NoNovel   作:隻腕のオクトパス

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はあひあはなひなはあらか


のぬ

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【窒息死】

 

 僕にはCちゃんという友人がいる。

 彼女は現実主義者で、京楽を是とする僕とは水と油の関係だ。

 「ゲームが将来何になるの?」と冷ややかな目を向けられると、その棘だらけの反骨精神に微笑ましい気持ちになる。嗜虐心も湧いてくる。その強気な顔を歪めたくなる。

 

「ねぇ、Cちゃんって僕以外に友達いないの?」

 

 ふと、皮肉を口にしてみた。

 

「────」

 

 するとCちゃんは、目を見開いて固まった。

 突然ビンタされた猫のように間抜けな表情をしていた。

 いつもの済まし顔は中々返ってこない。

 

「……別に、必要ないもの」

 

 ようやく返ってきた声は震えていたし、弱々しかった。

 僕の思った通りの反応で口角が上がるのを抑えられない。ニマニマと笑みを浮かべ、Cちゃんの顔を覗き込む。

 

「それってさ〜、僕だけで十分ってこと?」

 

 目を逸らされた。

 

「別に、そういうわけじゃ……」

 

「親友だもんね〜」

 

「別に、親友でも……」

 

 Cちゃんは口を噤んだ。

 

 "親友でもない"。

 ホントはそう言いたかったのだろう。

 言わないのは、言葉通りになることを恐れているからか。

 

「ね、Cちゃん。手、出して」

 

 僕は返事も待たず、彼女の小指を掴み、小指同士を絡ませた。彼女の手は冷たかった。死人みたいだ。

 

「指切りしよ!大人になっても友達って」

 

 目が合う。顔色は戻っていた。

 

「嘘ついたら針千本だからね〜?」

 

 返答を催促するように掴んだ手をゆさゆさと揺らすと、彼女は呆れたようにため息を吐いた。

 

「バカみたい……」

 

 そう言いながら、小指をきゅっと握り込んできた。

 強気な言葉とは裏腹に、解れた雰囲気を隠そうともしない。

 

 どうしてだろう。

 どうして僕は、こういう人間を好ましいと思ってしまうのだろう。

 自分を強く見せるための虚栄心が、醜く哀れで愛おしい。

 君の空虚さを満たしてみたい。

 さらに仲良くなろう。もっと好きになろう。

 

 この日から、僕はCちゃんと積極的に話すようになった。

 

「Cちゃんって何着ても似合うよね!ほんとずるい!スタイル良すぎっ!」

 

 とにかくポジティブに。

 

「一緒に勉強しよーーー!え、しないの!?しよーよっ!ねぇーーー!!」

 

 底抜けに明るく。

 

「もう解けたんだっ!すごっ!天才!天才だよっ!え、じゃあ次は僕に教えて!」

 

 そうやって着実に、強引に。

 彼女の上辺だけの拒絶は、装った能天気で封殺する。積み重ねるうちに信用される。心の中に踏み込める。大丈夫なんだと思われる。

 

 彼女の頭を撫でてみる。

 手を叩き落とされる。

 しかし、表情には喜びが滲んでいる。

 「可愛い〜!」と軽口を叩いてみる。

 「可愛くない」と否定され、目を合わせてくれない。

 でも、君は心の底で、肯定されたいと思っている。

 君はそれを自覚できていないようだ。

 

 そうやって毎日仲良くしていると、放課後、友達に呼び止められた。

 

「まひろ、付き合い悪くね?なんであんな女と絡んでんの?」

 

 彼の質問を皮切りに、その場に居合わせた友人らも次々にCちゃんを否定する。

 

「顔も別に普通じゃね」

「性格がブスすぎて俺無理だわ」

「イキリポメラニアンな?首輪付けて檻に入れとけよ」

 

 彼らの意見はもっともだ。

 だけど、それは人生経験の浅い子供の尺度で、彼女には相応の魅力がある。

 

「わかってないな〜、Cちゃんは僕の大切だからさ」

「え、これ!?」

「んー、内緒」

 

 彼らをあしらって教室から出る。

 と、Cちゃんが立っていた。

 ピンと立った猫耳が幻視できるくらい目をまんまるにしている。

 大方、壁に耳を立て、盗み聞きでもしてたのだろう。

 

「あちゃー、聞いてた?」

「……別に」

「絶対聞いてたでしょっ!あぁ〜っ!外ずかしいぃーー!」

「ほんとに、何も聞いてないから」

 

 彼女は背を向け、足速に逃げ出した。

 

「待って!」

 

 呼び止める。

 彼女の足がぴたりと止まる。

 振り返った彼女は、期待に満ちた目をしていた。

 

「ね、一緒に帰ろ?」

「……うん」

 

 小さく頷く彼女。

 いつものツンツンが消えている。

 

「ねぇ、Cちゃん」

「なに?」

「可愛いね」

「……っな、別に、可愛くないし……」

「ぁ〜、かわいい〜!」

 

 頭を撫でる。

 今日は手を叩き落とされなかった。

 

「ねぇ、どうしてそんなに可愛いの?」

「可愛くないって……」

「可愛いよっ!それに天才だしっ!」

 

 彼女の口元がモニョモニョと動く。

 喜びを押し殺そうとしているようだが、制しきれていない。

 ふいに背後からドタドタと物音がした。

  

「え、まひろ君ってCちゃんと付き合ってたの!?」

 

