ダンガンロンパトライフェス 〜我々は“才能”のみにて生くる者にあらず!〜   作:じゃん@論破

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じゃん論シリーズ10周年記念企画の本編その1です。
なかなか苦労しました。何に苦労したって、こんなにたくさんの文章を書くのが久し振りだったので、書き方を忘れちゃってました。執筆体力も劇的に落ちてました。それでも書き上げられて一安心一安心。祭の続きは、また明日。


本祭:Side-1

1-2

 

 勢いと躊躇いの間を行ったり来たりしている。あと少し手首を捻るだけで後戻りができなくなる。きっとその方が良いと思うけれども、なんとなく申し訳なくて踏ん切りがつかない。僕は、生徒会室の扉を前に逡巡していた。はっきりしない僕の尻を叩くように、ポケットのスマートフォンが震えた。

「あっ」

 突然のバイブレーションに驚いて、思わず手首に力を込めてしまった。過剰に力強く、しっくりこないテンポで3度扉を叩く。すぐに手を引っ込めたけれど、起きてしまったことは取り消せない。

「どうぞ」

 不器用なノックの返事は、事務的で圧倒されそうな声だった。どうぞと言われてそのまま帰るわけにもいかず、僕はおそるおそる扉に手をかけた。

 扉は音もなく滑り、生徒会室のこもった空気が鼻腔をくすぐる。なんだか線香みたいで、どこかスパイシーな、不思議な香りだ。

 中の人と目が合った。蛍光灯の下できらきら光る深い青色の髪。幾何学的で複雑な形をした黄金色の髪飾り。透き通ったアメジストのような色の瞳。そのどれもが、その人の静謐さと知性をよく表していた。同時に、この人に相談すればどんなことでも解決する、そう思わせる説得力があった。その人は――。

「ああ、各所に通達してくれ。私もできる限り回収する。では頼んだ」

 そう電話を切ると、机の上にあった小さな器をしまった。そして、僕なんかのためにわざわざ立ち上がってくれた。

「生徒会の六浜(ろくはま)だ。よろしく頼む」

 “超高校級の予言者”六浜(ろくはま) 童琉(どうる)さんは簡潔に名乗った。

 自己紹介なんてされるまでもない。彼女を知らない学園生なんていないんだから。僕も彼女のことは全校集会で何度も見たことがあるけれど、面と向かって話すのはこれが初めてだ。僕より年下なのに僕より落ち着いて見える。

「あの……忙しいところすみません。実はちょっと、うちで事件が起きまして」

「事件だと?」

「あっ、はい。すみません。そうだ、自己紹介。えっと、うちの、じゃなくて」

「焦らなくていい。まずは名前、それから事件のことを教えてくれ。ゆっくりでいい」

「あっ、はい。ええっと」

 緊張のせいか、脳の信号を待たずに舌が暴走してしまう。六浜さんが適切に指示を与えてくれて、なんとか次の言葉を見つけられた。

「えっと、名前は益玉(ますたま) 韻兎(いんと)。今日の最後にやる舞台演劇の監督をしています。その舞台で使う装飾品の小道具なんですけど……盗まれました」

 


 

1-3

 

「なるほど。由々しき事態だな」

「はあ。そうなんです」

 事情をひととおり説明し終えた後、六浜さんは僕の話を深く噛み締めながら言った。一方の僕は、我ながら他人事のようだと思う生返事を漏らした。当事者である僕より六浜さんの方が、よっぽど事態を重く受け止めている。

 事件が起きたのは、僕がいつも授業を受けている教室だ。僕たちのクラスは、『神座祭』の中でも一際目立つ、舞台出展の大トリを任されていた。学園中庭の中央に設置された特設ステージでは、開場から閉場まで常になんらかのイベントが行われている。その年の最後の舞台出展は、『神座祭』を締めくくる特別な出展でもあるから、学園中――いや、世界中が注目する。今年の出展は舞台演劇だ。“超高校級の文豪”菊島(きくしま) 太石(たいし)君が脚本するとあって、番組表が公表されてから今日まで世間でも大注目だ。ついでに僕も、“超高校級の語り部”としてナレーターと監督を務める。

 演劇だからもちろん、衣装や舞台セットなんかも前日までたくさんの人に協力してもらいながらみんなで準備した。中でもこだわったのが、演劇で使う小道具だ。物語の舞台になる中世貴族の屋敷のセットや衣装には、その豪奢っぷりを演出するためにたくさんの装飾品を施す。今回は『神座祭』の目玉ということもあって、予算いっぱいまで使って本物の宝石を使用した装飾品が用意された。高校生には過ぎた貴重品だから、まとめてしまった段ボールを教室のロッカーに入れて、複数の鍵をかけておいた。それなのに、今朝来てみたらロッカーはもぬけの殻になっていたというわけだ。

「鍵はどうなっていた」

「無事でしたけどその場に落ちてました」

「開けられていたのか?」

「まあ……そうですけど……」

「話すときは相手の目を見てはっきり話せ。自分の立場をよく理解しろ。お前は今年の『神座祭』のメインイベントの責任者なのだぞ」

「す、すみません……なんだか、いまだに現実味がなくて」

「少し考えるからしっかり噛み締めろ」

 そう言って六浜さんは何かを考え始めた。生徒会に相談すればなんとかなると思ったけども、やっぱりこれって警察に届けるべきなんだろうか。学園内とはいえ立派な窃盗事件だし。でも何かの手違いで、誰かが別の場所に移動させていただけだったりしたら、ただのお騒がせじゃ済まない。今日はメディアも入るんだ。何がきっかけで炎上するか分からない世の中だから、慎重に慎重を重ねなくちゃいけない。とはいえ舞台の開演時間と準備にかかる時間を考えると、一刻も早く小道具は取り返しておきたい。なんとか時間に間に合うように、かつ大事にせず、できれば穏便に事態を収めることはできないか。

 ぐるぐるぐるぐる頭の中が回る。無茶なことを考えているのは自分でも分かっている。六浜さんが黙りこくっているこの気まずい空気を、自分に対して言い訳してるだけだ。いま僕は考えてるんだからしゃべらなくていいんだって。

「仕方ない。私が犯人を見つけよう」

「え?」

 不意に、六浜さんがとても頼もしいことを言った。でも何の根拠が……いやでも、この人は“超高校級の予言者”だ。誰にも分からない未来のことでも、この人が断言してくれるだけで信頼できる。

「『神座祭』は失敗させない。これは、希望ヶ峰学園生徒会として絶対に守らねばならないことだ。お前の舞台は予定通りに行わせてみせる。そのためには、急いで事件を解決しなくては」

「ほ、本気ですか? まだ何も手掛かりがないのに」

「いいや。すでに犯人はある程度絞れている」

「ええっ!? い、いつの間に!?」

「お前も分かっているんじゃないのか? 犯人はお前を含むクラスメイトの誰かだ」

 ――そんなバカな。飛び出そうになった言葉は舌先で泡のように消えた。無意識のうちに考えていたその結論が、六浜さんの一言で意識の上に引き摺り出されたみたいだ。そう、この犯行は僕のクラスメイトにしか行えない。今までそれを意識しなかったのは、きっと僕がみんなを疑いたくないからだ。

「とにかく一度現場を見よう。それから準備や『神座祭』を楽しむので忙しいだろうが、クラスメイトにも話を聞きたい。益玉も協力してくれ」

「ぼ、僕が何を手伝えるっていうんですか。何もできないですよ」

「横にいるだけでいい。それだけで私の捜査が正当なものだという証明になる」

 喋りながら、六浜さんはテキパキと出かける支度を始めた。僕はぽかんと口を開けてその様子を見守っていた。学園でも指折りの優等生で、生徒会の役員で、誰もが知ってる六浜さんに、付いて来いと言われてしまった。この気持ちはなんと言い表せばいいんだろう。嬉しいというのは畏れ多いし、困るというのは烏滸がましすぎる。小道具が盗まれた事実にも現実味がなかったけれど、六浜さんについていくのも同じくらい現実味がない。

「それと――なんだ。何をぽかんとしている。この呆け者。事件現場に案内しろ」

「あ、す、すみません」

 顔を覗き込まれてようやく、僕が六浜さんを待たせていることに気付いた。あまり六浜さんの時間を徒に奪ってはいけないと思うと、少しだけ六浜さんのことが怖く思えてくる。そんな風に思われる筋合いなんて彼女にはないことも分かっているんだけど、自分との能力の違いを見せつけられるたびに、投影された自己嫌悪が彼女の顔を使って僕を責めてくる。

「あの、さっき、何か言おうとしてませんでした?」

「ん? ああ。そうだな。お前があまりにも卑屈だから、クラスメイトがかわいそうになった」

 びしっ、と僕の前に指を突き出して、六浜さんは真剣な眼差しで言った。

「仮にも監督を任せられている者がそんなことを言うのは許さん。お前を監督に推したクラスメイトたちの顔を潰してやるな」

 なんだか眩しかった。

 


 

1-4

 

「やっと着いたあ」

 自分の教室にたどり着いた瞬間、僕の膝はがっくしと力尽きた。そんな僕には目もくれず、六浜さんはその先へ歩いて行ってしまう。教室で僕の帰りを待ってくれていた人が、ずかずかとやって来た六浜さんに驚いて自然と道を開けているのが視界の端に映る。

 僕と六浜さんは生徒会室から僕の教室まで最短距離で来た。だけど『神座祭』が始まった学園内はどこもかしこも生徒と来客でごった返していて、1メートル進むのもひと苦労だった。さすがの六浜さんも揉みくちゃにされていたけど、楽しんでる人たちを押し除けることはせず、ただ受け身のまま群衆をできるだけすり抜けてここまでやって来た。なんてできた人なんだ。

「おかえりなさいませ、益玉様。お疲れのようでしたら一旦保健室へお連れしましょうか」

 僕を心配してくれた谷倉(たにくら)さんが話しかけてくれた。こんなときでも丁寧で腰が低い。彼女のように強力なサポーターがいてくれるから、僕みたいな奴でも監督という重役をなんとかやり仰せている。でも今はこの教室から出たくない。保健室に行くまでに、今度こそ人酔いで倒れそうだ。

「ううん、ありがとう。谷倉さん。それより、他のみんなは?」

「皆様、30分後にはステージ裏のブースにお集まりいただく予定です。(くろがね)様と岩鈴(いわすず)様が舞台設備の準備のため、手早く済ませてほしいとおっしゃっています。それから、石川(いしかわ)様は……チャットにお返事はありますが、いまだどこにいらっしゃるか」

「そっか……分かったよ。ありがとう」

 僕のお礼を恭しく受け取ると、谷倉さんは犯行現場であるロッカーを見つめていた六浜さんのそばに近付いて、また丁寧に頭を下げた。

「はじめまして、六浜童琉様。私は“超高校級のコンシェルジュ”の肩書を拝命しております、谷倉(たにくら) 美加登(みかど)と申します。僭越ながら、お疲れの益玉様に代わり、事件現場の説明をさせていただきます」

「丁寧にありがとう。今は事態の把握と解決を最優先すべきだ。説明・報告は簡潔に頼む」

「分かりました。まず現場は目の前のロッカーです。

 昨夜18時ごろ、舞台でのリハーサルを終えた後、小道具を詰めた段ボールをこのロッカーにしまい、複数の鍵をかけました。それからは全員が前夜祭に参加していたので教室は無人だったと思います。

 今朝7時半ごろ、益玉様が教室を訪れた際に開錠されたロッカーを発見。小道具がなくなっていることが発覚し、すぐにクラスメイト全員にチャットで通知。事情を知る者がいなかったため判断に迷い、益玉様が代表して生徒会へ相談にあがった次第です」

