補遺816-Ψ-05-2 死後の死
補遺816-Ψ-05-2
2015年██月██日
16時3分 東京都八王子市
東京都八王子市、七王子高校出身『鈴木 航也』。
イチョウの木が立ち並ぶ通り道の脇、薄汚れた木製のベンチに腰掛けた彼は僕達に対してそう名乗った。
あの後、なんとか誤解を解き事件について説明した鳥束に対して、航也くんは「なるほど...」と一つも疑問をこぼすことなく頷いた。
常人からしたら突飛で信じ難い話だろうに、多少の疑心を持ってはいるが、それは突如現れた見知らぬ人物に対する不審であり、事件の話自体は心から信じているようだ。
どうやら、僕たちが語った事件について詳細は知らずとも、それに近しい出来事に心当たりがあるらしい。
「心当たりがあるなんていって、本当はあんたがこんにゃくちゃんになんかしたんじゃないんスか!?」
鳥束がジロリと航也くんを睨みつけながら尋ねる。
「いや、こんにゃくちゃんって誰ですか...。
犯人とか事件とか、それについては俺は分からないです。
でも、いま貴方たちが見せてくれた写真に写る『天使』は、俺も見たことがあるんですよ。」
航也くんはそう言いながら鳥束が左手に持つ、『金髪の天然パーマに白い服の子ども』の念写を指さして答えた。
『天使』...。
確かに容貌的には宗教画に出てくる子どもの天使に近い見た目をしている。
念写上では見た目が少々特徴的な子どものように見えるが、実際に見ると発光したり空を飛んだり、そういう天使的な行いをしているのだろうか?
僕が念写した紙を見ながら考えている間にも、航也くんは空を見上げながら続けた。
「俺には彼女がいたんです。中学生の頃から一緒に過ごしている彼女が。高校にあがってから俺が告白して恋人になりました。
彼女…綾香は初対面の人からは大人しそうってよく言われてたんですけど、実際はおちゃめな性格で、人を驚かせたり、笑わせたり、そんなことをするのが好きな人でした。
中学で一緒にいた時は、散々曲がり角に待ち伏せされてよく驚かせてましたよ。」
なんか惚け話始まった…。
「恋人になってからも彼女に驚かされる日々はそのままだったんですけど、綾香の方から『お化け屋敷』に行こうと誘ってくれたり、俺の誕生日にとびっきりのサプライズパーティを用意してくれたり、いろんなことをしてくれました。
そんな驚きのお返しに俺からも彼女に花束のプレゼントを送ったり、驚かせに来た彼女に逆にキスして驚かせ返したり…
あの時は本当に幸せだったなぁ…。」
止める間もなく、航也くんはどんどん彼自身と彼女の話で一人で盛り上がっている。
惚け話ならあとでいくらでも(鳥束が)聞いてやるから、そんなことより早く本題に入ってくれ。
目を閉じながら過去の思い出を想起し、脳内で『俺と綾香の愛の物語』劇場を繰り広げる航也くんに、ひっそりとため息を吐いた。
一方、鳥束は目を輝かせて拳を握り、航也くんの方に2、3歩詰め寄っている。
どうやら、航也くんの話に興味津々のようだ。
「綾香ちゃんって可愛いっスか!!?パンツの色は!!!??」
否、綾香ちゃんに興味津々のようだ。
先程まで不審者に対する警戒の眼差しを鳥束に向けていた航也くんは、その言葉を聞くと、ゴミに群がるハエを見るかのような冷たい目で鳥束を見た。
当然である。
「あんたみたいなやつに言うわけないでしょ。
まあ、それで...