 クラスメイトの声。

 同時、撫でる手は無情にも叩き落とされた。

 

 

 

 平穏な日々はカレンダーのページを捲るようにあっという間に過ぎていく。

 『Cちゃん仲良し計画』は順調に進み、頭を撫でることが日常となった、そんなある日。

 

 Cちゃんの反応が、一日中悪かった。

 あらかじめ考えておいた行動をしているかのうな

 

 

 別れ際、Cちゃんの袖を掴んだ。、

 

「ね、Cちゃん。もうちょっと一緒にいよ?」

 

 どうだ。あざといだろ。

 俯いていて顔色が見えないが、意図くらい伝わっている。

 

「ね、今日はもうちょった寄道してこっか」

「うん」

 

 そうして、寄道と称して僕の家の方に歩き、彼女を家に連れ込んだ。

 家には誰もいない。

 今の彼女にプレッシャーを与えたくないから事前にそう伝えてある。

 Cちゃんにお茶を出して上げる。

 

「何もないけど、ゆっくりしてってよ」

 

「ありがと……」

 

「何かあった?」

 

「……」

 

 Cちゃんは何かを考え込むように、床を見つめ、唇を僅かに動かしていた。言いたいことが纏まらないのだろう。

 

「僕じゃ力になれないかもだけど、話してみると、案外楽になるかもしれない」

 

 時計の乾いた音がチクタクと鳴る。

 

「疲れちゃったよね」

「うん……」

 

 恐らく彼女、弱みを曝け出そうとしている。

 それほどまで、僕を信頼してくれている。

 受け入れてあげればいい。

 

「大丈夫だよ」

 

 僕は彼女の手をぎゅーっと握る。

 びくんと身体が跳ねた後、弱々しく掴み返された。

 

「大丈夫」

 

 そう囁くと、目が合う。

 覇気のない琥珀色の瞳の中に僕が映っていた。

 

「ここには僕しかいないから、何も気にしないでいい」

 

 語りかける。

 その心を溶かすように。

 

「悩んじゃうよね。人に言っても意味があるのか、とか。自分の中で答えは出てるんじゃないのか、とか」

 

 一拍おいて言葉を続ける。

 

「それでもいいんだよ。君に頼られたい。頼りにならないかもしれないけど、そばにいるから。だからさ、教えてよ。君のこと」

 

「まひろ……わからないの……」

 

 彼女の言葉の続きを待つ。

 

「息ができるのに、窒息しそうになる。死にそうになる。死にたくなる。なんでか、わからない……おかしいよね」

 

 彼女が求めているものは答えではないだろう。

 問題を抱える人間は、大抵、自分の中で苦しみを透明化している。

 だから僕は、包み込むだけでいい。

 

「おかしくないよ。何もおかしくない」

 

 彼女へと手を伸ばして、肩を抱き寄せる。

 彼女はひとつも抵抗せず、僕の胸の中にすっぽりと収まった。

 

「生きててくれてありがとう」

 

 耳元で囁く。

 腕の中から心臓の音が聞こえる。熱が伝わってくる。

 

「今も苦しい?」

「ううん」

「よかった」

 

 Cちゃんの頭を撫でる。

 髪を梳くように、親が子を愛でるように。

 すると、静かに、ぎゅーっと抱きしめ返された。

 

「君といると、重りが外れた気がするんだ。大丈夫。二人なら、きっと、苦しさも二等分になる。こうやってずっと一緒にいたい。見えるものも、感じるものも、同じになるくらいに」

 

 今なら、心の中に踏み込める。

 

「だから、Cちゃんのこと、もっと教えて。知りたいんだ。本当は何を思って、何を見てきたのか」

 

 沈黙が流れた。

 心地良い沈黙の中、心臓の鼓動を感じていた。

 そして、君はようやく口を開いた。

 

「ずっと、視線が怖かった……」

 

 相槌を打ち、続きを待つ。

 

「他人が何を考えているかわからない……親が階段を登る足音で、背筋が強張って動けなくなる……目が合うと、身体が勝手に反応する。そんな自分が、嫌になる」

 

「そっか……」

 

 しんみりとした雰囲気で呟く。

 口は挟まない。彼女の話は、まだ終わっていないのだから。

 

「ずっと前、ネットで相談したの……」

 

 自嘲するように言った。

 

「努力不足だってさ。子供は親に育ててもらった恩があるんだってさ。なにそれ」

 

 そこには憤りがあった。

 

「頑張ったら否定されないの?惨めな思いをしなくなるの?違う、全然違う。現実は、頑張った分だけ否定されるだけだった」

 

 彼女は、僕の胸に額を押し付けた。

 その身体は震えていた。

 

「ねぇ、育ててもらった恩って何?お前はだめだって言われ続けることに、ありがとうございましたって言えばよかったの?何もしてないのに謝ることに、素晴らしい教育なんだって感謝しなきゃいけないの?口答えしたら気が済むまで罵倒してくるくせに、なんで、私だけ我慢しなきゃいけないの……?」

 

 彼女の背中を擦る。

 その苦しみが、少しでも軽くなるように。

 

「みんな、親が味方だったくせに。なんで簡単に努力不足って言えるの?家が落ち着くって意味がわからない。学校がいい。ずっと学校にいたい。怖くない。意味もなく怒鳴られない。言葉も通じて、意味もなく殴られたりしない。家にいたくない。帰りたくない」

