Fate/senji might 作:ONE DICE TWENTY
この近辺に住む者には初めての、静かな夜だった。
金属を打ち付け合う音が聞こえない。頂点を指した時計の針に見合う静けさ。沈殿した夜闇。
町は、その訪れに違和感を抱いた。あるいは恐怖を抱いたのかもしれない。
丑三つ時まで聞こえるあの音の無い夜は、まるでこの町の全てを深海の底へと落としてしまったかのようで、だからか、ぽつ、ぽつと、時折浮かんでいた家々の明かりが消えていく。
怖いことが起こるかもしれないから。
今日は早く眠ってしまおう、と。
「──貴方は慧眼だ、ランサー」
届ける気のない称賛。それも彼女がマスターの少年に見せることのない言葉。
空を睨み、音も無く庭に佇むのはセイバーと呼ばれる少女である。
淡い金髪は銀光に照らされてなお美しく、翡翠の瞳は晴れ渡る空の月を眺める。
かちゃり、という音。
鉄の響き。鎧の響き。重く硬い銀の甲冑。
せめてものカムフラージュにと渡された羽織は丁寧に畳んできた。
銀と青のその姿には、もはや少女と呼べる雰囲気は存在していない。
他を圧倒する魔力で編み上げられた鉄壁の守り。
人を凌駕する魔力で隠し通された視えざる剣。
戦場において不敗とされたその姿は、現代においてなお、彼女の在り方を決定づける。
「──彼は危うい。あれではいつ死に走ってもおかしくはない」
前回のマスターは冷徹な人物だった。それ故に方針を違え、最後まで打ち解けることが適わなかった。
今回のマスターは未熟な人物だった。それ故に方針を違い、今こうして彼女を戦場へと導いている。
セイバー。彼女は卓越した剣士であり、騎士だ。
七人のサーヴァントの中で、最優と呼ばれる剣の英雄。他の英霊がどのような存在であれ、彼女だけは決して主に逆らわない理想の剣士。
けれど、それではいけない。
主の剣たらん自身が戦わなければ、剣ではない主が剣となりかねない。
「幸いにして、マスターからの魔力供給は充分。彼らの言葉を使うのなら──万全の状態」
戦闘を行うに十二分過ぎる状態。
なれば彼女の行うべきは主の意思の代行。
強者が弱者を甚振ることは看過できないという理想論を掲げるのであれば、今まさにこの町の人間を略取している者を打ち破ることは彼の意に反さないだろう。
そうして、今まさに地を蹴ろうとした──その時。
「どこに行こうってんだよ、セイバー」
声は──屋敷の方から。
今宵に明かりを遮る雲はいない。だから、その姿がはっきりと見える。
着流しに身を包む少年。彼が常々吐く通り、未熟さと稚拙な雰囲気の抜けきっていない──しかしどこか俗世離れした空気を持つ主。
「……眠っていたのではなかったのですか、シロウ」
「へん、オレが鉄の音を聞き逃すかってんだ。……で? 暴走しがちなオレを止めてくれるサーヴァントは、今、どこに行こうとしてたんだ」
「──」
曰く。
高潔な精神を持つマスターのもとには、高潔な精神を持つサーヴァントが。
心に深い傷を持つマスターのもとには、心に深い傷を持つサーヴァントが。
いびつな心を持つマスターのもとには、いびつな心を持つサーヴァントが──それぞれ召喚される。
それは触媒というものを通したとしても変わらない。英霊の座はマスターとサーヴァントを正しく選定し、それを結び付ける。
であれば、一つの理念のもとであれば約定も規則も破って身体が動いてしまうような……そんなマスターのもとには。
「……いえ。夜風を浴びたい気分だっただけです」
「そうかい。んじゃもう満足しただろ? 中に戻んな、セイバー」
「もう少し浴びていたいと言ってもですか?」
「だったらオレも眠らねえでここにいる。体調管理を怠ってな」
「……それを出されては、こちらが折れるしかありませんね。いいでしょう、中に戻ります」
