『何か起きるのお、これは」
ヘプタの呟きに木が大きく反応を見せる。
『ヘプタの勘は大体当たるからなあ。こりゃめんどくさい』
初めてヘプタと話した時、すぐに執行官ではないと見抜かれたのはこの勘によるものかと柊は思った。
『まあ、皆殺しでいいか』
『おい、死人はメーム以外なるべく出すなよ。
それでも善人かよ』
『ああ、そうじゃった。わしもボケがひどくなってきたのお』
ヘプタの痴呆は殺し屋をやるには致命的に思えた。
この一週間で見てきたのを挙げると、一時間前に食べた朝食を、『朝食はまだか?】とねだったことがあった。
また監禁している二人を見て『なんじゃこれは』とも言っていた。その時おもむろに拳銃を握りだしたので柊が慌てて止めると、『手入れをするんじゃよ』と言ったので心底安心したものだ。
この任務を彼に任せられるものかと木に訊くと、
『大丈夫だって。ヘプタは大事なところで真顔になって淡々とこなすもんだから、怖いぐらいだよ』
と真顔で言っていた。
『困ったらヘプタのところに駆けつければ大体なんとかしてくれる。元最強の殺し屋だからね』
そう言いながらポテトチップスを口に投げ入れた。ヘプタに対する信頼は分厚いらしい。
群衆を前後に掻き分けて進む。会場に入る。
壮観だな、柊はいの一番にそう思った。赤い絨毯敷きのフロアに、彫刻の入った大理石の柱。
その柱を伝って天井に目を向ければ、見たこともない巨大なシャンデリアがある。
この式典に参加する全ての人に席が用意されており、既に座っている者もいる。
バーがあった。そこのスタッフが酒の注がれたショットグラスを盆に乗せて彼らの周りを歩き回っている。映画でしか見られない舞踏会に近い。
奥にあるステージは広く、巨大なモニターが設置してある。
メームは横の廊下に抜けて、奥に突き進んでいく。廊下は贅を凝らした空間だ。趣向的な調度品が数多く置いてある。
廊下の両脇の装飾は数メートルごとに文化圏が変わるという、面白いものだった。和風の装飾に中華風、西洋風ととめどなく変わっていく。これなら銃撃戦が起きてもいくらでも隠れられるな、と分析する。
『関係者及びVIP以外侵入禁止』の看板は無視できた。メームが表彰対象だからだ。
扉の前に来た。
「三人はここに残れ。二人は一緒に来い」
柊ともう一人の犬のシリオンの男が選ばれた。入るとこれまた豪華な場所に出る。
ここにもバーがあり、ヘプタがグラスを磨いていた。彼以外、今のところ人っ子一人居ない。
1人にしてくれ、とメームが言って、奥の部屋に消えた。そこは彼の控え室だ。
ここでメームを殺してもよかったが、そうするとシリオンの男も殺す必要が出てくる。
護衛隊は基本的に表社会から選抜されている(柊がなりすましている女を除いて)と聞いていたので、それは避けなければならない。
──その時だった。あたりの空気が大きく変わったのは。柊はアメサキを失って以来直感力が強くなったが、その感覚が、大きく警鐘を鳴らしていた。
何を見たわけでも無かった。ただ体が勝手に動いた。
──身を物陰に伏せる。遅れて隣の男が倒れた。頭に銃痕が残っている。
「チッ、今の避けるか」
奥の陶器が割れていた。避けなければ、死んでいた。
銃を抜く。奥を覗いた。撃ってきたが、当たらない。
誰だ、あいつは。もしかしてメームを狙っているのか。今考えても仕様がないと頭を振り出しに戻す。
銃声がほとんどなかったことから、消音器を付けているとわかる。
「敵がいる。撃ってきた」
『まじか』木の声。
「メーム狙いかもしれない」
『はやく倒せ。横取りされると依頼料がチャラになる。俺らは慈善団体だが、非営利団体じゃない』