 

 言葉を吐ききったのだろう。

 しばらく、彼女は僕に撫でられるだけになっていた。

 

「ごめんね、きっと僕は、君の苦しみをちゃんと理解してあげられないと思う。でもさ、わかるよ」

 

 僕は相手を慮るように、声を震わせ、泣いてるのを我慢するみたいに振る舞う。

 

「ずっと、苦しかったよね。ずっと、辛かったよね。今まで、よく、頑張ったね」

 

 静かに抱きしめる。

 

「頑張ってない……」

 

 そう口にした彼女は、そこで止まる。

 君の涙が僕の服を濡らしていたからだ。

 

「なんで…………」

 

 彼女は本気で困惑していた。

 自分が泣いている理由がわからなかったのだろう。

 気づいたみたいに、息を漏らした。

 

「そっか、苦しかったんだ……ずっと、頑張ってたんだ……わかんなかった、それが普通だったから」

 

 

 

「忘れてた、ずっと、誰かに助けてほしかった……救い出してほしかった……でも、誰も助けてくれないから、期待すれば、その分だけ傷付くだけだから、期待するのを止めた。そしたら楽になれた。そういうものだと最初から受け入れておけば、傷付かずに済んだ。痛みを忘れられた」

 

 

 

「君が苦しいとき、僕は君を守れないと思う。何もしてあげられないと思う」

 

 

「でも、だから、全部終わった時にすぐ会えるように、君の心が壊れそうでも、支えられるように、君のすぐ近くにいたい」

 

「何もしなくても、何も喋らなくても、大丈夫なんだって、生きてるんだって、生きていいんだって、言葉にしなくても伝わるように、こうやって命の温かさを感じていたい」

 

 ああ、そういえば、思い出した話がある。

 児童養護施設の人間曰く、子供は虐待されても親を恨みきれないらしい。

 

 その理屈が、どうにも理解できない。

 恨む人間は恨む。

 殺す人間は殺す。

 親だから何が違うのか。

 父親を殺さなきゃ自分が死ぬとすれば、僕は何の迷いもなく引き金を引けるだろう。

 

 

 

 

 とはいえ、普段は気が強いのでもう少しマシな環境だとは思っていた。

 

 不条理への憤り。

 そして、それを理解しようともせず価値観を押し付けてくる人間への憤り。

 根底にあるのは疎外感だろうか。

 

 他人を理解できないのは当然だ。

 誰しもが自分を基準に考える。

 上の環境を妬み、自身の欠落を嘆くくせ、自分の下には興味がない。

 人は興味がないものを見ようともしない。

 だから、相手の欠落には想像力を放棄して「大したことはない」と自分の基準を押し付ける。

 そのくせ、恵まれた環境の人間には「誰しもがお前のように恵まれていない」のだと二枚舌を使う。

 

 妄想上で親に頭を撫でられることに忌避感がないなら良い親を持ったのだろう。

 そして、妄想上で親を刺し殺すことに快感を覚えるのなら、悪い親を持ったのだろう。

 

「ねぇ、Cちゃん。家族愛って言葉にどう思う?」

 

「気持ちが悪い。鳥肌が立って、吐き気がする」

 

 ああ、やっぱり。

 君は魅力的だ。

 君は水を与えられなかった花だ。

 愛されてこなかった子供だ。

 可哀想に。

 

 

 無防備な核心を曝け出した。

 感情を込める。

 

 家族の話を全く聞かない。

 家庭に問題がある。

 

「Cちゃんのお母さんは、いつも何話してるの?」

 

「親は、お父さんの愚痴ばかり言ってる。何年も会ってないくせに」

 

 Cちゃんは母子家庭だ。

 母親しかいないのに、お母さんとは言わずに親と呼ぶのは、母親への忌避感か、単に区別する必要がないからか。あるいは本心が拒絶しているのか。

 

「家族愛って言葉についてどう思う?」

 

「鳥肌が立つ。吐き気がする」

 

 ああ、やっぱり。

 君は魅力的だ。

 君は水を与えられなかった花だ。

 愛されてこなかった子供だ。

 

「頑張ってない」

 

「なんで……」

 

 涙が溢れた。

 

「そっか、頑張ってたんだ」

 

「ずっと、頑張ってたんだ」

 

「わかんなかった。ずっと、それが普通だったから」

 

「君が苦しいとき、僕は君を守れないと思う。何もしてあげられないと思う」

 

「でも、だから、全部終わった時にすぐ会えるように、君の心が壊れそうでも、支えられるように、君のすぐ近くにいたい」

 

「何もしなくても、何も喋らなくても、大丈夫なんだって、生きてるんだって、生きていいんだって、言葉にしなくても伝わるように、こうやって命の温かさを感じていたい」

 

 ああ、そういえば、思い出した話がある。

 児童養護施設の人間曰く、子供は虐待されても親を恨みきれないらしい。

 ――その理屈が、僕には理解できない。

 恨む人間は恨む。

 殺す人間は殺す。

 親だから何が違うのか。

 父親を殺さなきゃ自分が死ぬとすれば、僕は何の迷いもなく引き金を引けるだろう。

 

 色々あった。

 クリスマスは家に泊めりもした。

 付き合ってはいない。

 

 

 

 鼓動が混ざり合う。

 キスさえしないプラトニックな愛情を注いだ。

 

 僕は高校一年生になった。

 Cちゃんとは同じ高校に入学した。

 