 六浜さんのオーダーに完璧に対応して、谷倉さんはいつもより少し砕けた言い回しで状況を説明した。丁寧にするばかりがコンシェルジュじゃないってわけだ。

「昨日のリハーサルに参加していた生徒は何人だ?」

「益玉様と私を含め13名です。皆様、本日も『神座祭』を楽しんでいます」

「30分後に集まると言っていたが、そこ全員来るのか?」

「1名……石川(いしかわ) 彼方(かなた)様のみ、チャットで『行けるか微妙。マジごめん』とのお返事でした」

「何か事情でもあるのか?」

「昨日のリハーサルでは、変わった様子は見られませんでした。昨日の夜は早めのお休みをされたようですが、今朝から急に来られないとおっしゃいまして」

「しかし、あいつは舞台の主役だろう。それでは劇が成立しないではないか」

「劇には必ず間に合うとのことです。いずれもチャット上でのお話ですが」

 素人の僕からしても、むしろ素人の僕だからこそ、石川さんの行動は怪しく映る。石川さんは今回の舞台の主演女優で、リハーサルまで本人も熱心に稽古に励んでいた。どこかストイックで責任感の強い彼女のことだから、直前になって急に投げ出すなんてことは考えにくい。となれば、一時姿をくらませなければならない理由ができたと考えるのが普通だ。そのタイミングでの小道具の窃盗――嫌な想像をするなという方が無理だ。

 僕の邪推は、しかし一定の説得力を持っているんだろう。石川さんの話を聞く六浜さんの顔には、明らかに疑念の色が浮かんでいる。

「ロッカーでの保管状況はどうなっていた」

「小道具は全てひとつの段ボールに詰め、ロッカーの中に安置していました。ロッカーにはダイヤルキーを2つ、それぞれ別の番号に設定して施錠しました」

「解錠番号は共有されていたのか」

「クラスのグループチャットで全員に。当日、誰が欠員しても誰かが代わりに持ってこられるようにするためです」

「教室の施錠は」

「通常の教室と同様です。今は『神座祭』期間中ですので、夜間も常に開放されていたかと」

「用心深いのか不用心なのか分からんな……。つまり、昨夜ここに小道具を運んでから今朝発見するまで、クラスの誰にでも盗むことは可能だったということか」

「間違いございません」

 僕より谷倉さんの方がよっぽど助手役(ワトソン)が板についてる。僕はといえば、ようやく頭のぐらつきが治って、口を手で塞がなくても大丈夫になったところだ。それから六浜さんはロッカーの中や、その辺に転がっていたダイヤルキーを拾って色々調べていた。

「舞台設営の責任者は誰だ」

「大道具は(くろがね) 祭九郎(さいくろう)様が、機械設備や技術関係は岩鈴(いわすず) (はな)様がご担当です」

「工具の類もその二人が管理しているのか?」

「ええ。ほとんどが岩鈴様の私物ですので、舞台設営のため特別に調達した物のみですが」

「益玉。その二人に連絡は取れるか。工具で紛失したものがないか、すぐに調べさせてほしい」

「え、あ、は、はい。わっ、とと……」

 いきなり六浜さんから指示を飛ばされて、慌てて携帯を取り出したものだから手元が狂った。こぼれ落ちそうになるのをなんとかキャッチして、焦りをそのまま打ち込んだような誤字脱字だらけのチャットを打った。すぐさま“?”のスタンプが四方八方から飛んできたので、もう1回文章を打つ羽目になった。

「岩鈴さんが調べてくれるって」

「ありがとう」

 最後に六浜さんは教室全体を見渡した。何か怪しいものはないか、犯人につながる痕跡はないか、そうした手掛かりを探しているのだとすぐに分かった。そして、特に何も見つからなかったことも。

 六浜さんはやおら窓を開けて身を乗り出すと、すぐに戻って僕の肩を叩いた。

「現場で分かるのはこのくらいだな。まだ集合まで時間があるから先に寄るところがある。益玉を少し借りていくぞ」

「かしこまりました」

「えっ? な、なんで僕?」

 戸惑う僕を真正面から見て、六浜さんは不思議そうな顔をする。

「お前はこの舞台の監督であり、責任者であり、依頼人だろう。私のそばにいなくてどうする。さ、行くぞ」

「いってらっしゃいませ」

 大した抵抗もできず、僕は見えない首輪を付けられたように、とろとろと六浜さんの後ろをついて行くしかなかった。谷倉さんには、少しくらい助ける素振りを見せてほしかった。深々ときれいなお辞儀をしてないでさ。

 


 

1-5

 

 六浜さんの歩みは妙だった。迷いなくぐんぐん突き進むときもあれば、赤信号でも待つみたいに途中で立ち止まるときもあった。集合場所は1度外に出なくちゃいけないのに階段を昇ったり、廊下を端から端まで歩いてまた降りたり、一体何をしているのか分からない。一切迷いなく歩くから目的地があることは確かなんだけど、その目的地が刻一刻と移動しているみたいだ。

 やがて、六浜さんは下駄箱で靴を履き替え、外に出て玄関口近くのテントを訪ねた。あちこち連れ回された僕は、可哀想な犬みたいにヘロヘロになっていたことだろう。疲れて薄く汗がにじむ。

「やあ六浜さん。思ったより早かったね」

 テントの中でジュースを飲みながら、湖藤(ことう) (りん)君が気さくに笑った。いつも過ごしやすいTシャツと大きめのスラックスで過ごしている彼だけど、今日は外からのお客さんが来るせいか指定の制服を着ていて、いつもよりカッチリした印象だ。でも頭には先端に星の触角がついた光るカチューシャを付けていて、頬にはタトゥーシールで常任理事国の国旗を貼っている。はっちゃけ方がだいぶ古臭い。

「畏まるのかハジけるのかどっちかにしろ」

「やだなあ。『神座祭』ではハジけるのが礼儀じゃないか。これこそ正装さ。六浜さんこそ、畏まってばかりじゃなく、もっと今日という日を楽しもうよ」

「私には立場がある。羽目を外しすぎて希望ヶ峰学園のイメージを損なわせるわけにはいかん」

「そりゃそうだ! 僕には立場もへちまもないもんね。なんたって僕は立てないんだ」

 そんな反応に困るブラックジョークはさておき、六浜さんは本題に入った。

「探し物の依頼だ。カルロスはどこに行った?」

「その辺でナンパでもしてるんじゃない。英雄色を好むってね」

「おいおいリン! そんなに褒めるんじゃあない! いくらオレが押しも押されもせぬ世界的ビッグスターだからといって、今日来るseñorita(カワイコちゃん)全員を相手にはできないぜ?」

「あ、帰ってきた」

 背後から轟いた太く高らかな声に、自然と肩が丸まった。制服なんて完全に無視した白いスーツに襟が信じられないくらい飛び出したピンクのシャツ、金髪の前髪をポンパドールにして後ろはぴっちりリーゼントに整え、おしゃれに髭が生えた顎は割れている。“超高校級のマタドール”――今日は湖藤君と一緒に落とし物受付をしている――カルロス君だ。

「何か買ってきたの?」

「今日は少し寒いだろう? ドールちゃんが来るって言うから、体が暖かくなる一品を買ってきたのさ」

「甘酒か。わざわざすまんな」

「ついでにイントにもこれやるよ」

「ありがとう……ってこれ牛丼にくっついてる紅生姜じゃないか」

「ショウガは体を暖めるんだぜ」

「それで紅生姜食べる人はいないよ……僕の分の甘酒はないの」

「ないね。紅生姜がいらないなら牛丼にかけて食べるから返してくれ」

「本当に物のついでだったんだ」

 カルロス君に雑に扱われている間に、六浜さんは湖藤君と話していた。どうやら、僕らの教室で起きた事件についてらしい。

「段ボールに入った小道具かあ。中身は具体的には分からないんだね」

「経費で購入したものなら帳簿を付けているはずだ。後で共有する」

「段ボールごと隠してあるなら、可能性のある場所はそう多くないはずだ。うん、分かった。ぼくらに任せておいてよ」

「頼りにしている。それから人探しもだ。石川を見つけたらすぐに連絡をくれ」

「石川さん? ふぅん……怪しかったら捕まえちゃってもいいの?」

「逃げるならな」

 どうやら六浜さんは、なくなった小道具と石川さんの捜索を頼んだらしい。普通は落とし物係がするようなことじゃないけれど、“超高校級の古物商”としての知識と洞察力を持った湖藤君と、無限のスタミナとバイタリティを持ったカルロス君のコンビにかかれば、届けられた物の落とし主を探し出すことも、盗まれた小道具を探し出すことも、行方不明者を探すことも、たいして変わらないんだろう。

「なんだドールちゃん、もう行くのかい」

「忙しいからな。お前は牛のように節操なく婦女子に突っ込む癖を改めろ。今日くらいはマジメに仕事をしろよ」

「何言ってんだ。オレはいつだってマジメさ。ドールちゃんのために働けるならな」

 何言ってんだは君だよ。

 


 

1-6

 

 希望ヶ峰学園の中庭――学園内のどこにいても見ることができる、学園の中心部分に、『神座祭』を象徴する巨大ステージは構えていた。その裏、全ての視線を集める舞台のすぐそばの、誰の目にも留まらない場所に、僕たちはいた。

 六浜さん――僕たちの身に降りかかった事件を解決するために現れた救世主を中心に、弧を描くように僕たちは向かい合っている。さっき教室で会った谷倉さんも両手を腰の前で重ねて直立している。僕と彼女を除いた11人は、今の状況について口々に不満や疑念を漏らしていた。

phew(ヒュー)! 生徒会の六浜だ! 近くで見たらケッコー可愛い顔してんじゃん! このあと一緒にその辺まわんねえ?」――『音響』“超高校級のDJ” 城之内(じょうのうち) 大輔(だいすけ)

「おいコラ! あんたさっき(アタシ)にもおんなじようなこと言ってたよな!? この野郎、先に約束した方すっぽかす気かい!」――『技術』“超高校級の技師” 岩鈴(いわすず) (はな)

「大丈夫だ。こいつは後で私が“折”っておく」――『メイク』“超高校級の彫師” (きわみ) 麗華(れいか)

「あ、あの、みんな……六浜さん困ってるし、一旦ちゃんと話をしてあげないとさ。ほら、収拾がつかないっていうか……」――『脇役』“超高校級の釣り人” 笹戸(ささど) 悠真(ゆうま)

餘計(よけい)なことをするな笹戶(ささど)。止めてもこいつらは聞かんのだから、好きにしゃべらせておけ。うっかり犯人が混ざっていて、何かボロを出すかもしれないぞ」――『脚本・演出』“超高校級の文豪” 菊島(きくしま) 太石(たいし)

「滅多なこと言うもんじゃあないよお菊島氏。こんなことして誰に何の得があるのさあ?」――『小道具』“超高校級の造形家” 納見(のうみ) 康市(やすいち)

「そりゃ金だろ金。高価なもんなんだから横流(はこ)ぶとこによっちゃあ、なかなか懐も温まるんだろうよ。ま、その後どうすんだって話だけどな」――『雑務』“超高校級の運び屋” 須磨倉(すまくら) 陽人(はると)

「まず……逃げられない、だろうな」――『大道具』“超高校級のジュエリーデザイナー” (くろがね) 祭九郎(さいくろう)

「ねえ! 早くしてよ! こんなとこで時間無駄にすんのマジで意味わかんないし! たまちゃん暇じゃないんだけど!」――『助演女優』“超高校級のハスラー” 野干玉(ぬばたま) (あけび)

「その通りです! 滾々(コンコン)と湧く水を止められないように、時の流れは決して止まらぬ戻せぬものなのです! 我々の時間はこうしている今も刻一刻と消費されているのです! つきましては(コン)回の補償として明日以降の毎朝毎夕2時間ずつの課学時間の短縮をですな」――『経理』“超高校級のシャーマン” 狭山(さやま) 狐々乃(ここの)

「ええいやかましい! 順番に聞いてやるからひとりずつしゃべれ!」

 あまりにみんなが好き勝手にしゃべるから、さすがの六浜さんも困惑して声を荒げた。僕も色々聞きたいことはあるけれど、とりあえず極さんは城之内君をどうするつもりだろう。くれぐれも夕方までに再起できる程度にしておいてほしい。

「今回の事件は単なる学内窃盗とは考えていない。本物の高価なアクセサリーであることから直接の被害が大きく、そして『神座祭』全体に与える影響を考慮すれば、非常に重い事態と言えよう。それぞれがこのことを自覚し、責任ある、誠実な話を聞かせてくれることを期待する」