「おう。……ただまぁ、なんだ。一つ要望、良いか」
それまで幼子を窘めるような、老人のような空気を持っていた少年は、その空気を一変させる。
組んでいた腕を解き、後頭部を掻いて……少し気恥ずかしそうに。
「なんでしょうか」
「言わせてるオレが悪いってのはわかってるが、その折れるってな
「……子供ですね、シロウは」
「ああ、そういうこった。ちいとばかし気になって仕方ねえから、まぁ、別の言葉を使うか、逆にオレを折るか。どっちかにしてくれ。……まだ見えやしねえけど、お前さんの剣は絶対に折れねえし曲がらねえ、そういう類のモンだろ?」
理解する。
彼が今言った「剣」とは、風王結界によって刀身の隠されたソレではなく──彼女自身の生き方。生き様。そのことなのだと。
そしてそれは、彼自身にも返る言葉。
どうして少女が彼に呼び出されたのか、わかったような気がした。
同じなのだ。あまりにも。
少女の方が物事を知っているし、戦を知っているし、術理というものを理解しているけれど。
少年と少女は──根底を同一としている。
「なぁセイバー。サーヴァントってのはよ、眠れねえのか? 睡眠は必要ないとは言ってたが……」
「いえ、可能ではあります」
「なら眠っときな、セイバー。独りの夜は長い。長い間独りでいると、余計なことばっか考えちまって……結局、そうやっておかしな行動を取ろうとする」
「……経験則ですか?」
「あぁよ。五年間、筋金入りの体験談だ」
斯うして、少女は引き留められた。
失ったものは手に入るはずだった情報。
得たものは──何よりも得難き繋がり。
千切れかけていた糸は、既のことで、結び直された。
少女は憤慨していた。
何に、など決まっている。あの罵迦のことだ。自身のベッドへ、その枕へ顔をうずめて、バタバタと手足を振り回す。
「なによ! なによもう、直前まで完璧な共闘関係だったじゃない、完璧な作戦だったじゃない! それを……それを……!」
「そう騒ぐことでもないだろう、マスター。サーヴァントは優れていても、マスターは貧弱且つ軟弱者。あのような男と手を組もうとしたこと自体が間違いだったのだ。それを理解できただけでも充分な収穫だったと言える」
「……ま、そうね。魔術師なんて……結局みんな、そんなものだもの」
彼女のサーヴァント・アーチャーにそう窘められて、ようやく……まぁ、多少は、落ち着きを取り戻したかのように枕を抱きしめ、先程よりも強く顔をうずめる少女。
「で? アンタはアンタで、ようやく本調子を取り戻した、ってカンジだけど……何かあったの?」
「いやなに。自分でも馬鹿らしいと思うような希望を見出して、勝手に見失っただけだ」
「あっそ。……それよりアンタ、あのバカに攻撃止められてたじゃない。手加減でもしたの?」
問われ……アーチャーは自身の右手を見る。
あの時振るった短剣。それは確実にライダーのマスターを仕留めるものだった。けれど事実としてその剣は強化すらされていない
「加減などするものか。あのような外道をみすみす見逃す私ではない。しっかりと力を込めて剣を振るったとも」
「けど、止められた。……ってことは、衛宮くんには何らかの代償を払いさえすればサーヴァントの攻撃を受け止められるほどの魔術がある、ってことになるわね」
「あの足か」
「ええ。アンタが見えていたかどうかは知らないけど、アイツの足はアンタの攻撃を止める前から出血してた。正確にいうとわたしの前に出た時にはもう千切れかかってた。……仮にアイツが爆発的な走力を得るような魔術を使ったのだとしても、アンタの剣を止めるには至らない。そうでしょう?」
「無論だ。サーヴァントの腕力と人間の腕力が拮抗することはない」
「つまり、あの足の怪我は走力の強化による代償じゃなくて、アンタの攻撃を受け止めることのために支払ったもの、ってこと。……その原理さえ掴めたら、彼は障害じゃなくなる。けど、それが掴めない限りは……」
