時間がさらに進み、時は八月。
結論から言って、母方の実家には魔術師らしい痕跡が全くなかった。
古めの資料や家系図が残っていたことからもしやと思って淡い期待を抱いていたが、素人目から見ても魔術師と思しきものは何一つない。
そうなると父方の実家に全てを賭けるしかない。
そう思って、大学が夏休みに突入するのを待って関東に出向いたのだが――――
「…………見っつかんねぇー」
宛がわれた部屋で大の字に寝転がる隆文。
父方の実家には割と蔵書があったので期待していたのだが、探せども探せども。それらしい文献や単語は出てこないままだった。
「マズイ……これどうするよ」
まだ一年ほどの猶予があるとはいえ、このままだとあの地獄が再現されることになる。
自分の手からは令呪が離れ龍之介のもとに行き、キャスター・ジル・ド・レェが召喚され。子供達は大勢犠牲となり、怪獣大決戦よろしく大型の海魔が現れる。
そのまま進めば、聖杯が破壊され。中身の泥が溢れ出し、冬木の大災害が訪れるだろう。
そして正式な本筋。第五次聖杯戦争へと進んでいく。
それだけは絶対に避けなければいけない。
放っておけばいいだろうという考えもある。
第四次聖杯戦争はおおよそ2週間ほどで決着がつく。
その間、海外に行っている両親の元を訪れて留学とするという方法もある。
もしかしたら家が破壊されるかもだが命には代えられない。住むだけならアパートやマンションだって市内にはある。
幸い両親が資産を持っているおかげで、金銭面には余裕がある。
だがここはもう自分の知っている創作の世界ではなく、今いる現実なのだ。
友人もいる。親戚もいる。ご近所付き合いも悪い方ではないし、住んでいる土地に愛着も湧いている。
そして何より――――死ぬと分かっている人たちがいるのを無視することが出来なかった。
居心地のいい日々が無くなるのが怖い。
親しい人たちが亡くなるのが怖い。
死ぬかもしれない人たちを見殺しにして恨まれるのが怖い。
自分が死ぬのが怖い。
偽善独善。だからどうした。
そもそも理不尽に対抗する術があるのなら対策をするのが人間だ。
魔術師達が身勝手をするのであれば、こちらも同じことをするだけだ。
…………問題があるとすれば。
「いくら理想や信念があろうと、力がないと何もできねえ……」
古今東西。理想論を並べる者はいても、それを現実に移せるものは極僅か。
現代においてはそれが特に顕著になっている。
いくら御託を並べても、それを実行できるだけの力と知恵がなければ空手形にもなりはしない。
「……もう一度探すか」
隆文は起き上がり、古本が収められている書斎へと向かった。
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父方の実家、間宮家の書斎はこじんまりとしているが蔵書がかなりある。
なんならこのまま古本屋を開いても問題ないくらいには量がある。
現在隆文はこのうちの三分の一を既に読み終えている。
読み終えている、というが。実際はかなり早い流し読みのようなものだ。
それでも重要な部分はしっかりと時間をかけて読み込むようにしている。が、それでもやはり見つからない。
というか――――
「これ。マジでただの古本だよなぁ……」
おそらくは祖父母の親、曽祖父母の代のものだろう。
大体明治か大正時代の西暦が書かれている。
「いやぁ。これは……」
歴史を専攻している学者にとってはある意味宝かもしれないが、今現在の隆文にとっては無用の長物と化している。
多分、この部屋にある全ての本がそういった類のものだろう。
歴史、民俗、地理。調理や経営、果ては当時の娯楽本まで揃っていた。
節操がなさすぎる。というより文字が古いから読むのに時間がかかるんだよなあ。
そんなことを思いながら黙々と本を漁る隆文。
だが流石に集中力が切れてきたのか、徐に立ち上がる。
「……散歩でもしてくるかな」
考えも大分煮詰まってきている。
これが学校の課題とかだったらまだよかったのだが、残念ながら現実は非情なもの。
と、玄関で靴を履いていると奥から祖父が出てきた。
「おや。隆坊出かけるのかい?」
「あーうん。ちょっと頭の整理したいから近くを散歩してくるよ」
それじゃ、と外へ出ようとすると祖父が待ったをかける。
「あー、待て待て坊。婆さんが今来るから。なんでもお前に渡したいものがあるそうだ」
「俺に?」
「ほれ。大学の課題で昔の資料とか集めとるんだろ。ばあさんが昔母親……坊からしたら曾祖母さんに当たる人から貰ったものだそうな」
そんな会話をしていると、奥からぱたぱたと祖母がやってきた。
「あ、隆ちゃん。これこれ」
「ばあちゃん走んなよ危ないから……で、これは?」
祖母が持ってきたのは、古い桐の箱だった。
箱の蓋の部分には「謹呈」と彫られている。
……これ絶対貰い物の箱の中にしまってる奴だろ。
「これね。私のお母さんから嫁入りの時に受け取ったのよ」
「嫁入り道具渡していいの?」
「あっはっはっ。嫁入り道具なんて大層なもんじゃないよ。中身はただの紙束さ」
紙束って……
何とも言えない気持ちに隆文がなっていると、祖母が箱を渡す。
「紙、ってことは。当時の資料か何かってこと?」
「さあねえ。何しろ海外の言葉で書かれているから」
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……おっと?
