「よぉ田中、この前はありがとな!酔っ払い過ぎてあの日の事はあんまり覚えてないけど、家まで送ってくれたんだろ?」
ゴールデンウィークも明け、大学の平常授業も再開となった。今日はユンガ心理学の講義の日だ。講義室の後方の席に座る田中を見つけ、隣の席に腰掛ける。
「そりゃあれだけ飲んだら、記憶も無くなるだろ…。あの時は大変だったんだぜ。お前、飲む、泣く、トイレで吐くをひたすら繰り返して、最後は座席で寝ちまいやがって。しかも揺すっても全然起きねぇから、俺が家の近くまで運ぶハメになったじゃねぇか」
「うげ、まじか。なんか色々とすまん。今度なんか飯奢るから、許してクレメンス…」
どうやらあの日の俺は思ったより酷い有様だったらしい。俺は両手を合わせて目を瞑り、田中に謝罪した。
「まぁ俺も楽しんでたから良いけどよ。そんで、もう失恋の傷は癒えたのか?」
「おかげ様でな。それよりも聞いてくれよ!ついにモテモテになる方法を思いついたんだ!」
「はぁ、今度は何を思いついたんだ?」
田中は呆れ顔で、興味の無さそうな返事を返してきやがった。どうやら、俺の話を最初から信じる気が無いらしい。今に見ていろ田中、次の一言で驚かせてやる。
「聞いて驚け!俺はマッチョになる!!」
俺は堂々と宣言する。漫画なら「バン」とか「ドン」みたいな効果音が出ている所だ。
「はぁ、どうせそんな事だろうと思ったよ。大方、谷口先輩に影響されてってとこだろ?」
「何で分かったんだよ!もしかして、心理学を専攻して読心術が使えるようになったのか!?」
田中は驚くどころか、俺がマッチョになりたいと思った背景まで当ててきやがった。心理学を専攻すると、読心術まで使えるようになるのだろうか。
「心理学専攻はお前もだから。本当に単純な奴だな。それで、どうやってマッチョになるつもりだ?家で腕立て伏せでもするつもりか?」
「ふっふっふ、甘いね田中君。まったく君はクリームパンのように甘い男だ。今の時代、筋トレの最先端はフィットネスジムだよ。腕立て伏せなんて、いつの原始時代の話をしているんだい?」
俺はドヤ顔で田中に言ってやった。筋トレと聞いて腕立て伏せしか出てこないなんて、田中もまだまだだな。
「顔も発言も全部うぜぇ…。かなり本格的にやるつもりなんだな。もうジムに入会とか済ませたのか?」
「入会はまだだけど、今日はジムスタッフのアルバイトの面接があるんよ。ジムの事務スタッフになって、社員割引で俺はパーソナルトレーニングを受けるのだ!あっジムの事務スタッフって別にダジャレじゃないぜ」
俺は左手でグッドサインを作りながら、本日2度目のドヤ顔でそう言った。
「やかましいわ!相変わらずこういう時の行動力はすげぇな…。とりあえず頑張ってこいよ」
「おう、頑張りマッスル!!」
俺はダブルバイセップスのポーズを取り、声高らかに宣言した。今に見ていろ谷口先輩、貴方を超えるマッチョになって俺はモテモテになる!
「いや、そのギャグ古くね?」
***
大学から帰宅した俺は、いそいそと面接の準備をしていた。面接は私服可という事らしいので、服装は現在着ているパーカーとジーンズでよいだろう。
顔を洗って髭を剃り直し、ついでに歯磨きもしておく。最後に髪のセットだが、コイツがかなり悩ましい。重力に逆らうしつこい天然パーマ。
小学生の頃は「アフロ牧野」だの「ブロッコリー牧野」だの、散々なあだ名を付けられたものだ。
ワックスで抑えつける事も考えたが、面倒なので辞めておこう。この天然パーマは、今では立派な俺のトレードマークなのだ。
高校のクラスメイトの
結局梨花ちゃんには告白してフラれてしまったわけだが、そんな悲しい思い出話は今はどうでもいいだろう。
とにかく面接の時間が迫っている。俺は駆け足で家を飛び出した。
***
20分程電車に乗ると鉄棒駅に到着した。改札を降り構内から出ると、衝撃の光景が目に飛び込んできた。
「デカ過ぎんだろ…」
思わず何処かで聞いたことのあるセリフを呟いてしまったが、それ以外の感想が出てこない。視界に入ったのは天空までそびえ立つ巨大な摩天楼だった。
御伽噺にでも出てきそうな
地図アプリが表示した名称は「バーベルの塔」。それが、今日の面接会場に指定された場所だった。
***
「スッスクワット・スクワッドジムのアルバイトの面接に来ました、牧野圭介と申しましゅ!!」
「はい、牧野圭介様でございますね。要件は承っております。それでは――」
ビルの雰囲気に呑まれ、緊張で思わず噛んでしまった俺に、コンシェルジュのお姉さんが優しく案内をしてくれる。
思わず惚れてしまいそうになったが、気を取り直して案内に耳を傾ける。面接会場は29階のトレーニングルームらしく、お姉さんがエレベーターの前まで案内してくれた。