 Cちゃんとは一緒に登下校している。

 付き合ってはいないけれど、そういう関係性に見えるだろう。

 Cちゃんには友達がいない。

 あまり他人に関心がないせいか、進んで僕以外の人と喋ろうとしない。

 なぜかは聞かないことにしてる。

 言葉させたら呪いのような自己暗示になりそうだから。

 調整は頑張っているが、進捗率5%って感じだ。

 

「まひろ」

 

 名前を呼ばれた。

 一緒に帰るんでしょ?、と言わんばかりに袖を引いてくる。

 

「帰ろっか」

「ん」

 

 もうすぐCちゃんの誕生日だ。

 サプライズプレゼントを用意しなければならない。

 だからというわけではないが、僕はママ活をしていた。

 

 雰囲気のあるコスパの良い創作料理店。

 その個室で、僕は20代後半くらいのお姉さんと食事をしていた。

 

「勉強がんばってる?」

 

「うん。大人になったら養ってあげるよ」

 

「期待しないで待ってる」

 

「期待してよ〜」

 

「まひろくん、将来刺されるよ」

 

「その時はお姉さんに会いにいくから」

「巻き込まないでよ」

「死ぬ時は一人じゃないね」

「最悪」

 

 話していると、視線を感じた。

 そこにはCちゃんがいた。

 目があった瞬間、Cちゃんは背を向けて走り去った。

 あーあ、ついに見られてしまった。

 『Cちゃん仲良し計画』もこれで終わりだ。

 

「待って!」

 

 僕は冷静に考えながら、必死にCちゃんの後を追う。

 そして、腕を掴んだ。

 Cちゃんは振り返ってくれない。俯いたままだ。

 

「誰、あの人……」

 

 誤魔化すのは容易い。

 それは、つまらない。

 

「ごめん……」

 

 僕の答えは不信感を募らせるだろう。

 不安に駆り立てられるだろう。

 

「私といた時、あんな風に笑ってなかった」

 

「つまんなかったなら……言って欲しかった」

 

「ごめんね……つまんなかったよね……」

 

「私、中身ないし……おもしろい話できないし……」

 

 始まるのは自虐のパレード。

 そうだろうね。

 君は自分に価値を感じていない。そういう環境で育った子供だ。

 

「違う、違うよ。今日のは勘違いで、ほんとは、君以外、どうでもよくて!何でもするから、だから!」

 

 僕は、中身のない薄っぺらい言葉を並べてみる。

 誰が聞いても否定したくなる自分に酔っている人間が使いがちなセリフだ。

 

「わけわかんない……」

 

 心の声が聞こえてくる。

 気持ち悪い。そう、君の心のなかで何度も吐き捨てられている。

 剥き出しの嫌悪感すら感じてしまう。

 

 愛というのは脆い感情だ。

 裏切られたと分かればすぐ憎悪に変わる。

 敵愾心と自己嫌悪。

 

 心地いい。

 敵愾心で満たされる。

 君が最初から壊れていたように、僕も最初から狂っていた。

 

 模範解答を知っている。

 何度も繰り返してきた。

 

「嘘つかないで」

「誰でも良かったんでしょ」

「無理、いや無理、無理だから、無理、無理、無理でしょ……意味わかんない……」

 

 彼女は続ける。

 

「二度と、あなたのことなんか好きにならない」

「友達に戻って、全部、無かったことにする」

 

 友達に戻る。

 それは縁は切らない。

 

 それ、嫌いになれないって言っているようなもんだよ。

 

 僕は普段から笑わないようにした。

 

「えーと、はじめまして?」

「学校では初めましてだね、まひろくん。見てたよ、最低なとこ」

「それ、君が言える立場?」

「んー?」

「何でもない」

「もしかして、昔のこと後悔してる?」

「してないよ。自分の黒歴史を消したいだけ」

「死にたくなったら私が殺してあげるって約束したもんね。かわいいね、まひろくん」

 

 その態度に苛つく。

 伸ばされた手は、僕の頭を撫でようとしているのだろう。手を弾き、紗奈をベッドに押し倒す。

 

「きゃ〜、大胆。私が叫んだらどうなると思う?」

 

 愉快そうに笑う彼女の細い首を両手で閉める。

 ん、ん、と疼くような声。

 僕の感情は冷えていた。

 欲情なんか湧いてこない。

 

「ほら、叫びなよ」

 

 苦しそうに藻掻いている。

 声は出せない。15秒数えて手を離した。

 ケホケホと咳き込む紗奈は、

 

「もぉ、酷いなぁ……私じゃなかったら嫌いになっちゃうよ?」

 

「嫌いになれば?」

 

「もー、釣れないなぁ。ね、今は死にたい?」

「自分の命より価値あるものは存在しない」

「私好みに育ったね」

 

 ムカついた。

 キスをする。

 息をする隙を与えない。

 

 求めてくる。

 愛も性欲もない。

 儀式的なキス。

 

「……やっぱり、君に一番似合うのは私だよ」

「それに関しては同意見かな」

「いっそ付き合っちゃう?」

「付き合う必要ある?」

「え、わかる!」

「でも苗字は欲しい。変えたいから」

「如月まひろかぁ、いいね!いつ結婚する?」

「20歳になったら」

「その言葉、忘れないでね」

「はいはい、約束約束」

 

 

 

「ね、Cちゃん。誕生日おめでとう」

 

