補遺816-Ψ-05-3 夜のむこう
補遺816-Ψ-05-3
2015年██月██日
25時32分 東京都八王子市滝町
日はとうに沈み切り、囁かに歌う虫たちの合唱が夜闇に響き渡る。
夜勤のような仕事をしている人間にとっては、宵の頃よりも静かで、夜明けより遥かに暗い、恐らく徐々に手持ち無沙汰になっていく時間帯。
滝町の端にある、封鎖された踏切、その最も近くにある小屋の中で、2人の警備員もまた、退屈そうな表情でぼんやりと監視カメラの映像を見続けていた。
彼らの夜勤が始まってかれこれ4時間ほど経つが、相も変わらず監視カメラの映像は何の異常も映し出すことはない。
この辺りの住人は、およそ1ヶ月ほど前から封鎖されているこの踏切のことをよく知っているからこそ、この道を使うようなことは無い。
加えて滝町も八森町も大して外からの人間が来ない町だ。同じ都内でもほとんど観光客なんて来ないのに、更に深夜なせいで人が周囲にやってくる気配すらない。
警備の仕事をする上で何も無いことが1番いい事ではあるが...ここまで毎日なんの変化もないと、仕事に飽きてしまっても仕方の無い事だった。
片方が欠伸を零すと、もう片方も釣られて欠伸をし、さらにそれに釣られて再度片方が欠伸する、という欠伸の連鎖を6回ほど繰り返した時の事だった。
「ん?」
どこからか風が吹いた気がした。
右側に座って、両手で頬杖をついていた警備員は、咄嗟に顔だけ振り返った。
後ろの景色は数時間前に見た時と一切変わらなかった。
手前にある長机も、夜食用にと用意したうどんのカップ麺も、さらに後ろにある荷物棚やファイルも。
「どうかしたか?」
横並びに座っていたもう1人の警備員が、両手で頬杖をつきながら尋ねた。
「いや...なんでもない。」
まあ、気のせいだろう。
彼は振り向いていた顔を再び監視カメラに向け、また退屈な監視の作業に戻った。
彼が気のせいだと思うのも無理はなかった。
風が吹いた気がしただけで、実際にはこの小屋の中には風なんて吹いていない。
正確には...別の空間にいたモノが突然この部屋に現れたような、瞬間的に空気の入れ替えのようなものが発生していたのだ。
彼はその空気の違いを感じ取れるほど気配に敏感で、優秀だった。しかし新たにこの部屋に現れた人物もまた、優れた、超常的な能力を持っていた。
こうして2名の警備員は、音もなく背後に立った斉木楠雄によって、その意識を刈り取られた。
*
踏切を覆うスチールフェンスからおよそ50m離れた地点では、暗闇の中、1人の青年が明かりもつけずに立っていた。
紺色の作務衣を身に纏った鳥束は、瞬間移動で帰ってきた僕に片手を上げて「おかえりなさいっス。」と声を掛けた。
_警備員の意識を落とすついでに、監視カメラに細工をした。僕たちの姿がカメラに映っても、記録されるものも財団に送られる映像や音声も、異常がないように見えるものなっている。
衛星カメラに関しても映らないように調整済みだ。
これで誰にも邪魔されることは無いだろう。
「了解っス。これで心置き無く、犯人をボコボコに出来るわけっスね...。
……って、財団に送られる映像???」
僕の言葉に、鳥束は意地の悪い、凶悪そうな笑顔を浮かべ...すぐにその表情を引っ込め、目を点にしながらぱちくりと瞬きをした。
「財団って...あの、前話してた奴等っスよね??
