ダンガンロンパトライフェス 〜我々は“才能”のみにて生くる者にあらず!〜 作:じゃん@論破
4-1
音もなく扉が開く。陽が落ち灯りがなく、深い暗闇に沈んでいる。中庭から届く光が、かろうじて部屋の内部の輪郭を浮かび上がらせている。部屋の主人は不在である。
入口近くに大きなガラスのローテーブルと向かい合わせに革張りのソファが設置されている。壁際の棚にはトロフィーや賞状、種々の書類が整頓されて、観葉植物は丁寧に手入れされている。向かいの窓からは中庭を含む学園が一望できるが、いまはブラインドが半ば下がっている。それに背を向けた肘掛け椅子に、侵入者はどっかと座った。まるでそこが自分の部屋であるかのように、ふてぶてしくあった。
〈こちらは、希望ヶ峰学園放送部です。皆さん、本日は『神座祭』お疲れ様でした。このあと中庭で、後夜祭を執り行います。奮ってご参加ください。こちらは――〉
学園中に設置されたモニターとスピーカーが、祭りの終わりを告げた。
「まだか……? もう夜になってしまったというのに」
指が机を小刻みに叩く。真っ黒な部屋の奥で、背中に薄灯りを浴びながら、侵入者は人を待っていた。必ずや訪れるであろう人物、あるいは偶然たどり着くかも知れない何者かを。
4-2
足音が廊下をわたる。長い長い廊下は音を響かせて、自分以外の誰もいないことを教えてくれる。中庭から聞こえる祭囃子の遠さが、いっそう孤独感を強めていた。
「うう……ど、どうしよう。ついこんなところまで来ちゃったけど、これってヤバいやつかも」
暗い学園の中で人影の正体は見えずじまいだった。しかしその行方は明確に分かっている。あとは部屋に入りさえすれば、それが何者かは分かるだろう。その後どうなるかの保障はない。怯えながらも、宿楽は好奇心に引き摺られるように、部屋の前まで来た。
強い緊張で心臓が痛いほどに鳴っている。ドアを開けようとそろりと伸ばす手がガタガタ震えて、うっかりドアを叩いてしまいそうだ。灯りもつけず何をしているのか、こっそりうかがおうと宿楽はノブに手をかける。
体が部屋に引き込まれた。体は勝手に硬直する。何が起きたか理解できない。気付けば、大きく柔らかな体に抱擁されていた。
「おおお! なんと! これは意外! あまりにも意外! 宿楽殿が一番乗りとは!」
「はっ? えっ? な、なに……?」
「まあまあおかけなさい。悪いようにはしませんとも。生憎このシケた部屋にはお茶もお菓子もありませんが、ゆっくりしていってくださいな」
「え……」
いつの間にか部屋の灯りがついている。宿楽は訳がわからないまま、ローテーブルの前のソファに座らされた。ドアがバタンと閉まる。そこまで経ってようやく、自分はドアごと部屋に引き摺り込まれたんだと気付いた。そして、閉じ込められてしまったことも。
恐怖は徐々に困惑に変わっていく。事態が飲み込めない。状況が把握できない。なぜ自分はいま、
「待つだけというのも退屈でしょうから、拙僧とおしゃべりでもしましょう。今日はいかがでしたか? 『神座祭』を楽しまれましたか?」
「い、いや……あの、狭山さん? だよね?」
「はいそうですよ。ご存じ、狭山狐々乃です」
「ここ、学園長室なんだけど……あとそこ、学園長席だよ?」
「もちろんですとも。やはり学園長ともなると良い椅子を使っていますな。革に使われた畜生どもの恨み節が聞こえてくるようです」
「ええ……前から破天荒な人だと思ってたけど、これはヤバいよ。ライン越えだよ」
「ほう? では宿楽殿は、拙僧がしたことをどこまでご存じか?」
狭山はキツネのハンドサインをして戯けながら問うた。しかし宿楽にはその質問の意味が分からない。どこまでも何も、学園長室に侵入してやりたい放題している、というだけではないのかと答える。狭山はそれに、クックッと息苦しそうな笑いで返した。
「やはり分かっていないようですね。いえ問題ありません。いずれ分かっている方々も合流するでしょう。拙僧はそれまで……そうですね、
「く、黒幕?」
椅子から机、机から自分の頬へと、狭山が指を這わせる。情熱的に、扇情的に、宿楽の視線を絡めとるように。宿楽は自然と狭山の顔を見つめていた。狭山の両眼にじっとりと見つめられていた。底知れない深みを湛えた眼を直視すると、どこまでも沈んで戻って来られなくなりそうな感覚に陥る。喉の奥が鳴った。
「今日、宿楽殿は何かおかしなことに遭遇しませんでしたか?」
「おかしな……こと? き、希望ヶ峰学園は、いつもなにかおかしいけど……」
「そうでしょうとも。しかしそうではありません。何か尋常ならざる人々に出会ったはずです。たとえば、極めて自己中心的な行動で周囲に迷惑を撒き散らす輩とか」
「――あ」
宿楽には心当たりがあった。ここに来る直前、中庭の舞台イベントを観ているときに絡んできた、あの暑苦しい痴漢のことを。
「あるいは、今日一日という時間を焦るあまりに周りが見えなくなってしまった可哀想な人とか」
「――毛利さんのことを言ってるの?」
「出会っているようですね。他にも、己の秘密と不安と責任に押し潰されて過ちを犯す者、溢れる不満を開放させて風紀を乱す者、道楽と快楽に溺れて尊厳さえ捨てる者、やりたい放題をして他人に諌められる者……希望ヶ峰学園は実に多様な人材に溢れています。とても愉快でしたよ。皆々共、ほんの少し心のタガを緩めてやるだけで、普段はするはずもない奇行に走るのです。とても見応えがあって、面白おかしく見物していましたよ」
