柊はここでヒューゴの助けに感化されるような人間ではない。
抜き身の刀を下段に構えながら駆け、脚を払うように斬った。
「おっと」
ヒューゴは抑えていたキキの刃から身を避け、跳び上がる。キキも身を下げて避けてみせた。
「非道いことをする。俺が今しがた貴公の命の恩人になった身だということを忘れているのかな?」
「そう思ってもらって構わん。我を助けたのも何かの利用価値のためだということは目にみえている。だろう? 裏切りの賊」
「ほお……俺を内通者だと言うか。無理もない、貴公の認識に間違いはないのだからな」
柊はこれ以上言葉を交わすことなく走りだした。時間がない。警察が到着するのももうすぐだろう。
構えの動作をする。ヒューゴはその先に立っているにもかかわらず、この状況を嗜めるようにして立っている。
キキが柊が落とした鞘を拾う。その様子を見た柊は違和感を感じた。それは悪寒に近い、柊が危険な状況にある時に体中に走る感覚だ。
(今あれを拾うことに何の利点が……?)
あの鞘と手に持った刀は柊家に代々伝わる家宝だったものだ。あれを失っては柊は一生をかけて後悔する上に、それ以上に
(取り返さねば)
ヒューゴを避けて彼女は風のように走り、刀を振る予備動作をする。
だがその前にキキは「遅かったな」とでも言うように鞘を前にかかげる。
そこでその場は、鞘──もしくはそれが纏う何か──を光源にした黒い光芒によって照らされた。廊下の中に黒いものが横たわったようなものだ。
空の雲の間から差す光のような形で、直線的な光線が目に映る。
「なんだ……あれは」
柊は立ち止まり、自分の所有する鞘、先代が大仰すぎるとも言える扱いをしていたその鞘の知らない一面を見て驚嘆した。
そもそも黒い光など存在しない。だからあれは光などではなく何かオーラとも呼べるものだ。
鞘は黒いもやを纏い、それを持つキキの手を覆う。
「この気配、どうやら俺たちは窮地に立たされたようだ」
ヒューゴは相好を崩し、しかし冷静な顔で事実を述べた。
「俺と貴公で小競り合いをしている場合ではないようだな」
「致し方ない……妙なマネをすれば容赦無く斬るぞ」
「ご理解いただけて何より──ッ!」
いきなりの突風が柊の身体を凪いだ。
反射的に振り向いてみると、ヒューゴはもう吹き飛ばされていた。
「ヒューゴ──!」
「ゴォ…………」
攻撃されたヒューゴに構う以前に、何者かと変貌を遂げたキキに意識を向けなければいけない。
柊の首筋に、過度な集中によって一縷の汗が通った。
「何だ……その溢れでる力は……」
キキはその答えとして猛る叫びを彼女に聞かせて、脚を踏み出した。そこから彼が繰り出したのは、人間を超越した動きだった。
いつもなら、柊にそれを見切る能力は無い。いつもなら──。
彼女は、自分の目が熱く燃えるような感覚を得た。
(──視えるッ!)