「なにその偉そうな言い方。キモっ。たまちゃん別になんも知らねーし。ただ時間取られてるだけなのにそんなこと言われんの? 意味わかんなすぎだろ!」

「生徒会の横暴だー! 広報委員会にタレ込ん(コン)でもいいのですかー!」

「なら野干玉と狭山に聞こう」

「本名呼ぶんじゃねー! たまちゃんだ!」

 なんかもうカオスだ。でもたまちゃん――この呼び方はなんだかむず痒いから本当は本名で呼びたいけど、そうすると決まって怒られるから仕方なくこう呼んでいる。僕は別に彼女と親しいわけでもなんでもない、ただのクラスメイトだ。――の言葉も一理ある。彼女が本当に事件に関係していないなら、ここに集められているのは不本意だろう。それでも六浜さんは冷静だ。

「昨日、リハーサルまではここにいる全員が集まっていたということでいいか?」

「否! あともう一人、主演を務める石川殿がおりました。本日はどなたも顔を見ておられないようですがァン……? はてさて、一体どうしたというのでしょうねえ」

 そうやって僕たちひとりひとりの顔を舐めるように見回し、狭山さんは最後に六浜さんを見た。目をすがめつつ眉と口角を吊り上げた表情は、彼女の考えを言葉よりも強く訴えかけている。

「そうだ! 石川のやつはどこほっついてんだい! あいつがいないと最終調整ができゃしねえよ! なあ鉄!」

「ま、まあ……そうだが、何か事情があるんだろう。人に言いにくいことも、誰にだってある」

「そりゃそうだが、タイミングといい本人の態度といい、怪しむなって方が無理だぜ。女ァ疑うのは気が進まねえけど、さすがにな」

「っつうわけ。分かった? あんたが何考えてっか知らないけど、疑うならアタシらじゃなくて石川だから!」

「うむ。当然、石川にも話を聞く必要はあるだろうな。いま探し物の得意なやつに探させているところだ。では昨日のリハーサルには、ここにいる全員と石川がいたということでいいな? その後、小道具は誰が教室まで運んだんだ?」

「おれだよお。小道具担当だからねえ。ああ、でもひとりじゃあないよお。おれひとりじゃ運べなかったんで、鉄氏と須磨倉氏に手伝ってもらったんだあ。他にもたくさん荷物があったしねえ」

「むしろ納見は何も片付(はこ)んでねえよ。最後ロッカーに鍵かけたのはこいつだけど」

「その後は、誰も小道具を取り出したりはしていないんだな?」

「おれの知る限りはねえ。リハ〜サルの後はみんなで片付けしてえ、その後は前夜祭だしい」

「前夜祭に参加していないか、途中で抜けた者は」

 須磨倉君、納見君、たまちゃん、それから僕が手を挙げた。みんなはじめは参加していたけれど、途中で帰ったメンバーだ。逆にそれ以外の人たちは、前夜祭が終わって解散になるまでいたってことだ。僕は途中で熱狂にあてられて気持ち悪くなってしまい、寄宿舎まで逃げ戻ったんだけど、他のみんなはきっとそもそも前夜祭の雰囲気が苦手か、マイペースに好きなとき帰ったんだろう。

「途中で帰ったのは、何か理由があったのか?」

「ざっけんな! ただ夜更かししねーように早めに戻っただけだっつうの! アタシらはいいからさっさと石川捕まえに行けよ役立たず!」

「落ち着けって。そりゃ理由くらい聞かれるだろ。俺はタダ飯が出るって聞いたから言ったんだけど、それもすぐに食っちまって、ノリにも飽きたから帰ったんだよ」

「おれもまあ、付き合い程度にねえ」

 六浜さんは少し考え込むようにうつむいた。そして改めて僕たちひとりひとりを観察すると、何かを区切るように一息ついて髪を耳にかけた。

「貴重な時間を使わせてすまなかった。私から聞きたいことは以上だ。みんな好きにしてくれていい」

「やったー! やっと遊びに行けます!」

「ああ、狭山。お前だけ残ってくれ。盗まれた小道具を購入したときの帳簿を見せて欲しい」

「どげーっ!!」

 駆け出した狭山さんがつんのめって地面に顔を擦り付けた。他のみんなはすぐにバラバラとあちこちに解散し、六浜さんに帳簿を渡した狭山さんも、僕の肩に軽く手を置いてからすたこら逃げ出してしまった。なんなんだいったい。

「あのう。六浜さん。これって意味あった? みんなあんまり事件に関係あることは言ってなかったように思うけど」

「心配は無用だ。すでに分かっていることを確認することも今は前進だ。もっとも、ここからはそうもいかない。ただ盗まれた小道具を見つけ出すだけでは、この事件は解決しない」

「え? そ、そうなの……? 僕は、ただ小道具が返ってくればそれでいいんだけど」

「犯人の意図、その理由を明らかにし、必要な処置を講ずるまでが私の仕事だ。単に謎を解くだけなら私より適任がたくさんいる」

「そんなことないと思うけどなあ。六浜さんは学園の代表だし、実際賢いし」

「あと可愛いしな!」

「うわっ!」

 僕の言葉に乗っかるように、城之内君が飛び込んできた。あまりに唐突で僕はびっくりしてしまった。周りに聞こえるくらいの大声で可愛いと言われた六浜さんも、顔を赤くして城之内君を睨んでいる。

「貴様……往来で不埒な大声を出すな! 今日は特に希望ヶ峰学園生として相応しい責任感ある行動をだな――!」

「おうおう。照れ隠しにそう()()()こたねぇよ。これがオレのスタイルだしな。心配しなくたって、オレはオレの言葉と行動にちゃんと責任を持ってるぜ? 誰にだって言うことじゃねぇ。あんたの魅力はオレが責任持って保証してやるよ」

 よくこんなにペラペラとペラペラな言葉が出てくるものだ。いや、ペラペラと言うのは失礼か。城之内君はこんな感じだけど、きちんと自分の言葉の意味や影響力を考えられる人だ。

「ところで腕どうしたの。大丈夫?」

「極にやられた」

「大丈夫なの!?」

「まあもう慣れたもんよ。こう……ぐっとやりゃ、ほらよ」

 なにやら手がぷらぷらしてるからどうしたのかと思ったら、極さんに肩を外されていたらしい。やりすぎだって思ったけど、城之内君は慣れた調子で直した。慣れるまで外されるくらいならナンパなんてしなけりゃいいのに。

「へへっ、んで、どこ行くんだよ? オレとのデートは?」

「そんな暇はないわ呆け者! 行くぞ益玉」

「えっ……あ、ああ。うん」

「ちょ待てよ! ただナンパに来たわけじゃねえぜ。お前らに使える情報持ってきてやったんだって」

「使える情報?」

「石川、探すんだろ? 宛があるんだよ」

 


 

1-7

 

 六浜さんと手をつないでいる。自分の顔は見えないけれど、きっと真っ赤になっているんだろう。それとも黄色だろうか。希望ヶ峰学園はとんでもない人たちが集まるところだし、実際とんでもないことが毎日のように起きるところだ。でも、さすがに顔面にホットドッグを塗りたくられたなんて話は聞いたことがなかった。

 僕のひざより小さい子どもと六浜さんが手をつないでいる。僕の顔はケチャップで真っ赤になっているんだろう。この子はどうやら迷子になってしまったらしく、偶然見つけた生徒が六浜さんに助けを求めてきた。

「人探しならプロがいる。カルロスを呼び出してテントまで連れて行かせよう」

 そうして待たせている間、気を利かせて買ってきてあげたホットドッグを拒絶されてしまったわけだ。親とはぐれて不安なんだろう子どもが相手じゃ、こんな目にあっても困ることしかできない。今なら犬のおまわりさんの気持ちがよく分かる。

「やあドールちゃん! キミのカルロスがやってきたよ! 迷子って聞い……どうしたんだイント。その顔」

「気を利かせたつもりがケチャップを効かせられたという感じだよ」

「シャレがきいてるじゃないか。おっと近付くなよ。スーツが汚れたらイントの財布がすっからかんになる」

「そりゃどうも」

「この子から聞き取った話は湖藤に連絡済みだ。ひとまずテントまで連れて行って休ませてやってくれ」

「いいだろう。ドールちゃんの頼みならね。そーら、学園一安全で見晴らしのいい肩にお乗り。いい眺めだろう。ここならきっとキミのママンもすぐ見つけてくれるだろうさ。ほら、ステキなドールお姉さんと愉快なケチャップマンにさよならするんだ」

「納得いかないなあ」

 その子は素直にカルロス君の肩に飛び乗って、楽しそうに手を翼にして行ってしまった。六浜さんはともかく、カルロス君にもすんなり懐くならなんで僕は拒絶されてしまったんだ。

 思いがけない足止めを食ってしまった。顔を洗って、次に行くべき場所を目指そうとした矢先、今度は外国の人に声をかけられた。どうやら目当ての出展物の場所を教えてほしいみたいだ。だけど具体的に何を言っているのか、なんと言えばいいのか、そもそも英語じゃないらしい言葉を話す相手にどう説明すればいいのか、何の手立ても浮かばない。

「ろ、六浜さん……どうしよう」

「少し待て。そこの出展をしているクラスに“翻訳家”がいたはずだ」

 それだけ言うと、六浜さんは近くの出店の裏に回ってそこにいた人たちと何かを話し、どこかに電話をかけたまま戻ってきた。その間、僕は六浜さんのいる方と、困っている外国の人とを交互に見て、ヘラヘラ笑っているだけだった。

「“翻訳家”と電話がつながった。場繋ぎご苦労、益玉」

「へ」

 そう言って六浜さんは、その人に電話を持たせた。すると、僕に話しかけたときよりもずっとスムーズに、そして楽しそうにその人は話し始めた。つまり、電話の向こうにはその“翻訳家”という人がいて、この人と同じ言語で会話をしているってことだ。つくづく、希望ヶ峰学園は多様な人材に事欠かない。

 しばらく話した後、その人は満足げに電話を六浜さんに返し、お手本のようなお辞儀をして去って行った。どうやら知りたいことを知れたみたいだ。

「ありがとう六浜さん……助かったよ」

「礼には及ばん。こういうことは毎年ある。しかしノヴォセリックのネイティブは初めてだったな。さすがに自信がなくて専門家を頼ったが、正解だったな」

「言葉分かったの?」

「はじめの挨拶で母語は分かるだろう?」

 何を当然みたいな顔で言ってるんだこの人。そりゃ僕だって、英語や中国語やフランス語だったら「こんにちは」くらい言えるし聞き取れる。でもノヴォセリック語なんて聞いたこともない言語の挨拶をなんで知ってるんだ。そもそもどこなんだ、ノヴォセリックって。

「希望ヶ峰学園生たる者、来客に完璧な案内をできなくてはならない。この学園は私費で運営されているが、多方面からの寄付金に大きく助けられていることもまた事実。ならば公共的な役割も当然担うべきなのだ。適切な判断をできるよう、常に冷静でいなくてはいけない」

「ははあ」

 なんだかすごいことを言っている。一介の高校生が担うには少し重すぎるような気がするけれど、六浜さんが言うと妙な説得力がついてくる。ということはつまり、学園内の治安や風紀も守られて然るべきということだ。

「じゃ、じゃあ、今日はコスプレしてる学園生がたくさんいるけれど、そういう人たちって六浜さん的にはどうなの?」

「私は別に楽しみを制限するつもりはない。羽目を外さない限りは好きに楽しめばいい」

「じゃああれとかは?」

「なに――ブウウウッッ!?」

 僕の指差す先を見て、六浜さんはその辺の出展で買ったお茶を吹き出した。どうやらアレは六浜さん的に相当なアウトらしい。

 中庭のベンチに腰掛けて、美味しそうにホットドッグを頬張る女の子がいた。おかっぱにしたピンク色の髪がよく目立つ。でもそれ以上に目を惹くのが、透け透けのキワドイ服とイタズラなデザインの装飾で彩られたセンシティブな服装だ。顔にも薄い膜をかけていてアラビアンな雰囲気を醸しているけど、ホットドッグを食べるのに邪魔そうだ。

