チョコレートに溶ける心 作:kame
第1話 心溶かす、甘い魔法
第一章
初星学園――その広大な敷地に足を踏み入れた時、私、
その寮で、私がルームメイトとして過ごしているのが、
もっとも、あのときの再会に喜んでいたのは主に清夏ちゃんの方で、私はというと、あまりに偶然が重なりすぎて戸惑い、とっさに言葉が出せなかった。私は人前で話すのがあまり得意ではないし、うまく感情を言葉にできないタイプだから。彼女から「覚えてる? スウェーデンで会ったよね!」と声をかけられ、「うん……。」と答えるのが精一杯だったのを、今でも少し恥ずかしく思い出す。
その後、同室になってからも、私はどう距離を縮めればいいのか分からなくて、必要最低限の会話しか交わさないまま一学期が過ぎた。清夏ちゃんはとても気さくで、私が黙り込んでも嫌な顔はしない。むしろ「疲れてるのかな?」と気遣ってくれる。ただ、私自身がどうにも人との距離感をつかみそこねてしまう。だから部屋に一緒にいると嬉しい反面、どこか気恥ずかしくもあって――胸がざわつくのを抑えるように、私はいつも窓の外を見たり、スマホに視線を落としたりしてしまうのだ。
そんな落ち着かない日々が続くなか、少しだけ心が弾む瞬間があった。私がひそかに好きなこと、つまりお菓子作りをしているときだ。もともと母がよくスイーツを作ってくれて、その手伝いをしていたのがきっかけで、私も小さい頃から台所に立つのが好きだった。ただ、実家を出て寮に入ったら、キッチンが自由に使えるわけではない。寮には共有のミニキッチンがあるものの、大がかりな調理はしづらい。私は自分の部屋で、小さなホットプレートやレンジを使って、ささやかながらもクッキーや簡単なケーキを焼いたりするのだ。寮の規則の上で少々グレーな面もあるけれど……おやつ程度なら黙認されている。
そして最近、私はチョコレート作りに興味を持っていた。市販の板チョコを湯せんで溶かして固め直すだけでも、好きな型に流し込めばちょっとした手作りチョコになる。量産はできないし、いびつになってしまうことも多いけれど、私はそれを一口かじってみたり、少し飾り付けを工夫して「上手にできたかも……」と自己満足に浸ってみたりしていた。周囲にはあまり話してこなかった私の小さな趣味。でも、誰かが私の作ったお菓子を食べて「美味しい」と言ってくれたとき、胸があたたかくなる感覚があった。そういう気持ちを久しく味わえていなかったから、私はお菓子作りの時間をこっそりと大切にしている。
ただ、寮では隠すように作っていたはずなのに、ある日、思いがけず清夏ちゃんに見つかってしまった。その日は放課後、私は共有スペースの電子レンジを使ってチョコレートを温めていた。時間をかけて湯せんするほどの設備はないので、細かく砕いたチョコレートを少しずつレンジで溶かし、部屋に戻ってから再度温度管理しようとしていたのだ。すると、後ろからひょいと人影が近づいてきた。
「リーリヤ、何してるの?」 「……す、清夏ちゃん?」
心臓がどきっとした。突然声をかけられたうえに、手にはチョコのボウルを抱えている。隠そうにももう遅い。私は「ちょっと……その……」と口ごもった。
「チョコ溶かしてるの?」 「う、うん……。えっと……ちょっとだけ、ね」
それ以上何も言えない私を見て、清夏ちゃんはパッと表情を輝かせた。
「すごい! お菓子作りできるんだね! いつも何してるのかなとは思ってたけど……すごいじゃん!」 「い、いや、全然。大したことないよ……。」
私は恥ずかしさで下を向いた。自分がやっていることが大げさに褒められると、いつも戸惑ってしまう。でも、清夏ちゃんは「見せてもらってもいい?」と、私のボウルをのぞきこんでくる。その瞳は好奇心に満ちていて、私を否定する気配は一切なかった。それどころか「私、甘いもの大好きなの」と、子どもみたいに笑った。
結局、私は部屋に戻り、普段は布で覆って隠しておいた簡易の道具を取り出した。チョコを流し込むシリコンの型、シンプルな温度計、そして部屋の片隅に置いてある小さなホットプレート。メジャーなレシピサイトのメモをプリントアウトした紙もある。これが私の“お菓子作りステーション”。改めて誰かに見られるとこそばゆい。私の趣味はこんなに「ちゃんとしてない」んだなあ、と再認識してしまう。