…そんな幸せな日々も一瞬で終わりました。
半年前、綾香は信号無視の車に轢かれて、この世を去りました…。
彼女の誕生日の前日のことでした。」
重い。
突如として降ってきた人死の話に、場の空気が一瞬にして凍りついた。
あまりの落差に、脳内で綾香ちゃんのパンツのことを考えていた鳥束も、気まずそうに視線を右往左往させながら顔を若干俯かせ始めた。
「えっ、それは...すいません...。」
「いえ…。別に、もう、過ぎたことです。」
航也くんは謝った鳥束の方をチラリと一瞥したあと、また真っ直ぐ空を見上げて目を伏せた。
『過ぎたこと』と言いつつも、彼の表情からは拭いきれぬ悲しみが幕を張っており、彼女の死が彼の中で全く過ぎ去っていないことは明白だった。
「最初は、怒りを覚えました。綾香を轢き殺した奴を、どんな手を使ってでも復讐してやろうと思ってました。
でも、車を運転していた運転手も事故の衝撃で亡くなったことを聞いて...。
怒りをぶつける矛先がなくなって、後に残ったのは途方もない虚脱感と、綾香を助けられなかった後悔だけでした。
なんであの日、綾香から離れて商店街に行ってしまったのか。一緒にいたいと言ってくれた綾香の願いを叶えなかったのか...。
プレゼントなんて、後でいくらでも買えたのに。
彼女が最後に浮かべた寂しそうな笑顔が頭の中にこびりついて、夢の中で何度も何度も俺の名を呼んでる。
何度呼びかけられても、俺は彼女を置いて走り去る。そんな悪夢をずっと見続けていました。」
当時のことを鮮明に思い出したのだろう。テレパシーを介してひとつの映像が流れ込んでくる。
可愛らしいお化けのチャームがついたキーホルダーを片手に、立ち尽くす航也くん。
その視線の先には、陽光の中で灰色のアスファルトを鮮烈に彩る紅色の海。その中央で事切れた少女。
深い悲しみの感情とともに流れ込んできたそれは、ずっしりとした重みを伴って僕の心にのしかかってくる。僕は黙って、右手で眼鏡の両端の丁番をソッと支えるように抑えた。
「そんな時のことです。2ヶ月前、クラスメイトから死者に会える踏切の噂を聞いたんです。
『26時、滝町から八森町まで向かう道の途中にある踏切に一人で行って、目を閉じて親しかった死者との再開を強く望むと、踏切の向こうに死者が現れる』、そいつはそう言ってました。」
「死者との再開っスか…?」
ジッと身動き一つなく沈黙を保っていた鳥束が、航也くんの言葉に訝し気に首を傾げた。
「最初は半信半疑だったんです。でも、騙されても、嘘でもいいから、最後にもう一度だけ綾香と会いたい。一言でもいいから話したい。
あの日言えなかった『おめでとう』を『愛してる』をどうしても伝えたい。そう思って、何もないことを覚悟で踏切に向かったんです。
そうして噂通りに行動して、目を開けて驚きました。噂は本当だったんです。
踏切の向こう側に、綾香が、あの日のままの姿で現れたんですから。」
航也くんは両膝に肘を置きながら手を組み、目を伏せ、うっすらと口元に笑みを浮かべ、懐古の念を語るかのように、穏やかな口調で言った。
「たくさんのことを話しました。
あの日のこと、今までのこと、綾香が死んでからのこと、それから、『おめでとう』も『ありがとう』も…『愛してる』も。
あの日渡せなかったプレゼントも、踏切越しではありましたが、どうにか投げて直接渡すことができました。