「な、な、なっ――なんだあれは! おいお前! 虚戈(こぼこ)! そんな破廉恥な格好で何をしているこの呆け者ォ!!」

「うひゃっ♠︎ うわわっ! ドールだ♣️ にっげろーい♫」

「ええ……」

 ついさっき常に冷静でいなくてはいけないって言ったばかりなのに、六浜さんは白目を剥きながら声を荒げてその人に突進していった。でも彼女は手に持ったホットドッグを一口で平らげると、人混みの中を風のようにぴょんぴょこ走って跳んで逃げていってしまった。

 さすがの六浜さんもそれを追いかけることはできず、すぐにどこかに電話をかけながら戻って来た。

「ああ、そうだ。虚戈がとんでもない格好で中庭を徘徊していた。見つけたらすぐに生徒会室に送ってくれ。私も手がかりがあったら連絡する」

 なんの電話かは聞かないでおこう。でも、六浜さんにもこういう……コミカルな一面があるんだって思うと、なんだか今朝会ったときよりもすごく親しみを感じると言うか。今まで抱いていたイメージとは違う顔が見られたなって気がして、なんとなく嬉しい。

 それからも六浜さんは、かかってきた電話に応対したり、道ゆく困っている人に積極的に声をかけては助けてあげたり、トラブルが起きている出展を覗いてアドバイスをしていったり、まるで息をするように完璧な仕事を果たしていった。その合間合間に、狭山さんから持たされた帳簿を開いて、求める手掛かりを探すこともしていた。マルチタスクどころじゃない。

 きっと彼女は大丈夫なんだろうけど、なんだか心配になってきた。本当は僕が依頼なんかしなければ、もっともっとこういうことをして『神座祭』をより良いものにするために奔走するつもりだったんじゃないか。僕はそれを邪魔してしまっているんじゃないか。そんな気になってきた。だから、尋ねずにいられなかった。

「ろ、六浜さん……その、僕が言うことじゃないと思うけど、大丈夫なの?」

「大丈夫、とは?」

「僕がお願いしたこともあるのに、そんなにあちこち手を貸しててさ」

「なんだと?」

 ぴたり。六浜さんが足を止めた。勢いそのまま背中にぶつかりそうだった。なんとか踏みとどまって、僕と六浜さんの目が合う。僕を見る六浜さんの目は……なんだか冷たかった。

 見つめているというより睨んでいるというべきか。驚いているというより訝っているというべきか。咎めているというより怒っているというべきか。とにかくその目は、今朝、僕に向けてくれた温かい言葉とは真逆の、まるで僕を突き放すような形をしていた。

 ハッと気づいたように彼女はまた前を向いた。その表情は見えない。でも少しだけ、俯いているのが分かる。明らかに怒りを含んだ声が聞こえる。

「益玉。あまり希望ヶ峰学園を舐めるな」

 思いがけない言葉が、重たく僕の前に立ちはだかった。明らかにいま、僕は彼女を怒らせた。でもそれがどうしてなのか分からない。すたすた歩いて行く彼女の背中を、僕は慌てて追いかける。出遅れたせいで僕と六浜さんの間に数歩分の間隔が生まれた。手を伸ばしても届かないくらいの、だけど誰も割り込めないくらいの、ほんの些細で、とてつもなく遠い隙間だ。

 


 

1-8

 

 僕はトイレに行った六浜さんを待っていた。別に六浜さんがお腹を壊したわけじゃない。城之内君が持ってきた情報が僕たちをこうさせてるんだ。これでどうしようもないガセネタだったらひどいぞ。

 あんまり女子トイレの前に突っ立ってるのも気が引けるから、僕は少し離れた自販機スペースに腰を下ろしていた。周りには僕のように誰かを待っている人や、誰かの親御さんらしき人たちもいる。こうしていると、自分が周りの人からどう見られているかばかりが気になって、待つことにも意識が集中できない。

 『校舎の一角にある女子トイレの、奥から4番目の個室が、今朝からずっと使用中になってるらしいぜ』

 城之内君がとっておきのゴシップを話すように教えてくれた手掛かりだ。なんだか怪談めいているけれど、その妙な状態が起きている時間は、石川さんが行方をくらませたタイミングと合致する。それだけで確信はできないけど、いちおう調べてみようということで、六浜さんとやってきた。

「はあああ……」

 肺の空気全てを使って盛大なため息を吐く。結局、六浜さんがどうしていきなり怒り出したのかさっぱり分からない。今まで知らない間に人の地雷を踏み抜いてしまったことはあるけれど、それはいつも画面の向こうで起きていたことだった。それはつまり、一歩引いた視点から冷静に観察して、自分と相手の距離感を捉え直せる環境だった。だけど、対面で同じことが起きても、いまの自分からはどうしても離れられない。六浜さんのあの冷たい目が、重い言葉が、息苦しい距離感が、実感を伴って僕の頭を支配する。もう一度、深い深いため息が出る。

「はあああ……」

「ちょっと。辛気臭い空気撒き散らさないで。今日はお祭りなんでしょ?」

「うえっ!? あ、す、すいません……」

 いつの間にか隣に人が座ってた。いきなり話しかけられてびっくりした拍子に顔をあげて、文句を言った人の姿を捉える。大人びた口調と声色に反して、背丈は子供のように小さい。

 金髪を頭の高い位置で2つに結び、派手な色のファーコートにミニスカート、ハイヒール。指輪にネックレスにイヤリングにメガネと、アクセサリーで全身をコーディネートした、おしゃれな女性だった。どこかで見たことあるような瞳の色を覗かせて、じっと僕のことを見ている。

「どしたんキミ、女にフられた?」

「ぼ、僕が? いや違いますよ! 人を待ってるんです!」

「じゃあすっぽかされたんだ。約束の時間から1時間経ってもあきらめられないとか」

「いまそこの女子トイレに行ってるんです!」

「は? ンだよ彼女持ちか。いやでも……う〜ん、まあ最近はこんな感じのコでも彼女くらいいるよねえ。言うほどギャップじゃねーか」

「ものすごく失礼なこと言われてる気がするんですが、彼女じゃないです」

「じゃあこの後フられるんだ!」

「なんでフられる前提なんですか! フられません! ていうか告白しません!」

 僕が叫ぶと、クックックと笑って足をバタつかせる。なんなんだこの人は。

「ごめんごめん。あたしも人を待ってんだけど、あんまりにも暇すぎてさ。キミ、何か悩んでそうだったし、あたしでよければ話聞こか?」

「暇つぶしで悩み事相談に乗ろうとしてます?」

 やってることは善行なのになんかタチ悪いなあ。でも悩んでるのは本当だし、まだ六浜さんが出てくるまでは時間がかかりそうだ。それに何の事情も知らない、今後関わることもないだろう人の方が、却ってなんでも話してしまえる気がする。

「実は……人を怒らせてしまって」

「童貞こじらせちゃったか」

「相談乗るならちゃんと乗りましょうよ」

「冗談通じね〜。まあ続けて続けて」

 僕が悪いのか? いや絶対悪くないと思う。

「その、なんで怒らせたのか分からないんですけど……きっと気付かないうちにその人にとって許せないことを言ってしまったかやってしまったんだと思います。謝ろうとは思うんですけど、でも、怒らせた理由も分からずに謝っても、チグハグなことを言ってまた怒らせてしまうかもしれない。そもそも、その人はあんなに冷たいことを言う人じゃないんです。その人を怒らせた自分って、なんか、とんでもなくしょうもない人間なんじゃないかって思えてきたら……その人と口をきくのも烏滸がましい気がしてきて……」

「っへぁ〜ん。要するに地雷ぶち抜いて気まずいってことか。キミ真面目だね。分かんねーときゃ口先だけで謝っときゃいいのに。誰もキミの頭ン中なんて見えないよ」

 ものすごい雑な解決策を提示されてしまった。そういう処世術もあるんだろうとは思う。だけど少なくとも、六浜さんは僕に対して怒ってはいても、なお僕を助けようとしてくれてる。そんな人に不誠実なことはできない、と派手なお姉さんに伝えた。

「まあその子が怒った理由は一旦おいといて、そう思ってんならそのままぶつけたらいいんじゃない? キミの彼女もなかなか賢い子みたいだから、許す許さないは別にして分かってはくれると思うよ」

「彼女じゃないですってば」

「あたしに言わせりゃ、どんだけ“超高校級”っつったってキミらまだ高校生じゃん。アオハル真っ只中のマージナルなティーンエイジャーじゃん。そりゃ勘違いやすれ違いなんて起きるもんだって。キミの話を聞く限り、その子は怒ってはいるけど、まだ自分の感情を抑えて理性的に振る舞おうとしてるよ」

「そうでしょうか」

「そうだよ。その子だって怒ったり泣いたり笑ったりする人間なわけでしょ。キミはその子を変えちゃったんじゃなくて、その子の感情を引き出したって、こう考えたらいいんだよ。だいたいそんな冷たいこと言う人じゃないんですって、キミその子をどんだけ知ってんのって話。その子、彼女じゃないんでしょ?」

 見事に返されてしまった。なんだ、この人。正直面倒な人に絡まれたなくらいに思ってたのに、散々いい加減なこと言ってたのに、しっかりと僕の相談に乗ってくれた。無責任に勇気づけるのでもなく、無茶苦茶言ってはぐらかすんでもなく、六浜さんと僕のことを俯瞰して大人の目線からアドバイスをくれている。

「あ、あの……あなたはいったい……?」

 ブブ、と携帯の震える音がした。そのお姉さんはポケットからスマートフォンを取り出して耳に当てた。

「おいクー! アンタどこいんの! ずっと待って退屈してんだけど! 退屈すぎて悩める童貞ひとり救っちゃったじゃん!」

 もう大きい声出さないでほしい。

「え? トイレの前っつったっしょアンタ。別館? 別館ってなに? え、いやちょい待ち。ねえキミ、ここ別館じゃないの?」

「別館は敷地の反対側ですよ。寄宿舎に近いからあんまり出展物がないんで、人が少ないんです」

「じゃあ絶対ここじゃねーじゃん! もしもしクー? ごめ〜ん、姉ちゃん間違えてた! カッハハ! すぐ行くわ! いや動くなってなに。迷子? だれが。あたし!? おいバカにすんな! 地図くらい読めるってマジでマジで」

 地図が読める人は待ち合わせ場所に別館を指定されてこんなところにいないと思うけど。

「う〜ん、一理ある」

 多分おんなじこと言われてるな。

「分かった。じゃあ待ってるよ。なるべく早く来てよ。あそれから! 来る途中で肉まん買ってきて! “超高校級の美食家”謹製のやつね! じゃよろしく! ダッシュ!」

 態度のでかい迷子だなあ。

「ごめん。なんかうちの愚弟が迷子らしくて」

「バカな」

「あ?」

「すみません、なんでもないです」

 あまりに傍若無人な振る舞いに思わず本音がこぼれてしまった。下げた頭を上げると、トイレから六浜さんが出てくるところが見えた。少し当たりを見回している。どうやら僕を探しているらしい。

「あっ、出てきた」

「ん? ああ。あの青い髪の子? なんだ可愛い彼女じゃん」

「だから彼女じゃないですって」

「ま、とにかく姉さんからのアドバイス活かして頑張れよ! もう会わないと思うけど、まったね〜」

 最後の最後まで軽口を叩いて、ついでに僕の背中も叩いて、その人はひらひらと手を振った。いちおうお世話になった(?)ので、もう一度、今度は感謝の気持ちを込めて頭を下げて、六浜さんの方に駆け寄った。

「六浜さん! あの……」

「どこにいた? てっきりトイレの前にいると思っていたんだが」

「ごめん、あんまり女子トイレの前に立ってるのも良くないかなと思って。そこの休憩スペースで……あれ?」

「……どうした?」

「い、いや……なんでもない。とにかくそこで待ってたんだ」

 振り返ったとき、さっきのお姉さんはもうそこにいなかった。まさか、弟さんと待ち合わせしてるのをもう忘れてどこかに行ってしまったんだろうか。本当に迷子みたいなことしてどうするんだ。

