魂を分けた家族を殺した罪は、決して洗い流せないから。
わたしは、存在しない子供だった。大好きなお父さんと大好きなお母さんの間に産まれたわたしは、だけど愛されてはいなかった。お父さんとお母さんは奏のことばかり構って、わたしの話なんて微塵も聞いてくれはしなかった。両親と話をしたことは一度もなくて、いやそもそもわたしが両親の視界に入ったことも……一度もなかったと思う。二人の眼には宵崎奏の姿しか映っていなくて、……わたしはそれを……いつも羨ましく思っていた。
いつも──────妬ましく思っていた。
バニシングツインという現象を知っているだろうか。簡単に言えばそれは母親の胎内で双子の中の一人が消えてしまう現象のことだ。理由や原因は未だに完全には特定されていない現象。ただ、それは生れ落ちることができず意思を抱くことすらなく消えてしまう赤子未満の命……、それが『あった』という事実だけは消えない。
わたしは『それ』だった。本来であればきっと、『ちゃんと』生きることができたはずなのに。彼女のせいで失われ、彼女がいたからこそ生きることを許されていた命。……本来であれば、生まれなかったはずの命。
『姉』であれば羨みこそすれ我慢もできた──『妹』だから許されることはあると思うから。
『妹』であれば妬みこそすれ我慢もできた──『姉』だから許されたことはあると思うから。
けれど、違った。わたしと奏は『おなじ』だったから、わたしは我慢ができなかった。あの日、奏を殺したのはわたしだ。あの日からずっと奏のふりをしているのがわたしだ。『おなじ』音楽の才能、『おなじ』容姿と心情、『おなじ』関係性に言動。ぜんぶ、奏と『おなじ』だからこそできた代わり……。
ドッペルゲンガー? スワンプマン? 哲学的ゾンビ? 奏のそれまでを全部受け継いで……めちゃくちゃにしたのがわたしだ。たぶん、奏だったら瑞希との訣別はなかったし、みんなに隠し事をすることもなかったし、時が経つことを恐れる必要もなかった。
彼女は強かったから。こんなわたしよりもずっとずっと……強かったから。
話すことはできなかったけど、ずっと見ていた。『わたし』は、奏をずっと見ていた。檻の中から、閉じ込められた場所から、胎児のままで。わたしにとっての奏は大切な家族で、『姉妹』で、片割れで。
よかった、と言える。
あなたがわたしを見ていなくても、見てくれなくても、認識すらもしてくれなくても。それでもよかった。憎しみと、妬みと、僻みと…………誇りがあった。
宵崎奏の『一番』はわたしだという自負があった。いつも、いつだって、奏の一番傍にいたのはわたしだから。
だから、あの日、遊園地で、わたしは。
瑞希の叫びに。
『ずっと、騙してたんだ……っ! 信じてたのに‼︎』
わたしは縋りついた。
『わたしだよ‼ わたしが、『宵崎奏』なんだよっ‼』
彼女の『秘密』を浅く見ていたわたしは、そこで選択を誤った。
『嗤ってたの⁉︎ 嘲笑ってたの⁉︎ どうしてっ、なんで⁉︎』
今なら分かる。瑞希だって、わたしと別れたくなかったはずだ。
『嘘をついてたのはごめん……ごめんなさい……謝る。でも』
わたしを愛していたかったはずだ。
『本気だった‼︎ 愛してた‼︎ なのにどうして⁉︎』
『病気』だと、昔言われた。わたしを知っている人に、『お前は病気だ』と。
『愛してくれるって言ってくれたよね』
涙を流して縋りついた。
『死んじゃえ! 死んじゃえ! 死んじゃえ!』
わたしは『病気』なんだと思う。生まれた時から死んでいたわたしは、『癌』なんだと思う。
そして瑞希も『病気』なんだと思う。わたしと同じで、生まれた時から病気なんだと思う。
『ずっとわたしの隣に居たいって、言ってくれたよね⁉』
互いの病気を隠して、嘘をついて付き合った。それほどまでに愛して
『無理だ……できない……っ! ボクにはできない……っ!』
ふるえる身体を抑えるように、瑞希はわたしを突き飛ばした。もう一歩でも近づきたくないと、理性ではなく本能がわたしを拒絶していた。
『どうして……?』
それでも愛してほしかったと思うことは傲慢だったのだろうか。
『宵崎奏』ではなく『わたし』を愛してほしいと。その瑕疵をすらも包んでほしいと。例えわたしの身体に欠陥があったとしても……瑞希がわたしを
『ボクに……近寄るなァっ!』
鳥肌が止まらないようだった。それほどまでに『わたし』を受け入れられなかったのだと、その事実がショックでならなかった。