プレゼントを投げ渡す、なんて普通やらないことですけど、綾香は笑ってました。『ナイスシュート!』なんていいながら、嬉しそうにキーホルダーをもらってくれました。
20分ほど話した頃、その写真に出てきてる天使がやってきて、綾香をあの世に送ってくれました。
綾香は天使に手を引かれながら、八森町側の森の奥に向かって歩いて去っていきました。
時々俺の方を振り向いて、優しく微笑みながら手を振って、俺の姿が見えなくなるまで手を振っていました。」
航也くんは再び空を見上げた。
西日がこぼれる雲の隙間に、彼女の面影を探すかのように視線漂わせながら。
「それから綾香には会えていません。
民間の伝承を調べている組織の方から噂について尋ねられたり、もう一度儀式を行って欲しいと頼まれたこともありましたが、何度やってもあの踏切のむこうに綾香は来てくれませんでした。」
「貴方達はその『天使』が犯人だって言いましたけど、例えその子がいけないことをしていたとしても、俺は感謝しているんです。
綾香に最後に会えた、言葉を伝えられた。綾香も幸せそうにあの世に歩いて行った。
俺はもう彼女を幸せにすることなんてできないけど、彼女が天国で幸せに暮らしていけるなら、それでいいんです。
あの天使はそれを叶えてくれそうです。
だから、それだけで幸せです。」
航也くんはそう言って目を閉じ、僕たちの方をみてフッと微笑んだ。その表情はいまだ悲しみを纏いながらも、悔いも後悔も見当たらない。
…航也くんにとって彼女の死はあまりに大きな傷だった。半年たった今でも、風化していく思い出に苦しめられ、例え無駄だと分かっていても、自身の行動を後悔し、自責を繰り返してきたのだろう。
『また会う約束をしてもまた会える保証なんてどこにもないだろう?』
『後悔しないように、僕は僕の思いを、全てママに伝えたいんだ。』
昨夜、父さんが言っていた言葉が脳裏をよぎる。
一日一日、今この一瞬を、後悔のないように生きる。そんな生き方をずっとできる人間が、どれほどこの世の中にいるだろうか。
『…クスオさん......』
一瞬脳裏をよぎった影を、振り払うかのように首を軽く振り、目を閉じた。
「でも、天国で綾香ちゃんが本当に幸せになってる保障なんてないんじゃないですか?天使が本当に天国に導いた保証なんてないっスよ。」
(そもそもオレ天使なんて見たことも聞いたこともないんスけど。)
鳥束が航也くんの言葉に反発するかのように言うと、航也くんは「まあそれはそうなんですけど。」と言葉を添えながら、しかし微塵も天使に対する不信感を抱かずに言った。
「保障なんてないですけど、でも綾香は最後に笑ってましたから。あんな幸せそうな顔を見たら、やっぱり、信じたいんです。幸せを。」
航也くんはそう言って、僕らに向かって安堵したかのように微笑んだ。
***
話が終わり、航也くんは「そろそろ家の用事があるので。」と一言断ってから立ち去っていった。
随分長い間話していたようで、気がつけば、ビルの隙間から西日を差していた夕日は遂に見えなくなり、空を橙色と紫のグラデーションに彩っている。
明かりの灯った街灯の下を、大通りに向かう道にゆっくりと歩いていく航也くんの後ろ姿を眺めながら、僕は鳥束にテレパシーを発した。
_天使、めちゃくちゃいいやつじゃないか?
「はぁ!?めちゃくちゃ悪いやつですよ!!
