拝啓、ギャルゲーの世界でヤンデレに追われてまして 作:金木桂
昨晩の間にインターネット経由でアルバイトの応募をした。
この世界に求人があるのかという不安も若干あったが、意外と普通にスポットバイトもあるようで安心した。ただし時給は1000円を切っている。都市圏であれば令和の時代、アルバイトの最低自給は1100円を超す程度であったと記憶しているから大分低い。地理上は首都圏近郊、神奈川の横浜川崎付近を示しているのだが、この街は果たしてどの都道府県をベースに作られているのか気になるところではある。
また案の定だが、求人サイトは俺の知るサイトと比較して随分とみすぼらしい、HTML形式で200行も使ってないんだろうなと何となく考えてしまうくらい簡素な造りをしていた。
朝の8時に俺は万里よりも先に家を出た。
合鍵を貰っているから帰宅する際も特にピンポンを鳴らしたり出待ちをする必要性は無い。かなり有難い。
しかしまあ、万里視点だと解せないところでもある。
クラスメイトでしかない男子たる俺に合鍵を預けるということが一般的にどういう意味か、理解出来ないほど俺は朴念仁じゃない。いや、訂正。正確には、一般的にはどういう意味かは分かっていても、万里がどんな気持ちの下でこの合鍵を渡してきたのかが俺には理解が出来ない。
合鍵なんてフツーは渡さないだろう。幾ら俺が危機的状況に陥っていたとしてもそこまで手を差し伸べるか? 金は貸さないのに鍵は貸すのか? ちょっと良く分からん。良く考えたら一般的にも恋愛感情があるからといってクラスメイトに合鍵渡さないか。じゃあもう何も分からん。
ともかく労働をせねばならない。今回応募したのは引越し屋である。
選んだ理由は二つ。自給が高いのと、それから今の俺は身体能力が高いという点。
前者は説明不要だろう。キツくしんどいバイトほど人を集めるために高収入になる。それでも割に合うかといえば普段なら首を横に振るのだが、それでも今回みたいに短期で金が必要な際は背に腹は代えられない。
後者に関しては前々から違和感があった。教師に俺じゃ理解できないような数学の問題を答えるよう当てられたとき、すっと数式が脳裏に浮かんで口から摩訶不思議な数字が吐き出されたのが最初だった。俺は自分で言うのも何だがそんなに勉強が出来る方ではないし、況してや高校レベルの授業内容などとっくに忘却の彼方へ投げ去られている。ありえない。絶対におかしい。そんな違和感が確信に変わったのは昨日。平理から逃げる時に俺は結構な距離を走ったにも関わらず全然肉体的には疲れていなかったし、何より息すら切れていなかった。現実の俺の脆弱貧弱な肉体にここまでの運動神経は搭載されていない。俺の本来の身体であれば1500mを走ることなどCeleronで最新の3Dアクションゲームを動かすことを試みるくらい無謀だ。その事実はなによりも俺が知っている。
それが差し示す仮説、それは俺のステータスがカンストしていたのだろうということ。
考えてみればヒントは前々から存在していた。俺はステータスをカンストさせた瞬間気付けばこの世界で転校生"榊田恭吾"として立っていた。その時点で俺……主人公のステータスはマックスだったわけだ。道理でハイスペックなわけだよな。
とはいえ、自覚してから改めて検証してみたが、ステータスがカンストしているから人外の動きが出来るかといえばそれは違う。
ゲーム上では知る由も無かったが、このステータスの考え方は飽くまで高校生の枠内でという前提条件付きのパラメーターらしい。どれだけ走っても高校生の陸上最速タイムは抜けないし、大学レベルの専門知識が身に付くわけでもない。カンストしたステータスの値は飽くまで一般的な男子高校生"榊田恭吾"が取り得る可能性のレンジに収まる最大値であり、超高校級の何かを持ち得ることを意味しない。まあ要するに月風から刃物を投げられたり平理から超能力染みた攻撃をされたりしても俺に対抗手段が無いのには変わりない。精々が逃げ足が少し早くなった、それだけのことだ。いやまあ重要かもしれないが期待していたほどじゃないってのが本音である。
考察を捻くり回しながらも周囲への警戒を怠らずに俺はアルバイトの集合場所へと到着する。
そこで引越し屋の正社員と共にトラックに乗り込む。トラックは歪だった。俺は車に明るくないから具体的にこの部品がこうだという指摘が出来ないのだが、全体的に一般車のような作りをしていたのだ。レバーは最近のモダンな形をしていて、座席は革張り、エンジンの回る音も振動も伝わってこない。なんというかチグハグだった。トラックという概念は知っていて外装も或る程度知っているが、内装や実際に乗った経験が無い人間が作った、まるで張りぼてのような車体だと俺は会話の無い車内で唯一出来ることとして思考に耽った。
───万里が言う現実化は既に蓬莱院付近であるこの周辺地域は完了しているはずだ。
それなのにこの不完全なトラックはなんだ?