「あの小僧を殺そうとしたところで、何かしらの魔術によって防がれる、と」
どれほどまでを耐えられるのかは定かではないが、そういうことだ。
「そ。加えてセイバーまでいると来たら、衛宮くん……セイバー陣営の攻略は至難。彼にはセイバーを運用できるだけの魔力が十二分にあって、その上で正体の掴めない魔術を使う。ありがたいことがあるとすれば、その性格の掴みやすさね。前提情報が無ければ慎重派。つまり彼に情報を与えなければ彼は自ら動こうとしない。加えて真っ向勝負の一騎討ちを好む性格を考えれば──」
「……そのことなのだがね、マスター」
「うん? なによ、わたしの話を遮ってまで言いたいこと、と認識するけれど」
「ああ、大事なことだ。マスター。あの小僧がセイバーを召喚するまで、あの小僧から魔力を感じたことはなかった……昨日、そう話していたように思う」
「それは、そうね。衛宮くんが魔術師だって知ったのは昨日が初めてだし。……え、あれ、でも」
「そうだマスター。あのセイバーのサーヴァント、確かに能力値は優れているのだろうが、消費魔力の方も桁が外れていよう。それをなぜあの小僧が使役せしめている?」
最大の疑問。当然のようにできていたから忘れていたこと。
二年間同じ校舎で生活してきて、一度たりとも魔術師だと思わなかった少年。学生の身空で刀鍛冶を目指している奇特な人物である、というのは知っていたけれど、それ以外の接点は──まぁ──無かった存在。
「魔力の隠蔽に長けていた……とか」
「この土地のセカンドオーナーである君に一切気付かせないほど、かね」
「……なら、アイツは何かを代価にしているとか。セイバーを維持できるだけの代価が何かなんて思いつかないけど、
「なれば、上手くセイバーだけを釣り出して彼女の魔力を消費させることに専心すればいい。あの小僧の精神力などたかが知れているのだ、セイバー陣営を崩すならまずはその謎の供給源から潰す必要があるだろう」
納得のいく理論。理解のできる作戦だった。
ただ。
「……アーチャー。あなた、なんでそんなに衛宮くんを狙うわけ?」
「最優のサーヴァントを引き連れている陣営から潰したいと思うのはおかしなことかね?」
「おかしくはないけど……。……ま、いいわ。これでセイバー陣営の崩し方はわかった。確かにわたしの話を遮る価値のある話ね。衛宮くんにどれほど謎の魔術があろうと、セイバーを消費させ切ってしまえば問題ない、か。そしてアーチャー、あなたは弓兵」
「ああ。遠方からの狙撃によってサーヴァントをその場に射止め、魔力だけを消費させ続けることなど容易い」
「オッケー。じゃあ、別の陣営の話をしましょ」
違和感はある。
サーヴァントの攻撃を防ぐことができる魔術など、それこそ大魔術の類だ。
少女の持つ宝石数個を使ってようやくできること。いや、それさえも事前の
彼女は聞いていた。あの短い詠唱を。
あの短文の詠唱にどれほどの意味が込められているのかまでは知りようがないが、彼が時計塔の大魔術師でもない限り、あの短文詠唱では些細なことしか起こせないはずなのだ。
サーヴァントの一撃を受け止める。その剣の速度に間に合わせる。
「別の陣営となれば、やはりライダー陣営か」
「へ? あ、ああ。ええ、そう。……間桐の家は没落したはずだけど、事実として
「通常状態であれば可能だろう。だが、宝具を持ち出されたのなら話は別だ。
「……正直な話、ライダー陣営はそれこそマスターを撃破するのが一番だと思う。
「可能と言えば可能だが、他に被害を一切出さないという条件が付け加えられるのであれば、少々難しいと言わざるを得んな。タイミングを見計らう必要があるし、その最中に他のサーヴァントから奇襲を仕掛けられても面倒だ」