『なら、わたしが『わたし』じゃなかったら、瑞希はわたしと付き合ってくれたのっ⁉』
詰問した。
あなたが愛したわたしは、
『あなたの『病気』を包んでくれる『わたし』じゃなかったら、瑞希はわたしを好きになったの⁉』
追及した。
わたしが愛したあなたは、あなたを愛したこのわたしだったのか、と。
『わたしはっ!』
本当の……想い。本当の……愛。理性で愛を紡いでも本能が拒絶してしまうことはある。だから、瑞希はわたしを愛せなかった。そのトラウマは……わたしへの愛を上回っていた。
『わたしは──────もし、瑞希が『
『っ!』
『消えてもいいって、思ってる‼』
涙が流れた。閉園間近の遊園地でわたし達は互いの想いを曝け出していた。本音で、死に値すると思っていた。瑞希が……わたし
『わたしは、好きだよ』
そう言って、真摯に見つめた。
そう言って、真剣に願った。
『わたしを大嫌いな瑞希のことが、それでもわたしは大好きだよ』
『っ』
泪が止まらなかった。……ありのままの『わたし』が愛されないことなんて分かっていたから。それでも、……『しあわせ』がほしいと思ったから。
本当に。
幸せにしたいと思っているから。
『無理だ…………』
でも。
それでも。
だけど。
『ごめん…………。ボクには、無理だ。…………キミを、……ボクは……………………好きにはなれない』
嘘を吐いていたから?
わたしが宵崎奏じゃないから?
…………わたしが、 だから?
『愛せないっ‼‼‼』
彼女も泣いていた。わたしと同じくらい、いいやそれ以上に泣き叫んでいた。
だって、本能が囁くのだ。強迫性神経障害。……『ダメだ』、『無理だ』、『できない』と。
それが『罪』と『罰』。
誰よりも傍に居たいと思っていた人の傍にいることが許されないという、
『ごめん……っ! ごめん……奏……ごめんなさいっ‼』
膝をついて、泣いていた。
空を見上げて、泣いている。
わたし達は……。ここで独りだった。
『嘘つき、…………『おなじ』のくせに』
それが訣別の言葉だった。その瞬間からわたしと瑞希は道を違えてしまった。
愛していた人と愛したかった人。わたし達は同じ想いを抱いていたはずのに、それでも一緒の道を歩むことはできないと。
虚ろに響く謝罪の言葉だけがわたし達の未来を暗示していた。
もう、すべてが終わってしまったのだと。ただそれだけを。
◆
タイムリミットが近づいていることなんて自覚していた。そのゴールテープから逃れられないということも分かっていた。逃げ続けたとていずれ追いつかれる。眼を逸らし続けたところでいつか直視せざるを得ない時が来る。『それ』が自分の犯した罪だなんて、誰かの抱えた業だなんて、最初から知っていた。
「そういえば、今回アップした曲っていつもより評判良かったわよね」
何度でも繰り返される後悔と、とめどなく溢れていく追憶。幸せだったその時だけを回想することができたのであれば、それはどれだけ幸福なことなのだろうか。『今』、『今』だけを。この今だけを永遠にできたのならば。
そうして先送りにし、ゆっくりと歩み続けてきた末路がこれだ、ここだ。
だから、何度でも言おう。
宵崎奏の選択肢は間違いだった。間違い続けてきた人生だった。
「……いつもより再生数の伸びも高評価の伸びも良かった」
その上で、だからこそ言おう。
「それってやっぱりMVが理由だと思う、まふゆ?」
「コメントを見たけど、MVに言及してるコメントが多かったと思う……」
もはや彼女にとっては……その嘘を真実にすることに生涯を掛けるしかないのだと。……今さら……、今さら……戻ることなどできないのだと。
「ボクの、作ったところ……?」
「あれ? 瑞希まだアップした動画見てないの?」
「いやぁ……うん、……絵名。……実はまだ見てないんだよねぇ」
「あんたまさかまーだうだうだ悩んでるんじゃないでしょうねぇ……?」
「いやいや! 今さらそこで悩んではないって! 流石に、流石にね? まぁ確かに全部が整理できたとはいえないけどさ」
記憶喪失になった瑞希と居られて、奏は幸せだった。『良かった』と、そう心の底から思った。だって、これなら仮初の平和に望める。残された時間、せめて『今』を幸せに保つことができる。罪を犯し続けた最悪の人生だったけれど、誰かを不幸にしたかったわけじゃない。わたしは世界の異物で本来存在しえない『ニンゲン』だけれども、みんなを幸せにしたいという奏の想いは受け継いでいる。もう……あと少し終わってしまうのであれば……、彼女達に罪を背負わせたくはなかった。黙っていればそれは勝手に終わる『過去』になるはずだから。