オレの『こんにゃくちゃんいちゃいちゃデート計画』をめちゃくちゃにしたんスから!!!」
途端、鳥束は僕の方に2.3歩詰め寄りながら猛烈な勢いで食ってかかった。
それに関しては別に天使がいようがいるまいが上手くいかなかったと思うがな。
そもそもこんにゃくちゃんは航也くんに呼ばれた時点で記憶を思い出していただろう。例え成仏していなくても恋人がいるのにお前とデートなんてするわけがない。
「やってみたらワンチャンあるかもしれないじゃないですか!?…オレのかっこよさにメロメロになるとか…恩を感じて、お礼に…とか!」
先ほどの噛みつかんばかりの勢いを保って発せられた言葉は、鳥束がこんにゃくちゃんとのデートが果たせられそうなシチュエーションを妄想するにしたがって勢いを失い、最終的には喜色のいり混ざった声音へと変貌していた。
お前普段あれだけ女子にバイ菌扱いされててよくそんな希望を持てるな。
ワンチャンもネコチャンもないから安心しろ。
「こうなったら...どんな奴なのか、顔を拝みに行ってやりましょう!斉木さん!!」
_行かない。
テレパシーでそう返した途端、「ええー!!なんでっスか~!!!」と鳥束は眉をハの字に曲げながら声を上げた。
当たり前だ。
僕の日常を脅かすような超常現象が起きるならまだしも、こんな離れた土地で、しかも全く無害な存在にわざわざ関わりに行くわけがない。
せっかく遠い場所にいるのに、わざわざ近くによってまで彼らを刺激すれば、敵愾心を煽ることになる可能性だってあるだろう。
「いやいや、ちょっと覗くだけっスから!顔見ただけで襲い掛かってくるようなそんな沸点低い奴なんて早々いないっスよ~~。」
いるんだな。これが。
随分と前に、目と目が合った瞬間(殺)スキだと気づいてしまったあの白いムンクの壮絶な表情を思い浮かべた。
彼は今どこの宇宙にいるのだろうか。
千里眼で覗いた瞬間、今度こそ足からロケットのごとくエネルギーを噴射してこちらの命を狙ってきそうだから絶対視ないが。
超常的な能力を持つ持たないに関わらず、ーー知性がない生物や現象なら関係ないがーー意志を持っている以上、人間同様に生まれも育ちも、価値観さえも千差満別だ。
善意で悪逆を成す奴もいれば、全くの無意識で能力を行使している奴もいる。
彼らがどんな悪を行おうが善をしようが、どのみち、僕は彼らの行いに口を出すつもりはない。
_あと、純粋に面倒くさい。
「そっちが本音じゃないっスか!!」
「えーー斉木さん行きましょうよ~。」と諦め悪く言い募る鳥束。
その内心では(斉木さんいなくなったらオレ家に帰れなくなるっスよ~。)とか(もし襲われたりしたら勝てないんで斉木さんなんとかしてくださいっス。)等々僕頼みかつ他力本願な本音を垂れ流している。
こいつの中に行かないという選択肢はないのだろうか。
「...こうなったら、仕方ないっス。」
と、僕が頑なに頷かない事が分かったらしい鳥束は、先程までのおちゃらけた雰囲気の一切を消し去り、顔を引き締めた。
あたりの空気がピンと張り詰めるのを感じる。
「出来ればこの手は使いたくなかったんスけどね、斉木さん。」
鳥束は真剣そのものの様子で目を瞑り、なにか覚悟を決めた様子で一瞬グッと瞼に力を込めると、静かに目を開いた。
フッ、馬鹿め。お前がこの僕に何か出来るとでも?
出来もしない大口を叩いた鳥束に、思わず笑いがこぼれる。
鳥束はそれを意に介した様子もなく右手の人差し指をピンと上に真っ直ぐ伸ばして、僕の前に突き出してきた。
「幽霊から聞きました...
明日食堂にコーヒーゼリーが販売されるんスよ。それを1個奢ります。」
ほう、コーヒーゼリー1個か。
全く価値の釣り合わない取引に僕は目を細めた。
その程度で僕を買収出来るとでも?随分と舐められたものだ。
確かに僕はコーヒーゼリーが好物だ。おやつを含めた三食全てでコーヒーゼリーを飽きることなく食せる程度には好きだ。
その事を知られてからは照橋さんや海藤や鳥束にそれを餌に釣られてしまったことも数度あったが、今回ばかりはそうはいかない。
初めて財団と対峙した日から、僕はこと超常現象やそれを求める組織に対して最大限の警戒を払ってきた。
超能力を使う際は常人が観測できる範囲の全てに財団の目がないかを確認してから使用し、例え能力者であろうとも僕の超能力を言いふらすリスクがあれば記憶を消した。
今回の件には、今のところ財団の影は見えないが...航也くんも話にあった『民間の伝承を調べている組織』というのが少々怪しい。
普通伝承を調べるなら航也くんにもう一度儀式を行うよう頼む必要なんてない。自分たちで儀式を行って確かめればいいのだから。
まるで何かを検証するかのような行動に、僕は確信は持っていないまでも、疑惑を持ち続けていた。
関わって何が起こるか分からない以上、能力の発覚を避けるためにも、コーヒーゼリーをたった1つ積まれた程度で釣られるわけが無い。
僕が釣れないと分かると鳥束は、今度は右手の内残った4本の指を同時に真っ直ぐ上に伸ばした。
「これならどうっスか?