えっ、あの小屋、どころかあのフェンスとか監視カメラも、全部財団の物だったんスか!?」
そうだ。
僕も夕方の頃は疑惑のみで確信まで至っていなかったが、やはりこの踏切で起きている現象は財団によって封じ込めをされているようだった。
小屋の中にある物は警備員用の日用品や、ここ一か月書かれ続けているだろう日誌、あとは事務書類やら経理書類くらいで、財団に繋がる物は一つもなかった。
僕がそれに気づけたのは、監視カメラの隠蔽工作のために『逆探知』を発動させたからだ。
【逆探知】
サイコメトリーの応用能力。触れた物体の通信先を特定できる。
特定先に瞬間移動などで移動することも可能。
機器に介入するついでに逆探知をしてみれば、まあ、ある意味で案の定、財団の日本支部の内の一つに繋がっていた。
儀式の方法を航也くんに聞きその性質を確信した彼らは、こうして周囲をスチールフェンスで囲い、万が一誰かが侵入しないように見張っている、ということなのだろう。
端的に経緯を説明した僕に、鳥束は「は~流石能力お化けっスね~。」と軽く答えながら、小屋の方に目を凝らした。
数秒間ジッと見つめた後、再び僕の方に向き直り、眉を顰めた。
「あいつらが犯人なんじゃないですか。」
_?。財団のことか?
「それ以外ないじゃないっスか。
だって、こんにゃくちゃんがこの踏切に呼び出された時には、少なくともちゃんとお別れができてたんスよね?
それなら…それ以降になってここを封鎖し始めたんなら、やっぱりこいつらが一番怪しいじゃないですか。
斉木さん言ってたでしょ。『超常現象を引き起こせる物や人物を封じ込めて、表社会から排除する』『財団は正義じゃない』って。
幽霊だって普通の人間には見えない存在です。それなら……。」
そこまで言葉を紡ぎ、幽霊が財団に襲われる想像をしてしまったのだろう。鳥束は息を飲み込むかのようにグッと口を引き結んだ。
…鳥束がそう考えてしまうのも無理はない。こいつが財団のことを知ったのはつい先日、実際に目撃するのではなく、僕の話し伝いに知っただけだからな。
あの時の説明は確かに嘘偽りのない財団の真実だったが、それだけでは財団に悪い印象しか抱けない。
それに事実、財団は
物理的手段を用いて、文字通り、二度と日の目を知ることさえできないように…命を奪うことさえある。
今回の件で彼らが幽霊たちに関わり、そして彼らの技術で幽霊たちの命を奪っていない保証など、どこにもない。
本当に、どこにもない……だが、
_僕の予想でしかないが…財団は今回の事件には一切関わっていない。
予想と言いつつも断じるような言葉尻に、鳥束はピクリと肩眉を跳ね上げながら「はあ?」と息とともに言葉を吐いた。
_彼らは確かに超常存在に対して非情な手段を用いるが、決して心がない訳じゃない。
必要であれば殺戮もするし他者の人権は平気で無視するが、逆に無意味無益な殺生や実験はしない。
幽霊たちは基本的に人間に対して無力かつ無害だ。財団は、人類に明確に害を与えないのであれば、わざわざ命を奪ってまで封じ込める必要なんてない、と判断するだろう。
財団は決して正義の集団ではないが、非道な殺戮集団でもない。
僕が送ったテレパシーに対して、鳥束は微妙に納得していない様子で「まあ、分かりましたけど…。」と言葉を切った。
内心では(オレ財団のこと全然知らないんで、斉木さんがそういうならそうだと思うんスけど。)と、財団に対する経験のなさから、ひとまず被疑者から外すことにしたようだった。
それから、再び首を傾げながら、不可解な生き物を見る目で僕を覗き込んだ。
「それにしても斉木さん、妙にあいつらのこと詳しいというか……すごい信用してますけど、なんであいつらのことそんなに信じてるんスか?