 僕はCちゃんにブランドのバッグをプレゼントする。

 

「プラダ……?」

 

 ハッと気づいたようだ。

 

「まさか、このため……?もっと自分を大切にして!」

 

「喜んで欲しくて……ごめん……」

 

「まひろから貰えたら、なんでも良かったの!金額なんかどうでも良かったの!」

 

 ホントは違うけど。

 Cちゃんの頬に頬を涙を伝う。

 

「もう、やらないで」

 

 そう言って、過去を忘れるみたいに強く抱きしめられた。

 

 

 

 人は過去の鎖に縛られ続ける。

 この2週間は十分な時間だったはずだ。

 逃がさない。逃げられない。過去はいつまでも今を追い続ける。

 後悔する人間はどれだけ優れていようが弱者だ。

 あの時こうしておけば良かったなんて後悔は、弱者特有の妄想なんだよ。

 

 というわけで、僕はママ活をしている。

 面白いものを見るのが好きだから。

 理解できないものを理解したいからかもしれない。

 

「まひろくん、誰にでも言ってるでしょ」

 

「言ってませんよ。リンさんだけです」

 

「ほんとにー?もー、こんな思わせぶりになってぇ、お母さん知ったら悲しむぞ〜」

 

「悲しませたくないので内緒にしてください」

 

「もー、親孝行だね。まひろくんのお母さん、すっごく綺麗なんだろうな〜。ねぇ、どんな顔なの?」

 

「えー、普通ですよ。普通」

 

「まひろくんはお母さん似?」

 

「よくお母さん似って言われます!」

 

 僕は、父親には全く似ていない。

 なので母親似か取り違えられた子供だろう。

 

 

 帰宅した。

 鏡に写った顔を見る。

 母親似なのだろうか。

 

 あれ、そういえば、どんな顔だっけ。

 思い出せない。

 6年前なのに。

 名前何だっけ。

 

 ああ、思い出した。

 名字は止水だ。珍しいので覚えている。

 

「えーと、名前は……真弓だ」

 

 息が漏れる。

 僕の名前のまひろって、母親と父親の名前から取っていたのか。

 

 離婚する時のことは覚えている。

 母はよく、僕や兄を母方の実家に連れて行った。

 覚えている。

 離婚することになった。

 だから、どちらかを決めてほしい。

 

 そう言われた。

 母親は穏やかな顔をしていた。

 兄は泣いていた。

 選べないと言っていた。

 そんな兄に、母親は催促した。

 だから僕が変わりに答えた。

 元気よく、「お父さん!」と。

 母親の顔色が表情が抜けたのを覚えている。

 理由を聞かれた。

 本心は「父が養育費を払うだけのATMと化すことが可哀想だから」というものだが、それを口にするといかに可愛い僕でも殴られると思うので、「お兄ちゃんはお母さんで、僕はお父さん!一人っ子になってみたい!」と答えた。

 母親は曖昧に頷いて、その日、萎えたおひたしみたいに元気がなかった。

 ちなみに兄は答えてない。

 まぁ、母にはどうでも良かったのだろう。

 母は子供を平等に愛せない人間だった。

 僕が愛子で、兄が搾取子。

 母がどこか出かける時、僕は大抵一緒にいたし、よく甘やかされた。

 その反面、兄は否定されていた。

 泣いても無視していた。

 ああ、だから全く知らない父に付いていくという選択をしたのかもしれない。父は仕事であまり家にいない人だったので、イベント以外は他人だった。

 僕は母親を減点方式で評価していたのだろう。

 ヒステリックで、ビンタした後に抱きしめたり、自分の思い通りに行かなければ癇癪を起こし、僕が抱きしめると機嫌を直す子供だった。

 あ、思い出した。

 母はママ友と自分の夫を罵り合っていた。

 醜い女としての側面。

 それも母親の友達の分も認識していたのだ。

 あー、思い出した。

 そうだった。

 僕は事前に母親を卑しい女と認識していた。

 だから、「父親が養育費を取られるだけなのは可哀想」と思ったのか。時系列が逆だったな。

 離婚前の日、母に包丁を向けられて手招きをされた。父親には止められた。でも、僕は母が自分を害せるとは思えなかった。母のアイディンティティは僕だ。浮気をし、父親のこと貶していても、母の子供は僕だった。

 だから、僕はナイフを持った母親の手を掴んで、最後なのだから思い出を振り返りに家の中を歩いた。リップサービスのつもりだった。

 今にして思えば、酷い母親だな。

 父を選んだことを失敗だと思っていたが、随分とマシかもしれない。

 母親に引き取られていれば、兄は死ななかったかもしれないが、過去に可能性を見出すのは意味がないだろう。

 お母さんは今、どうしているのだろうか。

 死んでいるかもしれない。

 首を吊っていると仮定しても、寂しさや後悔は湧いてこない。生きている方がいい。だが、どうせ関わらない赤の他人だ。死んでいても生きていても変わらない。

 

 

 

 

「だからまひろか」

 

「待って、そのお金、どこから出てきたの?」

 

「えっと、アルバイト……?」

「嘘はやめて」

 

 

「認めない」

「言ったよね?」

 

「じゃあ私でいいじゃん」

 

「誰?」

「1年2組の如月紗奈」

「まひろくんの彼女やってます」

「やってないよ」

「私ならまひろくんを不自由させないのに」

「今度一緒に買い物いくよ」

「え?」

「なんで?」

「だって、付き合ってないでしょ?」

 

