「なあにやってんだ」
テーブルで男が低く声を発した。
柊はバリスタに声をかけた。
「我は執行官だ。こっちで治安局に突き出しておく」
本当は元執行官で、身分詐称でしかないが、発覚することはないだろう。
──治安局に差し出す前に、少し話を聞いてやるだけだ。
『助けていただいて尚、そのような迷惑はおかけしていられません』と断る男だったが、うまくなだめておいて、出口を振り向く。
寝そべった二人をあそこに引っ張りたいのだが、その方向に、若者がいた。
老爺は座ったままスクランブルエッグを食している。
「すまないが姉ちゃん、その二人はこっちが引き継ぐ」
男の容姿をつま先から頭のてっぺんまで観察する。
チェスターコートにハンチング帽を被った、自信を感じさせる男だ。
筋骨隆々、ではないが、背が高く──190センチはあるだろう──肩幅が広い。
筋肉質でないながらも内奥に力を秘めていそうなその体型は、安心感を感じさせる。
──彼が仲間であれば、の話だが。
「誰だ? 主は」
「一般人だ」顔色ひとつ変えずに、返答する。
「一般人が、こいつらを持ち帰ろうとな?」
「ああそうだ。用があるんだ。それも大事な」
「『なるほど』とはいかないぞ」
「そうかい」
少し間をおいて、彼が返事をした。
彼の眼差しが、より強攻になる。
その場の空気が、異様なものへと変化した。
バリスタの老人が、息を呑む。一体何が起ころうというのか。
テーブルの老爺は我関せずとでも言うかのようにコーヒーを啜っている。
──彼の拳が、強く握られるのがわかる。
争いの火種はしかし、より大きな問題に掻き消された。
窓の外を、何かが通った。エーテリアスだ。
店内のスピーカーから、警告音がした。ホロウの発生を伝える。
バリスタの男が、焦燥に顔を染めながらも、沈着な動きをみせた。
「皆さん、こちらへ避難してくだい! 店内には非常用シェルターを備えています!」
怯え切った客たちが、カウンターの奥へ消える。
残ったのは、老爺、若者、柊、テーブルの女だ。
「そちらのお客様も──!」
老人がこちらに声をかけたところで、ガラスが割れる音がした。
聴覚と視覚を刺激する恐ろしげな喧騒。
人が腰を曲げたような形をしたエーテリアスたちが、いくつも攻め立てる。
「ホロウはTPOをわきまえろよな」
男が舌打ちする。
彼が動く。懐からナイフを取り出すと、華麗とはいえない、しかし素早い動きで殲滅していく。その動きは洗練された戦闘員に見られるものだ。
老爺が座るところに、一体のエーテリアスが向かっていく。
若者は知ってか知らずか少しも気にしない様子だ。
──まずい。
柊が動く。助けなければ。柊の元執行官としての意志が騒ぎ立てる。
動きの素早い化け物は、老爺のたるんだ首を掻き切らんばかりだ。
と、老爺が、食卓のナイフを握る。
朝日に切っ先が彩られる。
──それを、喉元に突きつけた。
「ギャオッ!」
濁った声と共に、エーテルを削る音が激しく鳴った。
動きを止めた化け物を奥に押しやる。その身体がちょうど向かいの席に着席した。
ゆっくりした動きでソファを滑るように動き、立ち上がる。立ち上がりざまに左手にフォークを取った。
「大丈夫か?」
柊が声をかける。
「ああ、余裕じゃ。わしに構わんでよい。執行官だったんじゃろう? 他を助けてくれ」
執行官
我を知っているのか?
構ってる時間はない。すぐに店を出た──。
エーテリアスを前にする。相手は突っ立ったまま老爺を喰らおうと機を伺っている。
「一口分、待っとくれ」
フォークをベーコンに突き刺すと、うまそうに噛み砕く。
「ベーコンはやはり、この店じゃな」
言いながら、襲いかかるエーテリアスの足を引っ掛ける。
倒れ伏して芋虫のように蠢く。その頭部を踏み潰す。
グシャリ。
外に出た柊は当たりを見渡した。速いもので、人々は避難を終えている。
ホロウが近いこの地域は防災意識がバツグンだ。
街路には消えた人々の代わりとでも言うかのように、おびただしい数のエーテリアスが散策している。
「ずいぶんいっぱいおるのじゃな」
後ろの方で、老爺の声がする。いつの間にやら若者とともに出てきていたらしい。
前を向く。化け物が闊歩している。
突っ立ったままゆらゆら体をくねらせる様は、海底の未確認生物を連想させる。
処理しなければ。
──いや、その必要はあるまいと、すぐに気づく。
対ホロウ行動部課長、星見雅の姿が見えたからだ。
蒼い刃は演舞のようにはためいて、しなって見えた。
みるみるうちに倒れていくそれらを見ていると、さすがは彼女だと誇らしくもなる。彼女に対する信頼は、親近感さえ湧かせるのだ。
ひと通り処理し終えたところで、彼女がてくてくと向かってくる。狐耳がひらひらと揺れる。てくてく、ひらひら、今しがた敵を切り伏せていた豪胆さとは正反対の可愛らしさだ。
「久しぶりだな」
柔らかな声が、聴覚を刺激する。
「ああ。『あれ』以来だ」
とある大型任務で共に駆り出されたことが、記憶に新しい。思えば、あの任務が執行官を辞める起点となった。
「他の隊員はどこに?」
「急を要する任務だ。六課の者たちを置いて先に来た。申し訳ないが、雑談は後でしよう。今は任務に専念せなばならない」
柊が送り出す。ばっと一瞬にして動き出し、長い黒髪が風にのる。
はっとして、後ろを見た。若者と老爺がいない。
どこに消えたものか。考える。この広い街路から効果的に身を隠せるのは、裏路地以外ない。
そこへ駆けていく。先ほど隠した刀を左手に取り上げる。
奥の薄暗い場所に進むと、広い空間に出た。一台のバンが置かれている。
暗くてよく見えない。若者と老爺が、米俵のようなものを二つ運び込んでいる。
明らかにローズグループのならず者達だ。
「何をしている」
駆け寄った。柄に手をかける。
「こいつらに『役』を果たさせる。
──お前も来るか?」
味方とは決していえない彼の提案は、彼女の意識を揺るがせた。深呼吸する。彼の表情は『真意を述べたまでだ』と言いたげだ。鷹のような目がじっとこちらを見据えている。
他意があるとは考え難い。
「何をしているんですか」
不意に、誠実そうな、その中に温かみのある声が聞こえた。
誰だかわかる。後ろで彼女が凛とした様で立っているのが想像できた。同じく対ホロウ行動部の、月城柳だ。
「あ──」あまりのことに、声が漏れる。
彼女とは面識がある。
そして。
──この状況。薄暗い裏路地で男二人が男二人をバンに運び込み、その横には帯刀した女。
柳から見たら、共犯者以外の何者でもない。
そっと、後ろを見る。
柳の後ろに、六課の浅羽悠真と、蒼角が。
三人は、武器を握り込んでこちらを、じっと見つめている。
「何を──しているんですか」
雅と柊は、海上にできたホロウにまつわる任務をしてました(プライベートで書いたゼンゼロ二次)。