みみのこ・ファイト・クラブ 作:アキ
食事とは。
満たされなければならない。
これが、ミゥの自論である。
無論、ミゥの友達にも、食事はあくまで栄養摂取のための手段だとか、そもそも食事を取れなかったりとか、
しかしミゥは違う。
生まれてこのかた健啖家。その小さな体に幾千の米粒を詰め込み、幾万と箸を動かしてきた耳である。
そんなミゥとて、生まればかりは変えることができない。
ふてぶてしそうな顔つき、ざんばらに伸びた髪の毛、それはもう生命のそれとは思えない程長く写真を撮る時後ろの人が鬱陶しそうに避ける馬鹿でかいスッッッゲェ邪魔な耳を持つ『みみのこ』。それがミゥの種族。
耳を両とも抜かれると死んでしまうという特異な特性を持つミゥの種族は、そのか弱さから人間に虐げられることが多い。クワガタにすら負ける。故に狡猾に育つ耳は多く、人間の食べ物をかすめ取ったり、媚び媚びで近付いて食べ物をねだる みみのこ もいる。貰えなかったら小さく舌打ちをして帰っていく。後ろからもぎ殺される。
故に、飼い耳───人間の庇護下に置かれている耳のなんと恵まれていることか。ミゥの友などは人間に飼われ、さらに新しい名前まで与えてもらったという。通っていた学校にはもう来なくなってしまったが、戻って来ないほど幸せな場所だということだ。ミゥはそれを思い出し勝手に憤慨した。
ミゥが飼われないのも全て腹のせいである。この腹の中に居座り大きな唸り声を上げるこの虫こそが、諸悪の根源である。これはただちに、胃にものを詰め込み黙らせねばなるまい。ミゥは奮起した。
ミゥがスニーカーで地面を叩き続けると、やがてそこへ到着する。
『焼肉
ミゥはその戸を叩こうとして、おっと、これは忘れてはならない。
「み゛ッ」
ミゥはその大きな耳を力の限り引き抜いた。それも両方とも。初セリフがそんな汚い声で良いのか。
『みみのこ』という種族は耳を両方抜かれると死ぬ種族である、というのは先ほどの通り。しかし、強大な意思を前にした時のみは、例外である。
『みみのこ』による死は、一説によると認知の問題ではないかとされている。
悔しい話は専門家に聞くべきものとして、とにかく、ミゥは死なない。自分自身が「耳がもげて死ぬのは一部の者のみ」と信じるからこそ、こうやって両耳を己が手でブチ抜いたとしてもこうやって身体の動きを止めることなく生きることができるのである。
「みっ」
さらにミゥは、不自然なほどデカくなんのデザイン性で作られたのか理解不能である『耳』の字の形をしたヘアピンを外した。ヘアピンはポケットに入れるとして持ち運びに邪魔すぎる長いみみは自転車置き場に適当に置かれ、風でころころとどこかへ転がって行った。どうせ地に還るものである。不法投棄。これこそが みみのこ が敬遠される理由である。
「いらっしゃ───あら、ちいさい」
「みっ」
もちろんこの店とて、みみのこ によくないイメージを持っているのは例外ではない。
「……みみのこ……?」
「みぃ。ちがう」
「じー……」
「み」
「まぁなっがい耳もないし耳ヘアピンもつけてないし、みみのこ じゃないか! いらっしゃいませ!」
「みっみっ。おなかすいた」
だからここで耳をもいでおく必要があったんですね。
通された席に座ったミゥはメニュー表を手に取り、一つのそれを指さした。
「みっ、ひとつ」
「上カルビ定食ですね。かしこまりましたー」
「みい」
「あっ、お客様」
「み?」
「今ランチタイムなので、無料でお米とお肉大盛りにできますよ」
「みっ……」
ミゥは少しの逡巡の後、無言で親指を立てた。
店員はミゥに対してこちらも無言でサムズアップ。伝票を書き込み、ミゥの目の前にあるロースターに火をつけた。
網の奥にある闇がぼんやりと赤くなっていく様子を眺めつつ、ミゥは来るその時を待つ。
「失礼しまーす」
「ミッ」
「お冷でーす」
「みぃ……!」
まだその時ではない。
火も柔軟体操を始めたというところ……ときおり揺れる真紅の帯が網を舐め、周囲の景色がゆらりゆらりと熱に絆されていく。
くぴ、と少量の水を口に含み、ミゥはただその時をじっと待つ。
「失礼しまーす」
「ミッ!」
「こちらキャベツでーす」
「みっ……みぃ……」
ボウルの上に盛られたキャベツはごま油のヴェールを纏い、香ばしい香りを立てている。そして何より、塩昆布が混ぜられているタイプである。
既にお腹と背中がくっつきそうというところ、ミゥは手元にあったステンレス製の箸に手を伸ばしかけるが、その手をもう片方の手でぐっと押さえ、荒い息をする。
いくら空腹とはいえ、いくら目の前にしょっぱくて美味しそうなキャベツがあるとはいえ、ここで食すのは言語道断。無粋どころも無く、誉の無い行為である。ここで耐えねば、この美味しそうなキャベツはただ空腹を誤魔化すために利用されてしまう。それだけは避けなくてはならない。
「失礼いたしまーす」
「みっ!!!!」
「お肉でーす!!!!」
「み゛っ……みィ……!!!!」
まだその時ではない!!!!