殺しとかしてるんスよね?それでなんで信じられるのかほんとに分かんないんスけど。」
こいつは何を言ってるんだろうか。
僕が財団なんかを信じるわけがないだろう。
あまりにもありえない突飛な考えに、僕はおもわず分かりやすく溜息を吐いた。
本当に話を聞いていたのだろうか?財団のことを認めるなんて発言、僕はこれまで一度たりとも言ったことなんてないぞ。
僕は別に財団を信じてるわけじゃない。お前の言う通り、殺しはするわこっちの力を狙ってくるわ実験台にしようとするわ、そんな組織を信じるわけがないだろ。
僕と財団は、世界がひっくり返りでもしない限り、絶対に相容れない組織だ。僕が彼らのことを信用する日なんて永遠にこない。
信じてはいない。
僕はただ、
「へ~知ってるね~。財団とバトった*1ことでもあるんスか??」
_まあそんなところだ。
……それより、もう26時まであと5分くらいしかないが、どうやって儀式をするつもりなんだ。
『踏切に一人で行って、目を閉じて親しかった死者との再開を強く望む』ことが儀式の条件だと航也くんは話していた。
一人で行くと断言されている以上、僕と鳥束どちらかしか踏切の近くに近寄れない。また、『親しかった死者との再開を望む』工程があるからには儀式の前提条件として『親しかった人物との死別』を経験していることが必須になるわけだが、鳥束にそういった経験はあるのだろうか。
途端、鳥束は「あっ。」と今気が付いたような様子で目を見開きながら口元に手を当てた。
やっぱり考えてなかったのか。
「い、いや~ぶっ飛ばすことしか考えてなかったっス。仲の良い幽霊とかにお願いするんじゃダメっスかね?」
どうだろう。お前みたいに死んだ後に仲良くなれる例なんて全くいないだろうからな。文言だけで判断するならば生前親しかった人物じゃなければいけないようだが、それも所詮噂に過ぎない。
幽霊側の身の安全も、物理的な事なら僕の超能力でどうにかなるし、霊界の方でも幽体離脱*2すれば対抗できる。万が一儀式に失敗しても、もう二度と儀式ができなくなるわけじゃないし、色々試してみるのもありだと思うぞ。
その言葉に鳥束は「そうっスね…いや、でも。」と片手で頭をかきむしりながら暫くの間うんうんと唸っていたが、何か思いついたのか、ふと俯きかけていた頭を元の位置に戻した。
「斉木さんはどうなんスか?こんにゃくちゃんみたいな、もう一度会いたい相手とかいます?」
………いないわけじゃない。
僕は軽く目を伏せながら、くるりと体ごと向きを変え、踏切の方を見た。
「それなら、斉木さんがやってみるのでどうっスか?オレと仲良い幽霊試しても失敗する可能性の方が高いですし、明日もこんな時間まで起きてここにやってくるなんて大変じゃないっスか。
折角試せる機会なんスから、事件とか天使とか抜きにして、試してみてもいいんじゃないっスか?」
(まあ、斉木さんが嫌じゃなければですけど。無理そうならオレがやりますんで。)
「それじゃあ、オレ先にフェンスの方に行くっスね。」と鳥束はポケットに雑に突っ込まれていた手のひらサイズの懐中電灯を取り出すと、足元を照らすように電源をつけながらフェンスの方に向けて歩き始めた。
…鳥束の分際で、生意気にも僕に気を使っているらしい。
普段あれだけ変態かつ女子の生理的嫌悪を煽る言動をしている癖に、人に使えるだけの気があることが驚きだ。
僕は離れていく鳥束をそのまま見守りながら、詰めていた息をゆっくりと、微かな吐息とともに吐き出した。
……あいつと僕は別に親しい間柄ではなかった。稀に顔を合わせることはあっても常人が言う友達のように一緒に遊びに行ったり、他愛もない話をするような関係じゃなかった。
彼との関係を言葉にするなら…知人か、あるいは…相容れない他人だろう。彼の最後の姿すら、僕は見ようとしなかったのだ。
この儀式で彼を呼び出そうとしたところで、誰も何もやって来はしないだろう。やってみたところで、何の意味もない。
『…クスオさん......』
雨の音が聞こえる。
チッ、今日は本当に、気分が悪くなる日だ。超能力者の僕が後悔なんてするわけがないだろう。僕にも彼にも後悔なんてあってはいけないものだ。だからこれは、あの日の勝負の決着を、ただつけたいと思っただけだ。
目を開き、僕は踏切の前めがけて、瞬間移動を発動させた。
***
25時59分
スチールフェンスの前で踏切の方を見ながら、ボーッと斉木さんを待っていると、瞬間移動で踏切のすぐ目の前に斉木さんが現れた。
あっち側に現れたってことは、斉木さんが試すことにしたんスね。
フェンスから踏切までの縦の距離はすごいあって、何メートルとかは分かんないっスけど、大体家8件分かそれ以上ある。前みたいに森をぬけて横から見た場合はそんな遠くならないんスけど、縦の距離に関しては妙に遠いっス。
だから、オレから見るとこっちに背を向ける斉木さんの姿も、踏切の向こう側の景色もほんと小さくて見えづらいのなんの。
ただでさえ背中を向けてるから何してるか見えづらいのに、真っ暗で踏切の照らす街灯しか光がないのもあって、これじゃあ本格的に何が起こってるか分からないっス。
うーん、これもうちょっと近づいた方がよかったっスかね?
