初恋の女が、木には居た。レイという同い年の女。
レイの初恋もまた、木だった。
新エリー都の喫茶店へ一緒に行ったことがあった。
柔らかい春風が頬を撫でる。ある喫茶店へと足を運ぶ。
木は幸せだった。それだけでよかった。
それ以上求めはしなかった。
二人は防衛軍に身を置いていた。木は優秀で真面目だった。
「レイ、自分で片付けくらいしてくれよ」
「我じゃなくても良かろう?」
「良くない」
彼女のだらしなさが、木の心を満たした。
木とは対照的に、レイはマイペースな質だった。
「なあ、エリー都に喫茶店ができたみたいなんだが」
「ん? ああ」
「それで……」
いつも冷静な彼女が、いつになく言い淀む。その可愛らしい姿に、少し遊んでやりたくなった。
「それで?」
「行かないか?」
「……」
「嫌なら、いいんだが」
「……無理」
「そうか」
彼女はすぐに、そっぽを向いて去ろうとした。
すぐさま、回り込んで顔を覗き込む。顔を真っ赤にして、目は潤んでいた。
「嘘に決まってるだろ。行くよ」
正極と負極が引き付けあうように、正反対の二人は惹かれていった。
そんなある時、決定的な事件が起こった。
とある人が、郊外で事件を起こしたのだ。郊外で若者3人が殺害された。
その全てが刃物によるもので、熟練者がやったものとされている。
治安官が複数向かい、彼らも全員殺された。その治安官の中には、木の父親も含まれていた。
この件はより戦闘に特化した防衛軍に委託された。
その時に向かった小隊が、木のいたところだった。
父を殺した人間。許すつもりはなかった。この手で絶対に打ち倒す。
そう意気込んで、郊外に向かう。暖かい風に黄色い砂地の風景、奥に聳えるホロウは、木の人生で最も忌々しい物として心に記録されている。
いざ、対峙した人間がどのようなものであるか、木には信じ難いものだった。
いつも一緒にいた、初恋の女性だった。
目を覆うような━━そして当然、目を背けてはいけない━━死闘が繰り広げられた。
最期。戦友の幾つもの死体を横に、頭に銃を向けた。
彼女は何も言わない。引き金を引くその時、彼女の胴体が見えた。黒くとぐろを巻くような爛れた肌が見えた。
そこで知った。彼女はエーテリアスになっていたのだ。いや、今知っていることを言えば、サクリファイスだ。
「撃って。私のために」
倒れた彼女を見る。頬に一筋、涙が流れていた。
彼女は注射器を懐に忍ばせていた。これこそが、彼女をバケモノに至らしめたものだ。
誰かが彼女をそうさせたのだ。そう思いたかった。
防衛軍をやめた。復讐をするために。
だが、調べれば調べるほど、出てくることは彼女の反吐が出るような行為だった。
裏社会に入り、正確に情報を集めた。調べるにつれて挙がってくるのは、その悪魔のごとき殺人録。木の父親がどのように殺されたか、形容はしない。
レイは防衛軍の立場さえ、利用していた。木が記憶に収めていた儚い日々は、崩れ去った。
彼女
彼女と関わり合った男が浮上したのだ。郊外で事件を起こすその時、一緒に行動していた男。名前は、メーム。今や彼は、HIAの研究トップだ。
あいつを殺せば、少なくとも父の、彼女に殺された人間の弔いになる。
レイは死んだ。復讐の相手はいない。いや、違う。彼女を殺して以来、ついぞ消えることのなかったレイの幻影が居る。
復讐が成功した時、木の心は解放され、幻影は消える。
それこそが、木の目的。
ひとつわからないことがある。目を瞑ると、瞼の裏にあの光景が浮かぶ。
━━━━撃って。私のために━━━━
涙がレイの頬を伝う。
はっとして、目を開く。あの言葉はなんだったのだろうか。悪魔の、命乞いだろうか。
「……忌々しい」
木は輸送車に揺られていた。道路を踏み抜いていく音が、静かに聞こえる。
手錠がかかった両手を持ち上げて、女に殴られた頬をさする。痛い。すなわち、生きている。
あの場面で治安官が来てくれたのは良かった。およそヘプタの計らいなのだろうが、なぜ彼自身で助けにこなかったかは不明だ。後で聞いておこう。
車に乗せられてそれなりに時間が経っている。そろそろヘプタらが来る頃だ。
外を見ることはできない。
当然、治安官の席と木の場所は隔たれていて、アクリル板の小窓から向こう側が見える。
ここから会話も可能だった。
ふと、その小窓を見た。若い女がいる。黒い髪に朱の毛束が混じった髪が印象的だ。それを後ろで結えて背筋を真っ直ぐに運転する姿を見ると、誠実そうな奴だなと半ば哀れみにも近い感情が込み上げる。
政府直下で働くと、裏家業をするよりも精神を害する事がある。そのことを木はよく知っている。
車両のすぐ後ろを、着いてくる音が聞こえ始めた。タイヤの摩擦音が、何分にも渡って聞こえてくる。
━━来たか。
ドリフトするような音とともに、後ろの車のエンジン音が一気に迫ってくる。行動に移るという訳だ。
「先輩! 正体不明の車両が接近しています!」
━━━━ガンッ!
声と同時に、後部ドアに鋭い刃が入る。
「むう、攻撃してきおる」
刃が引っ込んで、もう一度斬撃が襲う。
扉は風のまま後方に乗せられ、消え去った。
「ヒャッホー! 助けに来たぜ!」
ここで、助けに来たのがヘプタではないことに気がついた。邪兎屋の面々だ。ローブを纏い、身元を隠している。バック走で荷台をこっちに向けていた。
機械の体を持つ男、ビリーがタイヤを撃ち抜く。それに合わせて、車両の尻が大きく振れ動く。
やかましいスリップ音。
「飛び乗れぇっ!」
距離はそれなりに遠い。ビリーとアンビーが手を差し伸べる。
車の側方が浮いた。
━━横転する!
考えるより先に、飛ぶ。
火事場のクソ力は本当で、木の体は思った以上に跳躍していた。
「うおおおおおおおおおおっと!」
ビリーに抱きついて押し倒す。こうして、無事に着地した。
続いて、後ろからけたたましい音が鳴った。
治安官の車が横転し、地面を擦っている。
「あぁあやばやばやばやば!」
運転席のニコの声が響く。
後ろを見る。横転した車両が、眼前に迫っていた。
「伏せて━━ッ!」