ゼンレスゾーンゼロ 零落者のゆく先   作:柿本人麻呂

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前回:司の刀にはエーテリアスの力が秘められていた
司には術法を習得する以外生き残る道がないことが儀玄に明かされる

※儀玄の能力や詠唱など、想像なところがあります


後ろは見ない

「言われずとも始めていたぞ。

 後ろは見るな。さすれば自ずと道は開けるはずだ──」

 

 柊は儀玄に抱えられて雲嶽山の山頂付近の平らな場所に来た。ここからは海に沿った衛非地区の街並みが見渡せる。

 

「ここなら意識を最大限集中できるはずだ」

 

 儀玄は折り畳みの椅子に柊を座らせた後に言った。

 

「時間が無い。早速始めるぞ」

「頼む」

 

 儀玄は柊に背を向けて街の方を向いた。そのまま両手で印を結び、息を吸う。

 

「陰陽相生!」

 

 すると、灰色の岩肌で覆われた地面から墨のようなものが滲み出る。それは重力に逆らって滴り、1滴ずつ決められたように儀玄の眼の前に円陣を組んでいく。

 その円の中は空間がくり抜かれたように黒く、風流な街の景色に一つの炭汚れを残す。

 

「気を抜くなよ。この修行法は初めてやる。これまでやってこなかっことには、それだけ理由があるからな」

「危険なのだな」

「ああ」

 

 儀玄が柊の手を握った。そのまま彼女の体を持ち上げ、その指先を陣に触れさせる。

 

「──っ」

 

 その時、自分の意識が身体から剥がされ、陣に吸い込まれるような感覚が柊を襲う。

 

「ここは……」

 

 目を開くと、そこは真っ黒に染め上げられた世界だった。その中に独り立っていると、根源的な恐怖を感じざるを得ない。だが体は動かせるようだった。

 

磔架(たっか)の創世!」

 

 儀玄の声が聞こえた。そしてまばゆい1滴の雫が地面に落ち、それは瞬く間に世界を創り出した。その様は絵の具で色付けていくようなもので、柊は黙って見入る。

 そこにできた世界を見て、柊はほんの少し動揺する。

 

「ここは……」

「この術は自分の最も恐れるものを元にして世界を創り上げる。辛いだろうが我慢するんだな」

 

(そうだ……ここは……我の家だ)

 

 紛れもなく『あの日』だった。晴天の暖かい昼。柊家の縁側。憶えている。

 誰もかれも、居なくなった日。

 

 儀玄は柊の隣に来て、刀を渡す。

 

「これがお前さんの刀だ」

「戦いが起こるのか」

「そうだ。お前さんはそのトラウマと戦い合う必要がある」

「向き合え……とな」

「……大丈夫か」

「……ああ」

 

 柊はそう返事したが、彼女にそれほどの余裕が無くなったことは儀玄には筒抜けだった。

 柊は自分の手に握った刀を眺める。義父・神坂犀星(かみざかさいせい)との修行が佳境に差し掛かった時に使っていた真剣だった。

 この幼少期の世界でこの刀が出てくるのは、ここが柊の精神世界であることの証明である。

 

 柊は嫌な予感を感じていた。

 

「この世界で闘いに敗れれば、お前さん──司の精神は焼き切れ、消失する。この修行が行われてこなかった所以だ。自己のトラウマに打ち勝つことは難しいからな」

「だが我は、やるしかない」

「そうだ。私はこの闘いには介入できない。介入の末勝てたとして、それは術法の習得には至らないからな」

 

 儀玄は飄々とした態度で進める。

 

「……! あれだな。手合いの相手は」

「あれは……」

 

 柊家の庭園の芝生に、1人の男児が立っている。

 

柊彦斎(ひいらぎげんさい)……」

 

 柊司の弟だ。

 

 柊が最後に見た彦斎の姿と全く同じだった。子どもらしい丸顔を黒い髪が包み、暖かい風に袴が揺れる。

 

 嫌な予感──。

 

 彦斎は手に真剣を握っている。幼い体にそれは不釣り合いなほど大振りで、手をだらりと下げているので、切っ先が垂れて地面に跪いている。

 

「だめだ……」

 