一瞬。心臓が期待に跳ねた。
日本にも陰陽師や呪術師などの古来よりの魔術師というのは存在する。
が、やはり多いのは西洋諸国出身者だ。
海外の魔術師が日本に渡り、子孫を為して魔術師の最終目標である根源を目指す。というのは往々にしてある。
事実。御三家の一角である間桐家も、元はキエフの出身であることが仄めかされている。
「……曾祖母ちゃんって、海外の出身だったの?」
「うん? いやいや。海外出身なのはそのお母さんさ」
つまり高祖母。
自分の家系がそこまで遡っていくことにある種の感動を覚えそうになるが、今はそれどころではない。
「ちなみに、さ。どこの国とかわかる?」
もしかしたら魔術関連のことが書かれているかもしれない。
外国語だとしても、今は翻訳の手段は豊富に存在する。最悪図書館でも行って辞書を借りて自力で解読すればいい。
「さあ。わたしゃ分からんのよね」
あっはいそうですか。
残念だがどの国の言語か調べることから始まりそうだ。
祖母に礼を言い、いったん自室に戻ることにした隆文。
目の前には桐の箱。
恐る恐る箱の表面に触れてみる。
特に変わったところはない。ひんやりとした感触が伝わってくる。
……待てよ?
慌てて箱から指を離す。
魔術師というのは、語弊があるのを承知で言えば。極度の引きこもり&自己中心的な者が多い。
自分の研究成果は自分にだけ開示されるものであって、それは身内でも例外ではない。
自分の代で完成しなかった場合。自分の子や孫に受け継がせるのが魔術師という生き物だ。
もし。この箱が魔術師のものだとして――――それが魔術師でないもの、あるいは別の魔術師の手に渡った時のことを考えないものだろうか?
答えは、おそらく否。
この箱に万が一魔術がかけられていた場合。何かしらのデメリットが降りかかるだろう。
隆文の呼吸が荒くなる。
やっと見つけた一つの希望。だがそれは同時に自分に絶望を齎すかもしれないもの。
パンドラの箱。
開けたら、何が入っているかわからない。
一度。隆文は目を閉じて、呼吸を整える。
……落ち着け。仮に魔術師だった場合。これに魔術がかけられている可能性は十分にある。
それでも、と隆文は箱を三度見やる。
父と母。それにそれぞれの祖父母や親戚を思い出す。
彼らの善性に助けられたこともあった。彼らの善性で、助けられた人たちもいた。
ならばその先祖たちもきっと。心の中に善なるものがあったのかもしれない。
少なくとも。自分の子孫を傷つけるようなものを遺すとは隆文には思えなかった。
隆文は意を決し、ゆっくりと箱の蓋を持ち上げる。
思ったよりも軽く、すんなりと蓋は開いた。
中を覗くと、そこには古く黄ばんだ紙が何枚も収められていた。
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「……おお」
思わず声を漏らす。
元々は一冊の冊子だったのだろうが、綴じていた紐が経年劣化によるもので千切れて中身はやや乱雑になっている。
なるべく纏まりを崩さないようにして、隆文はそれらを取り出す。
紙にしてはずっしりとした重みが手から伝わる。
「……当たりであってくれよ」
一枚捲る。
そこには字がぎっしりと書かれていた。
祖母の言う通り。そこには日本語ではない外国語が書かれていた。
そのままページを読み進めるも、やはり隆文に読める言語ではなかった。
時折、図形やそれの注釈のようなものも存在しているが。やはり翻訳しないといけない。
「……さーて。これ何語だろうか」
隆文の知っている言語は――単語だけ知っているのがほとんどだが――少ない。
英語、ドイツ語、イタリア語、フランス語……そのどれもが違う。
どこかに自分の知っている文字はないかと目を皿のようにして探していると、ふと。一つの文字が目に入った。
Д
「……は?」
よく見た文字だ。何なら前世で嫌というほど見てきた文字だ。
具体的にはネットの掲示板などで大量に見かけてきた。
「おい……これってまさか……!」
ロシア語のデー。英語で言うDに相当するアルファベットだ。
「……ロシア語かよおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
皆ロウヒロウヒ言うけどな!
どうやって触媒手に入れるんだぁよ!?