踏切の向こう側にある血溜まりは、あんまり見ていたくないですけど、これじゃあ本当に何かあった時にすぐに動けないっスから。
微動だにせずに26時を待つ斉木さんの後ろ姿を横目に、オレは森の方に移動しようと1歩踏み出した、その時。
カンカンカンカンカンカン
踏切の警報音が辺りに響き渡った。
もう一歩踏み出そうとしていた足を止め、踏切の方を見ようと顔を正面に向ける。
踏切の遮断機がゆっくりと、垂直から地面と平行な向きに下り、警報灯?でしたっけ、それも赤く点滅を始めた。
数秒後、線路の奥側からガタンゴトンという大きな音を響かせながら、正面に一つの明かりをつけた何かが近づいてきた。
こっちに近づくほどに大きくなっていくガタンゴトンという音は、オレ達がいる踏切の下に差しかかって、街灯でその正体がはっきり見えた。
それは、ビターチョコレートみたいな濃い茶色をした、8両編成の電車だったっス。
何の種類かはちょっと分かんないっスけど。鉄道より女の子の方が興味あるんで、調べたことも注意深くみたこともないですし…まあとにかく電車っぽいやつっスね。
まあでも、なんとなく古そうだなとは思いました。
色がなんというか古臭いし、よく見ると塗装が剥げているのか黒っぽいところがたまに見えてるし。
数秒後、電車が踏切の上を通過し終えると同時に、オレは思わず「あっ!」とそこそこ大きな声で叫んだ。
遮断機の下りた踏切の向こう側には一人の野郎がそこに立っていた。
年は…ちょっと遠くてよく見えないっスけど、金髪で、斉木さんより少し大きいくらいの身長っス。服は白いパーカーに簡素なジーンズ、外人さんっスかね?
そいつは、周囲が血まみれになっているにも関わらず、まるでそれが見えていないかのように平然と立っている。
…誰かの能力で見えなくされてる、とかっスか?
もしそうなら、それで幽霊たちの事を騙してるなら、本当にとんだクズな犯人だ。幽霊達と一言でも話してみれば良い奴だって分かるのに、なんでこんな仕打ちができるんだ。
オレが考えている間にも、斉木さんとやってきた幽霊は何か話を始めたようで、何を話しているかは分からないけど、ひそひそとした声が聞こえてくる。
犯人が現れるまでやることもないし、暇なせいでついつい幽霊の話に耳を傾けたオレは、そのひそひそ声に混じる無感情な声を聞いて驚いた。
あれ…これ、斉木さんもしゃべってないか?
斉木さんと言えば会話は常にテレパシーで、今まで一言たりともクラスメイトやオレに肉声をかけたことがないくらい無口な人っス。
それが、驚くことに、あの金髪の幽霊とは、頻度は相変わらず少ないし言葉も短いみたいっスけど、肉声で喋っているみたいっス。
それだけ斉木さんにとって大切な人なのか?あ、いや、幽霊だからテレパシーが通じないとか、そういう可能性もあるか…。
一人で考えている間にも、斉木さんと金髪の幽霊はひそひそと話をしながら、時々片手を動かして何かをしている。余りにも暇だからついつい見ちゃいますけど、遠すぎてまじで全然見えないっス。
もう暇だから懐中電灯でも投げて遊んどこう、と思って懐中電灯の方に視線を向けた、
その時だった。
踏切に近づいたときから感じていた生々しい嫌な気配が、ブワリと大きくなった。
全身が総毛立ち、オレは勢いよくその気配を感じた方向、踏切の向こうの更に奥、道の先を凝視した。
…それは、肉塊でした。
全身を、赤く盛り上がった肉で覆われている。
まるで臓器がそのまま露出しているように蛍光に近いピンクと赤黒い部分がいり混ざる皮膚は、ところどころに中身みたいな臓器が透けて見える場所があり、それが化け物の動きに合わせて、まるで水の中に浮かんでいるようにゆらりゆらりと揺れ動いている。
顔みたいな場所の皮膚は垂れ下がり、体にも顔にも何重にも及ぶしわを生み出し、目鼻と思わしき窪みが街灯の影になるせいで、その造形がまるで認識できないくらいにはただれている。まるで、体に合わない大きな皮を被っているように。
手足は細く、長く、鋭く…その先端に行くにつれて得体のしれない黒い液体をこびりつかせ、街灯を反射して狂気的な光を帯びているように見える。
何より、最も悍ましいのは、口だった。
爛れた皮膚に引かれるように腹部まで大きく開かれた口には、黄ばみ、ところどころ赤色の…血がついた鋭い歯が何本も立ち並んでいた。
口の奥には更にもう一つの口のようなものがあり、まるで今すぐにでも獲物を飲み干したいと、舌なめずりをするかのように、波立つようにざわりざわりと動いていた。
「ヒッ!!!!!」
うああああああ!!!!!