「そうよね……」
間桐の家。
あの家には……彼女がいる。
慎二が魔術師だったからと言って、あの少女まで巻き込むというのは──違う。
それは家訓に反するし、個人的感情にも反する。
「多分だけど、学校は火災と気絶者が出たとなれば、休校になる。そうなると
「三竦みだな。あの小僧も、ライダー陣営も、私達も。互いに己の陣地に籠るとなれば、先に痺れを切らした者が割を食う。……そしてそういうことをしている間に、他のサーヴァントが動く。新都で起きているガス漏れ事故などは好例だろう。ああやって好き勝手に動くサーヴァントが力を付け、三竦みなどしている私達がいつの間にか窮地に立っている、ということになりかねん」
「かといってランサーのマスター含む他陣営のマスターを探しに行けば恰好の的、かぁ」
やはり。
今日、あの時にライダー陣営を仕留めることができなかったのは、相当な痛手と言える。
あの罵迦がバカをやらなければ。
そう考えると……少女の中で落ち着いていた苛立ちが、また、沸々と煮え湯の如く気泡を上げてくる。
「とりあえずだ、マスター。私は霊体化し、この町にある狙撃に適したポイントを探してくる。最終的にどのような選択を下すにせよ、あの小僧の家、間桐の家のどちらもを最も効率よく射ることのできる場所をな」
「ええ、お願い。……無いとは思うけど、
「承知した」
霊体化していくアーチャーを見送って……少女は、ふと、ある事に気が付いた。
ずっと覚えていた違和感。
「……アイツ、今回一度も嫌味を言わなかった……ストレス発散でもしたのかしら」
これほどまでに作戦立案がスムーズだったのは初めてだったな、と。
少年は荒れていた。
「クソ、クソ、くそっ! 衛宮のくせに、衛宮のくせに、衛宮のくせに!!」
どの件で、など決まっている。昼間の一件だ。
「なんなんだよアイツ、いきなり仕掛けてきて、いきなり僕を守……守って! マッチポンプをやるにしたって下手すぎる! そんなに僕の好感度を稼ぎたかったワケ? それとも何かの演技? そ、そうか、アイツ、遠坂を裏切ったフリをして……僕に取り入ろうとしたってことか! 僕がアイツに心を許して同盟を結んで、そうなったらあのセイバーのサーヴァントで後ろからグサリ。……けど、そんな面倒なことアイツが考えられるわけ……」
一人でぶつぶつと、そしてぐるぐると頭を回す少年。彼の部屋で立っているサーヴァントは、けれど何も言わない。どころか動きさえしない。
彫像のようにずっと、微動だにせず少年を見守って……すらいない。本物の彫像のように、虚空さえも見つめずに立っているだけ。
「そうか……そうか、あのズブでバカな衛宮を遠坂が使って……そうだよな、そうじゃなきゃおかしい。そうさ、アイツは馬鹿だけど仕事だけはできるんだ。だから衛宮を言いくるめて、遠坂は……けど、衛宮にそこまでの使い道があるのか? ……ああいや、あるか。だってこの僕と友人なんだ。そんな関係性のやつ、利用しないはずがない」
けれど。それなら。だというのなら。
仮定に仮定を積み重ねて……少年の中で式が完成していく。
「逆に衛宮を取り込んで、僕が遠坂を後ろから、ってのも……アリだよな。だって向こうが先にやってきたんだ。それにこれは魔術師の戦い。卑怯なんて言葉はむしろ誉め言葉さ。……問題はあのサーヴァントだ。セイバー……セイバーのサーヴァント。どう攻略する? どうすればあんな筋骨隆々の男に勝てる? ……いや、勝つ必要はない。だから、まず衛宮に遠坂を呼び出させて……」
少年の青図は広がっていく。
止める者は誰もいない。咎める者も誰もいない。
無意識にとはいえ彼を歪めた彼の妹でさえ、今の彼には近づこうとしない。
誰も指摘しない。
お前の企ては、そもそも前提からして間違っている、などと。
誰も。