何を言っているのか、やはり宿楽には分からない。しかし自分で考えられる中でも、狭山があくどい何かをしていることは察しがついた。毛利も、中庭で出会った痴漢も、おそらくは狭山に何らかの働きかけを受けていたようだ。
「どうでしょう? 宿楽殿は『神座祭』を楽しまれましたか?」
その問いかけは邪悪な響きを孕んでいた。ぎらぎら光る眼と裂けたように吊り上がる口が宿楽を逃さない。体がすくみ上がってしまった。
「……こんなことをして何になるの。ひどいよ狭山さん! みんな『神座祭』を楽しみたいだけなんだよ! 狭山さんがヘンなことをしなければ、純粋に楽しめてた人がいたかもしれないのに!」
「どうでしょう。本当にこの『神座祭』は全員が楽しめるようにできているのでしょうか? 純粋に楽しむとは、一体どういうことですか?」
「そ、そんなに難しいことは言ってないけど」
「拙僧が語りかけた中にもおりました。ルールやモラルに抑圧され日頃から本当の自分を発散できずに鬱屈としている者……やりたいことができず学園生活に疎外感を覚える者……そんな中で唯一与えられた『神座祭』という好機さえも奪われた者! ある者が華々しく自己実現する機会を得る一方で、己の立場を失いかけている者がいる! ある者が長い学園生活の一部である今日を過ごす一方で、今日この一日に全てを懸けた者がいる! あまりにも不公平だとは思いませんか! あまりにも不自由だとは思いませんか! コンなのは間違っている! “超高校級”は、希望ヶ峰学園は、もっと自由で奔放であるべきなのです!」
高らかに吠える狭山の熱が宿楽を震わせる。確かに言葉に納得できる部分はある。希望ヶ峰学園といえど敷地や教室の数に限界はある。それを超えて全員のやりたいことを叶えることはできない。そもそも『神座祭』に適さない出展をしたがる人もいるだろう。だからそれは仕方のないことだ。いくら叫んだところでどうしようもない問題はある。
「そ、それとこれと、どういう関係が?」
「関係しかありません! 拙僧は、『神座祭』のあるべき姿を取り戻そうとしたのです! もっと自由に、それぞれがそれぞれのしたいことを制限なく際限なくできる『神座祭』を! もっと奔放に、各々が何のルールもモラルも気にせず好き勝手にできる『神座祭』を! それこそが本来のあるべき姿なのです! ですから拙僧はそのお手伝いをしたのです。今日起きたことは全て、誰もが初めから心に抱いていたモノの一側面が表出したに過ぎません」
「……ほわあ」
「脳の許容量を超えてしまったようですね。まあ仕方ないでしょう」
「いや超えてないよ!? なんか思った以上に壮大なことしてるからびっくりしたんだよ! もしかして狭山さん、みんなにそんなことしてたの?」
「いいえ、前夜祭では時間も準備も足りませんでしたので、適当に目についた何人かにしか。ですがご安心を。
「こ、これから……?」
狭山は懐からお香を取り出した。もったりとして、少し鼻の奥を刺激するような、なんとなく心地良い香りが漂ってくる。宿楽はこの匂いに覚えがあるような気がした。『神座祭』を楽しむ中で何度か、こんな匂いを感じ取ったような気がする。
「こちらは拙僧が調合した特別なお香です。と言っても、これ自体に危険性はありません。少々、向精神作用があるだけです」
「ダメじゃない?」
「オーガニック素材100%ですよ?」
「分かんないけど、もっとダメだと思う」
狭山はきょとんとしている。添加物以外にも色々と欠落しているものがあるらしい。宿楽はとっさに鼻を塞いだが、今日一日色々なところでこの匂いを嗅いだかもしれないと思うと背筋が寒くなった。気付かないうちに得体の知れない匂いを、それも狭山が作ったものを嗅がされていたとは。
「はっはっは! そう警戒せずとも大丈夫です。塗料に含まれるシンナーのようなものですよ。過剰かつ常習的に吸引しなければ問題ありません。せいぜい普段より浮き足立つ程度です」
それは『神座祭』だからではないだろうか。いや、狭山は『神座祭』に合わせてこれを使ったのだ。普段より浮かれていても、『神座祭』でテンションが上がっているだけだと錯覚させるために。それにすぐさま勘付けるくらいにはまだ冷静な自分に、宿楽は一抹の安堵を覚えた。
「そんなものをみんなに嗅がせてどうするの。中毒にして学園全体を支配でもする気?」
「まさか! 皆さんを骨抜きにして支配したところで拙僧の負担が増えるだけです。むしろ拙僧、骨のある方は骨太なまま手籠にしたいタイプでして」
「じゃあ何がしたいの?」
「分からない人ですね。言ってるでしょう。もっと自由な『神座祭』を実現するんですよ。拙僧の催眠で」
「さ、催眠?」
またよく分からない言葉が飛び出してきた。催眠なんて本気で言っているのか。
「拙僧は“超高校級のシャーマン”。霊を降臨させ、千里眼を得、予言を繰るばかりには収まりません。人心を掌握し、理性をぼやかし、他人を操ることもまた拙僧の力。これをもってすれば、この『神座祭』に参加するあらゆる人々を催眠にかけることも可能!」
「そんなバカな。催眠なんてそんな簡単にかからないよ! だって私、その匂いを嗅いでも狭山さんの言いなりになんてならないもん!」