咄嗟にそう叫びそうになったが、あまりの恐怖に、喉は凍り付いたかのように、何の声帯も揺らすことはない。
まるで全身の筋肉が縛り付けられるような感覚に襲われ、重心を操ることもできずに、無様に地面に転がるようにへたりこんだ。
冷や汗が吹き出すと同時に、全身が小刻みに震え始める。
どうしようもなく自分の体の主導権を握ることができていないが、それでも一つだけ、分かることがあったっス。
あの化け物が、幽霊を殺した犯人であると。
___斉木さん!!!!!!!
喉は相変わらず、開かなかった。蚊の息のような掠れた声で、でも全力で斉木さんを呼んだ。例え声にならずとも、あの人なら絶対に、この叫びを聴いていてくれると知っていた。
(ああ。)
短く、そして力強い言葉が、脳内に響き渡った。
オレの見ている視界の中で、斉木さんの体が後ろに向かって崩れると同時に、その体からもう一つの影が飛び出すのが見えた。
霊体になった斉木さんは、踏切の向こう側に向かって強く大地を踏みしめた。
***
幽体離脱を発動すると同時に、僕は強く大地に踏み込んで、音速で遮断機を飛び越えた。
これほど力強く踏み込めば、普段なら踏み込んだ地点を中心に地面が10に割れるところだが、霊体であり、物質には干渉できないことからその心配はない。周囲を気にせず、思う存分力を出すことができる。
僕は周囲への影響を顧みたうえでする一切の手加減を捨て、どのタイミングで目の前にいる幽霊に食いつこうかと体を揺らしてタイミングを計っている
ドン!!!!!
衝撃とともに天使の顔のぶよぶよに垂れ下がった脂肪が大きくへこみ、その体がバスケットボールのように激しく地面に数度叩きつけられた。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!!!」
喉の奥にたまった水分をゴロゴロと鳴らしながら、天使はしゃがれきった耳障りな濁音で叫んだ。
(い゛た゛い゛!!い゛た゛い゛ぃいぃぃ!!!た゛へ゛る゛!!!!!!)
意外なことに、こんな人間離れした見た目をしていながらテレパシーが通じるらしい。天使の内心は痛みへの恐怖と、怒り……そして目の前に突如現れたもう一人の幽霊、すなわち僕に対してさえも、激しくその醜い食欲を掻き立てていた。
「ア゛ア゛ア゛!!!!!!!!」
天使は元々大きく広がった口を更に拡大させ、歯をこちらに向かってむき出しにしながら、その細長く、鋭い、幽霊の血に塗れた両手を僕に向かって伸ばした。愚かにも、僕を食い殺そうとしているらしい。
両手と、尖った牙がこちらに迫るのをゆったりと見ながら、僕は天使にテレパシーを送った。
_お前に殺された幽霊達は、もっと、ずっと、痛い思いをしただろうな。
両手が僕の制服にあと数ミリで触れる…ところでひょいと半身になって躱す。見てから回避余裕でした。
左拳をグッと握りしめ、僕のすぐそばで驚いた様子で硬直している天使の顔面に向かって、僕は二撃目を叩きつけた。
バン!!!!!
