適当観を足早に抜け、ロープウェイへと向かう。
これはラマニアンホロウに繋がっていて、そこから資源を採掘するために使われていたが、今はもうその役目はない。資源を獲っていた企業が失脚したからだ。
「……ダメか」
ロープウェイへ辿り着くと、柊は立ち止まった。ごつごつした装備を体のそこかしこに取り付けた兵士が二人ほど、見張りをしている。
それもそうだ。H.A.N.D.の調査員が連絡を途絶えた今、ラマニアンホロウに行かせるようなことはしない。
雲嶽山の名を借りて通してもらうかとも考えたが、新人の柊には少しが無理がある上に、そもそもH.A.N.D.にお呼ばれした儀玄たちは既にこのロープウェイを使っていた。
柊は踵を返し、ラマニアンホロウを横目に海岸沿いへ向かう。
切り立った崖の上にあるのが、衛非の街並みだ。
崖の上下を繋ぐロープウェイがあった。それを使って海岸の街に出ると、錆び切ったような街並みが見える。
砂浜に出る。そのまま海岸沿いを走る。ここまでで
携帯の通知が鳴る。儀玄からだ。
『パンの話を風呂の中で聞いてたんだろうな?
そうだ 私とフーフー、パンは少しラマニアンに出向く
修行をして待っていろ
といっても、ロープウェイ以外に
柊は走りながら、これはフリなのか十秒は考えたが、儀玄は誰よりも柊の体の容態を知っている。柊の精神性を理解した彼女の、誠心誠意の戒めだった。
と言っても、もう遅いが。
潮の匂いがざんぶという音と共に迫ってくる。それは人間の脈のように周期的に起こった。
ラマニアンホロウは波の広がる先に存在している。
柊は手を握ったり開いたりして、凝雲の術をどうしたら実現できるか考えていた。
術法の球体を出現させ、大きな回転エネルギーが敵を滅殺する。球の中でこんこんと、黄金色のエネルギーがくすぶる。
柊はふと立ち止まり、海を正面に向いた。
思わず、前に手を出した。
ラマニアンホロウは海岸まで下がると、それはもう全てを飲み込むほどに大きかった。
その下に、手のひらを添える。手には収まらない。
が、何かを得た感覚はあった。
ホロウは禍々しい虹色で縁どられていて、巨大で精巧な球を描いている。
手の上に乗ったエネルギーの塊……
じっと目を閉じて、手に意識を集中させる。やがて、暗闇の中に一筋の光を見出した。
だがすぐに、それは消えてなくなった。
はっとして柊は走り出した。衛非はとうに見えてなくなっていた。代わりに、古びた桟橋に辿り着く。そこには一人の老人が居た。
服装は整っていた。すぐ脇には釣り道具がある。そして大ぶりのナイフを懐に隠している。
彼はにやりとして白い歯を見せた。
「おんしもラマニアンかの?」
「そうだ」
「ほっほ、よくよく悪い
「いくらだ」
柊は財布のない懐をまさぐりながら聞いた。
「値切りは受けんぞ──百万ディニーでどうじゃ?」
「⋯⋯あった」
柊はなけなしの硬貨一枚を取り出した。百ディニーだ。
「は⋯⋯百万ディニーじゃぞ? これの一万倍じゃて」
「⋯⋯⋯⋯そんなものがあるか!」
二人して立ち尽くした。波風の音だけがその場に残る。
「おんし⋯⋯こないな裏稼業にまで顔出して、百ディニーて⋯⋯」
そのとき、岩陰に隠れていた男が現れて、老人へ言った。
「
手が少しだけ震えている。
「なんじゃ、無料で客を通すってか。全く、そんなことだから客に脅されるんじゃぞ」
「ですけど⋯⋯この方⋯⋯その脅してきた一団の一人に雰囲気がそっくりで⋯⋯」
五分後、柊は小さなボートの上で波に揺られていた
怯えた男が全力でお願いしたので老人も根負けした。
波は穏やかで、心地よい音を耳に残す。ホロウはますます大きく見え、今や首が痛くなるぐらいにまでしないと上を見渡せない。
あいも変わらず柊の心の中はざわめき立っていた。
船頭の怯えた顔がしきりに柊の方を見やるが、柊は気づかなかった。
◇◇◇◇
ラマニアンホロウの禍々しい植物がそこかしこに広がる、荒廃した都市。
ここに来れば、手軽に世界の終わりを感じられる。
やけに建物の保存状態が良いのが、かえって退廃的だ。
儀玄は白いタイルを踏みしめながら、二人に言った。