 柊はわなわなと唇を震わせ呟いた。

 全く同じ感覚。全く同じ、あの幸せな日々。

 

「お姉ちゃん」

 

 彦斎が口を開いた。ここで彼がいつもの彦斎ではないことに気づく。

 

(ここはトラウマの投影世界だと言ったな……)

 

 彦斎の顔は暗く、柊の心を奥底まで見透かしている。紫の瞳が黒々と柊の首筋を見据えている。

 

「柊彦斎……」

「久しぶり。ぼくを殺したお姉ちゃん。

 わかってるよね。今ここでぼくを殺さないと、次には進めない」

「……」

「じゃあ……始めようか」

 

 彦斎が動いた。

 たっ──と柔らかい音がして、

 

「後ろ」

 

 完全に一歩遅れていた。

 少し考えればわかることだった。

 ここは心象世界。相手が男児であろうとその強さはそれまでではないのだ。相手がトラウマとなれば倒すことは容易でない。

 膝をついた。胸を切り裂かれていた。

 司に戦意はもはやなかった。

 

「まずい──司のトラウマがここまで──!」

「儀玄殿、どうか心配しないでくれ」

 

 そんな彼女を、司は手を出して制した。

 

「わかった……お主は我の恐怖の顕れ……打ち破らねば、前には進めぬ……」

 

 柊は刀を強く握り、立ち上がる。

 

「いくぞ」

 

 刀を振り、2人は切り結ぶ。

 

「手加減、またしてる」

 

 彦斎が言った。彼は司を凌駕する力で押し退ける。

 

「ぼくに手加減する余裕なんて、お姉ちゃんには無いよ。そういう傲慢さがお姉ちゃんの弱さなんだよ。ねえ、わかる? 人を自分の正義に当てはめてさ。人も殺したよね。いっっぱいさ。そんなことをする権利が、お姉ちゃんのどこにあるっていうのさ」

 

 これはキキからされた指摘だった。ここでやっと司は、キキのその指摘がずっと自分の内奥に引っ掻き傷を残していたことに気づく。

 気づくと司は地面に頭を垂れていた。

 

「そのままだと……次で終わりだね」

「いや……まだだ」

 

 司は立ち刀を握る。

 2人は斬り合った。

 

「いいよ、お姉ちゃん」

 

 刀を振り、

 

「いいよ、その顔」

 

 防御し、

 

「まるでぼくを──したときみたい」

「……」

 

 攻防の末、競り勝ったのは司だった。

 彦斎は肩に大きな傷をつけられて、ここだけは子どもらしく尻もちをついた。

 

「何でお姉ちゃんばっかり……」

 

 子どもらしく涙を浮かべる。

 

「もう終わりだ。勝負は喫した」

「何でお姉ちゃんばっかり生き残って……こんな場所でもぼくに勝っちゃってさ……」

「……」

「ずるいよね。ぼくに勝って、『勝負は喫した』だなんて。こんなに傲慢なのに、ぼくばっかり死んじゃう」

「我は……」

「何か言うことでもあるの」

 

 彦斎は肩の傷などないかのように素早く立ち上がる。彼の頬を涙が1滴伝う。

 

「……ならさ。何で見捨てた?」

「──っ! 違う!」

「どうして見殺しにした!」

「違う‼︎」

「な゛ん゛て゛ほ゛く゛を゛助゛け゛て゛く゛れ゛な゛か゛っ゛た゛‼︎」

「…………違う……違うんだ…………やめろ……」

 

 司は刀を落とす。柊家の庭の、いつも彦斎と遊んでいたあの芝生の感触だった。柔らかく、太陽に包まれるあの感覚が鮮明に記憶を焼き直す。

 

「あ──ああ……やめてくれ……頼む……頼む…………うっうっ……」

 

 儀玄は柊の様子を見ていても、どうすることもできない。手出しをすることは柊のためにならないからだ。

 柊は涙を流した。長い時間、そこにうずくまっていた。

 

 ────。

 

 しばらくして、刀を拾った。が、構えず、

 

「今度こそ理解し(わかっ)た……。我の傲慢さを……お主の辛さを……」

「……そう。それで刀なんて握って……まだぼくと戦う気なの?」

 