再び衝撃が走り、天使の体がくの字に曲がる。
喉から赤黒い血を吐き出しながら、天使は地面と平行に吹き飛び…すぐに正面から僕に顔を鷲掴みにされて、その平行運動をやめた。
おっと、さすがにその口で噛みつかれたら僕でもダメージを負いそうだ。
霊体とは言え、そんなするどい牙で噛みつかれたら服に穴が開く。後で直さないといけなくなるだろう。
だが、暴れられるのも困るからな、少しの間空中にでも居ててくれ。
僕は天使を掴んだ左手を上に向かって軽く放り投げた。勢いよく空中に投げ出された天使は、地上から100m地点の高さまであがると、そこで一度勢いを失くし、今度は地上に向けて徐々に速度を上げながら降下を始めた。
そんな天使の様子を地上からジッと見ながら、僕は右拳を強く握りしめた。ぎりぎりという骨の軋む音とともに、込めた力が拳にいくつもの血管を浮き上がらせる。
高速で落ちてくる、天使の埋没した目を見つめる。
分厚い皮膚の奥、とんぼのような気味の悪い幾つもの個眼と目が合った。
「ア゛ア゛ッッッア゛ア゛ア゛!!!!!!」
全身に叩きつけられる、生物の本能を叩き折るほどの強い殺気に、天使は恐怖の悲鳴を上げながら体を縮こませた。
お前がきちんと恐怖を感じる生態系でよかった。おかげで徹底的にぶちのめせる。
右足を軽く後ろに引きながら、拳を後ろに振りかぶった。
_故人を食い物にしたことを
天使が空から降ってくる。
肉塊と血と欲望で、肥大化した身とともに。
その体が僕に降りかかる、その瞬間。
いまのいままで貯め続けてきた右拳の力を開放し、上空の天使に向かってアッパーを繰り出した。
ダァン!!!!!!!!
今までで最も大きな衝撃だった。
天使の懐に強く打ちつけられた拳は、天使に赤黒い胃の内容物を巻き散らかせながら、空高く打ち上げた。
「ッッッッッッ!!!!!!!!!!」
天使はあまりの衝撃に悲鳴すらも上げることができず、打ち飛ばされた勢いに乗って、そのまま空の彼方へ飛んでいき、やがて、地平線の彼方へ消えていった。
打ち上げた格好のまま、数秒間固まったままでいた僕は、空から何かが降ってくるのが見えた。
月明かりを受けてキラキラと輝いているそれは、真っすぐ僕の方に向かって落ちてくる。
受け止めるために握りしめたままだった右拳を開き、その小さな輝きをその手に収めようとして…
_あっ。
それは僕の手をすり抜けて、カチャリと小さな音を立てながら地面に落ちた。
そういえば、今は霊体だから物体はすり抜けるんだったな…。普段幽体離脱の能力は使わないから、ついそのことを忘れてしまう。
落ちてしまった先程の物を拾うことは諦め、せめて何が落ちてきたのか見ようと、顔の角度だけで地面を見下ろした。
街灯の明かりを受けて星のように瞬くそれは、金属製の可愛らしいお化けのチャームが付いたキーホルダーだった。
_......。
やるせなさを隠すように、目を伏せて、僕は自分の体に戻るべく踵を返した。
***
霊体が体に折り重なるように密着させ、そのまま体に戻ると、ちょうどフェンスを乗り越えた鳥束が、「斉木さん!」と大声で僕を呼びながらこちらに駆けて来るところだった。
軽く息を乱しながらやってきた鳥束は、一呼吸おいてから、真剣な表情で言葉を続けた。
「あの化け物…死んだんスか?」
_さあな、それなりの強さで殴ったが、死んだかどうかは確認していないしな。
僕は天使が飛んで行った中天を、仰ぎ見た。
_万が一生きていたとしてもこんな思いをすれば、例えおいしい蜜が吸えると分かっていても、もう二度とここにはこないだろう。
「そうっ、スか……。それなら、解決…でいいんスかね。」
鳥束は眉を顰めながら、心苦しそうな表情で踏切の向こう側に目を向けた。
僕には見えていないが、その虚ろな目の先には、未だ辺りに散乱しているであろうアスファルトを汚す血と肉片を見ているのか。
…死んだ人間は、元には戻らない。僕の超能力を使って死んだ事実をなかったことにしようとしても、うまくいかないことがほとんどだ。
_この踏切で、親しい者に見送られながら全身をかみ砕かれて殺される、そんな恐ろしい思いをする霊がもう出ないことだけが、救いだろう。