「警戒を怠るなよ」
言われるまでもなく、二人は神経を研ぎ澄ませていた。
三人は密集して奥へ進む。
耳を澄ますと、やがて、
「うぅ⋯⋯」
といううめき声が聞こえてきた。
「聞こえたか?」
パンが二人に囁いた。
「人の声でしたよっ⋯⋯」
いつも明るいフーフーも、声が低い。
「ヤバいな」
出しぬけに儀玄が言ったので、二人は肩をしゃくりあげた。
次の瞬間、人の背丈の二倍ほどはある人形エーテリアスが、三人の前に飛び出した。
「お前さんたち、声のした方向へ助けに行け。ここは私がやる」
二人はすかさず「はい!」と返して、儀玄から離れた。二人は彼女を振り返らなかった。儀玄への信頼の証だ。
儀玄は二人が横道へ逸れていくのを流し見て、前を向いた。
術法を解いて、ひとつ呟いた。
「まったく、邪気という邪気がそこらに蔓延しているぞ。今頃H.A.N.D.の連中はあたふたしてるだろうな」
◇◇◇◇
「只今管制レベル2を突破! 長官、今一度ご命令を!」
壁中に精巧なコンピュータが張り巡らされた部屋の中、執行官の一人が叫んだ。
「何が起きて⋯⋯」
別の執行官も声を震わせた。
「それ、今考えることじゃないと思うけど〜?」
「で、ですが浅羽執行官、このようなことは前代未聞ですよ!」
「いーや」
浅羽悠真はイスをくるりと回転させ、液晶の映し出す赤い光に目を移した。
「前代未聞じゃない。どちらにせよ、僕たち執行官が判断を狂わす理由にはならない」
いつになく真剣な浅羽執行官を見て、相手はイメージと少し違うなとも思ったが、今はそれどころではなかった。
室内は薄暗かった。コンピュータのランプがチカチカと明滅している。
緊急事態にそぐわない静けさがその中の全員の胸を打った。
「まあ」
浅羽が付け加える。
「四十分で管制レベル2だなんてスピード、課長が虚狩りになったあの災害以来だけどね」
その言葉に、長官が目を細めた。しばらく黙っていた長官は、やっと口を開いた。
「六課を配備しろ」
浅羽は内心で、「それ以外ないよね」と呟いた。
執行官は六課の名を聞いて「これで安心だ」と思いながら、マイクを押さえた。
「こちら管制塔。対ホロウ特別行動部第六課へ送る、同課課長星見雅へ迅速に取り次げ。六課の配備を行う」
「おかしいですよ⋯⋯」
執行官の声を聞いて、浅羽はそっちのモニターへ目を移した。
そこにはマップが映っており、海と思われる地形を目線で辿ると、ぽっかりと円形に地図が抜け落ちている。
──これがラマニアンホロウだ。
「管制レベルが2に到達しているのに、ホロウ自体の暴走は確認できません」
ホロウの暴走、それはホロウが拡大することだ。
浅羽は言った。
「これは不幸中の幸いと言っていいのかな⋯⋯」
そんな彼の顔には、強い懸念が浮かんでいる。
「幸いとは思わんが、ちょうどいい。ホロウを止める猶予が与えられているわけだからな」
長官は言った。
「待ってください」
マイク近くの執行官が声を少し高くした。
「六課へ繋がりません、いや、中継に要請が通っていません!」
長官が激しく立ち上がった。イスが転がって後ろの壁にぶつかった。
浅羽も目を細めて長官の言葉を待った。
「さすがにいろいろ起こり過ぎじゃない?」
彼の中に、深い疑心が湧く。示し合わせたかのような連続的な凶報。ラマニアンホロウが管制レベル2になった途端に、指揮系統が動かなくなった。
いったいどうなってる⋯⋯
「お困りですか、長官」
その時ちょうど、部屋の扉が開いて一人の女声が中に入る。すらりと背が高く、ピンクの髪を後ろで結わえている。
彼女が足を前に出すと、金属の床がコンと鳴った。
浅羽は「えっ」と声を漏らす。「月城さん、なんでここに」
「柳か、助かったぞ。六課を呼べ──!」
「その必要はない」
出し抜けに、ひとつの声が響く。
「そーそ! だってここにいるんだもん!」
つづく
六課の浅羽執行官はこの緊急事態に管制塔へ呼び出されて、ラマニアンを監視しています
公式PV『虚狩りが生まれた日』によると、課長が活躍したあるホロウ災害では30分で管制レベル2に到達しました(課長はその時の功績を称えられて虚狩りに)