 再認識した。

 してしまった。

 

「ごめんね、Cちゃん」

 

 愛で隙間を埋めた。

 

 競争心は本能だ。

 愛は冷める。

 再認識させる。

 冷たくする。

 

 心の隙間は十分に埋めた。

 だから、打ち砕こう。

 

 

「別に、興味ないよ」

「紗奈ちゃんの方が楽しいよね」

 

「まひろくん、悪魔だね」

「紗奈には負けるよ」

「にへへ」

 

 人間なんて、壊れているくらいがちょうどいい。

 

「勉強会しようか」

 

 君といた時はしていなかったブランドのネックレス、時計、バッグ、香水。

 

「ああ、紗奈から貰った」

 

「誕生日プレゼントだってさ。別にいらないのに」

 

 君と会うずっと前から壊れていたよ。

 

「紗奈?別に、どうも思ってないよ?」

 

 インスタに載せる。

 

「ありがとう!大切にするね!」

 

 金が必要になる。

 抵抗があるのだろう。

 

 弱みを握られるも同然だ。

 紗奈と僕の仲がいいのを目撃している。

 不審なのだろう。

 

「あの人、ネットで大人の人とかと会ってる」

 

「えっと、それだけ?」

 

「え?」

 

「パパ活なんて、将来碌な大人にならない」

「第一、気持ち悪い」

「

 

「それ、弱者の妄言」

「需給を理解していない。供給過多で溺れることが真っ当だと思考を放棄している。コミュニケーション能力も容姿も換金性がある。用はただのビジネスだよ」

 

「ビジネス……?」

 

「それにさ、将来苦しむって……苦しんでほしいの間違いでしょ?自分の努力を僅か数時間で裕に超えるから妬ましい。妄想の中で相手に醜く描いて架空の相手に勝ち誇って自分は正しいのだと思い込む。哀れだね」

 

 所詮は価値を知らない一般的な高校生の尺度。

 金の稼ぎ方を知る人間。

 枢要なことは資本主義を理解しているかどうかだ。

 

 食事をするだけで10000円のお手当。

 時給5000円。

 ブランド品も買ってもらえる。

 

 紗奈の仕込みだ。

 話も上手い良客だ。

 

 価値観が歪む。

 ただ話すだけで金をもらえる。

 

 価値になる。

 逆転する。

 

 自分の時間を金銭換算するようになる。

 この時間があれば4000円稼げていた。

 

 僕もやっていたという事実。

 

「腕時計買ってもらった」

 

「は?300万……?」

 

「Cちゃんはバカだなぁ……」

 

 マウントとは動物の本能だ。

 他者を否定したがるのも、他者を下に置くための当然の行動原理。

 だが、その否定による優位性は妄想であり、現実ではない。

 理性を捨て、本能に突き動かされた弱者とも言える。

 他者を否定することで実態から目を逸らし、虚構の牙城の中に閉じこもっている。だから、こうも滑稽に見えるのだろう。

 

 これは300万円もしない。

 コピー品はネットショップで簡単に手に入る僅か3万円の物だ。

 証明書ごとコピーされたスーパーコピー品。

 

 

「どうしたの?」

 

「ううん、Cちゃんは綺麗だよ」

 

「かわいいね」

 

 抱きしめる。

 互いの体温が混じり合い、鼓動が一つになる。どっちの心臓かわからない。

 

 

 

「こんなの……こんなの……」

「だから、お願い……」

「Cちゃん、愛してるよ」

 

 

ブランド物の時計。

ブランド物の服。

 君から貰った香水とは別のもの。

 君から貰ったネックレスを身につけた。

 

「あ、Cちゃん!」

 

 ライバルがいる。

 Cちゃん、仕方ないよ。

 

「最も効率的なのは、愛させることなんだよ」

 

 別に、どうでもいいよ。

 もう興味がない。

 仲良くなれないのだろう。

 体を売るほどに盲目的だ。

 そこまで落ちたのか。

 

「ううん、君は綺麗だよ」

 

「体を売るのは自傷行為に似ている」

 

「5万円も稼いできたんだ。すご〜い」

「紗奈、思ってもないこと言うね」

「あぶくに消える端金だもん」

 

「君はもっと頑張れる」

 

「なんで」

 

「頑張ったのに」

 

「関係ないよ」

 

 

「もっと稼げるよ」

「何言ってるの?意味わかんない、意味わかんない」

「やめて!」

 

「これがいいんだよ」

 

「いいの?」

 

「向いてないんだよ、Cちゃん」

 

「ああいう子は落ちるとこまで落ちるよ」

 

 

「紗奈、Cちゃんに何伝えたの?」

 

「まひろくんの初めては私だよって」

「最悪」

「にへへ〜」

 

「私の方が稼げるし」

「も〜、君が一番お気に入りなんだよ?」

「はいはい」

 

「ほら、Cちゃん。まひろくんに渡してあげなよ」

 

「ランクアップおめでとう」

 

「え?」

「僕のために頑張ってくれてありがとう」

 

 冷静になるようならそれでいい。

 でも君はとっくに壊れている。

 

「人生を満たすのは金か愛か自由だ。だから金のために人生の大半を労働に費やす。愛に飢えた人間は、その金で愛を求める。バカなんだよ、根本が。最初から満たされていたのに、次を求めてコップの底に穴を開ける。永遠に満たされない。滑車の中のハムスターみたいだ」

