても前の関係性が立ちはだかる。意識的、あるいは無意識的に『私の知ってる瑞希ならこうだった』、『ボクの知ってる奏ならこうなはずだった』。そんな期待が、希望が、今を浸食してしまう。

 それは仕方がないことで、けれどもだからこそ新たな関係性の構築は難しい。

 心の整理をつけて、期待や希望に妥協して、過去よりも未来に目をやって……。それは、大人であれば楽にできることだったのかもしれない。

 けれど、彼女達はまだ子供だった。

 それが悪いとは言わないし、言えない。子供だからこそ、ということも間違いなくある。ティーンエイジャー。最も可能性に溢れた世代。ゴールデンエイジ。できること、できないこと。するべきこと、しちゃいけないこと。

 簡単に割り切るべきではない澱み。決して割り切れてしまってはならない素数。

 ……それでも、『トモダチ』だった。間違いなく彼女達は同じ『グループ』の一員だった。共有できない過去は寂しさを募らせ、知らない想い出は不和を募らせ、どうしようもない気遣いはストレスを募らせ。

 それでも、『一緒にいたい』と思っていた。『ニーゴ』は四人で『ニーゴ』で、暁山瑞希以外の動画制作者なんて考えられないから。

 単純な上手さでいえば瑞希以上なんて腐るほどにいるだろうけど、モチベーションや将来性を考えれば瑞希以上なんていくらでもいるだろうけど。

 暁山瑞希は友達だった。絵名の、まふゆの、奏の──大切な友達だった。

 記憶が戻らないのだとしても、過去は変わらないから。積み重ねてきた昔は『ここ』にあるから。瑞希が知らなくても、三人の中には刻まれているから。

 『なら、これからたくさん作っていけばいいよ』

 なんて、そんなことを奏は言った。

 過去は変えられないけど、未来を紡ぐことはできるから。記憶が戻らないとしても、これからを過ごすことはできるから。

 『わたし達は──仲間だから』

 寂しさを隠し切れず、けれどそれでもなお奏はそう笑った。その後ろで共感するように絵名とまふゆが頷いていた。くしゃり、と瑞希の顔がゆがむ。違う、違うんだ! と、そう言いたかった。本当はそれ以上で、現実はそれ以上に酷くて。たぶん、もっと最悪で。

 記憶喪失なんかじゃ、ないと。

 本当は失うことすらもできなかったんだ、と。

 『ボク』はキミ達の知っている暁山瑞希じゃないんだと。

 言うべきで、言いたかった。

 だけど、それを言ったところで何になる? 本当に入れ替わっているんだとして、この世界が瑞希がいた世界じゃないんだとして。それが能動的な犯行であれ偶発的な奇蹟であれ、戻る手段なんてない。分からない。だとしたらそれは仲間を困らせ、困惑させるだけの無駄な自白……自己満足に過ぎないだろう。

 変わらない。

 変わらないんだ。

 別世界の自分と入れ替わったとしても、記憶喪失になったとしても。

 そんなの、彼女達からすれば変わらない。変わるのは自分の意識だけ、罪悪感だけ。だったら黙っているべきだ、と思った。そう、まだ『和解』からそこまで日が経っていなかったが故に。この瑞希は未だに……抱え込む気質が治っていなかった。

 自分だけが苦しめばいいと。自分だけのせいだと。──────そうではない、と誰かが言うべきだったのに。『ニーゴ』はみんなそうだった。いいや、このくらいの年代の子供達はほとんどそうなのだろう。みな、苦しみを抱えていて。みな、嘘を抱えていて。みな、死にたいくらいに消えたがっている。