「……今のボクにはみんなと積み重ねてきた絆がないわけだし?」
ポテトをつまむ瑞希のことが好きだった。いいや、今でも好きだ。愛する資格などないのだとしても、彼女の髪の一本一本から爪先まで、その『嘘』から『想いの果て』まで、まだ愛していると断言できる。『宵崎奏』は……瑞希に相応しい『人間』のはずだ。彼女と共に歩める存在のはずだ。『わたし』ではなく、『奏』なら……そう、彼女は思っていた。
あの時遊園地で泣き崩れた瑞希を、『奏』なら救えたはずだ。手を差し伸べて、正しい言葉を紡げたはずだ。肯定ではなく、否定でもなく、ただ救いの祈りを。
「みーずーきー?」
会話をしながら想う。あとどれだけの刻を進められるのだろうか、と。母親が死に、父親を殺したあの日から、わたし達の時計は止まったままだと。そんな風に宵崎奏は思う。その針を進められず、進めないことを選んでしまったから……、『ニーゴ』なんて下らないグループはできてしまった。割り切れなかった『過去』を抱える傷を舐め合う河馬の集団が。
「何度言わせる気? いい加減に飽きてきたんだけど?」
「いやいや! だからうん、整理できてはいないけど! そこでは悩んでないんだって、絵名! もう流石に、流石にさ……あれだけみんなに言われたら、ボクの方でもいろいろと覚悟はできたし」
「なら!」
「でも、さ。……やっぱり『ニーゴ』としては違うから」
まふゆを救うことは困難を極めた。両親と本当の顔で話すことができるようになった今でさえも、まふゆを完璧に救えたとは言えないだろう。そもそも何をもって『救った』と言えるのだろうか? その定義は? 意味は? 意義は? 『奏』には分からなかった。だって、人を本当の意味で救ったことなんて……なかったのだから。
『
でも、宵崎奏だったらもっとうまくやれたのだろうか?
『
そんな益体もないことを考えてしまう。どうしても。だって、あの日、雨の中で、ずぶぬれになったまふゆは。
『でも、わたしはここにいるよ』
『か……なで…………』
『お母さんと喧嘩しても、わたしは……わたしはいつもここにいるよ。……ずっと、『ここ』にいるから…………』
まふゆに『奏』がかけた言葉は……。
『
それは反射鏡のように、
『奏』こそが、言ってほしかった言葉。空漠な世界を生み出してしまった『今』だからこそ分かる。海溝よりも深く地の底の底の地球の中心点まで掘り進めた先にあった『本心』。……宵崎奏が誰かを救い続けてきたのは、見返りを求めない贖罪が故だったのだろう。人を殺してしまった罪を滅ぼすためだったのだろう。
『奏』は違う。『片割れ』は違う。彼女が人を救ったのは、今にも壊れそうな人々を救い続けてきたのは。……曲を、作り続けてきたのは。
『消えないで』
自分を、
『自分を消さないでよ!』
乱反射の果てに返ってくる、入射角零度での全反射。返ってくるように返してほしくて。救った分だけ救ってほしかった。外側に出せない『業』だけれども、察して導いてほしかった。まふゆが……抱えていたように。その歌詞で『わたし』の中身を暴いて欲しかった。
強がりの笑顔。情けない逃避。果敢なすぎた諦めも。
「瑞希、……『ニーゴ』としては、って?」
「うん、いや、さ……奏。今のボクは少なくとも『前』のボクとは『別人』なわけでしょ? ……MVの作り方も、素材の選び方も、動画の構成も……やっぱり前みたいにはいかなかったから、さ」
神様の名前を叫んでほしかった。
二十五時、誰もいない『セカイ』で。
「ボクとしてはそういう意味でどうしても不安だったんだ。……今までの『ニーゴ』とは違う動画を、……みんなは受け入れてくれたけど、ほめてくれたけど……視聴者は……そうとも限らないから」
「それは……」
絵名のことを強く尊敬していた。才能がない、天才になれない、父親と分かり合えない。
それでも。
『それでも』、と彼女は足掻いた。
目の前の崖に恐怖して、堕ちた先の壁を登れなくて、足元を満たす水に恐怖して。それでも、絵名は絵を描くことを止めなかった。諦めることは簡単で、楽だ。前に進むことは辛く、難しい。『宵崎奏』は恵まれている。客観的に見ての話で、『持っている』人間だ。努力なくして才能があり、望まずして希望され、ただそこにいるだけで求められた。すべて、絵名の反対。そんな人間の傍にいることは……きっと…………自傷行為。
