チョコレートに溶ける心 作:kame
結局、その専門書は寮の部屋に持ち帰ったものの、私が読むのはほんの数ページが限度だった。難解な用語、細かいグラフや数値データ。ひとつひとつ意味を調べようとすれば、それこそ膨大な時間がかかる。
一方、私もレッスンやテスト勉強、そして趣味のお菓子作りで手いっぱいだ。そんな中で、プロが使うような理論書を読みこなす余力などない。
だから私は本の存在を胸に抱えたまま、日々の生活へ戻るしかなかった。清夏ちゃんは相変わらず「レッスンで足がパンパン~」「今度のオーディション、見に来てね」などと気さくに話しかけてくれる。私も「うん、楽しみにしてるよ」と返す。でもその裏で、「彼女は今どう思ってるんだろう」という疑問が常に渦巻いていた。
いや、もしかしたら――清夏ちゃんは私が思うほど「凄いレベル」にいるわけではないのかもしれない。あのノートに書かれていたのは、あくまでもメモ程度。実際に完璧にできるかどうかは別の話だろう。テンパリングを習ったといっても、簡単に成功できるほど甘くはないはず。そう自分に言い聞かせてもみるが、すぐに「あの人はやるときはとことんやりそうだし」と思い直してしまう。
その証拠に、レッスンに対する取り組みも真摯だ。足の怪我や体の柔軟性など、いろいろと壁はあるはずなのに、彼女は常に笑顔を絶やさず、でも陰では相当の自主練を積んでいる。きっと、本気で取り組もうと思ったら、お菓子作りだってあっという間に私のレベルを追い抜くだろう。――私ときたら、温度計を握りしめて「うまくいくかな~」と一喜一憂しているだけだ。
私が持っていたささやかな自信は、今、足元から崩れかけている。かといって清夏ちゃんを遠ざけたいわけではない。むしろ彼女の存在が好きだ。でも自分から歩み寄ることができない。矛盾だらけの感情を抱えながら、私はなかなか前に進めなかった。
そんなある日、清夏ちゃんが「リーリヤ、最近ちょっと元気ない? どうしたの?」と真正面から聞いてきたことがあった。
「え……べ、別に……そんなことないよ……」
「本当? なんだか前みたいにお菓子作りの話もしてくれないし、私、気になってたんだけど……。疲れてるなら無理しないでね」
「う、うん。……ありがとう」
私はそれだけ言って、微妙な空気を振りほどくように部屋を出た。彼女の優しい言葉が、今はどうしてもまっすぐに胸に届かない。――ごめん、清夏ちゃん。私、どうしたらいいのか分からないんだ。
こんな不誠実な態度を取り続けていれば、そのうち彼女の信頼を失うかもしれない。それは嫌だ。でも、真実を打ち明けるのはもっと怖い。私が彼女の日記を盗み見たなんて、きっとあきれられてしまう。
私は心の中で、自己嫌悪が雪だるま式に膨らんでいくのを感じていた。