盾を構えたウェディングの前で、男は微動だにしなかった。
都市の静寂の中で、二人の間には不穏な空気が流れていた。
「処刑、執行します」
ウェディングの声が響く。
彼女の盾が淡く光を帯び、次の瞬間、強烈な閃光が迸る。
その光はこれまで数え切れないほどの異端者を消し去ってきた。
だが——
男はそこにいた。
閃光が収まった後も、彼はまるで何事もなかったかのように立っていた。
処刑の光が触れるはずの場所にいたというのに、男の身体は粒子と化すことなく、その瞳には依然として感情の輝きが宿っている。
「——何?」
ウェディングの瞳がわずかに揺れた。
「処刑人殿、悪いがその力は僕には効かないよ」
男はそう言うと、ゆっくりと黒い外套を翻した。
彼の周囲に、わずかに黒い霧のようなものが漂っている。
「お前……何者だ?」
ウェディングは問いかける。
今まで処刑を免れた者などいなかった。
ゼニスの戒律に背いた者は、処刑の光に触れれば等しく塵となる。
それが、この世界の“理”だった。
「さあね。ただの異端者……とでも言っておこうか」
男は薄く笑みを浮かべた。
「君が信じる“秩序”の外側にいる者——それだけさ」
ウェディングの眉がわずかに寄る。
この男は、ただの異端者ではない。
処刑の力を無効化し、なおかつこの都市に入り込んでいる。
何かを知っている。
そして——この世界の“理”を揺るがす存在であることは間違いなかった。
「……貴方を放置するわけにはいきません」
ウェディングは盾を振りかざし、今度は直接的に振り下ろす。
彼女の一撃は圧倒的な重量を持ち、触れたものを粉砕する。
だが——
「遅い」
男の姿が、一瞬にして掻き消えた。
ウェディングの盾は空を切り、石畳に激突する。
激しい衝撃で地面に亀裂が走り、砂埃が舞い上がる。
「……!」
ウェディングは即座に周囲を警戒する。
——背後。
風がわずかに揺れた。
次の瞬間、首筋にひやりとした感触が走る。
「本当に君は、“それ”が正しいと思っているのか?」
男の声が、耳元で囁かれた。
ウェディングは反射的に後ろへ跳ぶ。
数メートルの距離を取り、改めて男を睨みつける。
彼は相変わらず、余裕のある表情で彼女を見ていた。
「……貴方は、私に何を言わせたいのですか?」
ウェディングは問いかけた。
男は少し首を傾げ、まるで何かを確かめるように口を開く。
「——この世界が、本当に正しいのかどうか、君自身に考えてもらいたいだけさ」
都市は静かだった。
しかし、ウェディングの心の中では、確かに“何か”が揺れ動いていた。
迷いは許されない。
ゼニスの戒律に従い、秩序を維持することが彼女の使命。
だが、目の前の男はその“理”を疑えと言う。
彼女の盾は、秩序を守るためにある。
だが、それは本当に“守る”ためのものなのか?
ウェディングは、無言のまま男を見据えた。
「次に会う時は、どうなるかな?」
男は軽く手を振ると、黒い霧の中へと溶けるように消え去った。
広場には、再び静寂が戻った。
人々は何も気にすることなく、機械のように動いている。
まるで、何も起こらなかったかのように。
だが——ウェディングの中では、確実に何かが変わり始めていた。
彼女は無言で盾を握り直し、神殿へと歩を進める。
その手にある盾が、何を“守る”ものなのかを確かめるために。