 だから、ではない。

 関係ない。そんなことは関係ないのだ。

 本当は関係ないと分かっているはずなのだ。誰が、ではなく。みんなが。

 嘘つきを責めるのは間違いだと。みんな、知っているはずなのに。

 『瑞希』

 そう笑いかけてくれる奏のことが、瑞希は好きだった。今でもだ。性愛ではなく友愛で、瑞希は奏を愛していた。

 『奏』

 そう笑いかけてくれる瑞希のことが、奏は好きだった。今ですらだ。友愛ではなく性愛で、奏は瑞希を愛していた。

 『好きだよ』

 その言葉が嘘じゃないから、泣いた。

 『大好き』

 その言葉が嘘じゃないから、哭いた。

 

 記憶を喪ったと嘘の告白をした暁山瑞希。『この世界』の人間ではない、別の世界からやってきた違う『暁山瑞希』。

 暴かれるべきではない隠し事をしていた宵崎奏。この世界の誰よりも罪深い大噓つき、神の子を継ぐ資格者。

 

 出会うべきではなかった。付き合うべきではなかった。そして、別れるべきではなかった。

 

 そうでなければとても耐えられない。『この世界』の方が耐えられない。世界は愛を許容できるほど強くはないのだから。

 彼女は逃げた。耐えきれなくて、逃げだした。まるで別世界の自分自身と同じように。

 逃げて、逃げて、逃げて。押し付けて、耳を塞いで、蹲って。

 そして。

 そして。

 そして。

 

 そして、一か月の時が過ぎた。

 

 

 

 ◆

 

 特別な出来事を体験したからといって、自分自身が特別であるとは限らない。逸脱してしまった瑞希は、いつものファミレスでそんなことを考えていた。

 未確認飛行物体にアブダクションされたからといって超能力に目覚めるとは限らないし、超技術の使い手になれるとも限らない。繰り返すが、特別な体験をした人間がイコールで特別であるとは限らないのだ。むしろそれは、特別な体験をさせた側の方が当然……特別だ。

(……考えも、しなかったな)

 今、瑞希は一人だった。

 いつものファミレスで一人、待っていた。

 カリカリとポテトを(つま)む。……この世界の瑞希も、やはりいつも大盛りのポテトを頼んでいたらしい。『そういうところは変わらないんだね』と、奏達は笑っていた。それに軋む心を持っていればよかったのに、瑞希は嬉しかった。『違う』自分と同じところがあるならば大丈夫だと思ってしまった。馴染めると、一緒に居られると、我慢できると……。そんな馬鹿げたことを思ってしまった。

 そんな毎日だった。

 そんな風に一日一日が過ごされた。

「…………まだかな、みんな」

 この世界の瑞希とこの暁山瑞希にはたくさんの共通事項と相違事項があった。当然だろう。だって、前提からして違う。『ボク』は男で──彼女は女だったのだから。性差があるのだから当然、……違うことだらけだ。

 『ボク』は『彼女』よりも多食で、『ボク』の方が『彼女』よりもアクティブで、『ボク』には『彼女』が取れなかった選択肢があった。

 『彼女』は『ボク』よりも自分を可愛く魅せる術を持っていて、『彼女』は『ボク』よりも仲間との距離が近く、『彼女』は『ボク』よりも『ニーゴ』が好きだった。

 ……そう、話す度に思ってしまう。どうしても。やっぱり、この世界は、この世界のみんなは……。……どうしても、思ってしまうのだ。

 だけどそれ以上に。

 けれどそれ以上に。

 『私は、今のあんたのことも仲間だって思ってる』

 話す度に。

 『よくわからないけど……。全部、無くなったわけじゃないでしょ?』

 近づく度に。

 『瑞希は瑞希だよ。……やっぱりあなたは、わたし達の仲間の瑞希だよ』

 傍にいる度に、強く強く強く想う。

 

 あぁ、──────もっとここにいたいなぁ、……と。

 

 女の身体にはもう慣れた。『ニーゴ』のみんなとの間にあったぎこちなさは少しずつ消えていく。……保留にしている問題は一つあるけれど、向こうがアクションしてこない以上……、それは永遠に先送りにできる課題なのだろう。