耐えである! ミゥの心はもう目の前に出された赤と白の四角いそれを焼くことに囚われている! だが!
だが!
まだその時ではない!
「フゥーッ……フゥーッ……」
ああ、お腹すいたなぁ……!!!!
ミゥの目は血走り、膝の上に置かれた手はかたかたと震えるばかり。
口の中はもうよだれでいっぱい。網の調子は既に万全。
だが耐える! まだ耐える!
元より みみのこ は我慢が苦手である! だがミゥには! 己のアイデンティティである長い耳を捨て、誇りである耳のヘアピンを外してまで、辿り着きたい
だから待つ! 待ち続ける!
そして!
その時は、来る!
「お米でーす!」
今だァ───ッ!!!!!!!!
ミゥは『お』の時点でトングを使い肉を並べていた。
じうっと破裂音にも近い、激しく、しかし小気味よい肉の焼ける音。
焼肉のタレを小皿に注ぎ、ミゥは今か今かと身を乗り出すほどに待ち侘びていた。
脂によって光る表面を睨みつけ、鬼気迫る表情でそれをひっくり返す。
少し縮みんだ網目模様を見たミゥはもういっそこのまま食べてしまおうかと唾を飲んだが、首を振って耐えた。本来ならぶんぶんと振り回されているであろう長い耳は、今は風で飛ばされ近くにあった畑に突き刺さっている。
そうこうしているうちに育ちに育った肉はミゥの手によって箸に挟まれる。ほかほかと白く湯気を上げる肉をタレにちゃぷと漬け、熱がたれに逃げるじゅっと言う音に耳を立てる。
ふっ、ふっ、と二、三度息を吹きかけ、ミゥはそのタレの滴る待ち望んだランチの第一食目を───。
ぎゅっっっ
「ん〜〜〜〜みぃ〜〜〜〜っ!!!!」
噛み締めた。
舌の上で繰り広げられる旨みのワルツを我を忘れそうになるミゥだったが、ここで気を失ってしまっては耳が廃るというもの。
すかさずもう片方の手に持ったお茶碗から白飯を放り込み、口内をほっかほかの米が侵略していくのを見届けた後に、大きく喉を鳴らして腹に収めた。
「みぃ……! た
ミゥがトリップしている間にも肉の突撃準備は着実に整っていく。
特攻隊の二番手がぱちりと一際大きく輝き、ミゥは狙いを逃さずに箸でからめとった。
またもタレにつけ口にひょいと投下する。ちいさな耳ノーズでふんふんと息をしながら舌鼓を打ち、ミゥのくちびるがてらってらになった頃合いで水を飲む。
「くはっ」
喉の奥にまとわりつく不快感が冷たい水によって流され、大きく息を吸ったミゥは、コップを置いた手でキャベツのボウルを手に取った。
手頃な大きさにバラされた一片を箸で掴み、口へと運ぶ。
ごまの香ばしい香りとじゃきじゃきという肉や米では出すことのできない食感を楽しみながらも、ミゥの手は止まることはない。
米を口に運びはふはふと息をしながら肉をタレにつけ、多少行儀が悪いことを心の中で誰かに謝りつつ、頬一杯に頬張る。
紛れもなく優勝である。今のミゥにやってやれないことなどない。そう思わせるほどの万能感。肉の脂で酔っていた。
肉1片につき米のそこそこな量を箸ですくい、口元へ。
だらしなく大きく開けられた口に幸せがなだれ込み、ミゥの口角が自然とあがる。今この世で最も幸せな耳であった。
「お待たせしました烏龍茶でーす」
烏龍茶カットイン!!!!