 

「Cちゃん、妊娠したの?」

 

 膨らんだ腹をしていた。

 中絶期間は過ぎていた。

 目を逸らした結果だ。

 

「産む。この子は、何も悪くない」

 

「降ろしたくない。この子に罪はないもの。一人にしない。ちゃんと愛する」

 

 ああ、そういう感じか。

 レイプで孕んだ赤子を産む女がいる。

 お腹の命はお前を幸福にさせる。

 母親にさせる。

 だから理解していても中絶できない。理解と受容は違う。理性は感情に屈服する。それが人間だ。

 

 そういえば、性犯罪者の子供を産んだあの子は今何をしているのだろうか

 元気にしているだろうか。

 毒親になっているのだろうか。

 それとも死んでいるのだろうか。

 どうでもいいか。

 

「あーあ、お別れかぁ」

 

 もう接点もない。

 今後の人生で関わることもない。

 思い出の一つになって、思い出すこともなくなるのだろう。

 

 退学したらしい。

 退屈で平穏な日々だった。

 

 Cちゃんを見つけた。

 

「何してるの?こんなところで」

 

「あっち行ってよ……」

 

「危ないでしょ、女の子一人」

 

「来てよ」

 

「住んでいいから」

 

「どう生きていくつもり?」

 

「バカだね、Cちゃんは」

 

「僕なら利用できるもの全部を利用する」

「君の能力の高さは知っている」

 

 興味がない。

 死んでも生きてもどうでもいいが、生きているに越したことはない。

 

「あがりなよ」

「他のやり方でも金になる」

「需給を理解していない。サービスは売れる」

「ひとりなの?」

「まぁね」

「あなたのこと、全く知らなかった……」

「そんなもんだよ。人間って」

「昔を思い出す」

「あの頃は何も知らなかったから」

 

「後悔してる?」

「してない。あなたと出会わなければ、もっと退屈で、惨めに生きていたから」

「そう」

 

 ため息を吐きそうなほどに緩い感性だ。

 

「この子のこと」

「名前は決まってるの?」

「まだ……」

「

 

 なんでだろう。

 生きている気がした。

 輝いている気がした。

 

「ああ、紗奈」

「出てってよ」

「今は邪魔するな」

 

 

 あるはずの席。

 素敵な未来を想像してしまう。

 

 

 公園を通り掛かった。

 

 首を吊った君がいた。

 

「なんで」

 

 産むのだろう。

 納得もできる。

 

 心底、残念だ。

 

『約束、大人になっても友達!』

 

 あの日触れた指先のように冷たかった。

 

「最初っから潰しとけば良かったんだよ。承認欲求の蝿なんか」

 

 そうすれば、今より幸福になれただろう。

 僕なんかと出会わずに済んだだろう。

 罪悪感は湧かない。

 

 警察に事情聴取を受けた。

 

 僕も被害者として扱われた。

 彼女の親を見てみたかった。

 

「Cちゃんの友達です」

「ああ、あんなやつの……物好きな子もいたのね」

 

「お前も死ねよ」

 

 不快なものは不快だ。

 

「ま、別にいいけど」

 

 

「死んじゃったね」

 

「なんかした?」

 

「しただろ」

 

「だったら何?」

 

「不快なんだよ」

 

「ずっと前から君のことが嫌いだった」

 

「私は好きだよ。私の口調とか言葉を真似してるとことか、子供みたいで可愛いもん」

 

「うるせえよ」

 

 所詮他人に過ぎない。

 

 僕は大学生になった。

 サークルの飲み会で仲良くなったと子と二次会を抜け出して、二人だけで飲み直していた。

 

 レベルの低い、まるで知性を感じない他愛ない話。

 キスをした。

 そういう雰囲気だったからだ。 

 

 壁に唇を付けているみたいだった。

 柔らかいはずなのに、感触がしない。

 

 ついばむような接触。

 温度を感じない。

 

 舌を入れる。

 下手くそだな、と思った。

 

 貪られているような感覚に陥る。

 まるでレイプされているみたいだ。

 

 体温が冷えている。

 気分が下がり続ける。

 

 なんでなんだろうな。

 

 でも、彼女と付き合った。

 色々あって同棲した。

 

「結婚する?」

 

 そう、軽口を叩いてみる。

 彼女はこんな僕を愛してくれてるみたいだ。

 なんだ。なんでだろう。気分が乗らない。

 前みたいに嘘を付けない。

 

「ごめん、別れよ」

 

「最初から好きじゃないってわかってた。ありがと、付き合ってくれて。楽しかった」

 

 そう言った彼女を、僕は見ることができなかった。

 どんな表情をしているのか、僕は認識したくなくて、その場から逃げるように立ち去った。

 

 久しぶりに空を見上げる。

 

 息が漏れる。

 ああ、そっか。

 幸せになってほしかったのか。

 Cちゃんに、幸せになってほしかった。

 

 本心だった。

 あの時、君がお腹の子を産むと決意したとき、僕はそう、心の底から思っていたのか。

 なんで最初から優しくできなかったんだろう。

 

 全部、お前が悪いのに。

 ずっと興味がなかった。

 他人が傷つくことを厭わないほどに幼稚だった。

 他人の痛みに無関心だった。

 何が本音だったのか。

 僕は、結局、何をしたかったんだろう。

 

