NoNovel   作:隻腕のオクトパス

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何年間がある。

 全部、やり遂げるんだ。

 光が見えた。

 

 この4年間を、一生分の思い出にするんだ。

 君が満足した人生だったと思えるように、振り返ればたくさんのものが見えるように、何もかもを成し遂げるんだ。

 目の前には快晴が広がっている。

 どこまでも行ける気がする。

 僕は今日、本当の意味で、自由になったんだと思う。

 

 消してしまった写真が気にならなくなるほどの思い出を撮ろう。

 何千枚、何万枚。

 誰の人生よりも濃密な思い出を残そう。

 大丈夫だ。

 失敗する気がしない。

 運命に導かれている感覚がある。

 あと4年、約1500日。

 毎日を満たすんだ。

 扉が開けば、なんと言おう。

 ソワソワする。

 

 

「君が生きていて、よかった」

 

 言葉が漏れる。

 そうだ。

 生きている。

 それだけでよかった。

 

 だから、どうか、お願いします。

 結衣を助けてください。

 あの子だけは報われるべきなんです。

 

*****

集中治療室が開く。

立ち上がる。

 

医師がやってくる。

 

医師「落ち着いて聞いてください」

 

 

医師「最善はつくしました。我々としても悔しい思いです。娘さんは、お亡くなりになりました」

 

 

 

淡々と語る医師。

 

 

「15時22分、ご臨終です」

 

 何を言っているのか、訳が分からなかった。

 言葉の意味は理解している。

 なのに、理解できない。

 何を言っている?

 

 大丈夫なはずだ。

 あと4年はあるんだ。

 

 なら、なんで?

 最善を尽くした?

 なにが?

 この結果が正当だとでも言いたいのか?

 ありえない。

 これが終わり?

 なぜ、他人事みたいに冷淡な口調で言える?

 

 

 息が荒れている。

 

母「嘘、嘘、なんで、ねぇ、お願い────」

 過呼吸に陥った。

 

 司は左手で口を塞ぎ、右手で首を絞めるように掴んでいた。

 

医師「お気持ちお察しします」

母「────何が、何でよ────」

 

 

壊れたように、泣いていた。

 

 司はフラフラと立ち上がり、結衣が眠るベッドを前にして、崩れ落ちた。

 床に額を擦り付け、魂が引き裂けたと思うように咆哮を上げている。

 何度も床を叩いている。

 痛々しい姿だ。

 衝動に支配され、取り乱している。

 

 冷静さを失っていた。

 結衣のお母さんは、顔をくしゃくしゃにして、眠る結衣に語り掛けている。

 言葉が音になっていない。

 

 ああ、苦しいのだろう。

 

 僕は取り乱していなかった。

 それどころか状況を分析できるほどに冷静だ。

 頬に触れても、涙一つ流れていない。

 最初からこうなるとわかっていたみたいに、動揺すらしなかった。

 なんで悲しくないんだ。

 なんで何も感じないんだ。

 なんで呼吸ひとつも乱れないんだ。

 なんで僕はこんなに薄情なんだ。

 

 

 集中治療室に足を踏み入れた、次の瞬間、視界一面が青色になった。

 目の前にあるものは床だと、ややあって気が付いた。

 いつの間にか転んでいたようだ。

 記憶が飛んでいる。

 痛みも音もなかった。

 触れているはずなのに床の感触がない。

 夢の中にいるみたいだ。

 手のひらの上に水滴が零れる。

 この水は、僕の頬から伝い落ちている。

 

 泣いている?