鳥束は一度グッと両手を握りしめると、「はい…。」と小さく呟きながら息を吐いた。
…結局、今回の事件の犯人は、航也くんの話に出てきた天使だった。
道の奥から強い気配と共に何かがやってきたあの時、僕の目には道の奥から歩いてくる満面の笑みを浮かべた『天然パーマの金髪、白い服の子ども』が映っていた。
天使は、確かに少しおかしな気配を纏っているようだが、取り立てて警戒するような見た目や雰囲気を放ってはいなかったし、強いてあげればテレパシーを感じなかったが、そういう生き物なのだと納得できる範囲のことだ。だから僕は天使を見た瞬間は何か行動を起こそうとは思わなかった。
もし鳥束の様子が明らかにおかしくなっていなければ、僕は天使の本質に気づくことは出来なかっただろう。
一方鳥束の目には、僕が今あげたような特徴は一切ない、見るものを怖気付かせるような恐ろしい見た目の生き物が映っていたようだった。
まあ僕も幽体離脱した瞬間からは鳥束と同じ光景を見ていたのだが、それはまだ死んでないとはいえ、彼らと同じように霊体となったからだ。
霊界を視認できる存在だけが天使の本当の姿を見ることができるのだろう。
付け加えると、それまでは天使に大してにこやかに話しかけるような仕草をとっていたように見えた彼*3も、幽体離脱後の世界では先ほどまでいた位置から2歩分離れた場所におり、青ざめた表情で真っ直ぐと天使を睨みつけていた。
つまり、『金髪白い服を着た天使とにこやかに話しかける霊』が現実世界には見えていたが、霊界で実際に起こっていたのは『気持ち悪い肉塊の風貌の天使と、警戒し後ずさる霊』の構図だった、ということだ。
恐らく、天使は霊界で行う自身の行いを、現実世界に生きる者に勘づかせないように幻覚や催眠といった能力が使えるのではないだろう?
もしくは、そういう特性を元々備えているか。
どちらにせよ、人間に好意的な印象を抱かせる何かを有しているのだろう。
その時、カンカンカンカンとけたたましい警報音が辺りに響き渡った。
踏切の上部についてある警報灯が交互に点滅しながら、電車の接近を告げている。
ふと、踏切の向こう側…そこに立つ彼に視線を向けると、ちょうど彼も僕に視線を向けていたようで、目と目があった。
「またこの音ってことは…またさっきみたいに電車が来るんスかね?」
鳥束が首を傾げた。最初と同じなら、間違いなく鳥束の言う通りだろう。
現象を客観的に見る脳内とは別に、僕はこの警報音の意図を正確に直感していた。
この音こそが、彼との別れの合図なのだと。
警報音が鳴り響き、遠くからかすかにガタンゴトンという音が聞こえてくる中、僕と彼は数秒ほど見つめあい、そしてフッと彼が口元を綻ばせた。
その笑みはどこか物悲しくも、温かな希望に満ちた表情だった。
「クスオさん。」
穏やかな声で、語りかける。
「もう二度と、アナタと出会えないことを願ってマス。」
_……ああ。
声は出さない。何も言わなくたって、もう分かっていた。
電車の音は徐々に近く、徐々に低く、そして徐々にゆっくりになっていき、僕たちの前についた頃にはプシューという扉の開閉音を響かせながらその動きを停止させた。
電車の車体によって半分ほど見えなくなった踏切の向こうで、彼は僕たちに背を向けて、電車の出入り口に歩き始めた。
彼の姿が見えなくなってすぐに、ゴトゴトと、上り下りをするような音が鳴り、最初と同じようにプシューという扉がしまる音が聞こえた。
_…もう二度と、会うことはないだろう。
ゴトン
ひときわ大きな音とともに、電車がゆっくりと動き始めた。
ガタ ゴト ガタ ゴト ガタゴトガタゴト
徐々にスピードを上げながら、電車は線路の奥に向かって走って行く。
空気を割きながら進む先頭車両に追従するように、2両、3両と、深い闇を切り開きながら、夜の向こうへと駆けていく。
強い風に当てられ、瞬きをした、次の瞬間。
先ほどまで線路上にあった電車が忽然と消え去った。けたたましく鳴り響いていた警報音は、まるで最初から鳴っていなかったかのように静まり返り、地面と平行だった遮断機も垂直に立ち直っている。
何もかも、まるで夢だったかのように突如として消え去った中、線路越しの道の上に一つだけ取り残されたものがあった。
