拝啓、ギャルゲーの世界でヤンデレに追われてまして 作:金木桂
その日は万里の部屋の床で寝ることになった。両親は揃って出張中らしいから俺はリビングのソファーで寝ようとしたのだが「それで私の視界外で朝成が攫われていたら大変でしょ。まだ私がいた方が若狭平理に対する抑止になるかもしれないんだから床で我慢して。布団くらいは敷いてあげるから」という有難いお言葉によって人生初の女子の部屋でのお泊りとなってしまった。
我ながら意外なことにドギマギすることは無かった。斜め上を見れば万里の寝顔が見えた。
流石に寝るときは眼鏡を外しているようだ。
……初めて万里の素顔を見たかもしれない。
こうしてみるとやっぱり美少女だ。横顔だけでも鼻筋がすっと通っていて、薄くぷくりと膨らんだ唇、伏せられた瞳からは普段のツンツンとした雰囲気は鳴りを潜めて穏やかな寝顔だ。
服も当然寝るに当たって制服とかではなく、ピンクの子供っぽい寝巻だ。
やっぱり当然として可愛いんだよな。頬とか指で突いてみたくなる。どのくらい指が沈むか見物したい。白玉みたいな弾力なんだろうな、多分。
……っていやいや。
何を考えてるんだか俺は。自重だ自重。ただでさえ万里は自分がギャルゲーのヒロインとして見られることを忌避しているような発言も間々しているのに、俺が変な真似をしたら確実に嫌われて夜半の裏路地に放置確定コースだ。俺は死にたくない。
変な気分になりそうになるのを堪えつつ俺は目を瞑った。
朝までは長かった。6時間とは思えぬ深い夜だった。
緊張して全然寝れなかった……。
万里の寝息が聞こえてくるたびに思考が冴えるわ眠気が来ないわで最悪な夜だった。
俺は時計が朝5時半を示していることを確認すると、そっと起きて万里の部屋を出た。居た堪れなかったのだ。
万里の家は一軒家だ。万里の部屋以外にはリビングに台所に風呂トイレ、それから部屋が複数ある。両親もいるはずだが、感じ取れる生活感は一人分の物だった。
コップで水道水を仰ぎながらスマホを確認する。世界地図は既に西側はロシアや中東、東側はアメリカ大陸のアラスカの先端まで表示されている。万里の言う現実化が進んでいる証拠だ。
それにしてもペースが早い。このままだと明後日には世界地図が完成しそうな勢いだ。
……でも妙だな。俺がこの世界に来た時はまだ日本を中心点としたアジア周辺の一部地域しか地図が存在しなかった。でも、この速度で地図が埋まって行っているとなると俺の来る前のこの世界の現実化のペースと整合性が取れない。まるで俺がこの世界に来てから世界が生成されたような……。
「早いのね。もしかして実年齢は老人だったりする?」
キッチンにある勝手窓から朝焼けに照らされる住宅街を見ながら考えに耽っていると、不意に万里が声を掛けてきた。起床早々随分な言いようだな。
「寝れなかったんだよ」
「バカじゃない。こんな時に体調不良とか私でも面倒が見切れないんだけど」
「……隣ですやすや寝てる顔見たら眠気が来なかったんだよ。俺と違って万里は快眠だったみたいだな」
「わ、私の顔をずっと見てたって言いたいの? 気持ち悪いんだけど?」
「俺だって見たくて見たかった訳じゃないっての。お前寝相が良いからずっとこっちに寝顔を向けながら寝てたじゃん。そりゃ自然と見えるだろ。可愛かったぞ寝顔」
「う、五月蠅い! 口閉じて! じゃないと顎砕く」
「トンカチ何処から出した!?」
揶揄うように言ってみれば急に飛んできたバイオレンス発言。この辛辣さに慣れてきた自分が少し怖い。てか本当に何でトンカチとか持ってるんだよ。
俺が万里の手に握られたトンカチを見ているとその疑問に気付いたように目を自身の手に向ける。
「ああ、これ? 自衛用アイテム。私って大人しそうな見た目だから変なのに狙われるじゃない。だから対策でしょうがなくこういうのを常備してるのよ」
「スプレーだの煙玉だの持ってるのはそういう理由でかよ。でもトンカチは流石にやりすぎじゃないか」
「勘違いしないで。使わないから。武器を持ってるってだけで抑止力になるでしょ」
「確かに朝からトンカチで脅してくる女子高校生は恐怖体験過ぎる」
「割られたい?」
俺は全力で首を横に振った。
万里の性格的に実行するとは思えないが、やりかねないという気迫がある。眠いからなのか無表情で言ってくるのがタチ悪いんだよな。何かの間違いで振り下ろされそうで普通に怖い。
俺の否定に満足気に頷くと右手を下ろした。
「そ。これからは私を安易に揶揄わないことね」
「別に揶揄ったわけじゃないけどな」
「なに?」
「何でもないです。さーてお湯でも沸かすかな」
トンカチを再度持ち出してきた万里を前に、非暴力不服従の意志を持って俺は朝飯の準備を進んで手伝うのであった。