コーヒーゼリー5個...いや、8個、8個奢ります!!」
ほう、コーヒーゼリー8個か。
愚かにもまだ取引を続ける鳥束に、僕は再び笑いながら目を閉じた。
その程度で僕を買収出来るとでも?随分と舐められたものだ。
食堂のコーヒーゼリーは対して高価な代物じゃない。学生の財布に最大限配慮しかつクオリティを維持する最低価格、税込180円だ。
実際のお味はと言うと...さすがコーヒーゼリー好きが選んだ1品か。安価な値段の割に、ブラックダイヤモンドのごとく輝く光沢も、つるりとした食感も、コーヒーゼリーの深い苦味も、それを調和させる濃いミルクの甘みも、満足のいく仕上がりとなっている。
そのレベルのコーヒーゼリーを8個。あの踏切に僕がついて行くことに、その程度の数で釣り合いが取れると思ったのか?
取れる。
僕は鳥束の肩に手を置くと、瞬間移動を発動させた。
***
16時47分 東京都八王子市滝町
瞬間移動で来れる場所の中で最も踏切に近い場所にやってきた僕たちは、残りの踏切までの道のりを歩いて移動することにした。
滝町は八王子市の中でも端の方にある町で、人口も八王子市の中ではあまり多くはない。それに加え、どうやらこの踏切周辺の道を使用する通行人もほとんどいないようで、森沿いに添うように敷かれたアスファルト上は閑散としている。
踏切までの道のりを、最近見かけた幽霊の珍行動21選を話す鳥束の声をBGMに、僕はそれに適当に相槌を打ちながら歩いた。
そんなやり取りを数分間続けていた時の事だった。
(あれ...?)
ふと、鳥束がなにかに気づいた様子で辺りをキョロキョロと見回した後、怪訝そうに首を傾げた。
どうしたんだ。何かおかしなものでもあったのか?
「いや、おかしなものはないんスけど...いや、どっちかっていうとおかしい事っスね。
この道、霊が1人もいないんスよ。
普通こういう道なら最低でも3人くらいは道の途中に立ってたりするのに...。
それに、それに...なんだか、変な感じっス...。」
鳥束はそう言いながら不快そうに、あるいは気持ちが悪そうに眉を顰めた。
僕は特に何も感じないが...。具体的どういう感じなんだ?
