得体の知れないSP隊の女と廊下を往く。
横の調度品や装飾が文化を取っ替え引っ替えしている様子は、ホロウの境を何度も行き来する感覚に近かった。
『しかし、これは厄介だな』
ヘプタの落ち着いた声がした。
『SPの女、あれはわしの元同僚じゃよ。写真だけじゃ気づかんかったが、会ってみてやっとわかったわい』
柊は隣を歩く女を意識した。ヘプタの同僚だった時点で、正規の人材ではないことは明らかだ。
彼女は毅然とした顔で真っ直ぐ目を向いている。ヘプタの報告で、柊の中での彼女は得体の知れない強者から、歴戦の猛者に代わっていた。
『どんなやつだったんだ?』
『優秀だったのお。目がいいから、どんな攻撃も避けちまう。老眼のわしには羨ましいわい。
──くれぐれも気をつけることじゃな』
『あっちも気づいてるだろ』
『じゃろうな。少ししたら屋上に来いと呼びつけられたわい』
話が途切れ、ただ前を向いて歩いた。
美しい装飾もだんだんやかましく思えてくる。
「ヴィクトリア家政を頼るわ」
『邪兎屋を頼ろう』
女と無線の木が同時に口を開くものだから、しばし混乱した。
「彼らは顔が広いから、何か有益な情報を持っているかも」
『あいつら顔が広いし、何か知ってそう』
会場に出る。開会式の途中だった。
スターズ・オブ・リラのアストラが開会の宣言として唄うことになっていて、ちょうど彼女が登壇しようとしている。
女はヴィクトリア家政を捜している様子なので、少し横目で眺めてみる。
会場全体は照明が消えて暗くなっていて、奥のステージだけが浮かび上がっている。
司会が何やら明るい表情で喋り、少し間を置くと、世にも美しい女性がスカートを揺らしながら出てきた。舞い散る桜のように現れた彼女はゆっくりと落ち着いた調子で聴衆に話しかけた。
みると、手に黄金色の装飾のついた杖のようなものを持っていて、その先に着いた円盤型の装飾が豪奢に光を反射した。
彼女が歌い出す。どこかで何度も聞いたその生声は透き通っていて、優しく、歌詞はそれに対比されるように大胆だ。
場の空気が静かに熱を帯びる。誰も口を利かないし、隣の者と耳打ちしあう者も居ない。ただ首を上にゆるやかに曲げて、映画でしか見られない想像上の劇を眺めるような目を以って恍惚と見つめている。
こんなに歌が上手かったのか、と木が呟いた。彼は会場の天井に限りなく近い場所にいた。この場所は天井を這うようにして張り巡らされた機材に、技術者が手を加えるために作られた。
格子状に張り巡らされたその設備たちは、天井のすぐ下を歩けるように設計してある。無論技術者以外立ち入り禁止だが、これまた無論に、技術者に成りすますための手は打ってあった。
この場所には人が数人いるだけで、彼らは舞台照明を自在に動かしている。自分の仕事をこなす片手間に、彼女の唄声聴いて心を揺らした。わずかな光の下に目が輝く。
格子の脇の赤絨毯敷の場所で、手すりにもたれて彼女を眺める。背が高いので、上半身の自由度が高く宙に吊られているみたいに感じられた。
特等席だな、と思う。下にいる金持ちだって、ここには来れまい。
正面の光に気を取られていたが、眼下で動く人がいるのに気がついた。
暗闇に慣らすように瞼をしばたたいて、見つめてみる。つむじだけがこちらを向いて判別がつけにくいが、何となくわかる。
柊ともう一人の女が、他人に話しかけるところだ。あれはヘプタの言った元同僚の要注意人物だということがわかると、木はさらに気になってきた。
女が歩き出したので、柊は引っ張られるように同じく動き出した。
彼女が何を目的に動き出したのかわからない。ただ紫がかった仄暗い会場を、流れる唄声にのってするする抜けていく。
頭の中を、邪推が支配した。実はこの女は自分の正体を知っていて、その上で人気のないところに誘導しているのではないか。
いやな妄想だか事実だかが、頭の中で無数に反射した。彼女もヘプタに気づいているのは確実だが、ならなぜ行動しない? ヘプタに会った時点で、他のSP隊とともに老人を捕まえるのが普通の行動に思えた。襲撃者の協力者である可能性が圧倒的に高いからだ。強かな彼女にそれをさせないだけの理由があるのか。