 なんで、今更、泣いてるんだ。

 僕は、まだ何も感じていない。

 事実をありのままに受け止めている。

 

 知っていた。

 最初から見えていたんだ。

 停止したフラットライン。

 心臓が止まってることも。

 チューブにつながっている君の姿も。

 理解している。

 なのに、視界が真っ白になる。

 真っ白な視界に、君の姿だけが浮かび上がる。

 

 君は眠っている。

 綺麗な寝顔だ。

 愛おしい表情だ。

 目を開けて、「起きてるよ」なんて悪戯っぽく笑うんだ。

 見ているだけで、胸の中が太陽に包まれたように暖かくなる。

 サラサラの髪を撫でたくなる。

 微笑まれるだけで幸福感に満たされる。

 快晴が、君を照らしている。

 風が吹いているんだ。

 海の音が聞こえる。

 浜辺の上で、君は寝ている。

 

 あの夏の君が、そこにいる。

 ずっと眺めていたいと思った。

 君はいつになったら目を覚ますのだろう。

 

 景色の一つであった新緑が、フラットラインの緑色に変わった。

 喉の奥が閉まる。

 瞳孔が縮小する。

 声が漏れる。抑えても、嗚咽が止まらない。

 視界がボヤける。

 涙が流れ続けている。

 

「お願い。最後に、結衣と話してあげて」

 

 誰かの手に導かれ、僕はベットの前に立った。

 

 呼吸ができなかった。

 涙で汚したくなくて、君に近づけなくて。

 恐る恐る、君の手に触れる。

 

 暖かった。

 

 なんだ、生きてるじゃないか。

 

「結衣」

 

 でも、反応がなくて。

 

「結衣」

 

 呼びかけても、答えはなくて。

 君の身体は、時間が止まったみたいに、動いていなくて。

 

 滂沱の如き感情が胸中を縛った。

 息を忘れた。

 君だけがいる。

 目の前に、君だけがいる。

 

 君と出会った記憶が過った。

 ずいぶんと懐かしい記憶を思い出すのだろう。

 

『死んじゃうの?』

 

 最初は君の事を、どうでもいいと思っていた。

 

 僕たちは橋で出会った。

 

 糸を手繰り寄せるように。

 君を大切にしたかった。

 

『』

 

 君はよく笑っていた。

 その表情が好きで。

 ほほえみ掛けるようで。

 

『大丈夫だよ、一人にしないよ』

 

 君にはじめて抱きしめられた。

 暖かくて。

 

『誕生日おめでとう』

 

 はじめて誕生日がうれしいと思ったんだ。

 

『』

 

 花よりも君が綺麗だった。

 

 

『』

 

「なんで」

 

『』

 

「なんで」

 

『』

 

「なんで」

 

『』

 

「なんで……」

 

『大きくなったね』

 

「なんで……!」

 

 なんで最後なんだろう。

 まだ本心も伝えられていない。

 ばいばいも言えていない。

 

 

 あの時、意気地にならなければ。

 

 あの時、いらないプライドを捨てていれば。

 お前があの時、プライドなんか捨てていれば。

 僕はちゃんと、君と言葉を交わせたんだ。

 

 誕生日に、おめでとうを言えたんだ。

 言えたはずなんだ。

 

 なんで、誕生日も祝えなかったんだ。

 祝おうとすら思わなかったんだ。

 言いたかった。

 言いたかったなぁ。

 なんで、言えなかったんだ。

 誕生日の、おめでとうを。

 ラインで送るだけでも良かった。

 

 祝う気もなかったんだ。

 なんで、言えないんだ。

 何も、言えないままなんだ。

 

 ありがとうも、ごめんねも、さよならも、愛してるも。

 何も、伝えられていない。

 

 終わるわけがないんだ。

 まだ、終わるはずがないんだ。

 言葉を交わせるはずなんだ。

 

『寝ちゃってた……おはよ、晴翔くん』

 

 君が起き上がって、微笑むんだ。

 いつもみたいに、微笑むんだ。

 

『ん-ん、まだ寝ない……』

 

 君は強がりだから、眠くても我慢して起きようとして。

 

『んー、起き……てるよ……』

 

 なのに、起きてくれなくて。

 

 まったく、動かないんだ。

 息をしていないんだ。

 

 このままでは死んでしまう。

 どうにかしないといけない。

 なんで誰も動かない。

 どうしてこうなっているのかを思い出した。

 

 心が落ちた。

 絶望の底に消えた。

 耳元で惨めな獣の声が泣いていた。

 それは全部、お前の声だった。

 

 

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