チョコレートに溶ける心   作:kame

5 / 20
第5話 チョコレートの専門知識

 パラリ――。

 緊張で脈拍が早まり、耳の奥がじんじんする。最初に目に入ったのは、丸い字で綴られた走り書きのような文章。日付が記されていて、確か先週のものだろうか。

 

 そこには、ダンスの練習内容が簡単に書かれていた。今日のレッスンでどのステップが上手くいかなかったとか、どう改善したいとか。やっぱりレッスンノートに近いんだな……と思いながら、私は一気に安心しかけた。日常のメモと変わらないし、これならすぐに閉じてしまおう。そう思って視線を下に滑らせた瞬間、私は驚きで息をのんだ。

 

 「チョコの結晶がきちんと安定しないと口どけが悪くなる。27~28℃前後に下げてから、30~31℃に上げるテンパリングが必要。バレエと同じで基礎が大事」

 

 そんな、やけに専門的かつ情熱を感じる言葉がさらりと書かれているのだ。レッスンのメモに突然現れる“チョコレート”という単語。私は一瞬、目を疑った。

 

 さらにページをめくっていくと、チョコレートの専門的な話がどんどん出てくる。たとえばカカオバターの結晶構造に関すること――「ベータ結晶が正しく形成されるには正確な温度コントロールが必要」などと、まるで化学のテキストを見ているかのような用語が並ぶ。そこまで難しいものではないが、少なくとも私が普段お菓子作りの本でさらっと読んでいたレベルよりは、明らかに踏み込んだ内容だ。

 

 さらにメモは続き、手書きのイラストまで添えてある。どうやら溶かしたチョコをマーブル状の大理石台に広げて冷やす「タブリール法」の手順が描かれているらしい。漫画のように工程が分解されていて、清夏ちゃん自身が練習している様子を想像できるくらい、細やかだ。

 

(清夏ちゃん……こんなにお菓子作りに詳しかったの?)

 

 私は戸惑いと驚きで頭が混乱していた。今まで一度もこんな話を聞いたことがない。少なくとも、「お菓子作りもすごく勉強してるんだ」なんて言ってなかったはず。――いや、彼女はお菓子を「食べるのが好き」とは言っていたけれど、それもごく普通の女子高生レベルの話だと思っていた。

 

 ページをさらにめくるたびに、清夏ちゃんがどれほど“チョコレート”という領域に興味を持っているのか、ひしひしと伝わってくる。メーカーによるカカオ分の違いとか、プラリネやガナッシュ、トリュフに至るまでの工程表。日付がバラバラなので、おそらく時系列通りには書かれていないようだけれど、そのどれもが非常に具体的で、専門用語やメモが走り書きされていた。

 

 さらに、あるページにはこんな記述があった。

 

 「まだリーリヤには言ってないけど、実は私もスウェーデンでチョコレートのことをいろいろ教えてもらった。あのときは短い滞在だったから本格的にはできなかったけど、先生にテンパリングの基礎を教わった。今は時間がなくて実践できないけど、いつか本格的にやってみたい」

 

 私は息を飲んだ。そこにははっきりと私の名前――「リーリヤ」――が書かれている。スウェーデンで出会ったとき、確かに清夏ちゃんは何度か別行動をしていた時期もあったけれど、まさかチョコレートのレッスンまで受けていたなんて……。

 

 (私が知らないだけで、清夏ちゃんはもう“プロ並み”の知識を持ってるの……?)

 

 驚きと、妙な胸のざわつきが混ざり合う。私が一生懸命作っているチョコなんて、温度管理だって感覚的だし、形もいびつで白っぽくなったりすることもある。そういう私に、「すごいね」「美味しいね」って言ってくれる裏で、彼女は本当はもっと高度なレベルを理解していたんだろうか……?

 

 急に顔が熱くなってきた。自分の浅さを思い知らされるようで、恥ずかしさと動揺が止まらない。

 

(知らないふりをされてたのかな……いや、そんなわけないよね? でも……)

 

 そこまで考えたところで、私は我に返った。――これは清夏ちゃんの“秘密”かもしれないのだ。私が勝手に覗いていいものではなかった。

 

 私は急いでノートを閉じ、机に戻す。心臓が早鐘を打っている。さっきまでチョコの湯せんを見守っていたはずなのに、いつの間にか温度計は放り出されていた。大慌てで確認すると、チョコは固まりかけていて、もう使い物にならないかもしれない。

 

 でも、それ以上に頭がパニックだった。自分が“見てはいけないもの”を見てしまった後ろめたさ、そして清夏ちゃんが持つ予想以上の専門知識に対する衝撃――それらがいっぺんに押し寄せてきて、私はしばらくの間、動けなかった。

 

 結局、その日のチョコは失敗した。仕方なく捨てる前に少し味見をしてみると、粒々の舌触りが残ったひどい仕上がりになっていた。

 

(……こんなの、お菓子作りなんかじゃない。)

 

 そう思うと、涙が出るほど惨めで恥ずかしくなった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。