柊は刀を高く保つ『高波の構え』をする。落ち着いている。
キキはまだ少し遠くにいた。ひどく動きが遅いように感じる。
──いや、まるで未来を見通しているとも言えるような感覚だ。
彼女は刀を突いた。キキはまだ近くにはいないが、そこを衝くのがよいように思えた。
そして彼はわざわざ彼女の刃先に体を重ねるように動いてみせた。
「──グァッッ‼︎」
彼は驚いて獣のような雄叫びと共に跳び下がる。……そして自分の手を見やった。毒々しい色の血が湧き出ている。自分の身体が切れていることにやっと気づく。
「主にくれる
柊は続き踏み込んだ。その速度は既にキキに勝っていたが、彼女に感じられるのは周りの世界の遅さだけだった。
キキは辛うじて、黒く気配を纏った鞘を構える。
刹那の攻防の末、名を共にする刀と鞘が重なる。
柊家の家宝刀『
そして旧都陥落以降、鞘は鋼鉄よりも重く固い素材に埋め込まれた。
これはなぜか。
鞘の改造は柊家の今は亡き先々代、つまり柊司の祖父が施したものだ。以降、この刀はこれもまた亡き父と母によって神を奉るように、見方を変えれば化け物を鎮めるように、文字通り宝物として扱われた。
なぜそうなったのか。
二つの問いの答えは柊の知るところではない。だがその答えは、今から起こる事にその片鱗を見せる。
刀とその鞘がぶつかる。その瞬間にその黒いオーラが爆破する様に辺り一面を覆った。
「……なん──っ!」
柊が着地するよりもずっと速くオーラが刀を包み込む。
続いて呼応したように刀は深淵のような気配を我が物にした。
柊は驚いたものの構わず振り抜く。その刀はひどく軽かった。
次に、更に途方もなく大きな驚きが彼女の心を取り巻いた。
振った直後の嘘のような静寂、ワンテンポ遅れて迫る背筋を下から上に震わす轟音、目線の真っ直ぐ先全てを砂の城のように容易く破壊し尽くし、最後に彼女は唖然とした。
……振った刀がその奥75メートルをなぎ倒すように破壊したのだ。
目線の先には今や空が垣間見える。
「グァァ──アアアアアアアッッ‼︎」
破壊音が小さくなり、その中から霞掛かった様に聞こえ始めたキキの悲鳴。それを聞いてもなお彼女は棒立ちし尽くした。
我を取り戻し彼が消えていった会場の方へ走る。眼下に彼は居た。
体の中央に柊の付けた焦げついた傷が大きく走っているが、それは徐々に形を戻しつつある。騒ぎは今の柊の斬撃で比じゃないほどに拡大する。今のうちに殺害しなければならない。
だが、その様子は何やら今までと違う。
「身体が巨大化している……!」
足も頭も胴も何もかも化け物と変わり、その全てを膨大な膂力の塊にした。
「救いがないな」
キキは飛び上がり、見上げるほど高い天井──柊の斬撃のせいで一部空を見渡せる──に手を突き刺し、その中で鉄屑を掴んだ。化け物はそのまま滞空している。
後ろからいくつもの足音が聴こえた。治安官が来たのだ。
柊は咄嗟に叫ぶ。
「来るな‼︎」
と言って、彼女ははっと息を吐く。
髪をなびかせる風が吹いて、思わず振り向く。
「く……」
治安官はもうキキの手にかかり、肉塊へと姿を変えていた。
「……身をそのように変えてもなお業を成すことを怠らぬか」
柊は強く息を吸った。刀を振り上げる。
「ならば、その身体までも
持ち上げた手を突然止められる。
「……平静を失うのは、ここでの最悪手の一つと言えるだろうな」
「ヒューゴ……」
「その顔は俺が貴公の心配に預かれたととっていいのかな?
それは裏切りの賊である俺に人の良いことをしてくれたものだが……あの程度で怪我をしたと思ってもらってはモッキンバードの名が泣く。
──それで、その刀を振った場合後続にいるであろう治安官はどうなるかな?」
「……見ていたか。この刀の力を」
「見たもなにも、駆けつけてみれば危うく消し飛ぶところであったのだがな」
化け物は肥大した腕から伸びた鉤爪を研ぐように床を割いている。単純に破滅を思わせるその様相はやがて2人へ牙を剥く。
この世のどの生物も上回る脚力でヒューゴの背中を狙う。
「ヒューゴ‼︎」
一陣の凍てつく波動と共に氷壁が化け物の行く手を阻む。
「よく見切った」
「ただの範囲攻撃だ。見切ったと言えば誇張になる。──そして」
強い震動が床を揺らす。一つ間を置いて、化け物の方へ引き戻すような振動が氷壁を一度に破壊した。
「これがその場凌ぎでしかないのも分かり切っているはずだ」
ヒューゴはそう言って、冷気を発する大鎌を後ろに構える。
「──被害がこれ以上拡がるのを防ぐには、俺たちが血を呑まなければならないらしいな?」
「……そうだな」
そうして柊司も、未だ黒い気配が荒く波風を立てる『戒呪ノ刀』を、深呼吸の間に構えた──。
蝮・化け物・戒呪&ヒューゴ・了──
イーシェンは次話!