「そうか。城之内に伝えておいてくれ。役に立ったとな」

「え? じゃあ石川さんは……」

「ここにはいない。だが、次に話を聞くべき人間が分かった。確か、クラス全員の連絡先は分かっているんだったな?」

「う、うん。アプリ使えばチャットと電話ができるってだけだけど」

「では、生徒会室に呼び出してもらおう。石川の行方を知っているであろう、重要参考人を」

 六浜さんに言われるまま、僕はその人に電話をかけた。なぜその人なのか、その人が石川さんの行方を知っているのか、どうして六浜さんはそう考えたのか、なんにも分からない。このトイレの中に、そのヒントがあるのだろうか。六浜さんは何も教えてくれない。すぐにつま先を生徒会室の方に向けた六浜さんの後を慌てて追う。

 六浜さんと僕の隙間は、さっきより少し広がったみたいだ。もう誰かが割り込もうと思えば割り込める余裕はあって、人混みの中で彼女の姿を何度か見失いそうになった。どれだけ人波に揉まれても、真っ直ぐ毅然と歩いて行く姿は埋没せず、ずっと僕に進むべき方向を教えてくれていた。僕はその後を追ってなんとかついて行く。それでも追いつくことはできない。その背中に追い縋るのがやっとだ。

「ろ、六浜さん……! あの……!」

 視界から一瞬六浜さんが消えただけで猛烈な不安に襲われる。思わず声を出して足を早めれば、景色の奥に彼女の姿が見える。そしてその姿を捉えているうちは、彼女の名前を呼ぶことができない。彼女の歩みを止めてしまうのは畏れ多い。僕はただの困っている生徒のひとりだ。彼女が今日何人も助けてきたうちのひとりに過ぎない。だからこうして六浜さんを付き合わせていること自体が申し訳ない。彼女が誠実であるほど、直向きであるほど、精良であるほど、それにもたれかかる自分という存在が許せなくなってくる。

 どんどん、どんどん遠くなって行く。思うように進めなくて、声も届かなくなっていく。邁進していく六浜さんの歩調に、緩慢な僕の足取りでは引き離される一方だ。僕は六浜さんに追いつけないまま消えて行く。六浜さんを理解できないまま今日という日を終える。だけどこれでいいのかもしれない。僕とは住む世界が違うんだ。たまたま今日、僕らの世界が交わっただけで、本当なら僕たちは一度も言葉を交わすことなく歩んでいく者同士なんだ。だから、これで――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いいわけがない!

「六浜さん!」

 思いっきり叫んだ。自分でもびっくりするくらいの声で。恥も外聞もかなぐり捨てて。とにかく六浜さんに気付いてもらいたくて。ありったけの声で叫んだ。その後に言うべきことがたくさんあるのに。そんなことはひとつも考えずに。

 六浜さんが足を止める。僕の声は届いた。振り返って僕を見る。あの冷たい目の面影を残しつつ。だけど初めにあった温かさをたたえて。真っ直ぐに僕を見る。僕と六浜さんの間には、もう誰もいない。

「六浜さん……!」

 もう一度名前を呼ぶ。大声を出したせいで頭が真っ白だ。だけど伝えるべきことは分かってる。すべきことも分かってる。だから全力で頭を下げた。遠心力で脳が揺れるくらい。メガネがずり落ちてしまいそうになるくらい。あごが襟元にぶつかるくらい。無我夢中だった。

「僕の何が六浜さんを怒らせたのか分からない。どうすれば六浜さんに許してもらえるのか分からない。何を謝ればいいのか分からない。だからこんなことに意味はないのかもしれない。ただ六浜さんをもっと困らせるだけかもしれない。でもこうしないと……何かしないと、六浜さんの中の僕を救えない! 僕の中の六浜さんを救えない! だから……だっ、だから、ごめんなさい! 本当に、ごめんなさい!」

 不思議なことに、夢中で謝罪の言葉を絞り出す僕の中に、この状況を冷笑している自分もいる。何を訳の分からないことを捲し立てているんだ。こんなことで六浜さんが許してくれるはずがない、むしろもっと怒らせるだけだ。とことん人の気持ちが分からない奴だ。六浜さんに許してほしいのに、六浜さんが何か言うのが怖いなんて。だから次に六浜さんが何か言う前に、また自分で言葉を重ねてしまう。次から次に、ずっと謝り続けてしまう。

 大声を出したせいもあって、あっという間に僕の肺は全ての空気を使い切ってしまった。乾いた嗚咽が口から漏れた後は、ぜえぜえと酸素を求める音だけが繰り返される。下げた頭を持ち上げる体力も謝罪に使ってしまった。そのまま倒れそうになる僕を、六浜さんは支えてはくれなかった。

「正直に、お前が思っていることを教えてくれ」

 ばくばく鳴る心臓の音をすり抜けて。ぜえぜえ唸る喉の音をかき分けて。ぐわんぐわん響く耳鳴りを貫いて。六浜さんの声が僕に届く。

「私がしたことは“寄り道”か?」

 寄り道? 寄り道だって? 確かに六浜さんはそう言った。そこに込められた意味を、僕は直感的に理解した。どうして理解できたんだろう。いや、今そんなことはどうでもいい。僕はただ、正直に答えるだけだ。

「そんなはずないよ」

 たぶん、実際には即答だったんだと思う。やっとの思いで顔を上げて答えたとき、六浜さんの口はまだ閉じていなかった。半開きになっていた口はそのまま閉じることなく、続きを紡ぎ始める。

「そうか。そうだったのか……益玉。すまなかった」

 今度は六浜さんが謝った。僕の不恰好な謝罪よりももっとスマートで真摯な、お手本のようなお辞儀だった。

「どうやら舐めていたのは私の方だったようだ。お前のことを、希望ヶ峰学園生としての在り方を弁えない、自己中心的な人間だとばかり思ってしまった。だが今ならお前の真意が分かる。私を心配していたのだな」

「え? そ、そうだけど……ずっと」

「そしてその心配は、いみじくも正鵠を射ていた。余裕を無くしていたせいでお前の言葉を誤解し、あろうことか当たってしまった。許してくれ」

「誤解……されてたの? 僕は。許すって、そんな僕が何を許すって言うのさ」

「……」

 なんだか難しい言葉がたくさん出てきた。意味は分かるけど何を言ってるのか分からない。とにかく僕は六浜さんに誤解されていたんだ。そして許しを乞われている。なんだか立場があべこべじゃないか? 許してほしいのは僕の方なのに。その思いをそのままぶつけた。六浜さんはすこぶるバツが悪そうに、口元を押さえて視線を逸らした。

「その……“希望ヶ峰学園を舐めるな”、と……偉そうに言ったことをだ」

 危うく聞き逃しそうな、か細い声だった。耳まで真っ赤になった表情が僕の心臓を締め上げたような感覚がした。城之内君やカルロス君に、今なら心底同意できそうだ。いや、できる。

「私はてっきり、私が小道具盗難以外のことにかかずらわっていることにお前が不満を覚えて、急かす意図で言ったのかと……いや、仮にそうであったとしても、あの言い方は大人気なかった……申し訳ない」

 それでようやく、僕は六浜さんと僕の間のすれ違いを俯瞰して見ることができるようになった。

『ろ、六浜さん……その、僕が言うことじゃないと思うけど、大丈夫なの?』

『僕がお願いしたこともあるのに、そんなにあちこち手を貸しててさ……』

 六浜さんは僕の言葉を“自分が依頼したこと以外に首を突っ込んで、しっかりやってくれるのか”という意味に捉えたということだ。僕はただ“そんなにたくさん仕事を請け負って倒れたりしないのか”と心配したかっただけだ。それを“大丈夫”なんて曖昧な言葉に託してしまったせいで、こんなことになったんだ。それじゃあやっぱり僕が悪いんじゃないか。

「いや、やっぱり悪いのは僕だ。ちゃんと正しく心配してあげられなかったから……はっきりしない言い方をしたからこんな勘違いをさせて……」

「益玉に悪意はないし落ち度もない。勘違いをしたのは私だ。何より棘のある言い方をして謝らせてしまったことが良くない」

「そんなそんな……」

「……人を呼び出しておいて何をしているんだ」

「「あっ」」

 ものすごく冷静なツッコミが聞こえてきて、僕と六浜さんは同時に頭を上げた。僕は気付いてなかったけど、とっくに生徒会室の前に着いていて、そこから数歩離れたところで僕は頭を下げていた。声の主は、その微妙で気持ち悪い間隔の間に割って入って、僕と六浜さんを交互に睥睨していた。

「あ……い、いや。なんでもないよ。もういいんだ。解決した……っぽいから」

「ヴんっ! よく来てくれた。まあとにかく中で座ろう」

「……ああ。分かった」

 戸惑う僕の視線を、六浜さんの咳払いが一蹴した。もうこれ以上お互いにぺこぺこするのは止そう、ということだろう。そして生徒会室の扉を開けて中へ促す。少し離れたところにいる僕と、僕よりずっと近くにいる、石川さんの行方を知っているであろう人物――極さんを。

 


 

1-9

 

 扉を閉めると、空気が一変した。遠くから聞こえる賑やかな声、僕と六浜さんが頭を下げあっていた滑稽な雰囲気は、生徒会室の扉を隔てた向こうに消えてしまった。この部屋の中にあるのは、六浜さんと極さんが放つ異様な緊張感、それにどこまでも圧縮されていく僕の存在感だけだった。

「極、お前は頭が良い。ここに呼び出された理由も予想がついているだろう」

「まあな。そしていま確信した」

 強者の間でだけ通じ合う独特の観念。それがこの二人の間でもつながっているのが見える。僕は六浜さんと一緒にいたから、二人が何を言っているのか理解できる。そして極さんの口振りから、六浜さんの推理が正しかったことも、ようやく確信した。

「なぜ分かった?」

「分かってなどいない。ただ最も確度の高い推論に基づいて行動しただけだ」

「“超高校級の予言者”の名は伊達でないということか。まったく、面倒な立場に巻き込まれたものだ」

 極さんの口元には珍しく笑みが浮かんでいた。だけどその意味が分からない。見間違いだったのだろうか。そう感じるほど一瞬のうちに、その笑みは消えていた。

「石川なら私に任せておけ。本番までに必ず連れて行く」

「いや、直接話を聞きたいんだ。小道具の窃盗と関わりがあるかどうか、確かめなければならない」

「ない。奴は今それどころではないのだ」

「それを確かめたいのだ」

「あ、あのう……途中から全然分からなくなったんだけど。極さんは、石川さんの行方を知ってるの? だったら、どうして何も教えてくれなかったのさ」

 じろり。極さんの鋭い眼光が僕を刺し貫いた。六浜さんの冷たい目もかなり堪えたけど、極さんのそれは一撃で何もかもを諦めるくらい強烈だった。口が勝手に「ごめんなさい」とこぼす。

「どう説明したものか」

「百聞は一見に如かずだぞ」

「……時間の無駄だな。確認だけはとるぞ」

 物分かりがいい、というより客観的に状況を見られる。極さんの良い所であり、怖いと思われる所でもある。今の僕たちにとってはとても良い所だ。極さんはスマートフォンで電話をかけた。コール音が鳴ってすぐ、通話の始まる音がした。すかさず極さんはスピーカーをオンにした。

〈も、もしもし極ちゃん!? どうだった!? ごまかせた!? 私が極ちゃんの部屋にいること、誰にもバレてないよね!?〉

 スマートフォンから聞こえてきたのは石川さんの声だった。もうしばらく会っていないような気がする。昨日のリハーサルでがっつり顔を合わせてるのに、探しても見つからないというだけでこんな感覚になるんだ。

「たったいまバレた。六浜と益玉に」

〈へっ……? な、なんで!? っていうか、六浜ちゃん!? なんで六浜ちゃんが出てくるの!?〉

「落ち着け……。悪いが、もう六浜はほとんどのことを推理してしまっている。私では到底太刀打ちできん。腹を決めて、直接会って話すほかない」

〈ううう……うぅん、ま、まあ……! 六浜ちゃんなら、ギリ良いか。あ、でも益玉もいるんだっけ〉

 どうやら僕はギリ良くないらしい。

「小道具が盗まれた件で、益玉から六浜に解決を依頼した。小道具が盗まれたタイミングとお前が出てこなくなったタイミングが重なったせいで疑われているんだ。窃盗と無関係とはいえ、益玉には話を聞く権利がある」