自分の立場がどうなっているか、さっぱりわからない。だんだんと、自分の正体が知られているのではないかという邪推に脳が圧迫される。彼女の背中が大きく見えた。いざとなって、彼女を倒せるのか、自分は。
自分の邪推が事実に基づいた妄想に勢いを増して、本当かのように思われた。
前の女はしかし、若い女に話しかけたので少し安心する。
その女はメイド服を着ていた。可憐な少女だが、初々しさはない。それどころか足の重心を片方に掛けて、気だるそうに手を前で組んでいる。
柊の知る限り、召使いの格好をしてここまで格式ばらない雰囲気をしているのは彼女だけだ。
だが、悪い気はしなかった。どこか人を受け入れさせる柔らかさがあったのだ。
「あなたはヴィクトリア家政のエレンね?」
ここでちょうどアストラの声が終わり、いっぱいの拍手が鳴る。
「だ──れ────」
そのせいで、エレンと呼ばれた彼女の声が薄く引き伸ばされて、聞き取るのもままならない。
隊長は音が鳴り止むのを待ちながら、居住いを正した。エレンは流し目で二人を観察している。
「誰?」
「ここの護衛の人間。あなたたちヴィクトリア家政にライカンというのがいるわね。会わせてちょうだい。2階がいいわ」
彼女は是か非か判断させる暇も与えずに、『早く』と畳み掛ける。
彼女は少し警戒したような目を見せたが、彼女に引き下がる気がないのを悟ると、面倒ごとが起こったようにスマホを取り出して、耳に当てた。
「あなたに会いたいって人がいるんだけど。えぇ? 私が連れて行かなきゃダメ? ……わかった」
はあ、とため息を吐いて『ついてきて』と彼女は言った。
彼女の背中を眺めて歩くことすぐに、2階に着く。赤のインナーカラーが入った彼女の黒毛が、サメの尻尾と共に揺れていた。
「承っております、私はヴィクトリア家政のフォン・ライカンと申します」
そこには、木よりも背が高く、体の大きい狼男がいた。狼の毛が全身に豊富に生えており、大きな尻尾もある。
彼は格式高い執事の服装に、片目には眼帯をしていてその生き様を感じさせる。右手を胸の上で畳むようにしながら深くお辞儀をしてみせた。
「どうも。人目を憚る話なんだが」
隊長が返すと、エレンの方を見て顎でくいと指した。エレンは毒づいてやりたくなったが、ライカンが『エレン』と言ったので空気と共に言葉を飲み込んだ。
「──はい、彼女は優秀な召使いであり、若いということに関わらず同席しても構わないと思うところでございます」
「そうか。なら構わない」彼女はエレンの自尊心など気にせずに続けていく。「この会場の中に不法な侵入者が潜んでいるかもしれない。探してくれないか」
頼みというより、やって当たり前だという口調だ。そして、わざと不法侵入者とだけ話すことで彼らが事を大きくするのを防いでいる。この場に殺し屋がいるだなんて言われて、黙っている人はいない。
「私どもを頼っていただけるのはありがたいことですが、そのような事柄は治安官がより力になってくれるのではないかと思うところです」
「そのようなことをしたら騒ぎになって、この式典は取りやめになるかもしれない。私の依頼主はここで自分の名声を強めたいと思っている」
「……そういうことでしたか」
オオカミの姿をした礼節を忘れない男は、口を結んで考え込んでいる。
「頼む。君たちしか頼れない」
その言葉に心は決まったようで、顔を上げて、
「……私どもにできる範囲でしたら、協力しましょう。確かに、この式典がなくなって困る人がいるのも事実です。賢明な判断とは言えませんが……あなた様の希望を汲み取らせていただきます。
ただし、この場の人々に少しでも危害が加わる可能性が出てきたならば、その時こそは治安官の方々に委ねます」
「それで構わない。探したら何もせず私に連絡をしてくれ」
それだけ言い残して、隊長は階段に向かった。柊もそれに続く。ステンドグラスの色彩豊かな光が白壁を反射して、じりじりと揺れていた。