「うーん、ちょっと説明しずらいんスけど…。生々しいというか湿っているというか、そんな感じがします。」
悪霊とは別の、生々しい気配、か...。
僕は鳥束に向けていた視線を、道の先に向けた。
踏切が本来あるはずの場所は、緩やかなカーブ沿いに生い茂る草木によってその姿を隠している。
鳥束が感じているモノは天使の能力なのか、あるいは別の何かなのか…。
何が起こるかわからない以上、警戒しておいた方がいいだろう。
その言葉に、鳥束は珍しく真剣な様子で「そうっスね...。」と頷いた。
道沿いから外れ、草木の生い茂る森の中へ。僕たちは黙って足元の枯葉を踏みしめ、行先を阻む枝を押しのけながら踏切が見える位置を目指した。
どうやら踏切は現在通行できない状態らしい。
踏切の周辺には、踏切全体を覆うようにスチールフェンスが立てられており、『この先私有地につき進入禁止』と書かれたプレートが等間隔に貼り付けられている。
更に、フェンス内部にはいくつもの監視カメラが全く死角の出来ないように配置されており、近くの小屋から二名分の、警備員と思わしき心の声が聞こえてくることからも、この踏切が厳重に守られていることが一目見て分かった。
なるほど、どおりで人通りが少ないわけだ。
通ることができないと分かっていてわざわざやってくる人間なんていない。
突如飛び出してくる可能性がある虫の存在に細心の注意を払いながら、踏切の様子が少しずつ肉眼でも見える位置までやってきた
その時だった。
「.........え?あ、あれ、...ヒッ!!!!」
踏切の方を真っ直ぐ見ていた鳥束が一瞬体を硬直させ、数秒後に短く悲鳴を上げた。
_鳥束、どうした。
「さ、ささ、さささ斉木さんああ、ああああれあれあれあれなんなんななんスか!!!??」
落ち着け。
顔を真っ青に染め上げ、ガクガクと激しく全身を震えさせながら真っすぐに腕を伸ばして指を指す鳥束の指先の方向…踏切の向こう側を見るが、先ほどのスチールフェンスと監視カメラがある以外には、ごく一般的にある踏切となんら変わった様子はない。精々、森の方から降ってきたであろう落葉樹の葉が多少散乱している程度だ。
鳥束が動揺し恐怖するような物は何一つ見当たらない。
「はあ!?あんた目ェ節穴っスか!?あんなにはっきりと、そこら中を真っ赤に汚し、て…」
動揺からほとんど怒鳴るように叫んだ鳥束の声は、しかし途中で何かに気づいた様子でその勢いを失い、最後には言葉を詰まらせた。
「ま、まさか………」と小さく呟くと同時に、鳥束は元々青かった顔をさらに青白く染めながら、それきり押し黙った。
……。
鳥束の考えていることと全く同様の答えに思い至った僕もまた、黙って、手袋を外したままになっていた右手を、そのまま鳥束の肩の上に置いた。
自動で発動する『サイコメトリー』によって、視界が一気に切り替わる。
そして、踏切の向こう側にある、悍ましい光景を映し出した。
それは肉片だった。
誰の物かも分からない小さな指先、
引き裂かれた布の切れ端、
赤い筋がいくつもついた、白い…おそらく骨の破片、
街灯の光を照り返している、半分溶けだしており原型のない脂肪。
そして何よりも、
アスファルトにも、木々にも、遮断機にも、フェンスにも、
踏切の向こう側のあらゆる物に、悍ましい程大量な血が、こびりついていた。
…………。
「っう、うえ…」
隣で鳥束がえずいている。
僕は、ゆっくりと息を吸い込むと、体の奥底から煮立ち、湧き上がる、途方もなく大きな感情を抑えつけるように、ひっそりと息を吐いた。
全身に入りかけた力を分散するかのように、意識的に両手を強く、強く握りこむ。
…今、動くことで犯人が捕まるわけじゃない。それにここで何があったのか、僕はその場面を見たわけじゃない。
調べるにも、霊界に存在する物を触ってサイコメトリーが発動する確証もないし、何より踏切周辺には監視カメラがある。下手に動いて刺激するわけにはいかない。
…よく観察すると、血はおおよそ、踏切から1m程離れた道のど真ん中を中心にして飛び散っているようだった。血痕の多くはその地点を中心に広がっているが、中には…体ごと床に叩きつけられたような、道の端から中央まで何者かに引きずられたかのような、そんな後もある。
通常一人の人間から出るには余りにも濃く、余りにも多くの血がそこで流されていた。
一体誰の血なのか、分かり切っていた。
鳥束に視えて、僕に視えないものなど、一つしかない。
……どれだけの人間が…いや、
「…斉木さん。」
感情の押し殺された、静かな声が隣から聞こえた。
狭まりかけていた視野を広げ、隣を見ると、鳥束はこちらに顔を見せないまま、踏切の向こう側を見つめ続けている。
表情を窺うことはできないが、僕は超能力者だ、その言葉に込められた感情を痛いほど理解できた。
先ほどまで恐怖に支配されていた鳥束の心中は、なぜこんなことになったのかという困惑、そして怒りのような悲しみのようなやるせなさから来る空虚感に溢れていた。
「誰が、こんなことしたんスか…?