「当然です。これだけで操れるほど人間の意識は脆くありません。催眠をかけるには、その準備となる予備催眠が必要なのです。故に拙僧、『神座祭』の至る所にささやかな仕掛けをいたしました。もはや準備万端、拙僧の言葉ひとつで、学園の全てが拙僧の思うままに動き出すのです」
「そ、そんなバカな……」
「バカなことと思いますか? 確かにお香だけでは予備催眠としても不十分です。しかし匂いだけでなく、五感全てに訴えかけられ続けていたら? 今日流れていた学内放送の曲は? あちこちに貼られたポスターの色や文字は? 食べ物の味は? 階段の手すりの手触りは? それら全てが予備催眠をかける拙僧の罠だとしたら? 宿楽殿はもはや予備催眠の中にいると言えるでしょう。であれば、本当に拙僧の催眠に抗える自信はおありですか?」
脳が直接揺さぶられるようだ。狭山の問いかけにはっきりと答えられない。何が狭山の罠で何がそうでないのか、自信を持って答えられることなどひとつもない。そんなこと意識もせず過ごしていた。今日一日に起きたことを朝から反芻し、何が異常かを探し始めていた。思考のリソースが過去に割かれ、現在の脅威に対して無防備になっていく。
ぐっと顔が近付く。狭山の長いまつ毛が宿楽のサングラスに触れた。あの眼に、覗き込まれる。
「試しますか? 宿楽殿が、拙僧の催眠に、耐えられるか、どうか……」
「ひぅ……」
大きな手が耳に添えられる。そっとサングラスを外された。眼と直に触れ合う。狭山に飲み込まれていく――。
4-3
ぱんっ――。
小さな爆発音。
耳から届いて脳をはたく。
狭山の眼が逸れた。
宿楽は我に返る。
音は部屋の入口から聞こえた。そこにいるのは、緑色のスーツを着たジャーナリストだ。憎たらしいほどの笑顔で、クラッカーの口を部屋の中に向けていた。
「おジャマ〜」
狭山の背後に青い影が回り込む。宿楽を覆っていた両腕を掴み、背後に回して取り押さえた。宿楽がその場にへたり込むと、すかさず曽根崎はサングラスを拾い上げて宿楽にかけさせた。
「大丈夫? 危ないとこだったね」
「え……な、なに、が……?」
「狭山サンの催眠にかかるところだったんだよ。間一髪だ。たまたまボクがクラッカーを余らせてて助かったね」
「よく言うよ。入口の陰でタイミング測ってたくせに」
「あ。雷堂クン油断しちゃダメ」
「は――うわっ!?」
曽根崎が言うが早いか、雷堂の視界は180度回転した。体は支えを失って、掴んでいたはずの腕に掴まれていることだけが分かった。その腕もすぐに離れ、体に働く力学のまま放り出された。真下には見飽きた緑のスーツ。
「ゲーーーッ!! 油断しないでって言ったのに!!」
「ごあっ!? な、なんてパワーだよ!?」
「ふんっ、素人が力で拙僧を押さえ込もうなど笑止! それで宿楽殿を助けたつもりですか?」
「いいや。キミを追い詰めに来たんだ。狭山狐々乃サン。悪いけど話は聞かせてもらったよ」
「下敷きになったままカッコつけてる……」
曽根崎は狭山にペン先を向ける。狭山が宿楽に話していたことは全て盗み聞きした。その上で飛び出してきたのは勝算があるからだ。と、曽根崎はハッタリをきかせる。まだ曽根崎にも、勝負の行方は分かっていない。
「ほほう。あなたも今日一日を『神座祭』で過ごしたのでしょう? ならば既に拙僧の術中であることは分かっているはず。敢えて出てきた度胸は評価しましょう。しかしクラッカーはその場凌ぎにしかなりませんよ」
「いいや問題ないよ。なぜなら狭山サン、キミは嘘をついているからね」
「なんと! 拙僧が嘘を!? なにをおっしゃいますやら……拙僧、嘘は油揚げと同じくらい嫌いですよ!」
「大好物じゃん!」
「奇遇だね。ボクも嘘は大嫌いだよ。自分を守るための嘘は、特にね」
狭山の眉がひくりと動く。部屋の中は狭山のお香が充満していて、環境的にも、物理的にも、曽根崎たちは不利な状況にある。それでも曽根崎は狭山の注意を掴んで離さない。嘘でもハッタリでも、警戒心を抱かせ続けていれば、狭山の行動を牽制していられる。
「拙僧の言葉の何が嘘だと?」
「決まってるよね! 自由で奔放な『神座祭』を取り戻すってトコさ! やりたいことができずに鬱屈してる人がいるから解放させてあげようなんて、キミが考えるわけないじゃないか! キミが力を使うのは常に自分のため。他人に優しくするときはその人を利用するときだけ。そうでしょ?」
「まさしく!」
「否定しねえのかよ!?」
曽根崎と狭山が不敵な笑みを交わす。互いに互いの嘘を勘繰り、常に言葉の真偽を更新していく。さっき嘘と断じた言葉が、次の瞬間には真実と同じ力を持つ。それほど不安定な会話も、2人にとっては可笑しくてたまらない。
「では曽根崎殿。あなたは拙僧がしたことの真意がお分かりか?」
「さあね。キミの性格から導ける結論ならなんでもあり得ると思ってるよ」
「ではコンなのはどうでしょう。実は拙僧、一部生徒が起こした
「わお」
余裕の態度を崩さない狭山は、曽根崎に詰められても胡乱な言葉を平然と吐き出す。そして胸元に手を突っ込むと、ぎょっとするほどの札束を雑に取り出した。
「なっ――!? なんだそりゃ! んなことして良いと思ってんのか!?」
「良いわけないでしょうが! 分かってますか!? これは立派な犯罪ですよ!」
「そう言ってんだよ!」