少なくとも『奏』にはできないことだった。もしも、もしもだ。『奏』の前に、『そういう』……同じ『秘密』を抱えた人間未満が……『しあわせ』な様を見せるように現れたとして。
耐えられないだろう。その鏡は割ってしまうだろう。
それほどまでに…………『彼女』はゆるせない。
「今だから言うけどさ、寄せることも考えたんだ。前の『暁山瑞希』の動画に……。素材はあったし、……まぁできないことじゃないって思った。全部を忘れてるわけじゃないから」
だからそれは……奏にはできないことだった。
自分と同じで、自分よりも優れている人。……そんな人を見続ける……。それは、どれほどの苦痛だろうか。想像するだけで心臓が破裂しそうになる。もしも、もしも、『そんな人』がいたら……。
死にたくなる。
消えたくなる。
奏には……無理だった。
「……でも、結局そうはしなかった」
「まふゆ…………まぁ、ね。……なんか、すごくさ……やっぱり、嬉しかったんだよね」
「嬉しかったって、何が?」
「──────今のボクを、『仲間』だって言ってくれたこと」
本当に嬉しそうに瑞希ははにかんだ。
今、こうしていることが幸せなんだと。
今、ここでキミ達といられることが幸せなんだと。
そんな光景を……夢に見ていたんだと。
「『今のボク』を『仲間』だって言ってくれた『みんな』を裏切りたくなくて、……なんか、『昔のボク』が……ライバルみたいに思えてさ」
ストローでコップの中身をかき混ぜながら、本当に嬉しそうに彼女は語る。
瑞希からすれば本当に夢を見ているようだった。『これ』は……手放したくないと思えた。記憶を喪い、想い出を喪い、絆を喪ったけれど──残ったモノがあって。
それが、真実だとしたら。
「勝ちたいって……思ったんだよね。…………『今のボク』を認めさせたいって」
「………………それは」
「譲りたくなくて、認められたくて、ここにいてもいいんだよって──自分で自分に言ってあげたくて。お前の居場所はもうないって、強気に宣言したくなってさ」
いつまでも『こう』だとは限らないと、瑞希も分かっている。喪ってしまった記憶が戻れば今の瑞希は消えるか統合されるかして、どちらにしろ今のままではいられなくなるだろう。積極的に消えたいとは思わないが、けれど本来の瑞希に戻ることを……拒絶する理由もまた、ない。
満足、しているのだ。
ここで……今みんなといられる現実を。
「今が、ボク……幸せだったからさ。みんなはきっとボクの動画で『ニーゴ』の評判が下がっても気にしないけど……ボクは気にしちゃうから」
奏の目的から遠ざかることは。絵名の承認欲求を満たせないのは。まふゆからあたたかさを奪ってしまうのは。
本意ではなくて。
それで『ニーゴ』が汚れるのは……あまりにも気分が悪くて。
「怖くて、さ。でも」
ふるえる掌を握って拳を作った。きつく、きつく、きつく。血が滲むほどに握りしめた。
その中には何がある?
その中に何が欲しい?
「でも、よかった……っ! っ、よかったぁ──。──────昔みたいに動かせなくても、『みんな』……今のボクのっ、動画を! 認めてくれて……っ!」
ずっと心配していた。まるで初めて動画投稿した時のように。通知音に怯えて、評判を見たくなくて、ここに来ることさえ迷ってしまった。
これでダメだったら、今の自分の動画でダメだったら。奏達は笑ってくれるだろうけど、瑞希自身がいられなくて、居たくて。
痛くて。
「みとめて、……くれて…………っ!」
涙が零れ落ちた。独りで抱えていた恐怖心から解放されて、安心してしまったから。これで、自分で自分を認められたから。
『みんな』と一緒にいてもいいんだよって──────数字が物語っていたから。何よりも強い説得力で。
「瑞希」
その涙を人差し指で拭う。笑いかける。愛おしくて。あまりにも健気な瑞希があまりにも愛おしくて。
もう、時間がないというのに。『秘密』があるというのに。
そう、『秘密』。──────奏には決して誰にも言えない秘密があった。奏の──隠していること。
「──────頑張ってくれて、ありがとう」
タイムリミット。残された時間。燃え尽きる寸前の、線香のような。
確定された、終わりの時。
「奏──うんっ!」
そう、死ぬのだ。事故でもなく、自殺でもなく、他殺でもなく、病死でもなく。
寿命で、死ぬ。
宵崎奏に残されている寿命はあまりにも短い。
宵崎奏は──────あと約二年で、死ぬ。
それが奏が『宵崎奏』である限り絶対に変えられない
忘れていることさえ、忘れている。
Twitter:@LAST_LOST_LIGHT