殺し屋が何を言う、と思ったが、返事の暇はない。
彼のような危険人物は無力化する必要がある。倒す必要があるという点で木の言う通りだ。
敵は思ったより近くにいる。拳銃で戦うことになるはず。
一発撃つ。もう一発、撃つ。大きな銃声がやまびこみたいに小さな銃声で返ってくる。これは音の反響ではなく、敵からの銃声だ。
鉛玉の応酬をするうち、互いの弾が切れたことがわかる。
柊が弾倉を替えようとしたが、眼前に敵が迫っていることに気づく。
ロードローラーのように迫力のある体が、タックルせんと向かってくる。
「くっ──!」
体がぶつかり合う。拳銃が床を転がる。
抵抗の余地はない。巨大な男の体にそのまま吹っ飛ばされ、次に床に押さえつけられる。
同時に、刃物が煌めく。それが、無力な中で意識だけを急き立てる。
相手は下敷きにしている女のスカートの下を見て、呼吸を荒くした。
男の下品な声音と共に、ナイフが持ち上がる。小さい頃に見た光景と同じだな、とこの状況で頭をよぎった。何を呑気にしているんだ、と自分に叱る。
自分目掛けて振り下ろされるそれが、ありありと見渡せた。
まるで殺される自分を第三者として見ている感覚に襲われる。人間、いざ死ぬとなると実感が湧かないものだ。
──振り上げられたナイフはしかし、金属音とともに弾き出された。
何かが転がる音。それがアイスピックだと理解した。
「『そいつを使え』」ヘプタの声。無線からの声と生の声が重なって聞こえた。
一縷の希望を掴む思いで、手を伸ばす。
握ったピックで、敵の足を貫いた。
力が緩んだ。すかさず目を潰して、張り付く男の体を引き剥がす。
もがく男の意識を首絞めで堕とすと、戦いは終わった。
「危なかったのお。君がわしを試すようなマネをするから」
「すまない。木の主に対する信頼が厚かったものだからな」
タックルしてきた時、体の位置を調整してヘプタ側に飛び込んだ。ヘプタはしっかり助け舟を出してきて、柊は助かった。
「他に戦い方はあったんだが」
そう言いながら、目の前の眠った男を見る。
痙攣しながら2本の腕を突き出し、宙を掻いている。身体は未だ戦闘中らしい。
自分の生を噛み締めながら、立ち上がる。幼い頃の臨死体験ではぶるぶると体が震えたものだが、今はそうではない。
ここで、扉を突き破るように三人のSP隊が入ってきた。
「どうした!」
「襲撃者です。一人亡くなりました」
隊長の女がヘプタを見て少し目を細めたので、柊も彼を見た。強かな老人は打って変わって怯えたような表情を浮かべている。それが演技であることは、柊にも明らかだった。
女は顔色ひとつ変えず連絡する。
「襲撃者がいた。1人やられた」
『なんだって⁉︎ 処理したのか』
メームの声が聞こえてきた。声音から、焦っている様子が手に取るようにわかる。
「ああ。ただ他に協力者がいる可能性がある。ここは授賞式を取りやめにするか、あなただけ去るか──」
『いかん、いかん。この式は私の名声を上げる大事なものなのだ。この事態は今に限り隠蔽しろ。
そしてお前たちは全力をかけて協力者を探し出し、排除しろ』
「わかった」
女は冷静な態度で部下たちに指示をした。柊と女は会場を調査し、残りは付きっきりでメームを護衛する。
彼女は蒼白の顔でヘプタに歩み寄り、脅しつける。
「ここでのことは一才他言無用だ。喋ったら死んでもらうからな。お前は証人として扱うから、一時に屋上へこい。
わかったな?」
「は、はい。もちろんです……」
哀れな老人が従順であることを理解すると、女は柊に『来い』と言った。
彼女、堅気の者ではないなと思う。あれは完全に、ナニかある人の態度だ。