風が吹いている。二人の声を掻き消してしまいそうなほどに強い風音が。記憶の中では、中学生の頃、いつも二人はここで会っていた。
屋上、『繋がる』空の下で、二人だけの世界。
だったはずなのに、なんだこの違和感は。類は……、何かが違うと感じていた。目の前で崩れ落ち、膝をついた暁山瑞希。……類の『友達』。それは間違いないはずなのに。
なにか、初対面であるかのような。
「瑞希……」
ゆっくりと、深く考え、言葉を選んで語り掛ける。類は瑞希のこんな弱弱しい姿を見るのは初めてだった。類の知っている瑞希はいつも気丈で、明るく、強くて──もちろん、それが瑞希のすべてではないことなど分かってはいたが……、それでも瑞希は人前で『弱さ』を見せるような、見せ
『待ってるから』
せめても
「何が……、あったんだい」
その瑞希がここまで弱弱しく、弱っている。嘘でも、偽りでもなく、本当に。
『これ』は誰だ?
『この女の子』は誰だ?
「…………ボクは」
俯いたまま、少女になってしまった誰かは慎重に言葉を紡ぐ。何が起こっているのか、誰かが原因としてあるのか、全てが疑わしい今、信じられるものは……ない。
性転換なんて馬鹿馬鹿しい現実。そんな中で信じられるものなど!
……けれど、信じたいモノはある。この記憶が全て不確かな偽りだとしても、いやだからこそ!
『友達』を、『仲間』を、……頼りたいと願う。
「瑞希、……例え瑞希が『どう』だったとしても、僕は瑞希を信じるよ」
「っ」
息を飲む。あぁ、分かっている。そんなことは言われるまでもなく、優しく、温く、暖かい『みんな』が……誠実であることなど。だからこれは結局瑞希の問題なのだ。今の自分は本当の性を話せなかった過去の自分と何も変わらない。
怖いから、話せない。……そんな無様は、やめたんじゃないのか。
信じたいけど、信じられない。……そんな疑心は、やめたんじゃないのか⁉︎
だったら、言えよ‼︎
「記憶がないんだ」
「…………………………」
フェンスに身体を預けながら立ち上がり、ゆっくりと瑞希は言葉を吐いた。何かが決定的に違ってしまう、『真実』を。
「それは……記憶喪失……ということかい?」
「……厳密に言うと、違う」
たどたどしく紡がれる罪は裁判所の下で提示されていく証拠品。もしも判決が下されるのであれば、自己同一性の破綻は情状酌量に値するのか?
彼女の心は既に壊れていたのか?
「記録と違う、記憶……しかない」
「記憶と違う……?」
「このボクを構成する記憶の証拠になり得る記録が……どこにもないんだ」
性差。そこから生じた排斥、孤独。実感としてある。受け入れられた今でも変わらずそれは瑞希のトラウマだ。
「ボクは……、『助けて』なんてメッセージを送った記憶なんてないし」
「…………」
「ボクは……、本当は『男子』だったはずで」
「……」
「ボクは……、中学生の頃は……『孤独』だったはずなんだ」
「……………………」
「女装した男の子としてみんなから腫物扱いされてたはずなんだ」
「それは……」
流石の類とて二の句を告げられなかった。言っていることが荒唐無稽すぎて、否定の要素の方が多く出てくる。
しかし、飲み込まれる。
だって『嘘』を吐く人間がこんな顔をするか? こんな、全てに絶望したような顔を。
故に類は友達としてではなく。ただ一人の人間として。
「いくつか確認してもいいかい、瑞希」
「類…………」
燃えるように熱い瞳で、一度深呼吸。『友達』を助けたい。助けてくれた人に恩を返したい。その理由が類を正しく突き動かした。
『セカイ』を知っている類は違う視点を持つことができる。あの日、あの窓の『セカイ』での事件は……世界にすらも影響を齎すエネルギーがあった。
「僕はそこまで医学に詳しい訳じゃないけれど、今の瑞希の話を真実と仮定するならいくつか考えられる仮説がある」
「仮説……」
押し付けるためではなく、一緒に考えるために類は語り掛けた。結論を投棄するわけではない。ただ案を与えるために。一般人よりも頭がよく、頭の回転も速い類は……だからこそ突拍子もない結論に辿り着くことができた。
当然……、そんなことはあり得ない。発明家として、科学者としての自分はそういっている。
だが『セカイ』を知る演出家としての自分がこう言っている。
『全ての不可能を除外して最後に残ったものが如何に奇妙なことであってもそれが真実となる』、と。
(現実的な仮説と、……そして幻想的な仮説がある)
人差し指を立てた。
「一つ目は、今の瑞希の話がすべて『嘘』だということだ」
瞬間、瑞希の眼に失望の色が混じる。当然だろう。こんなのは誰にでも考えつく最も簡単で安易な結論だ。何よりそれは瑞希を全く信じていないということ他ならない。