「しかし、売上金泥棒が発覚したとして、一方で学園生や外来客による大暴動が起きていたら? そしてそれらが治まったとき、誰もその前の記憶を持っていないとしたら? お金どころじゃないでしょう。それどころかお金が減っていることにさえ誰も気付きません! まさに完全犯罪!」
「いま私たちが聞いちゃってるけど……」
「この記憶も消せるってことだろ。それこそ嘘であってほしいけど、ここまでペラペラ喋ってるってことはマジで消せるんだろうな」
「曽根崎殿はどうです? コンな結末はお好きですか?」
狭山が金を床にばら撒く。高校生にとっては得難い大金を無造作に扱うことで、妙に言葉の重みが増したように感じる。狭山は私利私欲のために学内で意図的に混乱を起こし、その隙に金を盗んだ。これからさらに大きな混乱を起こして、もっと多くの金をせしめるつもりである。狭山の性格とも矛盾しない、傍迷惑で無駄に壮大な悪ふざけだ。
「好きじゃないけど、まあなくはなさそうだね。狭山サンが本気でそれをしようと思えば、実際に起こすことはできるんだろうさ」
「いや、だろうさ、じゃないよ!? ヤバいじゃん! ら、雷堂さん! なんとかならないの!? “英雄”なんでしょ!」
「無茶言うなよ! おい曽根崎! 何か対策とか……ないのか!?」
「くっくっく! あるわけないでしょう! 予備催眠は直接作用する力がない分、時間をかけて少しずつ抜く以外に脱する方法はないのです! アルコールと同じですね」
「それは知らないけども」
その言葉は3人にとって、狭山の勝利宣言にも等しいものだった。そんなことは少し前から分かっていた。知らない間にかけられていた予備催眠によって、自分たちはいつでも狭山の思うままに操られてしまう。それをさせないために曽根崎が駆け引きをしていたが、狭山もその意図にはとっくに気付いていた。
なぜ狭山が学園長室に来たか、宿楽と雷堂はそのときようやく理解した。学園中に設置されたモニターとスピーカーで学内放送ができるのは、放送室の他にはここだけだ。そして誰でも立ち入ることができる放送室など、狭山が選ぶはずない。放送室と学園長室の放送が重複したとき、優先されるのは学園長室からの放送なのだ。つまりここからの放送を止める手段はないということだ。
狭山がカメラとマイクのスイッチを入れる。学園長室のモニターにも、狭山の姿が映し出された。これと同じ映像と音声が学園中に響き渡っていると思うと、宿楽は強烈な寒気に襲われた。
〈アーアー。マイクテスト、マイクテスト。大丈夫ですか? 聞こえていますよねこれ〉
「おい! 止めないとまずいぞ!」
「また宙返りさせられたいなら雷堂クン止めれば?」
「んなこと言ってる場合かよ! くそ!」
目の前にある口と学園長室のスピーカーから、狭山の声が重なって聞こえる。頭の中で響くような聞こえ方だけでも催眠にかけられているようだ。
〈どうもみなさん。『神座祭』を楽しんでいますか? ふふふ……いま楽しんでいると答えた方々、そして心のどこかでそれを思い浮かべた方々。あなた方は幸運です。この『神座祭』という仕組みの裏で涙を流さずに済んでいるのですから!〉
「ヤバいヤバいヤバい! ねえどうしよう! このままじゃ全員操られちゃうよ!」
「……全員、ねえ」
「?」
焦って宿楽が曽根崎の足にすがりつく。それでも曽根崎は余裕の笑みを崩さない。意味深な呟きを雷堂が訝しむ。これから狭山によって何かが引き起こされる。だが、すでに何かは起きている。そんな確証のない気配をうっすら感じていた。
〈あなた方は知るべきです! 『神座祭』の仕組みによって片隅に追いやられ、あるいは日々の生活の中で不満と不自由を強いられている人々の不完全燃焼を! さあ皆さん、拙僧の言葉を聞きなさい。拙僧の眼を見つめなさい。皆さんは既に拙僧の大いなる手の中にあります。心の赴くままに身を委ね、安寧と快楽の海に揺蕩うのです。拙僧の言葉で皆さんは、己の内なる欲望を全て解放させるのです〉
「ひええっ!」
宿楽は耳を塞ぐ。それで催眠を回避できれば苦労しない。無駄な抵抗と分かっていてもせずにいられなかった。雷堂も慌てて目と耳を塞いだ。
吊り上がった口で、狭山が呪文を紡ぐ。
〈
4-4
学園長室の窓から、狭山は中庭を見下ろしていた。まさに壮観であった。中庭に設置された舞台を中心に、学園生も外来客もみんな大いに賑わい、祭りの余韻に浸っていた。出展している店は混雑しながらも最後の書き入れどきに精を出し、人々は押し合いへし合いしながらもゆっくりとした流れは止めずにいた。
「……これは一体、どういうことですか?」
大声を出して暴れる輩のひとりもいない。興奮のままに痴態を晒す輩もいない。不満を爆発させ、怒りをぶつけ、悲しみに暮れて、痛みを撒き散らし、傍若無人で放蕩無頼で邪智暴虐な無法地帯など、どこにもなかった。
狭山は中庭を見下ろしていた。ぽかんと丸くした目と口で、水族館の水槽に張り付く子供のように、ぼんやりとその向こうを眺めていた。
「なぜ暴動が起きないのです? なぜ誰も奇行に走らないのです? なぜ――拙僧の催眠が働かないのです?」
「当然だ。学園中のモニターとスピーカーの電源を落としているのだからな」
「!」
さっきまで部屋にいなかった声がする。あまりの衝撃で背後の警戒を疎かにしていたことに気付き、狭山は振り向いた。学園長室には4人の人間が立っている。