 彦斎は少し期待したような表情を見せるが、刀を持った彼女を見てその表情は消えた。

 彦斎は刀を構える。

 柊は刀を鞘に仕舞った。

 

「お姉ちゃんの抜刀術なんて、ぼくには見慣れたものだよ。今度こそ……死んじゃうよ」

 

 彦斎は踏み込んで、刀で突いた。それは正確に司の腹を狙っている。

 

 だが……。

 

「お姉ちゃん……」

 

 司はそれを避けることはなかった。避けられなかったのではない、()()()()()()()()

 それどころか、深く刺さった刀など気にせず、前に歩んでいく。

 

「お姉ちゃん、何を……」

「もっと近づかねば……受け容れられない(お主の頭を、撫でてやれない)

「…………そう」

 

 彦斎は、ぱっと顔を和らげる。

 

「……やっと、わかってくれたんだ」

 

 司は彦斎の頬に触れ、頭を撫でる。

 

「あれだけ理解しようとしていながら……我は、お主を受け容れようとはしなかった。それが我の傲慢さであり……(とが)だ……。

 お主は我のトラウマの権化などではない……彦斎……誰よりも我を知り、想っている……我の──」

 

 頭を撫でられた彦斎は、既にあの射抜くような目つきではなく、子どもらしく微笑んでいた。

 

「心だ──」

 

 彦斎の指先がゆっくりと消えていく。同時に司に刺さった刀も、司の傷も消えていく。

 お互い何も言わなかった。じっと見つめ合い、自分の心に向き合う。

 彦斎が居なくなり、儀玄がやってくる。

 

「すまないな。嘘をついた。この世界はトラウマの投影などではなく、自分自身の心を映す」

「謝る必要などない。むしろ感謝している。儀玄殿──」

 

 その時、地震のような強い揺れと共に、空に亀裂が入る。

 

「なに」

 

 真っ先に反応したのは儀玄だった。

 

「修行は終わったはずだ。世界の崩壊は起こらないはず──」

「儀玄殿、あれは……」

 

 柊は亀裂から這い出てきた何かを指差す。

 

「……エーテリアス……ここまで蝕まれていたか……ヤバいな、術が暴走している。今すぐ出ないと恐らくこの世界に閉じ込められる」

「どうすればよい」

「私が結界を張りそれで脱出する。だがそれには少し時間かかる上、私は完全に無防備になる」

「我が守ればいいのだな」

「頼むぞ」

 

 儀玄はその場にしゃがんで術を唱える。地面に不完全な紋様が浮かび、少しずつ形を成していく。

 そうしている間にもエーテリアスは空から降り注ぎ、四方から狙いすましてくる。

 柊は来るものを切り伏せていくが、

 

「数が多いな──ん、なんだ……あれは……?」

 

 柊はエーテリアスの大群に混ざって動く異様な気配を感じとる。

 それはH.A.N.D.時代に戦ったことのあるサクリファイスよりも全く小さい、ヒトの形をした異形だった。

 

 突然、それの姿が消える。

 

「どこに──」

 

 後ろを見る。儀玄の真後ろにその化け物がいた。

 柊は刀を振った。が、化け物は背を向けたままゆらりと避けてみせた。

 その時、大地がひときわ大きく揺れる。

 続けて芝生から巨大なエーテル物質の結晶が幾つも突き出る。

 

「なに……」

「儀玄殿! 大丈夫か」

「術法は歪んでない。が、もたもたはしてられないようだな」

 

 柊は奥を見やった。

 

「くっ……やはりあのヒト型の異形か」

 

 あの化け物はこのエーテル結晶を自在に操れる。

 理性的な動きで手を振って、柊に結晶を差し向ける。

 幸いといっていいものか、その結晶で他のエーテリアスは自滅していた。

 

(あの異形をやるしかないな)

 

 柊は儀玄の術の範囲から離れることになっても、あれを今すぐに倒さないといけないことを確信していた。

 異形を倒すとまではいかなくとも、少しの足止めでいい。そうしたら、儀玄の術へを足を戻す。

 

「迷いはない──」

 

 柊は駆けた。すぐに術法の圏外へ抜け、刀を後方へ構える。

 異形は柊に力をほとんど割いている。その証拠に柊が辿った道筋を追ってエーテル結晶のトゲが大きく芝を裂いてくる。

 

(我の方が疾い──!)