〈くっ……! き、極ちゃんが言うなら……! ぎぎ、ぎぃよ゛……!〉

 歯の隙間からなんとか絞り出した許可をもらった。っていうか()()()だった。そこまで話したくないなら別にいいんだけど、こうなってくると今度は僕が石川さんの話を聞かないといけなくなってくる。なんだか今日はずっと立場が入れ替わったりひっくり返ったりしてばかりだ。

 極さんは手短に通話を済ませると席を立った。

「本番が迫っている。手早く済ませよう」

 気持ちいいくらい判断が早い。さっきまで石川さんのことを秘密にしようと頑なだったのに、いざ直接会う段取りがついたら率先して行動してるんだもの。僕と六浜さんはその後に続いて寄宿舎に向かう。

 たくさんの出展物が集まる広場はもはや遠くなり、だんだんと廊下を歩く人の数も減っていく。だから寄宿舎に着くまでの間に、六浜さんは何度も道を間違えた人たちに地図で案内することになった。ようやく寄宿舎の女子棟――僕は今日初めて立ち入る――に到着し、極さんが自分の部屋のドアをノックする。ピピピ、とロックの外れる音がしてドアが開くと、僕たちは中に入った。

「あっ……!」

 部屋の中はいい匂いがした。まるで森林浴をしているところに吹くそよ風のような、清潔で爽やかな緑色の匂いだ。家具は、動線を邪魔せず、それでいて使いやすい場所に配置してあり、部屋の真ん中に腰掛けるその人をより際立たせている。

「石川さん……! やっと見つけた……!」

「うう……」

 石川さんは気まずそうなうつむき加減で、ポニーテールを解いて髪を整え、舞台用のドレスを着ていた。いつもの活発で気丈な振る舞いからは想像もできない、外の世界を怖がるお姫様みたいだ。しきりに前髪をいじって、僕や六浜さんを直視しない様にしている。

「どうして連絡くれなかったのさ。みんな心配してるんだよ。それにいま大変なことになってて……」

「待て益玉。今は石川の話を聞くときだ」

「おぅっ」

 僕を制した六浜さんの腕が喉に刺さった。制するときはちゃんと見てくれ。

「……ご、ごめん。心配かけて。六浜ちゃんも巻き込んで……本当、ごめん」

「お前の身に起きたことと私は直接関係しない。ただ、事情は把握しておきたい。それだけだ」

「でも、六浜ちゃん、もうだいたい分かってるんでしょ?」

「それを確認するために来たのだ。保健委員には診てもらったのか?」

 保健委員? なんで保健委員が出てくるんだ?

「石川さん、何か怪我でもしたの?」

「そんな大したことじゃないよ! だけど、ね……うーんと、なんて言うか」

「石川」

 なんだが妙な話が飛び出して来そうだ。身構えていたら、後ろから極さんが身を乗り出して来た。僕たちのやり取りを静観していたけど、どうやら焦ったくなったらしい。組んだ腕の上で指がしきりに動いてる。

「私は時間の無駄が嫌いだ。とにかく今はこの場を早く収め、本番の準備をするときだろう。お前から言えないなら私が話す」

「わわっ! ま、待って! 言うよ! じ、自分で言うから!」

 結局、極さんは石川さんの味方なのかなんなのか……ひとつ確実に言えるのは、ここは極さんの部屋で、この中で一番腕っぷしが立つのは彼女だということだ。それだけでも彼女の言葉が強い力を持つ理由になる。

 逃げ場も頼る先も失った石川さんは、強制的に覚悟を決めさせられ、また前髪をいじりながら白状した。

「その……トイレ、でね。ドレスの裾ふんづけて、つんのめって、ドアに思いっきりぶつけたの。おでこ」

 ん? 何の話?

「もう全然痛くないんだけど……赤くなっちゃったの。こんなんで舞台立つの恥ずすぎるから、化粧で隠そうと思ったんだけど、上手くいかなくて……極ちゃんに助けてもらおうと思ってここに来たの」

「……はあ」

 はあ、じゃないだろうと自分にツッコミを入れるけど、それ以外に言葉が出てこない。石川さんの話を頭の中で反芻して、その状況を思い浮かべてみる。

 慣れないドレスに四苦八苦しながら立ちあがろうとして、頭からトイレのドアに突っ込む石川さんの姿。赤くなったおでこを必死で隠そうとして上手くいかない姿。極さんに泣きつく姿。

「益玉にヒかれた! だから言いたくなかったんだ!」

「ヒいたというか、肩透かしを食らったというか……え? 本当にそれだけ?」

「これだけだよ! あんたの言うとおり私はドジで化粧もできない女子力0のポンポコリンだよ!」

「言ってないけど……」

 指先まで真っ赤にした石川さんがわあわあいう。徐々に石川さんの立場を理解できるようになってくると、クラス全体のチャットには書きづらい気持ちも分かってきた。誤魔化して収まるものならそうしたいだろう。ただ、運悪く小道具の窃盗が起きたせいで、こんなことになってしまった。ある意味石川さんも被害者だ。

「私のところに来る前、トイレでひとり必死に化粧していたそうだ。初めから私のところに来ればいいものを、化粧を落とす手間が増えた」

「ごめんなさい……」

「そもそもトイレの個室で化粧をするのもどうかと思うぞ」

「化粧室なのに?」

「茶々を入れるな益玉」

 時系列を考えると、石川さんが怪我をしたのは今朝ドレスに着替えてからだ。城之内君の話を合わせると、それからすぐトイレにこもって悪戦苦闘した後、極さんの部屋に来たわけだ。ということは、小道具が盗まれたときのアリバイは、みんなと同じく前夜祭に参加していたこと以外にないということだ。今この場でそのことに触れるのは、真っ赤なおでこに追い打ちをかけるようでさすがにかわいそうだけど。

「でも、なんとかなるの? 結構遠くからでも目立ちそうなくらい赤いし大きいけど」

「多少濃くはなるが問題ない。今からなら現場での微調整も含めて、本番までに準備できる」

「さすが極ちゃん! 頼もしいったらない!」

「じゃあ取りあえず二人はそれに専念してもらうとして、小道具のことは……」

「あ、あ、あたしなんも知らないよ知らない! そりゃ気にはなるし欲しくないって言ったら嘘だけど、みんなの大事な舞台を壊してまで盗んだりなんかしないって!」

「怪しいなあ」

 コレクションのためなら手段を選ばないってウワサもあるのに、こんな態度は余計に怪しく見える。今回は何もしてなくても余罪はありそうだ。

 そのとき、六浜さんのポケットが震えた。まるで電話がかかってくるのを分かってたみたいに、六浜さんは瞬時にそれを取り出して電話に出た。

「カルロスか、どうした」

Guau(わあ)! ドールちゃん、どうしてオレだと分かったんだい? そんなにオレからの電話を待ち焦がれてたなんて……! ごめんよ気付いてあげられなくて。これからは毎朝キミに愛を――〉

「3語以内で要件を話せ」

 〈探し物 見つけたよ señorita(お嬢さん)

「なにがなんでもか。だがよくやった! いまどこにいる?」

〈別館1階の食堂の厨房だ。持っていこうか?〉

「いや、そのまま触らず見張っていてくれ。すぐに私と益玉で向かう」

〈オーケー。いつまでも待っているよseñ――〉

 強制終了――そりゃそうだ。

 でも電話の内容はありがたい。別館1階の食堂、いつもなら人で溢れ返る場所だけど、『神座祭』の間は営業を止めているから人もほとんどいない。偶然誰かに見つかる危険性は少ないだろうけど、それを見つけてしまうからカルロス君と湖藤君もすごい。

 


 

1-10

 

 僕たちは極さんと石川さんに断ってから部屋を飛び出し、急いで別館の方へ向かった。寄宿舎からは途中まで本館へ向かうのと同じルートをたどるけど、途中の分かれ道で敷地の隅の方へ曲がることになる。別館はあまり出し物もなく、倉庫として使っているクラスが多いから、やっぱり人は少ない。六浜さんが走ってるから僕も走ってる。廊下を全力疾走するのは、特別な気分に浸れて意外と好きだ。

「……っ! 止まれ益玉!」

「え?」

 前を行く六浜さんが急に足を止めた。道でも間違えたのかと思ったけどそうじゃない。六浜さんは人差し指で沈黙を求めている。自然と周囲に耳をそばだてて様子を伺う。

 遠くから聞こえる賑わい。学内放送の軽快な音楽。風で葉っぱ同士が擦れ合っている。僕と六浜さんの呼吸。走った後の心臓の鼓動。そのほかに……ガチャガチャと硬いもの同士がぶつかり合う音がする。金属じゃない。細いものが軋む音が混じっている。何かが動いている。それは木々の陰から現れて、巨大で真っ黒な眼窩で僕たちを捉えた。

「はっ!?」

「バカな……!」

 つくづく、希望ヶ峰学園ってなんでもアリだなあ。まさかこんな学園の隅の方で、野生のティラノサウルスに遭遇するなんて。しかもこのティラノ、全身が骨だけになった骨格標本だ。つながった骨がカラカラとぶつかって異様な鳴き声を生み出している。

「ハイヨーッ! なんじゃあ小こい奴らめ! ここにおわすはおよそ七千万年前の地球、白亜紀の支配者にして恐竜たちの王! ティラノサウルス様じゃぞ! 道を開けんか!」

「何をしている明尾(あけお)! こんな出展は認めた覚えがないぞ!」

 僕はティラノの虚な視線に竦み上がってたのに、六浜さんは大声でその背に跨る人に呼びかけた。赤いジャージを着た明尾(あけお) 奈美(なみ)さんは、両手にマリオネットの操作板を持って、ティラノをカタカタ笑わせながら答えた。

「その声は六浜か! こっちこそ認められた覚えなぞないわ! わしが勝手にやっとるんじゃ! 見よこの骨になっても偉大な勇姿! すらりと伸びた脚に細やかな手、裂けた口に並ぶ牙を見るだけでゾクゾクするじゃろう!」

「今は忙しい! とにかくそれをしまっておけ! 通してもらうぞ!」

「カッカッカ! そうは問屋が卸さんわい! わしゃここでお前さんたちを止めなければならんのじゃ! 恨みはないが観念せい!」

「うわあっ!」

 明尾さんが腕を振ると、ティラノが大きな口を開けて襲いかかってきた。骨に気を遣っているせいか動きが遅いので避けるのは簡単だけど、その迫力はとんでもない。ジュラシックなんとかパークって映画に入り込んだみたいだ。足元をすり抜けて向こう側へ行こうにも、忙しなく動く硬い骨はぶつかれば怪我必至だ。

「ほーれほれほれ! ちょこまかといつまで逃げていられるかの! 大人しくこのティラノの血肉になるがいい!」

「血も肉もないくせに!」

「やかましい! まずはお前からじゃ! 死ねぃ!」

「いかん!」

 興奮しているとはいえそんなことまで言われるのか。窮地に陥ったときに限って呑気なことを考えてしまう。僕の悪い癖だ。脚がもつれて転びかけたところにティラノの口が迫ってくる。ああ、まさか被捕食者になる日が来るなんて……。

 ぐっと目をつむった。襲いくる衝撃と痛みに備えるためだ。だからそのとき何が起きたのか、正確には分からない。ただ大きな優しい力で少しだけ体をよじらせられたのと、硬くて重い何かが近くの地面にぶつかる音が聞こえた。

 はっと目を開く。白いスーツに逞しい体のラインが浮かび上がっている。金の装飾が施された黒いマントにド派手な帽子。そして真っ赤なムレータがたなびく。彼は高らかに叫んだ。

olé(オ・レ)! すまないドールちゃん! 動くなと言われたが、友人の危機を救わずにいられるマタドールなどこの世にいないのだ!」

「よくやったカルロス! 英断だ!」

「カルロス君!? ど……どうしたのその格好!?」

「見せ場だと思ってね。着替えて機を伺っていたのさ!」

「だったらもっと早く来られたよね!?」

「いかなる危機であろうと、己の美学を曲げられるマタドールもまたこの世にいない」

「調子の良いこと言って。でもありがとう。助かったよ」

 あまりにタイミングが良すぎると思ったら、自分の見せ場を理解して行動していた。ツッコミは入れたけれど、正直かなりかっこよかった。おかげで恐竜の餌にならずに済んだ。と一安心したのも束の間、明尾さんはすぐに体制を立て直してまたティラノをけしかける。