「俺、とんでもないジムにバイトの応募をしちゃったかも…」
上昇するエレベーターから外の景色を眺めがながら一人ごちる。ホームページをざっくりとしか読まなかった事も起因しているが、こんな凄い建物の中にあるジムなんて思いもしなかった。
もしかしたらセレブ御用達のジムなのかもしれない。面接ではどんな事を聞かれるのだろうか。緊張で動機が激しくなってきた。
電子音が鳴り、エレベーターのドアが開く。29階に着いた様だ。恐る恐る中から出ると、見渡す限りのトレーニング器具達が目に映る。
定番のダンベルやバーベルに加え、様々なトレーニングマシンの数々。多くの人々がそれら使って各々のトレーニングに励んでいる。
「ここが、スクワット・スクワッド・ジム…」
周囲を見渡すと、店内が少しざわついている様だった。始めは俺の挙動不審な態度が注目を集めてしまったのかと思ったが、そうでは無いらしい。
どうやら、フリーウェイトコーナーで二人の男が口論になっている様だ。
「君、サイドレイズはパワーラックの中でやったらダメじゃないか。バーベルやチンニングスタンドを使いたい人が困ってしまうだろ」
タンクトップを着たガタイの良い壮年の男性が、大きめのピアスを着けた金髪の青年を注意している。
サイドレイズが何なのかは分からないが、パワーラックとは恐らくバーベルを立てかけてあるスタンドの事だろう。どうやら青年の器具の使い方がマナー違反の様だ。
「うっせーなおっさん、俺が何処でトレーニングしようが俺の勝手だろ。つーかダンベルコーナーが空いて無いのが悪いんだよ!」
金髪の青年は注意された事が不服らしく、まったく改める気配を見せない。
「君、さてはビジター利用だろう。悪い事は言わないから、私の言うことを聞いておきなさい。酷い目に合うぞ!」
タンクトップの男性は、真剣な表情で青年に訴えかける。男性は怒っているというより、焦っている様に見えた。
「酷い目?何分けわかんねーこと言ってんだよ、おっさん。つーか早く次のセットに移りたいんだけど。邪魔だからあっち行けよ」
金髪の青年はそれでも聞く耳をもたない。挙句の果てにはヘッドホンを装着し音楽を聞き始めた。もう話す気も無いらしい。
「もう終わりだ…」
タンクトップの男性は悲しそうな表情で一言呟くと、部屋を出て何処かへ消えて行った。
「神よ、哀れな子サイドレイズをお救い下さい。アーメン」
いつの間にか隣にいた白人の男性が、膝をついて神に祈りの言葉を捧げ始める。そもそも子サイドレイズって何だよ、子羊みたいに言わないでほしい。
祈りを終えると、白人の男性はそのままエレベーターに乗って何処かへ行ってしまった。その時、店内のスピーカーから女性の声が聞こえてくる。
『こちらマッスルブラボー、こちらマッスルブラボー、マッスルアルファとマッスルチャーリーに伝達事項あり。29階にて違法サイドレイズを確認。ただちに現場に急行せよ』
『マッスルアルファ、マッスルチャーリー了解。直ちに急行します』
その瞬間、店内は静寂に包まれた。
「避難しろぉぉぉ!!マッスルアルファが来るぞぉぉぉ!!!」
一拍おいて、客の一人が大声で騒ぎ始めた。その声を皮切りに、フロアの客が悲鳴を上げながら部屋の出口へ殺到する。
状況を飲み込めていないのは、俺と金髪の青年だけらしい。ついには二人でフロアに取り残されてしまった。
違法サイドレイズって何だよ。スクワット警察って何だよ。まったくもって訳が分からない。とにかく俺も逃げた方がいいのだろう。この位置なら階段よりもエレベーターの方が早いはずだ。
俺は慌てながらもエレベーターのボタンを押そうするが、その時、外からプロペラの音が聞こえてきた。
「肩パルト砲、装填完了。システムオールグリーン、いつでも行けます」
思わず窓の外を見ると、そこには巨大な主砲を装備したヘリコプターがあった。中には、サングラスをかけた二人組のムキムキマッチョが乗っている。
一人は迷彩柄のタンクトップを着た黒髪の青年で、もう一人は袖の破れた迷彩柄の革ジャンを上裸の上に羽織っているスキンヘッドの男だ。
「貴様らが違法サイドレイズだな。動くな、手を上げろ!動くと撃つぞ!!」
スキンヘッドの男が拡声器から俺と金髪の青年に向かって大声で話しかけてくる。俺達は恐怖に駆られ大きく手を上げた。
「あっ今動いたネ。それじゃ、発射で」
手を上げろって言ったのお前じゃん。そんなツッコミが頭を過るのもつかの間、ヘリコプターの主砲から炸裂音が響く。
その瞬間、光と共に世界が爆ぜた。
我鍛う、故に我サイドレイズ。(カタ・デカルト)