ゼンレスゾーンゼロ 零落者のゆく先   作:柿本人麻呂

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邪兎屋と往く逃避行

 激しい衝突音と共に、空中に投げ出される。

 

 目が覚めると、一番に青い空が見えた。雲が空にのっぺりと張り付いて、女性の様相を示している。

 

 と、思ったのだが、違った。仰向けに倒れている木を覗き込むように、レイが立っていた。

 

「早く逃げた方がいい。捕まる。我の見立てだと、残り時間は十秒だ」

 彼女は真顔で言った。木から見ると、レイは彼の頭上の方向を向いていた。

 

 レイの幻影はこのように、しばしば木を助けることがあった。それは木の潜在意識中に清純な彼女が残っていたからに他ならない。自分の愛した彼女の良心を、忘れてはいないのだ。そしてそのことを、木自身は理解を拒んでいる。

 それこそが、彼が幻影に取り憑かれている理由だ。

 

 上体を起こす。擦り傷が酷いが、骨は折れていない。

 

 そっと後ろを向いた。ぶつかり合った二つの車は、炎上していた。

 

 そのすぐそばに、女が2人、車から這い出すところだった。

「先輩! 大丈夫ですか?」

 朱色混じりの髪を持った治安官が言う。

「このくらい平気だ。それより、犯罪者の対処に意識を割かねば」

 ホットパンツを履いて、三節棍(つまりヌンチャク)を持った女が言った。

 

「早く立って!」

 出し抜けに声がした。アンビーだ。

 

「さっさとホロウに逃げねえと、やばいぞ」

 

 ビリーの声に身を打たれて、彼らの後を追う。

 

 手錠のかかった腕を鬱陶しく思ったが、気を利かせてアンビーが断ち切った。

 

 道路を脇に逸れる。奥には大きなホロウが望まれた。

 

 アスファルトから砂利へと地面が変遷して、ホロウの境界は眼前に迫る。

 

 勢いのまま飛び込む。中は捨てられたビル群だ。

 

 その時だった。奥の広い空間が鳴動を始めて、隆起し出したのは。

 

「おい、何かやべえぞ……」ビリーが呟いた。

 

 心臓が鼓動するように動いた地面はやがて打ち破られ、巨大なエーテリアスが露出する。

 

「あー……これはちょっとやばいかも……」

 ピンク髪の女社長が目を泳がせた。

 

 木は考える。このままだと治安官が到着する。ならばやるべきことは一つ。

「──治安官になすりつける、とな」レイが言った。いつまにか、隣に立っている。

「俺の心を読むなよ、外道」

「読むも何も、我はお主自身だ」

 

 木は幻影を無視して、三人に呼びかけた。

 

「こいつを盾にして治安官から逃げるぞ!」

 

「それだわ!」

 ニコが同調して、化け物を迂回して避けるという段取りに、言わずとも収束した。

 

「フシュ────」

 ガガガだかグググだか唸り飛ばして依然こちらを睨み据える化け物。

 

 その左をいささか遠慮しながら回っていく。

 

「動くなよ……動くなよぉ……」

 ビリーの低い声に集中をいっそう強めながらも、進んでいく。

 

 瞬間、奴の赤い目がギロリと剥けた。

「くるわ!」アンビーの叫び。

 それを皮切りに隠密行動は解かれて、猛スピードで駆ける。

 

 化け物の丸太を3本束ねたような大腕が、空を舞う。

 

 反動がついた手腕は、そのままこちらへと振りかざされる。

 

「アンビー! やっちゃってーっ!」

 

 ニコの呼びかけに、アンビーは強く踏み込んだ。

 

 全員の前方に躍り出て、刀剣の柄を握り込む。

 

 アンビーが思考する。腕のスピードは対応可能。あとは奴の肉体の強度のみ。

 

 簡単に断ち切れるとは言い切れないが、やってみる以外ない。

 

 やることやって死ね──アンビーの防衛軍時代に叩き込まれた理念を端的にまとめると、こうだ。

 