「なんじゃ貴様! 大道芸人ならもっと人通りの多いところへ行かんか!」

「ハッハッハ! まさか恐竜を相手にすることになるとはね! これだから希望ヶ峰学園は面白い!」

 カルロス君がムレータをはためかせると、ティラノはそれに吸い寄せられるように飛び込んでいく。ひらりとかわすとティラノがまた顔面から地面に叩き落とされる。だけどそのティラノを操る明尾さんはもっと俯瞰から見ている。尻尾を曲げてカルロス君から離れた位置にいる六浜さんを狙っていた。

「むっ!」

「格好をつけて避けているだけのマタドールがティラノサウルスを相手にしようなど七千万年早いわ! 覚悟せい六浜!」

「六浜さん逃げて!」

「いいや……問題ない!」

 何を思ったか、六浜さんは向かってくる尻尾にそのまま正対していた。いくらなんでも無茶だ。もしあれがカルロス君だったって、直撃したら怪我じゃ済まない勢いだ。六浜さんには何が見えてるのか、僕は思わずその行く末を、固唾を飲んで見守る。

 六浜さんが一歩だけ下がる。尻尾が鞭のようにしなる。叩きつけられようとしたその尻尾が、ぴたりと動きを止めた。

「ぬうっ!? なんじゃ!? どうした!? なぜ動かん! 動け動け! 動けえええ!」

「五月蝿い馬鹿共ッ!! 乱痴気騒ぎなら――他所でやれェい!!」

「うおおおおおっ!?」

 明尾さんの悲鳴とともに――自分の目がとても信じられないけど――ティラノサウルスの体が宙に浮いた。まるで強い横風に煽られたように、張り手を受けて薙ぎ倒されたように、その体は真横に吹っ飛んで、大きな茂みの中に突っ込んだ。尻尾の先は六浜さんのぎりぎり目の前を通過して、僕の頭の上を超えて茂みの向こうに消えていった。

「ぎゃああああああっ!?」

「な、なにが起きた!? 大丈夫なのかドールちゃん!」

「ああ。どうやら起こしてはならない厄介な猛獣の機嫌を損ねたようだ」

「な、なにそれ……?」

「む。六浜……貴様、こんなところで何をしている」

 さっきまでティラノがいたところに、カルロス君に負けないくらい体が大きくて逞しい、和装で厳しい顔の男の人が立っていた。眠たそうに片目を閉じて大きなあくびをしている。まさか、この人がティラノを吹っ飛ばしたのか。

「お前の下駄の跡があったからな。これだけ騒げば起きてきて不機嫌になってくれると思った。感謝するぞ、古部来(こぶらい)

「寝ようとしたところを邪魔されたら不機嫌にもなる。ただでさえ今は虫の居所が悪いのだ」

「ああ。ついでにそこの明尾を捕まえておいてくれ。あとで事情を聞く。我々は急ぐからまた後でな。いくぞ益玉! カルロス!」

「え、あ、う、うん!」

 六浜さんは簡単に会話した後、僕たちを呼んで駆け出した。後に続いて走って行くとき、すれ違い様にものすごく顔を見られた気がしてとんでもない緊張感だった。それにしても、六浜さんはこの人が間一髪で助けてくれることを見越してあんなに強気な態度だったのだろうか。いや、見越していたとしてあんな態度を取れるものか?

「いやあすごいものを見たな! だがオレならあんな乱暴なやり方はせず、ティラノの上のseñorita(カワイコちゃん)を優しく抱き抱えて降ろしてやるのにな!」

「そだね」

 この人は本当に、本当にもう。

 


 

1-11

 

 「よいしょっと。まさかこんなところに隠してあるなんてね。リンの推理がなければオレじゃ見つけられなかったよ」

 別館1階の厨房。その排気ダクトの蓋を開けた中に、僕たちの探していた段ボールはあった。カルロス君が台に乗ってようやく届く高さだ。確かに、まさかこんなところに盗んだものを隠しているとは思わない。思ったとして、それを確認するにはカルロス君のような体格の人が必要だ。

 カルロス君がそっと降ろしたそれを開けてみると、中にはぎっしり、舞台で使う小道具が詰まっていた。間違いなく、僕たちの教室のロッカーから盗まれた小道具だ。

「ふむ、狭山の帳簿ともズレはないようだ。ひとまず安心だな」

「うん。ありがとう、六浜さん。カルロス君も、湖藤君によろしく言っておいて」

「お安い御用さこのくらい。さて、モノは見つかったわけだが……これからどうするんだい?」

「犯人に話を聞く。推測はできるだろうが、ここまで来たら直接聞いたほうが早い」

「ここまで……じゃあ、六浜さんにはもう犯人が分かったってこと?」

「分からないのか?」

 本気か、という顔で見られてしまった。六浜さんに悪意がないことは分かってる。六浜さんは自分の能力の高さを自覚してるから、悪気なくマウントをとるようなことだってしない。そんな彼女がここまで言うってことは、もう誰が見ても犯人は明らかだっていうことだ。僕は僕の不明を恥じる。

「オレも着いていくよ。もし犯人が逆上でもしたら、ドールちゃんを守る人が必要だからね」

 僕は?

「いや、その心配はない。それより益玉のクラスに納見たちがいる。そこに小道具を持って行ってやってくれ」

 ということは、納見君たちは犯人じゃないってことか。

「大丈夫か? イントの前で言うのも悪いが、窃盗なんてするような奴が正体を暴かれたとき、何をしでかすか分かったものじゃないだろう」

「いいや。目的は既に――否、初めから犯人は目的を果たす必要すらなかったのだ。全てはただの偶然の産物に過ぎん」

「どういうこと?」

「二度手間になる。益玉には道中で説明するとして、詳しくは犯人から話してもらおうではないか」

 六浜さんは僕とカルロス君に背を向けて歩き出した。意味深長な言い方に、カルロス君は肩をすくめるばかりだった。ひとまず小道具の段ボールは彼に任せて、僕は六浜さんの後に続く。

 別館を出てさっき明尾さんに襲われた茂みまで戻って来ると、簀巻きにされた明尾さんが放置されていた。どこから簀なんか持ってきたんだろう。

「ううっ……おのれ古部来め。いったい何の恨みがあってわしをこんな目に……」

「ひどい有様だな、明尾。反省したか」

「ん? ろ、六浜! ちょうど良いところに! 助けとくれ! さっき古部来にこてんぱんにされてこの通りじゃ! 奴はあっちで寝とるぞ!」

 明尾さんはおさげで古部来君の居場所を指した。だからいびきが聞こえるのか。ていうかどうなってるのそのおさげ。

「お前が暴れていたのを古部来が取り押さえたんだろう。この私にも危害を加えようとしたのをもう忘れたか」

「ほ? なんじゃそれは? わしゃ気付いたらそこの草むらで寝とって、古部来に叩き起こされたんじゃ。何がなんだか分からんが、わしゃ今日お前さんの顔はいま初めて見たぞ!」

「ええ……そりゃ無理だよ。あんなに大きなティラノまで持ち出してきて」

「そう! わしの化石コレクションが散らばっとるんじゃ! おい気をつけい! 骨の一本、一欠片でも踏み潰してみろ! お前さんのおんなじところの骨で埋め合わせてもらうぞ!」

 なんだか明尾さんの言ってることがちぐはぐな感じだ。開き直ってるにしては会話が噛み合わない。惚けてるにしては受け答えがはっきりしている。忘れているにしては間が開いていない。まるで、さっきのことに関わっていないかのような、本当に何も知らない人のように感じる。

「ふむ。益玉、解いてやれ」

「え……いいの?」

「こら! いいのとはなんじゃ! かよわい乙女が特殊性癖みたいにされとるんじゃぞ! 嬲るような目で見とらんではよ助けんか!」

「やはり解かなくていい」

「ノオオオオオッ!! 冗談! いまの冗談!」

 うるさいなあ。

「我々も急ぐところだ。縄は解いてやるが、後始末はひとりで頼むぞ」

「トホホのホ」

 堅めに結ばれた縄を緩めてあげると、明尾さんは尺取り虫みたいにもぞもぞ這い出してきた。また暴れ出すんじゃないかと身構えていたけど、すっかり意気消沈して骨を拾い集め始めた。もう大丈夫そうだ。僕と六浜さんは先を急いだ。

「益玉、どう思う?」

「明尾さんのこと? 僕は……よく分からない。明尾さんのこともよく知らないし。でも、嘘を吐いたり惚けてる感じはしなかった」

「少なくとも明尾は、相手にバレてなお嘘がつける奴ではない。分かっていないように見えるなら本当に分かっていないのだろう。しかしなぜだ? その前の興奮状態と関係があるのか?」

「普段からああいうテンションの人じゃないの?」

「普段からああいうテンションの奴だった」

 じゃあ素でティラノを乗り回してたってことになるじゃないか。そんな危険人物を放置していていいのか。それよりももっと気になることがある。

「明尾さん、僕たちをあそこで止めなくちゃいけないって言ってたよね。もしかして小道具を盗んだ犯人と関係があるんじゃないの?」

「さあな。どのみち奴から何か聞き出すことは期待できん。犯人が分かっているなら直接聞けばいい」

「それなんだよ。六浜さんはもうとっくに犯人が分かってるみたいだけど、僕もカルロス君もさっぱりなんだ。カルロス君はともかく、僕は今日ずっと六浜さんと一緒にいたのに分からないんだ。いったい何を見落としているのか……」

「安心しろ、お前は何も見落としてなどいない。ただ目の前の事実が持つ意味に気付いていないだけだ。カルロスもな」

「?」

 よく分からないけど、つまりこの事件は六浜さんみたいに特別な力がなくても、誰だって犯人が分かるものだったってことだ。なんだかどんどん追い詰められていくような気分だ。分からない僕がいけないのか?

 賑わう声に溢れた中庭を抜けて、また僕たちは人気の少ない方へ向かっていた。六浜さんは犯人の居場所が分かっているのだろうか。僕の不安をよそに、六浜さんはとうとう僕に教えてくれた。

「まず小道具が保管されていたのは益玉たちのクラスのロッカーだ。そしてそこには納見のかけたナンバーロックが2つ、番号はクラス全員に共有されていた。この時点で犯人はクラス内もしくは近縁者に絞られる。ここまではいいな」

 それはそうだ。だからクラスのみんなに話を聞いた。

「このクラスの舞台は『神座祭』のトリを飾る。小道具がなくとも舞台はできるだろうが、完成度は大きく落ちるだろう」

「それが犯人の目的ってこと? 僕たちの舞台を台無しにするっていう……でも、クラスの誰かがそんなことをして、いったい何のメリットがあるっていうんだ」

「その答えは、問いが間違っている、だ」

 一度だけ振り返って、六浜さんはこれでもかというドヤ顔を僕に見せてきた。六浜さんもこんな顔をするんだ。なんだか意外に思えて、そしてとても特別なことに思えて、少しドキッとした。

「犯人の目的は小道具を盗んでどうこうすることではない。誰にも小道具を使わせないことが目的だったのだ」

「使わせない……ってどういうこと?」

「舞台を台無しにするつもりなら小道具ではなく、修復不可能な大道具や個人を狙う。小道具を換金するつもりならもっと自分の身近に置いておくはずだ。誰にも見つからない場所にあったということは、小道具が使えない状況こそ、犯人が望んだことだったのだ」

「でもそれに何の意味があるのさ? 舞台だってショボくなっちゃうのに……」

「確かにそうだな。だが人命には代えられんだろう?」

「じん……なんだって?」

 思いがけない言葉が飛び出して、思わず聞き返す。六浜さんはどんどん歩いていく。僕もその後に続いていく。歩くほど六浜さんの推理が核心に近付いていく。まるでこの学園のどこかにある答えに向かって迷路を突き進むようだ。

「犯人は理解し、考えたのだ。あの小道具を使わせては人が傷つく……最悪の場合もあり得るとな」

「いや、確かにそういうシーンはあるけど、もちろんフェイクを使うよ? いくらリアリティを追求したってそこはさすがに」

「当然、犯人以外の全員はそう思っているだろう。だが事実、あの小道具には人を殺傷する機巧が備わっている」

「ええっ!?」

 そんなバカな。あれは国内の気鋭ブランドが大衆向けに展開しているアイテムだ。テレビでは女性タレントがCMで身につけているのを見るし、たくさんの人が買っているものだ。だから僕たちもそれを選んだ。なのに、それが人殺しの道具だって?

