儀玄が今いちど相対した安日は「あなたを殺す」と決意し、戦いへ向かった
私の手から伸びる墨が、刀に巻きつく。「青溟鳥」の名を冠した黒いスズメが、頭上で飛び回っている。
「それだけ?」
「様子見だ」
灰色の床面を背景に、二つの点が煌めいた。風切り音と共に迫っている。
暗器か。
見てから避けるので遅くはない。
「変なものを持ってるんだな」
ヒュッと抜ける音を後ろに感じながら、私は日向に話しかける。
あういう物を日向が使うなんて、お初にお目にかかったものだ。
──誰かの入れ知恵だろうな。日向を
そう思うと、私は自然と手を握りしめていた。
私の墨が振り切れて、彼女の斬撃が迫っている。迷いのない軌道を描いて、一直線に──。
「迷いが消えたか」
炎を纏う斬撃を、術を纏った手で掴みながら言った。
彼女は歯噛みして刀を引っ張りぬこうと試みるので、私は放してやった。
──が、距離を離させるつもりはない。
私は「凝雲の術」のエネルギーの球を、手のひらの上に小さく作った。
のけぞる日向を見つめながら、どこに命中させるものか考える。そのとき彼女に「容赦している」ことに気づいた。
「──ふう」私は息を吸った。
「痛むぞ」容赦はしてられん。
彼女の次なる剣撃だが、私は頭上を飛び回る青溟鳥を術で掴み、空高く舞い上がった。
つま先のすぐ下を刀が通る。
「あっ」
彼女が叫んだようだった。
青溟鳥を放してやり、自由落下に入る。
体を捻り、浮遊感に身を委ねながら、体を横倒しにする──1秒もかからんことだ。
手の中でうなりあがる墨の球を意識した。空を斬っていく。まだ日向は反応できていない。
「どこへ⋯⋯行った!」
彼女の整った白髮だけが見える。
「歯でも喰いしばるんだな」
腕を伸ばす。その脳天に、「凝雲の術」を叩きこんだ。
墨が手の隙間から溢れて、空へ幾重にも線を書いた。この術の力は凄まじいものだ。
「……頭は避けたか」
咄嗟に避けて、腕が片方使い物にならなくなる程度で済ませたらしいな。
日向は痛むであろう腕を押さえながら、何歩も後ろへ下がった。
「やっぱり、『凝雲の術』──!」
「……これ以上はやめるんだな」
「いいえ……刀を持つ手は残ってる……これで十分」
ダッ、と日向が駆ける。
まったく、やめておけと……。
私は手のひらに「凝雲の術」を練った。
「またそれか」
「まずは、お前さんに寝てもらわないとな」
◇◇◇◇
柊は仰向けに倒れたまま、静かに上空を見ていた。
この地をまるまる囲んだホロウの幕が、てっぺんで一点に結ばれている。
気を失ってしまったものの、何事もなかったのは幸いだった。
体を起こすと、空高く積み上がった建物がある。あれがこの地で一番高い建物だ。
鞘が付いた苗刀を支えに立ち上がる。立ち眩みが酷い。それが止んでも目眩が続けて見舞った。
──この調子だと、いつまた倒れるかわかったものではない。
すぐに探索を開始する。儀玄たちの気配はない。
──だが、誰か居る。その気配には、目眩が止んでからやっと気付いた。
柊は剣を握る。片足を中心に体を回し、辺りを確認する。
二段積まれたコンテナの上に、ローブを着た誰かの姿があった。
我はなんて迂闊なことを──と自分を戒めた。
こやつは明らかに、このホロウ災害に一枚噛んでいる。そう確信したからだ。
その理由は単純だった。コンテナの下の床面、扇のように広がった空き地に、人型エーテリアスの大群がいる。それらは皆、柊を見据えるばかりで男には些少の気すら向けていない。
「これらのエーテリアスは主の制御下か」
「そうだね。と言っても、これだけは間違ってほしくはない──これらは全部
「──! サクリファイスか。してその声⋯⋯あの時の」
「そう。あのライブ会場でキキを持ち帰ったあの男と僕は、同一人物だよ」
男はフードと仮面で顔が見えなかったものの、その口調には軽薄といえるほどの明るさがあった。
「なぜ私が気を失っている時、殺さなかった」
「危害を加えに来たんじゃないからね。
じゃ、君というキャラクターのお試しといこうよ」
唐突だったが何が起こるかはすぐ分かった。柊は己のローブに覆われた中で、刀の鯉口を切った。
「来るか」
仮面男が手をぴっと振った。サクリファイスたちが呼応して雄叫びを上げ、一斉に柊へと駆け出した。
──あの男が言った通り、制御はあちらにあるようだ。
「ならば──頭から
術法を繰った。