 ────やるしかない。

 

 腕の根元を狙う。既に眼前に迫っている。

 

 下段の構え。

 

「はぁあああ!」

 下段から上段、寸分狂わぬ一閃。

 

 奴の腕は一発で断たれ、脇道にびちびちと蠢きながら堕ちた。

 

「グラアアアアアッッッッッ──!!!!!!!!」

 雄叫びを上げて、デカブツは怯み込む。

 

「やったわ! このまま逃げるわよぉ〜!」

 

 駆けて、駆けて、駆けた。

 

「そろそろいいだろ」

 

 ビリーがそう言ったので、一同は息を休める。はあはあと湯気の立つような呼吸を整えていく。ビリーは少しも辛そうではない。

 

「──ふう。助かった」ここで、ささやかな疑問をぶつける。「……なぜわざわざ来てくれたんだ? 治安官に楯突いてまで」

「750万ディニーをもらってないぜ?」

 

「ああ……なるほどね。邪兎屋の口座聞いてもいいか」

 木はスマホを取り出すと、ちょちょいのちょいで支払った。

 

「これで資金が潤うわね」ニコが嬉々として首を上下に振った。

 

「こっからどうするの?」

 アンビーが聞いてきた。

 

「仲間が来る。待つだけだ。

 お前らはさっさと逃げた方がいい。俺は追われる身だ。治安局にも、他の筋にもな」

 

 邪兎屋が去る。

 

 去り際に、社長が名刺を出した。

 

 その名刺はポップな作りで、ショッキングピンクが目に痛い。

「2割増しで請け負うわ」ニコのキメ顔。

「2割引きよ。ばか」

 アンビーが彼女の頭をゆるめに叩く。「いてっ」

 

「依頼、いつでも待ってるぜ、シャチョーさん」ビリーが最後に言い置いた。

 

 そして──誰もいなくなった空間を漫遊していると、ごそっと物音がした。

 

 二人分の足音。警戒は必要ない。

 

「ここにいたか」

 後ろから声がしたので、振り向く。

 

 見ると、レイの幻影が見えたと思ってぎょっとしたが、雪のように白いロングヘアを見て気づいた。

 

 柊だ。腰に愛用の刀を携えている。

 

 このように、木はしばしば柊にレイの面影を憶える。その度に自分の頬を叩く。

 

 口調といい、見た目といい、レイそのものだ。彼女に口調を変えさせようとしたのも、任務で目立たないためということの他に、忌々しい幻影を思い出さないためというものがあった。

 

 いよいよメームを殺すとなって彼女が現れたのは不吉な余韻がある。

 

 ──この時も同様に、自分の頬を引っ叩いた。

 それを見て柊が「は?」とでも言いたげに口を開けた。

「変な夢でも見たか」

「そうに違いないね」木が返した。

 

 後ろから、ヘプタが出てきた。

 

「お前の元同僚に殺されかけた。治安官が来なけりゃ今頃天国だぜ」

「すまんのぉ。彼女の動きには気づいておったが、柊も危うげだったから、治安官を呼びつけたんじゃ」

 

 わかってたのなら無線で警告くらいしてくれよとも思ったが、言わないでおいた。彼なりに考えがあってのことなのがわかったからだ。ヘプタのやることには、タバコ以外意味がある。

 

「お主、その元同僚に呼びつけられていたな」

「そうじゃったか? まあ、呑気に従っていれば、今頃天国じゃろうの」

 

 なぜこの殺し屋たちが天国に行けると思っているのか、柊にはいよいよ分からずじまいだ。

 

「あの女、追ってくるはずじゃよ」

 

 ヘプタが呟いた。何十年も死線の上を綱渡りしてきた男の声帯は低く声を出し、ビル群にこだまするようだ。

 

 ──不吉な余韻とは、これだ。

 

「今にもその影から、現れてきそうじゃわい──」




そろそろ六課の活躍も書きたい
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