幽霊を、こんな目に合わせれるような、そんな能力を持った奴が、いるんスか……?」
鳥束はピクリとも体を動かすことなく、静かな声で言った。
…誰がやったか、はっきり断言することはできない。僕たちが今知っていることは『航也くんが踏切で儀式を行ったこと』と『天使がこの件に深く関わっていること』くらいだ。
航也くんは天使に好意的な見方をしていたし、彼の話の中では…こんな猟奇的な場面に繋がるような描写はなかった。
だが、それは霊能力も超能力もない、ごく普通の常人から見た視点であり、実際何があったかは現時点では僕たちは知ることができない。
確かに霊をここまで連れ去ったのは天使の仕業かもしれないが、それ以外…こんな惨いことをしたのが別の超常存在である可能性は、決してないわけじゃない。
前にも話したことがあるが…世界には僕さえも想像つかないような能力を持った奴がいる。
現実を簡単に変えられる現実改変能力者、人間の人体で料理を作るメイド喫茶、人に認識されることで生きる鳥、どんなに遠くでも顔を視界に収めた瞬間殺しに来る能力者、死者と会える踏切。
…僕ですら敵わないような奴が、この世界には存在する。考えだしたらキリがない。
その能力を行使している場面に遭遇でもしない限り、彼らの能力を見破るのは難しいだろうな。
「そう…スよね…。」
鳥束は僅かに顔を下に傾けて沈黙した。
数秒間の静寂の後、鳥束は顔を真っすぐ前に向けると、くるりと僕の方に顔を向けた。
蒼白だった顔は、まだ完全に回復したとは言い難かったが、その目の奥には強い覚悟という名の意志が、宿っていた。
「斉木さん。今夜一緒にこの踏切に来ませんか。」
_...何をするつもりなんだ。
「決まってるじゃないですか。ここで何があったか、確かめるんスよ。」
鳥束はグッと目元に力を込め、苦しげに眉を顰めると、言葉を続けた。
「幽霊は良い奴等っス。普通の人間みたいに悪いことなんてしないですし、誰かを無視することもない、怒ることもないです。
いつも見ている人間に嬉しいことがあったら、別に自分に嬉しいことがあったわけでもないのに、それを心から喜んじゃうような、そんな穏やかで優しい奴らなんです。
そんな奴等が、こんな...こんな事をされていい道理なんてないじゃないスか!!
斉木さんに見えてなかったってことは、この血は普通の人間には見えてないんでしょ。このまま、何も知らないまま普通の生活になんて戻れません。幽霊が、もしかしたら怖い目に合ってるかもしれないのに、それを放ってのんきに女漁りなんてできないっス!
幽霊が困ってるなら力になりたいんス。酷いことをする奴がいるなら、どんな手を使ってでも、ぶっ飛ばしてやります。」
鳥束は、そう言って僕の目をジッと見つめた。
言葉を募っておきながらも、その目の奥底では『斉木さんは絶対に一緒に来てくれる』という確信を持っているようだった。
…やれやれ。
小さく息を吐きながら、鳥束の方に体ごと向き直る。
鳥束が行こうが行くまいが、僕の答えは初めから一つだ。
_お前、26時まで起きてられるのか?
「寺生まれなめないでください。日常茶飯事っスよ。」
寺生まれなのに日常茶飯事なのはどうかと思う。