未だ事態が飲み込めずに困惑しっぱなしの宿楽風海。同じく状況を把握しきれないながら狭山を警戒している雷堂航。しめしめと腹立たしい含み笑いでこちらを見つめている曽根崎弥一郎。そして、迷いのない眼で真っ直ぐに狭山の目を見つめてくる、六浜童琉だ。
「ろ、六浜……童琉……!」
「一度に多くの人間に催眠をかけるなら、学園の放送網を使わない手はない。お前が学園長室の放送機器を使うことは予想できた。しかしどこから放送しようと、受信側を断ってしまえば同じことだ」
「だからってそこまでするかよ普通……っていうかできるのかよ」
「やり方は教えんぞ。普段の学園生活で真似をされると困る」
「ソンナー、マサカソンナコトスルヒトナンテイナイデショー」
「
「いつの間に受信側の切断を? 先ほど後夜祭の案内放送があったばかりではないですか」
「ああそうだな。その後に切断した」
「バカな! ほんの数分で学園中の受信設備全てを断つことなど、できるはずが――」
反論の途中で、狭山はそれ以上の言葉は無意味だと理解した。事実、狭山の映像も言葉も届いていないのだから。できるはずがないことを、六浜はしてみせたのだ。狐に摘まれた気分だ。
「当然、私ひとりでは到底不可能だ。しかし、私の声に応えてくれる者たちが学園中にいれば可能になる。私の言葉を疑わず、真摯に受け止め、実行してくれる者たちがいればな」
六浜がスマートフォンの画面を見せつける。グループチャットに投げかけられた協力を求める言葉に、同意を示す返事やスタンプが無数に返ってきている。生徒会の六浜童琉だからではなく、個人としての六浜童琉に対する信頼の証だ。
「ぐぬっ……だ、だとしても! 縦しんば拙僧の放送を止められたとしても! あなた方は拙僧の言葉を直に耳にしているはずです! 拙僧の姿を直に目にしているはずです! なぜあなた方は催眠に落ちないのですか!」
「た、確かに……? 場の勢いで忘れてた。なんでだろう?」
「いかに拙僧の言葉を疑えど、いかに心を強く持ち聞き流せど、予備催眠にかかってしまえばその時点で詰みなのです! 今日一日分の予備催眠をこんな短期間に抜くなどそれこそ不可能! 予備催眠がある限り拙僧からは決して逃れ――ら、れ、ない……はずぅ……?」
自分で喋りながら、狭山は論理的帰結に辿り着いた。自分の催眠術は強力だ。どんな状況でどんな相手であろうと、予備催眠にかかってしまった以上、逃れる方法はない。逃れているのならそれは、予備催眠にかかっていないということだ。
しかしそれでも狭山は信じられない。論理的にはそうであっても、事実としてそれを受け入れることができない。
「いいえあり得ぬ! あり得ぬあり得ぬあり得ぬ! 拙僧の予備催眠は学園中のありとあらゆる場所で起きていたはず! 匂いも音も光も拙僧が手を加えていたはず! それでなぜ予備催眠にかからないのか!」
「撤去したのだ。今朝から、生徒会とその手伝い総出でな」
「今朝……から……!?」
学園内のあちこちに設置された小さな香炉。サイケデリックな色合いと怪しげな文言が載ったポスター。一定のリズムを繰り返し思考をかき乱す音楽プレーヤー。多くの調味料に紛れた得体の知れない調味液。階段の手すりや教室のドアノブに貼り付けられた妙な質感のシート。六浜をはじめとした生徒会はそれらを、他の通常業務やイレギュラーな仕事をこなしながら、学園中を巡って回収していた。六浜は学園中に設置された異物の存在にいち早く気付き、率先して動いていたのだった。意識の外から侵入してくる予備催眠は、意識されないままにその力を奪われていた。
「よくも余計な仕事を増やしてくれたな。おかげで私たちは一日中大忙しだ」
「バ――バ、バ、バカ……なぁ……!? 貴様――ろくはま、どうるぅ……! いったいどこまで知って……!? コンなことが……!? 拙僧の仕掛けた予備催眠に……今朝の時点で気付いて……全て、撤去したと……!? あ、あ、ありえない……!」
「あり得ないついでに答えてやろう。私は全て知っている。お前の、真の目的もだ」
「えっ――?」
4人の視線が六浜に集まる。仰天。期待。倦厭。敵意。それぞれの視線全てに答えるため、六浜は指摘した。
「狭山、お前の目的は――お前自身の“才能”を世に知らしめることだ」
「ひっ――!?」
それが誰の悲鳴か、曽根崎たちは互いに目を合わせて探った。そしてそれが狭山の口から出たものだと、数秒遅れて気付いた。仁王立ちしている六浜は、その視線と言葉の威圧感だけで、狭山を確実に追い詰めていた。
「鬱屈している生徒の解放など、自他共に利己主義を是とするお前が目的とするわけがない。いかにも尤もらしいお題目として利用するには適当だろうがな。そして金銭が目的であれば学園中で暴動を起こす必要などない。お前ならここまで大規模なことをしなくても容易く可能だろう。そして何より、これらの目的の説得力は、お前の催眠が持つ根本的な欠点により瓦解する」
「根本的な欠点……?」
「予備催眠は現地に来た者以外はかからない。メディアが持ち込んだカメラの向こう側にいる視聴者に、お前の催眠は全く効かない」
「あ」
狭山以外の3人が、ぽんと手を打った。言われてみればその通りだ。『神座祭』には多くのメディアが取材に訪れていて、中継映像を流しているところもある。そうでなくても、個人動画配信者はリアルタイムの映像を伝えているはずだ。