「へえ、いろいろ用意してるんだね。これでチョコ作るの?」 「うん。でも、たいしたことはできなくて……。ただ溶かして、固めるだけ……。」
本当は、きれいに仕上げるには緻密な工程が必要らしい。溶かしたチョコをしっかり温度管理して……なんて本で読んだことはあるけれど、今はそんなに複雑にできる設備も知識もない。実際、私が取り組んでいるのは形がいびつになったり、多少白っぽくなったりする“自己流”のチョコ作り。それでも誰かが「美味しいよ」と言ってくれれば満足、というくらいのレベルのものだ。
ところが、清夏ちゃんは「うわあ、いい匂い……なんかもうすでに美味しそう」と言って、本当に嬉しそうに微笑んでくれた。
「さっきレンジで溶かしたチョコを、ここでもう少し温め直して混ぜてるの?」 「そう……。ちょっとずつ温度下げながら、なんかそれっぽくしたいなって思って……」 「いいねいいね! 私も見てていい? 邪魔にならないよう気をつけるから」 「うん、もちろん……。……あんまり上手くないけど」
私は視線を落としながら言った。緊張と恥ずかしさで胸がどきどきしている。でも嫌じゃなかった。清夏ちゃんが、まるで私の小さな秘密を「面白そう」と覗いてくれるのが、ちょっとくすぐったい。私はホットプレートの温度を下げると、チョコレートが焦げ付かないよう注意深くかき混ぜた。しばらく待って、最後に型に流し込む。緩やかにとろりと流れ込むチョコを見ていると、不思議と落ち着いていくのだ。
「綺麗に流れ込むね……」 清夏ちゃんの声が横で聞こえる。私は顔を上げて小さく笑った。 「そう……かな。ちょっと白っぽくなったりして、売り物みたいにはならないけど」 「売り物みたいじゃなくても、手作り感あっていいじゃん。食べてみたいな」 「できあがったら……その……食べる? 私、嬉しいから……」 「ほんと? いいの? ありがとう、じゃあ遠慮なくいただくね!」
型に流し込んだチョコが固まるまでには少し時間がかかる。私はそれを簡易の冷蔵スペース――と言ってもクーラーボックスに保冷剤をいくつか入れた即席の冷蔵庫のようなもの――に放り込んで、あとは待つだけだ。気まずい沈黙が生まれるかと思ったけれど、清夏ちゃんは「ねえねえ、最初にチョコ作ろうと思ったのはいつ頃?」などと質問を投げかけてくる。それは押し付けがましいわけでもなく、私が答えやすいように気を遣ってくれているのが伝わった。私はちょっとずつ、返事をするうちに心がほぐされていった。
「昔、母がよくお菓子を作ってくれて、その手伝いをしたの。最初はクッキーとかシナモンロールが多かったんだけど……チョコは、手軽に作れるから」 「シナモンロール、美味しそう……! スウェーデンってやっぱりシナモンロールとか有名だよね。フィーカっていうんだっけ? 休憩のときのコーヒーとかお菓子を食べる習慣」 「そうそう。懐かしいな。日本だとあんまり広まってないけど……」 「でもリーリヤの話聞くと、なんかやってみたくなるよ。今度教えてね?」 「……うん」
私は頷きながら、心に何か暖かいものがじんわりと広がるのを感じていた。なんでも器用にこなす清夏ちゃんに「教えてね」なんて言われるなんて――なんだか恐縮してしまうと同時に、少しだけ誇らしい気持ちも芽生えた。
それから20分ほど経って、型から外したチョコは少し角が欠けていびつだったけれど、甘い香りが漂っている。それを清夏ちゃんに渡すと、「わー、かわいい形!」と瞳を輝かせて、すぐにかじってくれた。
「んっ……美味しい! すっごくまろやかだね、甘さもちょうどいい感じ……。やっぱり手作りの温かみっていうのかな、すごく好き」 「ほんと? それならよかった……」
私の胸は嬉しさと照れくささでいっぱいだった。いつも自分の作ったものなんて自己満足に過ぎないと思っていたのに、こんなに喜んでもらえるなんて。でも嬉しくて頬が緩むのを感じる。
「リーリヤはさ、もっと自信持っていいと思うよ。すごいよ、手作りでここまで味出せるなんて」 「……ありがとう」
小さな声でお礼を言う。気の利いた言葉は出てこない。でも、この素直な気持ちは確かに今、私の中で大きく膨らんでいた。