 カッターが見えた。

 カチカチカチと刃を出してみる。

 

 13歳の頃。

 いつでも死ねるはずだった。

 車に轢かれようと何度も思っていた。

 轢かれる寸前だったことも何度かあった。

 毎日、死にたいと思っていた。

 リストカットをしてみたくなった。

 動脈がぷくぷくと存在を主張している。

 「死にたい」とか「死んでもいい」を現実逃避の免罪符にしていたこと。本当は生きたいのだと。

 

 切れた。

 切れてしまった。

 

「ああ、死にたかったのか」

 

 納得した。

 ようやく心の底から死にたいと思えた。

 

 僕は、紗奈に連絡していた。

 

「紗奈、会える?」

 

『さみしくなったの?おいで〜』

 

 紗奈は今、マンションにひとりで住んでいるらしい。

 随分とお金周りがいいことだ。税務署に目をつけられないのか、疑問だが。

 

「久しぶり」

 

 紗奈は僕を見ると、少しだけ表情が崩れた。

 

「ちゃんと人間になったんだね」

 

 紗奈は思い出したように続ける。

 

「ねぇ、まひろくん、私のヒモになってよ。飼ってみたかったんだ」

 

 時間が止まった。

 そんな気がした。

 

「何言ってんだ、お前。僕はこの罪を共有したかった」

 

 そう言っても、眼の前の女は、まるで純粋無垢な子どものようにニコニコしている。

 

「なんだ……お前はまだ、子供のままなんだな。ああ、子供だから自分の罪を認識できない。哀れだよ」

 

 紗奈は息を抜くように微笑んだ。

 

「違うよ」

 

 僕の額を人差し指でツンと押してくる。

 

「違う。私はずっと知っていた。それが悪であると。まひろくんとは全く違う」

 

  紗奈の表情から好意的な温度が消える。

 

「それにさ、咎める気?それ、君が言える立場かな?」

 

 過去の言葉が自分に突き刺さる。

 その通り、自分よがりなのは僕だろう。

 僕の頬を、紗奈は撫でた。それはまるで蛇のような手つきで。

 

「まひろくん、私、言ったよね。私好みに育ったって。過去は消えない。いつまでも今を追い続ける。清算なんてできないよ。もう、死んじゃったもん。全部、君が奪ってきたものなんだよ。今更加害者だって言って、君が満足したいだけなんだよ。かわいそ〜だね、死んでも利用されちゃうんだ」

 

 その言葉が痛かった。

 全部、否定できない真実だった。

 

「なんで教えてくれなかったんだ」

 

「その方が面白いじゃん」

 

「人間じゃなかったんだな、お前」

 

「悔やんでる?君を産んだのは私だから。弱者だったね、まひろくん」

 

 昔の記憶が、脳裏を過る。

 12歳の時の、思い出したくもない記憶。

 

『死にたくなったら、私が殺してあげるからさ。だからちょっと手伝ってよ、慈善活動』

 

13歳の頃、取り交わした紗奈との約束。

 

「殺してくれ。もう、全部どうでもいい」

 

「ここじゃあれだし、外行こっか」

 

 紗奈に手を引かれ、僕はマンションの外に出た。

 

「まひろくん、つまんなくなったね」

 

「待って」

 

 

 大学の講義に出席しなくなった。

 生きていい理由が欲しかった。

 他人のために生きたかった。

 

「少年、何してんの」

 

「なんだよ」

 

「気にすんなよ」

 

「腹減ったろ、なんか食うか」

 

「うち来いよ」

 

「ほら、好きなようにしろ」

 

「世界は平等に無関心だ。だから、自分のしたいことをすればいい」

 

 何を言ったらいいか。

 全部知っている。

 それを口にすること自体が吐き気を催す。

 

が何を言っても筋違いになる

 

 ずっと言いたかった。

 

「誰かを愛せるようになれ」

「何もできない奴は、何もできないままに死んでいく」

 

「今の自分を否定するのは、過去に作った理想だった」

 

「ああ、はい」

 

「やりました」

 

「生きて欲しかったから」

 

「ただの自己満足だとわかっている」

 

「気持ちが悪い」

 

「怪我をしていた」

 

「守るのがお前の役割だろ」

「傷つけてどうすんだよ」

「親であろうとするなら親の役目くらい果たせ」

 

「犯罪者が、どの口でむ

 

「ああ、ほんと、どの口が言ってんだろうな」

 

「でもそれは、お前も同じだろ」

 

「他人を傷つけることを厭わないクズは、一体いつになったらその稚拙に気がつく」

 

 

 執行猶予。

 実質無罪。

 

「お兄さん、やっと会えた」

 

「私、幸せだよ」

 

 救われた気がした。

 涙が止まらなかった。

 

 首を吊っている。

 既に生きる気力は果てていた。

 心臓は命を維持するために懸命に脈を打っていた。

 

【窒息】完

 

 目が覚めた。

 最悪だ。生きてしまった。失敗したのか。

 視界に映る天井。

 病院じゃない。どこだ。誰かに助けられたのか?

 それにしては妙な既視感だ。

 まるで、実家の、僕の部屋みたいで。

 

「は?」

 

 手が小さい。

 子供みたいな、白くて頼りない手。

 身体を起こす。

 ここは、実家で、僕の部屋だ。

 中学生の時に使っていた教科書が、机の上に開きっぱなしになっている。

 何がどうなっている。

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