であれば、たとえ学園内にいる人間全てを操り暴動を起こさせることができたとしても、その映像を観ている外部の人間には、異常事態が即座に伝わってしまう。その中で狭山が怪しげな動きを見せれば、その後どうなるかも予想はつく。
「予備催眠の仕掛けの数からしても、お前がこの日のために入念な準備を進めていたことは推察できる。ならば、カメラを通じた外部の人間に催眠が効かないことも当然分かっていたはずだ。単に暴動を起こすことや金をせしめることが目的であるなら、お前はカメラを封殺する措置を講じているはずだ。それを何もしていないのなら、お前の目的は別にあると言える。むしろ、カメラの存在を前提にした目的であると考えるべきだ」
「黙れ黙れ黙れ! 何を言うかと思えばバカバカしい! 拙僧の“才能”を世に知らしめる!? いまさらそんなことに何の意味があるというのです! 希望ヶ峰学園に入学した時点でこの名は世界に轟いたも同然! 拙僧は“超高校級のシャーマン”狭山狐々乃! それ以上に何を知らしめる必要があるというのです!」
「お前にはこの学園で暴動を起こさせる力がある。混乱を招きそれに乗じて利益を得る力がある。多くの人間を自分の意のままに操る力がある。その事実を――お前の“超高校級のシャーマン”という“才能”が持つ力を――実体を伴って世界に伝える必要があった」
「それがなんだと言うのです! 拙僧がそれをして何になると言うのですか!」
「そうしなくては、お前はお前の未来に希望を持てない」
声がやんだ。激流のように押し寄せていた言葉の圧が消えた。吹雪のように体を苛んでいた音の力が失われた。そこにはただ、図星を突かれて言葉もなく、かろうじて机に突いた手で体を支えているだけの、人形のようになった狭山がいた。
「き、希望を……持てない? 狭山さんが? こんなにすごい“才能”を持ってるのに?」
状況を静観するしかなかった宿楽がつぶやく。六浜に異論があるわけではない。一方で狭山が希望を持てないということが腑に落ちない。宿楽の知る限り、狭山ほど享楽的で楽観的で、かつそれに耐え得る能力を持った人間はそういない。そんな狭山が希望を持てないとは、とても思えなかった。
「卒業すれば人生の成功が約束される――それが希望ヶ峰学園という名前が持つ力だ。だが人生の成功とはなにか。それは主観的評価なのか、それとも客観的評価なのか。そもそも本当に卒業生全員が人生の成功とやらを獲得しているのか。あるのは希望に満ちた言葉だけ。そこには何の保障もない」
「保障がないことはないだろ。希望ヶ峰学園の卒業生っていうだけで行く先なんて選びたい放題だって聞くぞ。むしろ在学中から声をかけられてる奴も珍しくないんじゃないか?」
「そりゃ“超高校級のパイロット”なら、能力も適性も明確だから引くて数多だろうさ! “超高校級の脱出者”だって、体験型謎解きゲームやイベントの制作会社にはかなりウケがいいと思うよ! “広報委員”ならメディア関係、“予言者”ならどんな職種でだって活きるはずだ」
「だったら“シャーマン”だって……“シャーマン”は、えっと……?」
「ね。そういうこと」
雷堂と宿楽が、同時に首をひねる。“超高校級のシャーマン”という“才能”が持つ力と、それを活かした将来像。他の“才能”と違い、その姿が上手くイメージできない。スピリチュアルな力で迷える人々を救うことだろうか。しかしそれは誰かに導かれてするというより、自らの手で立ち上げなければならないような気がする。であれば、“シャーマン”が未来に抱く希望とは、なんなのだろうか。
「希望ヶ峰学園の卒業生に求められているのは、自分の“才能”を活かした自己実現と社会貢献。だけど“シャーマン”の“才能”は果たして世界に求められているモノなのか。そもそもその“才能”の本質は理解されているのか。それが分からないままじゃ、狭山さんは自分の将来を思い描けない。それが未来に希望を抱けないってこと」
「……うん。はあ。あの――それって」
「要するに狭山さんは、自分の将来に不安があったんだね」
そんな、ありきたりな言葉に集約されてしまった。これほどの大事件を起こそうとしておいて、これほどの能力を駆使しておいて、これほどの人を巻き込んでおいて、結局はそれだけだった。
小難しいことは必要ない。“才能”とか、希望とか、世界とか、そんな言葉を排して要約すれば、いつだって結論はシンプルだ。
「”シャーマン”の“才能”を存分に活かせば、かの希望ヶ峰学園でさえ手中に収めることができる――メディアを通じて全世界にアピールし、自分という存在を売り込む。それがお前の真の目的だ。そうだろう、狭山」
一言も喋らなくなった狭山に、六浜が言葉をかける。その間にはまだ距離がある。全てを明らかにされた狭山がどんな行動をとるか、ここから先は誰にも予想がつかない。六浜でさえ、さらなる奥の手の存在を否定しきれなかった。全員が狭山の次の言葉に聞き耳を立てる。
「……が、……すか」
「な、なんだ?」
「……にが、……い……ですか……!」
狭山が顔を上げた。派手な化粧を塗った日焼け肌が真っ赤に染まっている。全てを飲み込まんばかりに瞳孔を開き、牙を剥いて吠えた。
「何が悪いというのですか!! 自分の“才能”を信じられないことの、一体何が!!」
「ひええっ!?」