だから、真っ先に否定できる。
「だけど僕はそれはないと思っている。少なくとも、僕の知っている暁山瑞希は……そんな『女の子』じゃなかった。こんな僕とも『友達』になってくれた君は……そんな無意味な嘘をつくような子じゃなかった」
「……でも、ボクにはたぶん……、キミとそんな風に過ごした記憶は」
「それに見れば分かるよ」
「ぇ……?」
「これでも
「ぁ」
「ふふっ、孤独だった僕の過去がこんな風に役に立つとはね。人生は分からないものだ」
「…………ふふ」
柔和な笑顔でそう語り掛ける。これで少しは彼女の緊張を解せただろうか。仮に彼女の言うことがすべて真実だとするのならば……、そのストレスは計り知れない。
孤独──なんかじゃまるで足りないほどの『独』。
彼女が類の知らない誰かだとしても、類の仕事は人を笑顔にすることだ。『ワンダーランズ×ショウタイム』の一員として純粋に、彼女の孤独を晴らしてあげたいと思った。
中指を立てた。
「二つ目は、瑞希のその『記憶』が『嘘』だという可能性だ」
「ボクの記憶が……?」
「
「…………つまり、ボクが病気だってこと」
「可能性としての話さ」
「………………確かに、……それは否定できないなぁ」
心の病。……それは嫌なリアルで、確かに否定できない現実感のある答えでもあった。心が病んで変なことを考え、変な行動をして、変なものを見てしまう……。いかにもありそうなことだ。瑞希なら余計にありそうな。類の知っている瑞希も『秘密』を抱えていたらしい。そのストレスが……、こんな人格を生んだ。
ありそうな滑稽噺だ。
が。
「だけどボクはこれもないと思ってる。……なぜなら君の話は……リアルすぎる」
「リアル、すぎる?」
「仮に君が暁山瑞希の別人格だとするなら、君は
「それは…………確かに」
「………………ここまでが現実的な仮説だ」
現実的な?
なら、幻想的な仮説でもあるのか? ──────その通りだ。
「三つ目は」
薬指。
これが本命。
荒唐無稽な幻想こそが時に真実となり得る?
「
「ぁ」
崩れ落ちる音がした。世界がガラガラと、音を立てて崩壊する音が。
知らない過去。
『あなたは生まれた時から女の子でしょ』
知らない友達。
『君が僕に助けを求めてきたんだろう?』
知らない……身体。
『ほんと、……ボクの人生って問題ばっかりだなあ…………』
本当は。本当は。本当は。
瑞希だって最初から、その可能性に気付いて──────。
『嘘つきっ‼︎‼︎‼︎』
「ぁ、がっ⁉︎」
「?」
あまりの痛みに再び蹲る瑞希。まるで万力で頭蓋を直接締め付けられているような、そんな堪えようのない痛みが襲う。
そして同時に脳裏に浮かぶ光景。
これは、……遊園地? フェニックスワンダーランド?
誰かが誰かと話している。
誰かが誰かを糾弾している。
『ずっと、騙してたんだ……っ! 信じてたのに‼︎』
これは。
これは。
これは──────思い出?
この身体の?
「いっ、だいっ⁉」
「瑞希ッ⁉」
声が遠のく。景色がゆらめく。とてもではないが生きていられない。なぜだ。どうしてだ。どうして、『彼』は。『ボク』は。
『嗤ってたの⁉︎ 嘲笑ってたの⁉︎ どうしてっ、なんで⁉︎』
混ざる。感情が掻き混ぜられる。二度目の『終わり』。手を下したのはあなた?
『本気だった‼︎ 愛してた‼︎ なのにどうして⁉︎』
そんなに、許せなかったのか?
それほどまでに、赦せなかったのか?
この、少女は。
『死んじゃえ』
死んでしまえと、吐き捨てる。
ありったけの憎しみと、なけなしの愛情をもって。
『死んじゃえ! 死んじゃえ! 死んじゃえ!』
死んでしまえと、吐き捨てる。
世界全てへの憎しみと、ただ一人への愛情をもって。
『 なんか──死んじゃえ』
その言葉に、その人はなんて答えたんだろう。その言葉に、『カノジョ』はどんな表情を返したんだろう。その言葉に、『恋人』はどういう行動をしたんだろう。
好きは簡単に嫌いになる。大嫌いが大好きに反転することはきっとない。
『ごめんね』
気絶する前、最後に瑞希の目に映った人の姿は。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
長い、銀の髪の、神様みたいな。
◆
暁山瑞希が宵崎奏に告白したのは、一週間前のことだった。
天人五衰:天人の死の間際に現れる五つの兆候のこと。
不楽本座:天人五衰の伍。自分の席に戻るのを嫌がる。
A.42:Answer42。即ち『生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え』。
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