「ううん……なんだか信じられないけど、六浜さんが言うならそうなんだろうね。でももしそうだったとしても、僕たちに言ってくれればいいのに」

「その通りだ。ひとりで抱え込む必要はない。これは私の想像だが……犯人は、面目が立たなかったのではないか?」

「は? め、面目?」

 また意外な言葉が出てきた。なんで犯人が僕たちに面目を保つ必要があるんだ? そしてそれがどうして小道具を盗むことにつながるんだ?

「タイミングが良いのか悪いのか、小道具の秘密に犯人が気付いたのと時を同じくして、石川が行方をくらませた。結局は極のところに駆け込んでいたのだが、この事件は犯人の精神を大きく揺さぶったことだろう」

「どうして?」

「犯人は、石川が姿を現さない理由を、怪我だと知っていた。しかし怪我の詳細までは知らなかった。だから勘違いしたのだ。石川の怪我が、小道具の機巧によるものだと」

 洪水のように情報を一気に浴びせられて、頭の中は渦に飲まれたようにぐっちゃぐっちゃだ。犯人が石川さんの怪我を知っていた? いつ? どうやって?

「自分だけが気付いている小道具の秘密。それによって怪我を負った石川。このままでは被害がより大きくなるが、石川に怪我をさせた負目があって言い出せない。だから小道具を丸ごと隠して、ひとまずの被害拡大を防ごうと考えたわけだ」

 つまり犯人の狙いは小道具そのものじゃなくて、小道具を盗むことで僕たちを怪我の危険から遠ざけることだったのか。でも、たとえ自分だけが気付いていたからって、石川さんの怪我にまで責任を感じるなんて、少し無理があるんじゃないか。

「そもそも秘密に気付いたときに言ってくれればよかったのに」

「本来はな。だが犯人にもそれを指摘しあぐねる理由があった。それをすることは、奴自身の秘密をカミングアウトするに等しい。少なくとも奴はそう考えている。今はもう、考えてい()()、かもしれんが」

「も、もうわけがわからないよ! 小出しにしないでいっそ教えてよ! いったい犯人は誰なのさ!」

 僕たちは別館に入った。人気の少ない場所だから聞こえるのは僕たちの会話と足音くらいだ。

「犯人は、舞台の成功とクラスメイト全員の安全を両立するため、悩んだ末に過ちを犯した。だが本当の過ちはその悩みそのものだ」

 僕たちは廊下を歩く。やっぱり六浜さんは明確な目的地に向かっている。この先に何があるのか。まだ全然僕には分からない。

「奴は奴自身と、決して裏切ってはならない者の秘密をも同時に守ろうとした。それを果たす最も短絡的な行為が小道具の窃盗――否、隠匿というべきだな」

「裏切ってはならない者……?」

 僕たちは教室の前に立つ。中に人の気配がする。小出しにしないでと言ったのに、六浜さんの説明にはまた新しい要素が出てきた。僕はそれを復唱することしかできない。

「だが秘密を守るための行動が新たな問題を伴っていては意味がない。そのおかげで、こうして全てが明るみになっているのだからな」

 六浜さんは扉を開いた。そこにいる“犯人”と目が合った。

「偶然による勘違いからクラスメイトの安全と己の秘密を守るため、咄嗟とはいえ稚拙な手をとった者――この事件の犯人でありながら最も翻弄されている不憫な男――それはお前だな! 鉄 祭九郎!」

「!?」

 彼がそこにいるのが分かっていたかのように、まるでこれこそが舞台のシナリオのように、六浜さんは教室の中にいた鉄君を指差した。虚を突かれた鉄君が驚いて机にぶつかる音がした。そしてそのすぐ近く、鉄君と六浜さんを結ぶ直線の間に立っているのは――。

「あっ!? トイレの前の派手なお姉さん!」

「あっ! 童貞君!」

「やめてください!」

 六浜さんがトイレの捜査をしているのを待っていた僕に絡んできたあのお姉さんがいた。背の高い鉄君と並ぶと、彼女の背の低さがより際立つ。そういえば、あのあと弟に会いに行くって言ってたけどもしかして……。

「弟って、鉄君のことだったのか!」

「あちゃー、バレちゃった。っていうかキミの彼女って六浜童琉なん? バキバキに童貞っぽい顔しといてやるじゃん! ヤることヤってたらもっと(ギャップ)だけど、そこんとこ――」

「へ、幣葉(へいは)……俺の立場も考えてくれ」

 いかがわしいハンドサインを見せつけながら、お姉さんが僕と六浜さんを交互に見遣る。僕の位置から六浜さんの顔は見えないけど、耳がこれでもかと赤くなってるのは分かった。中庭の件といい、六浜さんってこういう話題が苦手なんだな。

 一方、話の中心であるはずの鉄君は、にたにた笑うお姉さんにわたわたしていた。

(くろがね) 幣葉(へいは)だな。弟との歓談中悪いが、祭九郎に話を聞かなければならん」

「べっつにー? むしろウチの愛しい愚弟が迷惑かけたのを謝らなきゃなんないくらいだよ。処分はどうすんの? 謹慎? 停学? 退学?」

「その辺にしておけ。愛しい愚弟が震え上がっているぞ」

 鉄君、大変なお姉さんを持ったなあ。

「その様子だと、姉には全て話しているようだな。ここなら我々の他に誰もいない。我々にも同じことを話してもらうぞ、鉄」

「む……」

 改めて六浜さんに追及され、鉄君は気まずそうにうつむいた。それからお姉さんの方をちらと見ると、観念して全てを話してくれた。

 結論から言うと、六浜さんの推理は完璧だった。鉄君の動機も、それに至るまでの心の機微も、そして鉄君自身さえ気付いていなかった些細なミスも、全て言い当てていた。鉄君の話で僕が新しく得た情報は、あの小道具のブランドは鉄君のお姉さんがプロデュースしている会社で、暗器の機巧も意図的に組み込んでいるものだということだ。それはそれでなんでだと思うけど、あまり深く突っ込むとヤバそうだからスルーしておこう。

 反省と後悔と謝罪が混ぜこぜになった鉄君の話を、六浜さんは真剣な顔で、僕は呆気にとられて、お姉さんは表情だけで茶々を入れながら聞いていた。

 全て話し終えた後の鉄君は、最後に深く頭を下げて謝罪した。お姉さんも一緒に頭を下げている。なんだかんだ言って、弟のことは可愛がっているんだ。

「バカだねえ、ほんと。その石川って娘が怪我してたとしても、うちの暗器でうっかり事故なんて起きるわけないでしょ」

 なんだ、ちゃんと安全装置みたいなのがついてるのか。

「うちの暗器で怪我したら、うっかりなんてレベルで済まねーから!」

 そっちか。本当に鉄君の勘違いでよかった。

「今頃カルロスが納見たちのもとに小道具を届けている頃だ。納見なら、それがあると分かっていれば、小道具の機巧にも対処できるだろう」

「そだねー。刃とか弾とか針とか電線とか毒とか信管とか抜いときゃ危険もないし。クー、あんたちゃんとそれ手伝っといで」

「あ、ああ……」

「僕も一緒に行くよ。色々……説明が必要だろうしね」

 舞台まではまだ時間があるとはいえ、急がないと。石川さんの方ももう問題ないし、ここからは僕たちが頑張る番だ。

「色々ありがとう、六浜さん。僕だけだったら、きっと解決できなかった。六浜さんのおかげだよ」

「私はすでに得られている手掛かりを整理してひとつの筋書きを描いたに過ぎん。それが私に求められた役割、私の果たすべき責務だというだけだ」

 ひゅう、と幣葉さんがまた茶化す。少し照れくさそうに、でも誇らしげに言う六浜さんに見送られて、僕と鉄君は教室へ向かった。

 


 

1-12

 

「いいの? 彼氏と一緒に行かないで」

「そうだな。愛すべき弟をひとりで行かせる姉と同じ気持ちだ」

「ふーん、でも世間じゃそれを愛情とは呼ばねーぜ? アンタのそれは責任感って言うんだ。ま、あたしにとっちゃどうでもいいことだけど」

 二人きりの教室で、六浜童琉と鉄幣葉は言葉を交わす。事件は一応の決着を見た。鉄にはその後始末をする責任が、益玉にはその行方を見守る義務がある。六浜と幣葉にあるのは、この事件の()()()()()()に沈んでいく動機だった。

 幣葉が自らの指輪に触れて軽く振ると、細い針が飛び出した。

「じゃ、うちの可愛い弟を唆したどこぞのクソ野郎に、きっちり礼してやらないとだな」

「待て待て。さすがに学内での刃傷沙汰は見逃せん。それにあなたは賓客(ゲスト)だ。学園の問題は学園でケリをつける」

「こっちは身内がケチな犯罪に巻き込まれてるんだ。こんな稼業をしてるとね、メンツってもんも大事にしなきゃあならない。こんなくだらないことでブランドイメージを傷つけられちゃ困るんだよ。いくら六浜童琉の頼みでも、ケジメをつけないと引き下がれないね」

「……そもそも、あなたには弟を唆したのが誰か分かるのか?」

「そりゃ――」

 フリーズ。自信満々、害意満載、喜色満面の顔のまま、幣葉はしばし沈黙した。

「ごめん、分からんわ。そもそもあたし、学内のことなんも知らないから、当てずっぽうすらできなかったわ。カッハハ!」

「どうするつもりだったんだ……取りあえず針を収めてくれ。この件は私に任せておいてほしい」

「うーん、まあ今のところはそうするしかないっぽいね。じゃあいいよ。犯人が誰かは全然分かんないけど、そいつが()()()()()()()()は、あんたに預けとく」

「協力に感謝する」

 もう一度軽く手を振って、指輪から出た針を引っ込めた。収めてしまえば、見た目からは針が飛び出すなど想像もできない、美しい指輪でしかなかった。これと同じかそれ以上のものが世の中に溢れているという事実に、六浜の背筋を汗がなぞった。

「じゃあ後は任せたよ。()()()()()()()

「分かっている」

 友人にかける気軽な激励、それでいて戦慄を誘う意味を込めた警告だった。にこやかに教室を出た幣葉は、進行方向と逆を見て、少し眉を上げた。

「おっ、なんかいた。え? なにあんたら?」

「気にしないでくれ。通りすがりのElegante(男前)とサムライさ」

「あっ、ふーん……六浜童琉、あんたも気が多いやつだねえ」

「さっさと行け!」

 六浜にがなり立てられ、「青春しろよ若人〜」と捨て台詞を残して幣葉は去った。六浜も教室を出ると、ちょうど扉の陰になる場所にいたカルロスと古部来を発見した。どうやら六浜と幣葉の様子をうかがっていたらしい。

「やあドールちゃん! 無事かい? 無事みたいだね! さっきのおっかないseñorita(お嬢さん)は何者だい? サイクローのお姉さんにしちゃあ似てないね?」

「正真正銘、鉄の実姉だ。少なくとも私はそう認識している。そして、大勢の外来客のひとりにすぎない。心配は無用だ」

「本当に問題ないんだな?」

「ああ」

 六浜の返事を聞くと、古部来はひと足先にその場を離れた。六浜とカルロスはその後に続き、『神座祭』の賑わいに戻って行った。六浜は頭の中で、無数の人だかりの中に潜む真犯人の正体を探っていた。

 まだ祭は終わらない。

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