「どうせあなた方には分からないでしょう! “裁縫師”にも“蔵人”にも“冒険家”にも“トリマー”にも“ジュエリーデザイナー”にも“考古学者”にも! どいつもこいつも立派で分かりやすく有望な“才能”を持っているではないですか! 己の“才能”の扱い方を知り、説明するまでもなく他者に理解されているじゃないですか! なんですか“シャーマン”の“才能”って!? 意味が分かりません! いまどき降霊術で一生の食い扶持を得ようとする高校生がおりますか!? 占いや祈祷で将来の安泰が約束されますか!? そんな甘い考え、拙僧とて持てません! でも……でも拙僧にはこれしかないのですよ! コンな“才能”しか拙僧は持ち合わせていないのですよ! コンな“才能”と一生付き合わなければならないのですよ! それがどれだけ憂鬱か! どれだけ心許ないか! 人は拙僧が“才能”に恵まれたと言いますが違います! 拙僧はこの“才能”に縛られているのです! この学園にいると嫌というほど突きつけられるのです! 拙僧と違い“恵まれた才能”に恵まれたあなた方がいるという現実を!」
己の胸の内を一息に吐き出した。渦巻いていた不安、葛藤、迷い、後悔――それらが渾然一体となったドス黒い感情を。その残響も消えさえった後に聞こえるのは、狭山の浅い呼吸の音だけだ。このとき初めて、狭山は自分の本心を語った。嘘偽りのない、見栄も軽口も飾り気もない、まっすぐな感情だった。
「――狭山」
六浜に名前を呼ばれただけで、ぐっ、と狭山は息を呑む。どれだけ叫ぼうと一切ブレない視線が、狭山を捉えて離さない。
「それは違うぞ」
諌めるように、諭すように、慰めるように、六浜が言葉をかけた。否定を意味する言葉のはずなのに、狭山は温かささえ感じた。
「今のお前の言葉の中でひとつだけ正しいことがある。お前が“才能”に縛られている、ということだけな。それ以外の言葉は全てまやかし――お前がお前自身にかけた催眠のようなものだ」
「ハッ、なにを言うかと思えば。少し上手いことを言えば説き伏せられると思っているのですか? 生憎ですが、それこそ拙僧の領分です」
「お前は自分の“才能”を信じられないと言うが、それと同時に“才能”に依存し過ぎている。お前という人間は“才能”だけで表せるものではないし、“才能”がお前の全てではない。そのことにお前は気付いていない」
「きれいごとを……!」
「きれいごとだろうとそれが事実だ。お前の言う“恵まれた才能”を持つ者たちも、お前と同じ悩みを抱えている。自分の“才能”が信じられなくなったり、自分の“才能”が分からなくなったり、自分の“才能”に意味を感じられなくなったりする。それでも、彼らは“超高校級”として生きている。それぞれが持つ“才能”と向き合って、日々前進し続けている」
希望ヶ峰学園の教師陣が口を揃えて言うことだ。“才能”がその人間の全てではない――そんなものは綺麗事に過ぎない、と入学式の時点で狭山は唾棄した。希望ヶ峰学園自体が“才能”を前提としているくせに、“才能”が全てではないなど、どの口で言えるのか。
しかし狭山は六浜の言葉を受け流せなかった。自分とは違う“才能”を持った誰かも、自分と同じ不安を抱えているのか。自分だけが取り残されているのではないのか。六浜の言葉を信じるとすれば、その不安が少しだけマシになる気がした。
「そうだよ! 私だってはじめは希望ヶ峰学園に通えることが嬉しくてろくに考えもしなかったけど、よく考えたら“超高校級の脱出者”なんて“才能”、意味わかんなかったもん! でも、どうして自分がスカウトされたのかを考えたら、その肩書きの意味も分かって……そしたら、“脱出者”として私のしなきゃいけないことが、ちょっとだけだけど分かってきたんだ。こんな“才能”でいいのかなって悩んだりもしたけど、やっぱり私にとってこの“才能”は希望だったんだよ!」
「俺だって、“超高校級のパイロット”って肩書きが自分の全てだなんて思ってない。ていうか……その肩書きで呼ばれてる俺よりも、そうじゃない俺の方が、たぶん、ずっと、大きいんだと思う。この肩書きで悩まされることだって多いし、もしいま改めてこの肩書きが欲しいかって言われたら……なんて答えるか分からない。でも、少なくとも俺に求められる役割は理解してるつもりだ。“パイロット”って肩書きが俺に付きまとうなら、俺だってこの肩書きを利用してやろうって、そういう俺として振る舞ってやろうって、腹を括ったんだよ」
「え? ボク? ボクは別に“才能”で悩んでないよ。ボクのしたいことをしてたら勝手に“才能”って言われただけ。でも、狭山サンに負けないくらい“才能”に振り回されてる人は知ってるよ。その人は自分で“才能”を捨てたって言うけど、そんなことできるはずないのにね。結局その人は“才能”とずるずる付き合って生きてるよ。本人がそれに気付いて乗り越えるには、まだまだ時間がかかりそうだけどね」
「ぐう……っ! そ、そんなはずは……! 拙僧は“才能”などある故に……! コンなことになるなら……! 分からない……! 分からない! “才能”とはなんなのですか……!? 拙僧はこの“才能”とどう向き合えばいいのですか!?」
鐘を打つように脳が鼓動する。狭山は頭を抱えながら必死に意識を保ち続ける。ふらふらとした足取りで部屋を歩き回る。六浜たちを睨みつける。