街灯の明かりを反射し、星のように煌めくお化けのキーホルダーが、闇の中でキラリと輝いていた。
***
「斉木さん、それ、どうするんスか。」
_……。
*****
アイテム番号:SCP-1283-JP
オブジェクトクラス:Euclid
特別収容プロトコル:SCP-1283-JPの区域外周及び後述の・・・・・・
説明:SCP-1283-JPは東京都八王子市郊外に存在する第1種甲踏切道です。外見・機能上は他の一般的な・・・・・・・・・
・・・・・・加えて進入者自身によるSCP-1283-JP-Aに対する遠隔的接触や攻撃行動、遮断機を超えた直接的接触等も同様の効果により阻害されます。
SCP-1283-JP-A出現から20分程度の時間が経過すると、β方面の通路奥よりSCP-1283-JP-Bに指定される未知の人型実体が出現します。
事案1283-JP-1以降、SCP-1283-JP-Bは出現が確認されていません。SCP-1283-JPは活性化中、他者の進入を可能にしています。SCP-1283-JP-A出現から49分の経過、もしくは別の進入者が踏切内に進入すると、SCP-1283-JP-Cに指定される1933年日本国有鉄道に在籍していた国鉄31系電車モハ12型がα方面に向かう線路上の奥から出現し、SCP-1283-JP-Aの前で停止します。SCP-1283-JP-Cが出現すると、SCP-1283-JP-Aはどのような状態であっても新入者に対して帰宅する旨を話し、SCP-1283-JP-Cに乗り込みます。この乗車の際にはいかなる物理的な妨害や進入者・第三者による妨害は阻害されます。乗車からおよそ2秒後、SCP-1283-JP-Cはβ方面に向かう線路上の奥に移動を開始し、SCP-1283-JPからおよそ100m地点で消失します。それに続き活性化中降りたままであった遮断機が開きます。この時点をもってβ方面への進行を妨げていた未知の効果が解除され、オブジェクトは非活性化したと判断されます。
・・・
・・
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事案1283-JP-1
2015年█月█日、現場を監視していた警備員が職務中意識を失う事案が発生しました。翌日█月█日の実験により、SCP-1283-JP-Bの出現が消失し、SCP-1283-JP-Cの出現が確認されるようになりました。補遺1に記録される噂と状況が一致したことから、SCP-1283-JPの異常性が過去の変異前の状態に戻っていると考えられます。SCP-1283-JP-Bが消失したことで、SCP-1283-JPとSCP-1283-JP-Bの存在の起源に関する推論がより補強されました。しかし事案発生時SCP-1283-JP内に設置したすべての観測機器が何の異常性も示していないことから、原因や詳細な過程は不明のままです。
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2015年█月█日 東京都八王子市████町
どこまでも晴れ渡った青い空の下。
幾つもの墓地が立ち並ぶ寺の境内墓地の中の一角、花立の中に3本ほどの瑞々しい小菊が咲き誇っている墓があった。
『広田家之墓』と書かれたその墓はつい最近綺麗に磨かれたばかりなのか、太陽の光を反射して、まるで新品の墓のように輝いている。
と、供物台の上で何かがきらりと輝いた。太陽の光を浴びて宝石のように輝くそれは、金属でできた可愛らしいお化けのチャームがついたキーホルダーだった。
供養されるべき人物がいなくなったその墓は、行き場のない誰かの愛も悲しみも、遺骸とともに墓穴に沈めた。
SCP-1283-JP 踏切のむこう
http://scp-jp.wikidot.com/scp-1283-jp
SCP████████████
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本作において物語の都合上SCP側の存在に名前をつけたり、オリキャラに近いモブを登場させることはありますが、完全なオリキャラは登場しません。