手を出して、一筋の墨を飛ばした。コンテナに力強く命中する。
その墨を掴み取ると、体が浮いてコンテナの方へ張力が働く。体がすっ飛んだ。そのまま猛スピードで大群へ潜り込む。
彼女の懐中から光が瞬き、鞘だけがその場に残された。景色が後ろへ消えていくのとともにサクリファイスを屠っていく。
コンテナの壁面へ横ばいに着地。勢いのまま壁面を駆け抜け剣が迸る。
仮面男は体を退く。
「すごいね」
柊が自分と同じ土俵へ着地するのを見ながら、彼は言った。
彼女は何も言わず剣を振り出した。
彼は避ける。
──が、目の前には黒い幕が張られている。
「なに──」
その影から、光芒が走った。
「く──」
黒い幕が降りていくのとともに、柊は鞘へ収めた。
「瞬時にローブを脱ぎ捨てて目眩まし──なんて、よく考えた」
彼はしゃがみこんでいた。
彼の仮面が、切られたことにやっと気づいたかのようにぱっくり割れた。仮面男はそれより先にフードを目深に被り直し、顔を隠すような素振りを見せた。
「だけど、剣は届かなかったみたい」
「まずは顔が見たかった」
「殺せはしたって? やるねぇ」
「⋯⋯」
彼の余裕が、柊には分からない。今しがた鼻先を駆け抜けた斬撃があるというのに、彼はまるで平気だ。
「やはり念願の瞬間というのは楽しいね。言った通りゲームのお試しみたいなワクワクがある。ガチャすり抜けは勘弁だけど」
そこで、彼の懐中に西洋剣があるのに気付いた。
あのライブ会場での一件から予想はできていたが、外見だけでは全く気づけなかっただろう。彼の得体の知れなさは、こういうところからきているのかもしれない。
「この剣が気になる? 大丈夫だよ、君には振らない」
「余裕を見せるのも大概にしろ」
柊はきつく言い放った。
「このホロウ災害で、罪なきひとが死んでいる。黙って──」
柊は収めた剣を静かに握り込む。居合術だ。
「罪を精算するのだな」
「罪? そんなのがあるんだったら、僕はもう精算しきれないほど犯してきた。君と同じく」
彼は剣を握るどころか棒立ちだった。
「⋯⋯」
黙って剣を振る。
「──!」
しかし、それはまたも容易く掴み取られてしまう。
「それは……術法か」
「ん、教えてもらったんだ。安日に」
彼の刃を掴む手にはどす黒い液体が滲んでいる。
剣に力を込める。が、彼は放そうとしない。
柊はすかさず術を練る。しかし遅かった。
彼が手を振った。途端、彼女の左手が爆発したのではと見紛うほどの痛みが襲った。
「ぐ……」
剣を手放し距離を取る。すると彼は、
「ほい」
と言って彼女の前の床へそれを投げ返した。
「体内に術を流したか」
柊の左手はズタズタに黒ずんで、もはや使い物にならない。
仮面男は西洋剣を抜いた。
「結局、斬り合いか」
「いや、違うよ」
その時、風切り音がした。それと全く同時に、柊のはらわたが裂かれていた。
「剣を振るつもりはなかったけど、君は追い詰められてこそ真価が発揮されるものだしね──ほら、見せてごらん」
血が逆流して、焼けるような喉の痛みと共に吐血する。
「ぐっ、これは」
柊は片膝をついた。この吐血は、斬られた腹がなしたものではない。
「エーテリアスの力の残滓か……! く……かような場面で」
「
「もういい──これ以上術を使ったら、残滓に取り込まれるかもしれない。だが」
やると決めた。
『凝雲の術』──今まで成し得なかったこの術を使う。
道中、掴んだ感触があったのだ。ホロウというそびえ立つ球は、計り知れないエネルギーをその腹の中に止まらせている。
あの感覚だ。確かに、雲嶽山が擁する「術法」はエーテルに分類される力だ。元は同じなのかもしれない。
手に力を込める。
回転の意識だ。
「あっやめ」男がこぼした。
前方に、小さな台風のように風が集まる。
「やめろ」男が血相を変えている。
彼は走り出した。
西洋剣を投げ出した。それは正確に彼女を捉えている。
だが、それは空中でぴたりと動きを止め、来た道を気流の真ん中へ向けて遡りはじめた。
──だめだ。柊には突如、そのような感覚が舞い降りた。
「感覚が、掴めない……!」
恐ろしい頭痛と胸痛が残る。
──頼む。
発生した気流が渦巻いている。
男の動きが遅くなって見えた。
──頼む。
ぱっと、誰かが自分の腕を掴んだ。
「くっ」
柊は顔を歪めた。仮面男が、自分の腕を掴んでいたからだ。
「ふう……やめてよ、それやると君が死ぬんだからさ」
つづく