希望に満ちた顔で語る者もあれば、苦しそうに語る者もある。“才能”を持つが故の困難に立ち向かい、乗り越えた者たちがいる。狭山にはその存在があまりにも強烈だった。信じがたいほどに眩しかった。
「狭山さん、“才能”は希望だよ! 私たちの未来を切り拓いて導いてくれる力だ! もっと自分の“才能”を信じてあげなよ!」
「俺にとって“才能”は……重荷だ。お前の気持ちは分かる。でも俺は、この“才能”があるってだけで俺の全部を決められてたまるかって思うんだ。重荷なんか気にせず生きてやろうって考えるのも、悪くないと思うぞ」
「良い面も良からぬ面もある。何事も一面から見るばかりで正しく捉えることなどできん。清濁併せ呑み己の糧とする。その上で未来を自らの力で歩んでいく。それこそが我々の持つ責任――人が“才能”と呼ぶものだ」
六浜が一歩を踏み出した。倒れそうになる狭山を抱える。体格の大きな狭山は六浜の腕からこぼれ落ちそうになるので、雷堂と宿楽が加わった。火照った狭山の体でも、3人の手の温かさを感じることができた。足の裏に学園長室の床の柔らかさをしっかりと感じる。
ひとりでなくても、狭山は立つことができる。
「これが私たちの答えだ」
4-5
後夜祭は終わり、『神座祭』の灯が落ちた。参加者たちの喝采が暗くなった中庭に響き渡る。次第にそれは校門や寄宿舎に向かう雑踏の音に変わっていった。その光景は、寄宿舎にある部屋の窓からも眺めることができた。その部屋の主人が如く椅子に腰掛けた曽根崎は、手帳を広げて筆を振るう。
「――斯くして、『神座祭』は混沌と災禍に呑まれるのを免れたのだった。しかしこの出来事は誰にも知られない。無辜の学園生たちは楽しい祭りを楽しむだけでいいのだ。人知れずに守られてこそ平和は平和たり得るのだから……う〜ん! 我ながら素晴らしい文章! もしかしてボク、“超高校級の詩人”の“才能”もあったりして?」
「出てけ!」
「おぐぶーーーッ!?」
窓に向けたソファの背もたれを床に叩きつけ、曽根崎はひとりバックドロップを食らう。上下が入れ替わった視界で、姿勢と目つきと言葉と態度が悪い友人の靴の裏が眼前まで迫っていた。
「いきなり部屋入って来るなり訳わかんねえ話をペラペラ喋り倒しやがって。いつから俺の部屋はテメエの書斎になったんだオイ」
「わあ汚い! やめてよ! 超ド級の特ダネを聞かせてあげてるんだから! 本当は発刊まで極秘なんだから! むしろ発禁になってお蔵になる可能性だってある貴重な資料だよ!」
「知らねえくだらねえ興味ねえ。独り言が言いてえなら鏡に向かって言っとけ」
「それ狂うやつ! まったくもう……ボク的にはむしろ、あの現場に清水クンがいなかったのが惜しくてたまらないんだから」
「あ? 六浜がいんなら俺がいたところでなんも変わらねえだろ」
興味がないと言いつつきっちり聴いてるじゃないか、という言葉はニヤつきに代えて、曽根崎はのそりと起き上がった。
「ねえ清水クン、キミだったらあの場でなんて言う? “才能”に縛られて将来を憂いている狭山サンに、なんて言葉をかけてあげる?」
「クソどうでもいいわ。何が“恵まれた才能”だ。贅沢言いやがって、それとも嫌味か? そういう奴が俺は一番ムカつくんだよ」
「それそれえ! それをぶつけて欲しかった! あの場を引っ掻き回して欲しかった! もっと面白いことになってたよきっと! 記事がもう2倍厚くなるくらいには! あーもったいね!」
「うるせえ!」
「ぶぎゃンっ!」
拳骨が曽根崎の顔に埋まった。
学園長室での一幕は、計画を阻止された狭山が六浜たちに説き伏せられ、半ば茫然としたのを保健室に運んで決着をみた。そこで何があったか、『神座祭』の裏で何が起きていたか、すぐさま記事にして広めようとした曽根崎に、六浜が釘を刺した。不必要な喧伝はまた狭山のコンプレックスを刺激しかねないので厳に慎むように、と。
そんな話も清水にしてみれば、ただ“超高校級”同士が小競り合いを起こしているだけ、雲の上で起きる争いのようなものだった。そもそもが恵まれた者同士でのコンプレックスなど、贅沢以外の何ものでもない。
「前が見えねえ」
「俺にそんな話してどういうつもりだ。また何か企んでんじゃねえのか?」
「まさか。“才能”のことと言えば清水クンに伝えなくちゃと思っただけだよ。自分と近い悩みを抱えた人の話を聞けば、少しは清水クンの考え方も変わるかなって」
「変わらねえよ。変わってたまるかよ」
「もったいないなあ。清水クンが言ってることだって、学外の人からしたら十分贅沢な悩みなんだよ? 入学したくてもできない人だってたくさんいるのにさ」
「……」
それは希望ヶ峰学園が自分を招いたせいだ、と清水は言葉にせず言い訳をする。自分に課せられた“才能”と向き合おうとしない清水を、曽根崎は変えたいのだ。雷堂は不器用ながらも向き合い、彼なりの答えを出した。狭山もこれから自分の“才能”と向き合っていくことだろう。
「ボクはジャーナリストだからね。伝えるべきことを伝えるべき人に伝える。それがボクの“
押し黙ってしまった清水の背中に語りかけた。励ますつもりでもあり。冷たく突き放すつもりでもあり。
清水は振り向かない。
曽根崎は手帳のページを破り机に残す。
「いつまでも
部屋を出た。今日のこの言葉が、いつか清水の運命を変えると信じて。