ミゥの脳内に脳汁が、否、肉汁がどばどばと溢れ、ことりと使えに置かれた烏龍茶が希望の光を放つ。
水だけでは力不足であった喉の脂という強敵に特攻を持つ、最強カード。ひょいぱく、と肉単体で口へ放り込み十分に吟味した後、烏龍茶を口に含む。くぅぅぅという声がミゥから発せられた。
肉を焼き米を頬張り烏龍茶でシメるという無限のコンボが炸裂する中、ミゥは一心不乱に箸を動かした。幸せの無限ループ。
だが現実はそう簡単に許してくれない。
「みっ……」
米が、もうない。
片手のお椀に収まっていたはずの大量の白米はどこへやら、その影はどこにもない。ミゥの喉からひゅっと絶望する音が鳴り、震える手でメニューを開いた。米くらい、一杯くらい、無料でお代わりさせてくれたっていいじゃないか。
…………。
ミゥとて、所持金に限りがある。
卑しいイメージから働きづらい みみのこ という種族で、か弱い身体で、必死に頑張ってきたのである。
常日頃の食事も金バッジ割りを使って切り詰め、地下闘技場で優勝した際にばら撒かれる紙幣をかき集めたりして、なんとかこの至福の時までたどり着いたのである。
だからこそ、ここで追加注文など。
……追加注文、など……!
「……みっ」
…………。
「お待たせしました〜ミニユッケビビンバとスープのセットでーす」
食欲には抗えない!
そっと乗せられた卵をスプーンで崩す背徳感! そこに肉! 既にユッケがメインでもあるビビンバに追って肉! 焼きたての肉!
はふはふと喰らうミゥを止めるものはもういない!
ただ焼き、喰らい、胃を満たす! それのみである!
ああ、嗚呼、ミゥに腕があと2本あったなら! トングとスプーンと箸とコップを同時に持ち、食の阿修羅にでもなったというのに!
「ぐあっ、ぐあっ」
キャベツとてもはや一片ずつなどと言っている暇はない。
豪快に束ねて箸で鷲掴みにし、思い切り噛み砕く。
あちちとスープを飲み肉を食べお冷を飲み干しまた肉を喰らう。
みー、ミゥはまるでみみのこ火力発電機みみねぇ……。
「みっ……!」
網の上には最後の一枚。キャベツはもう空。スープだって飲み干している。
スプーンで掬ったラスト一口のビビンバをしっかり味わい飲み込んで、烏龍茶で口内をリセット。
網から最後の一枚を取り、脂で光り輝いてしまっているタレに名残惜しげにちょんちょんとつけ、ミゥは決心した。
「……はむ」
五感の全てを以てして、楽しむ。
食事とは、満たされなければならない。
「食後の温かいお茶でーす」
「みっ」
物量で押し切られたミゥの中の怪物が、あたたかいほうじ茶で少しずつ癒されてゆく。
ゆっくりと息をし、幸せそうな表情を浮かべるミゥの視界は、きらきらでいっぱいだった。
「ごちそうさまでした」
「あい、また来てくださいね!」
満たされた腹を撫でつつゆっくりと伸びをするミゥ。
飢えたる みみのこ の姿はどこにもなく、今横になったら普通に5時間寝てしまいそうな幸せで小さな命がそこにあった。
「あの子、みみのこ だよなあ」
「あっ店長もそうおもいますー?」
「まあそりゃ、ポケットからめちゃくちゃでかい『耳』のヘアピンでてたしな」
「食べてる時力が入りすぎたのか、両手がぐーになって耳が生えてきてましたもんね」
「……ま、いいんじゃないか。お金はちゃんと払ったし、なにより……」
「はいっ、そうですね」
ミゥはうっとりしたまま、空に向かって問いかける。
「あんな美味そうに食ってくれたんだ。冥利ってもんだ」
次は、何を食べようか。