 

 もうすぐに刀の射程に入る。

 袈裟を狙う。刀を上げる。下に振る。

 

(斬った!)

 

 刀は振り抜けた。異形は2つに分かたれた。

 

「なんだ……」

 

 だが、化け物は死なない。特異な治癒能力で、滲む緑の血に切断部分を接合し、すぐに1つに戻る。

 一時、その光景に足を止める。

 

「なんだ……これは……」

「司! 術が完成したぞ!」

 

 儀玄の声がした。

 もういい。追撃は必要ない。全速力で戻るだけだ。

 柊は踵を返し、走った。化け物はまだ再生に気を取られている。

 儀玄の周りには術法で結界のように透明な膜が張られている。

 後方を確認することなく走る。とにかく走る。

 

「これで──終わり──」

 

 手を伸ばした。それは結界に1センチの間隔も無い。

 

 しかし──。

 

「ぐっ……」

 

 体が……動かなかった。疲れやその類のものでは無い。

 走る最中の前傾姿勢のまま、重力に逆らって完全に静止している。

 

「!」

 

 儀玄が眉を上げる。その目は後方の異形を見つめている。

 異形は少しも動いてはいなかった。が、手を前に張り、なにかを抑えている。

 そのなにかというのは、柊に他ならなかった。

 

「念動力か!」

 

 結界の中から新たに術法は使えない。一度出てから柊を助けなければならない。

 儀玄は迷わず足を進めようとする。

 その瞬間、結界外の世界が不快な破壊音を立てる。

 空にあった亀裂が一息で粉砕し、元の真っ黒な世界に戻る。

 

「儀玄殿‼︎ 我を置いていけ‼︎」

「ダメだ」

「大丈夫だ! 我は必ず戻る!」

「そのようなハッタリは私には通用しないぞ。……自己犠牲などするな」

 

 それは儀玄の切実な願いだった。彼女は自己犠牲で最も愛している姉を亡くした。

 

「儀玄殿──構わず──行け──」

 

 儀玄は柊を助けるため、躊躇いなく動く。

 

「我のことは──もう──いい」

 

 その時、柊にかかる念動力が解ける。

 そうして、走っていた時の勢いのまま、結界内に入り込む。

 

「──! 司、大丈夫か」

「ぐっ……なぜあの力が解けた……」

 

 儀玄は倒れ込んだ柊を介抱し、そのまま片手で術を解放する。

 前から眩い光と共に道が開ける。

 

「あれを通るだけだ──異形が迫っている、いくぞ」

 

 儀玄は柊の肩を持ち、進んだ。

 その2人は真後ろにあの異形が迫っていることを知らない。

 化け物の力は儀玄を狙っている。

 

「ここは通さないよ」

 

 その間を、1人の少年が入る。

 

「ぼくのお姉ちゃんは、これから進むんだ。だから、ここは──通さないよっ!」

 

 柊はその声を聴いた。

 

「彦斎……」

 

 後ろを向いて、彦斎を見たかった。彼と話すのは、ここを過ぎれば一生無いと分かっていたからだ。

 彦斎を見たい──。だが、そうすればもう戻れない気がしていた。

 

「彦斎が我を……」

 

 あの念動力から柊を解放したのも彦斎に他ならなかった。

 ここでふと、ある言葉が浮かぶ。

 

『後ろは見るな。さすれば自ずと道は開けるはずだ──』

 

 修行の前に儀玄が言った言葉だ。

 

「…………そうだな」

 

「……? どうかしたか」

 

 光の源泉はもう目の前だった。

 

「後ろは見るな、だったな?」

 

 儀玄はそれを聞いて、少し間を置いて微笑んで返す。

 

「ああ、そうだ」

「──行くか、儀玄殿」

 

 後ろは見ない。

 そのまま光の海へ、足を進めた。

 

 

 

 

   後ろは見ない・了──




「──行くか、『儀玄殿』」
「……これからは、『儀玄』でいいからな」
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