説明が付かないぞ。
とても現実には思えない。平理はこの世界が美麗なグラフィックだの、どうだこうだと言っていたがそれも張りぼてにしか思えなくなってきた。少なくともトラック内の小さな空間は俺に多大なる違和感のシグナルを送り続けている。この世界は不明瞭な部分は曖昧に既知のパーツを組み合わせて誤魔化している、コピーにも到底達しない精度で継ぎ接ぎして紡ぎ合わせた仮初の世界にしか見えない。
引っ越し現場に着いた。住民との挨拶もそこそこに家財道具などをトラックへ集荷する……のだが。
「あの、全部段ボールなんですが家具とか家電とか無いんですか?」
「はい? 何がですか?」
「……いえ、なんでもありません」
住民に確認すれば訳が分からなそうにキョトンとするのみで俺は話を切り上げた。
やっぱりそうだ。
この世界は現実なんかじゃない。ハリボテだ。表面上はさながら現実を切り取ってきたような解像度で組み上げられて、見えない場所は造り込まれていない。
問題は主観が誰かってことだ。
作り込まれていない場所とは、
そこ次第でまた世界に対する捉え方が変化してくるように思える。
……いや、考えるまでも無いな。
そんなの決まってる。
プレイヤーだ。
俺から見て見えない場所、見る蓋然性が無い場所、その不要なテクスチャや設定……そういった不可認領域の造り込みがこの世界は突出して甘い。名幸のゲームセンターも窓が一つも存在しない上にバックヤードにはもの一つとして無かったが、思えばそれもその一つに過ぎなかったのだろう。
段ボールを運びながらも脳が疼く。
この世界は現実じゃない。
ゲームでもないかもしれない。
言えるのは、機械的ではなく、誰かの意志が介在した上でこのような作り物染みた世界が完成しているということだ。でなければプレイヤーに近い世界───学校や街並みのモデリングを凝って、インターネットの検索画面のUIやらアルバイトやら、目につかない場所が粗造される理由が分からない。
もしそうだとした時、世界をこの姿に書き換えているのは誰だ?
神か?
いや神かどうかは呼び名の問題でしかない。世界を望むがままに捏ね繰り回せる存在など、どんな姿形をしていようがそれは神に等しい。
じゃあその姿形は何だ。
───誰がこの世界の神だ。
このゲームの登場人物の誰かであるなら選択肢は限られている。
神が死ぬはずがない。つまり現段階で生存しているキャラクターに限定される。
そして
この択内の範疇であれば断トツで平理が疑われるべきだ。三人殺しているという名幸の証言もある。名幸の虚言という可能性は平理がその後肯定するような物言いをしている為、可能性が低い。
やっぱり平理だ。どうもアイツの俺に対する執心は群を抜いている。あの時、平理が俺を凝視したあの眼。思い出すだけで気味が悪い。今思えばまるで目の前の俺ではなく、俺に重なり合った別の俺を見ているような、芯を捉えていない目だった。
平理は何を見ていたんだろう。
理解したら何故だか悪い方向に転ぶような錯覚に背筋が寒くなった。
世界について。ヒロインについて。俺自身について。
色々と考えながら身体を動かしていればすぐに夕方になった。知らぬ間に現場を三件熟していたらしい。優秀なことに、この身体は考えながら肉体労働をしていたというのに全然疲労感が無い。
給料は茶封筒に入った手渡しで貰った。銀行口座が事実上凍結している俺にとっては有り難い、だけども何とも前時代的な受け渡し方である。給料袋には自給1300円で実働7時間、計9100円が封入されていた。3日連続で働いても足りない計算なので、やはり何某かの夜勤シフトに入る必要性があるだろう。
走り去ったトラックを見送り、オレンジ色と灰色の筋張った雲が入り混じって複雑な模様を織り成す夕暮れ空を眺めながら、よし帰ろうと万里の家に足を向けようとした。
その瞬間。
「
甘く痺れるような声に耳が攣った。
思わず肩がびくりと過度に震える。
俺の身体を呑み込んだ影法師の先に、愛夏が立っていたのだ。