 だから瑞希は思った。

 

 ずっと……こうしていたいなぁ、……と。

 

 だって、それができるって分かってしまったから。

「…………まさか、…………あれからなんにも起きないだなんてねぇ……」

 別世界に転移してから一か月、あれから瑞希の身には何も起きなかった。

 何も、何も。一切、だ。超能力に目覚めたとか黒魔術の儀式本を見つけたとか『セカイ』が壊れ始めたとかそういうことは全くなかった。学校に通って、こちらの世界の友達と交流して──幸いにも『この世界』の暁山瑞希と口調なんかは同じだったから探り探り話せばどうにかなった。

 もちろん最初は不慣れで大変だったけれど、案外なんとかなるモノだった。

 そりゃそうだ。誰も思わない。ある日を境に友達、家族、仲間の『中身』が変わってしまったなど。急に記憶喪失になったなど。

 

 結局、言わなきゃ分かんないのだ。

 

 なんだって、話さなきゃ伝わらない。黙ったままじゃ分からない。一卵性双生児だって精神感応能力者(テレパシスト)だって何もしないなら以心伝心なんてできない。赤の他人ならなおさらに。

「…………元の世界に、戻る伝手」

 コップに入ったオレンジジュースをかき混ぜながら、そんなことを考える。

 あまりにも理想的で、ご都合主義──メアリー・スー。本気ではない。口に出した言葉は中身のない虚ろだった。……()()()()()()()()()と、思ってしまっている暁山瑞希がいた。

 あまりにも心地が良くて。女であることが心地良くて。このままでいい……、そう思ってしまった。転移? 憑依? から一か月が経ち……、慣れてしまった瑞希がいるのだ。

 変わらなくていい。

 変わらない方がいい。

 このままここに、この世界にいて、いた方が──────()()()

(まぁ……手がかりはあるっちゃあるんだけど)

 脳裏に浮かぶ『彼』の姿。この一か月、まともに会話をしていない『彼』。あの時屋上で会ったっきり正面から話していない彼……、神代類。

 類と話せばたぶん、事態は進展できるのだろう。あの時何が起きていたのか、……もう瑞希にはおおよその予想ができている。頭痛と脳裏に浮かんだ景色と『この世界の暁山瑞希』の居場所。

 考えれば分かることだ。何があって、何が起きて、どうしてしまったのか。

 だけど。

(…………意味なんて、ないでしょ)

 考える。考えるだけだ。考えるだけで、実行する気はなかった。ふりで、素振りなだけ。

 だって『今』がこんなにも幸せなのだから。

 だって『此処』はこんなにも満ちているのだから。

 だって『ボク』はこんなにも──望まれているのだから。

 だからもういいだろう? だったらもういいだろう? 心残りはある。元の世界のみんなが心配ではある。でも。でも。でも。

(でも、いいや)

 だって、『今』が幸せなのだ。どうしようもないほどに甘いのだ。『これ』を手放すなんてできない。そんな選択肢想像すらも許したくない。努力をしても手に入らない理想。それが落ちて、掌にピタリと収まった。

 これ以上なんてあるか? あるのか?

 いいや、ない。ないだろう。

 ないんだ。ないに決まっている。

 そう、もう、『ボク』は。

「あ、いた! 瑞希!」

 声が聞こえて、ポテトを抓んでいた手を止める。『彼女』は笑顔を見せ、立ち上がり、彼女達に向かって手を振って叫んだ。

「絵名、まふゆ、奏! こっちこっち! 先に席取っておいたよ!」

 向かってくる三人の姿がまぶしくて、幸せだった。

 だからこれでいいと思った。これがいいと思った。

 だって、今がこんなにも幸せで満たされているのだから。

 

 

 

 例えそれが薄氷の上だったとしても。

 だからこそ、今が。今だけは。

 







努力して、眼を逸らした。









Twitter:@LAST_LOST_LIGHT
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