陸八魔アルがサイロへ戻った時には、あのやかましい羽音を立てるヘリコプターはいなくなっていた。代わりに床には上我オルが転がっていた。そして彼女に掴みかかるハルカと特に止めることもなく近くでしゃがむムツキ。スペクトルは全員片付いたのかしら。カヨコとゲッコウはコンピュータ室にいた。ロケットを止めようとしてくれているのだろうか。
ハルカはオルに馬乗りになって拘束していた。オルはすでに息が絶え絶えになっており、もう押さえつける必要もないように見える。アルの気配に気づくと、ハルカは光に満ちた目でこちらを見ていた。ムツキも手を振っている。気づいていることを手振りで伝えると、ハルカを諫めてオルから退かす。
「あなたたちのボスは倒したわ」近くにしゃがんだアルがきっぱりとした口調で言う。倒れたオルを覗き込むような姿勢になると、額の右側から血が垂れてくるのが分かった。ちょうどオアとの決戦で負傷した辺りだった。
オルは息が詰まりながらも笑って少しずつつぶやき始めた。
「そうか、負けたのか。お前たちに」どことなく満足そうな声だった。「お前の部下は、大した娘だよ。名前を教えてくれ」
オルの目は、アルの後ろに控えたハルカを見ていた。
「伊草ハルカ、です……」ハルカは戸惑いながらも答える。
「ハルカ。堪えたぞ、お前の一撃は。度胸もある。よく訓練されているな」
「言っとくけど、ハルカちゃんはただの部下じゃなくて同じ仲間だよ。役職もニックネームみたいなものだよ」オルの発言にムツキが付け加えた。オルは一言「そうか」と返事をすると、話を続けた。
「ハルカ。お前は何か暗いものがあって、社長に拾われたたちだろう」
ハルカは図星のようだった。アルはハルカをいじめから助けた時の一幕を思い出した。
「俺はずっと兵器工場で暮らしていた。一緒の工場にいた仲間と、毎日火薬を配合しては、詰めてを繰り返していた。退屈な仕事だったが、親しい仲間との屋根の下での暮らしは、悪くなかった。工場以外に友達もいなかった俺にとって、工場の仲間は家族も同然だった。特に一つ下の、妹分のようなやつとは仲が良かった。外の連中にいじめられていたところを偶然助けたんだ。以来後ろをついて回っては、俺を姉と慕ってくれた」
オルは目の前の二人に自分たちを重ねているようだった。話を聞く限りでは、アルとハルカの関係は以前の彼女たちに酷似しているように感じた。
「だがある時、警察らが工場に押し入ってきたんだ。俺たちの作っていた兵器が違法なものだと言ってな。俺たちは死に物狂いで抵抗した。そして放った爆弾の一つが火薬に引火して、気が付いた時には工場は火に包まれていた」
オルは苦い記憶を思い出すと、目を閉じた。「大勢死んだ。皆、俺の仲間、いや家族だった。その中には、俺を慕ってくれた妹もいた」
「そんな事が……」ハルカは思わずつぶやいた。
アルにとっても、彼女の話は意外なものだった。敵だと思っていた彼女が、こんな残酷な過去に苦しめられていたことに考えが及ばなかった。
「俺の人生のトラウマだ。だが俺は」オルはここで静かになると、罪を告白するように続けた。
「立ち上る赤い火柱を見て、一番最初に出てきたのは、高揚感だった。家族をなくした悲しみも、攻め込んできた奴らへの怒りも忘れて、目の前の火柱に心を奪われてしまっていたんだ」
なんて奴だ、とアルは思ったが言ってもしょうがなかった。こいつはもう限界なのよ。最期くらい好きに喋らせてあげましょう。
「俺は、倒錯した人間だ。あの光景を見て、気違いになってしまったんだ。それにおかしくなったのは頭だけじゃなかった。火薬や毒ガスを少量ずつ吸い込んでしまっていたことで、その時には呼吸器が弱くなってたんだ。あれ以来、俺は自由を失った」自虐するように言うと、何度か咳き込む。半透明のマスクの内側に血が飛んでいるのが見えた。慌てて話すのを止めようとしたが、他ならないオル自身がそれを制止した。
「……それから俺は、自前で武器と擲弾を作り、自分と関係ない争いに首を突っ込んでは場を搔き乱していた。どれも自分の欲求を満たすためだった。そうやってやさぐれていた所を、ある時ボスに拾われたんだ。この占拠に参加したのは、得た金で手術を受けようとしたからでも、昔の奴らへの復讐を考えたからでもない。ボスの野望にも、興味はない。ただ、自分の欲を満たす場が欲しかったんだ」
誰も何も言えなかった。彼女の罪の告白は言葉を挟む余地を与えず、鳴りやまないサイレンの音を忘れさせていた。
「でも、思い出した。ハルカ、お前を見ると落ち着く」
オルの手が口に被せてあるマスクに伸びる。マスクを外すと、彼女はゆっくりと味わうように深呼吸をした。「これで俺は、ようやく解放される。煩わしい特性からも、忌々しい過去からも」
右手が僅かに上がると、手のひらがハルカの元へ救いを求めるように伸びる。ハルカはただ両手で握り返して、言葉に耳を傾けていた。罪を告白したことで、許しを与える教会の聖女のようだった。
「今、分かった。俺は、工場が燃えたあの時から、すでに亡霊と変わらなかった。あの工場で既に死んでいたんだ」
オルの目尻から涙が出てくると、耳の方へ何粒か垂れる。
「俺を止めてくれて、ありがとう、ハルカ。最期に会えて……本当に……良かった……」
オルの頭が下がると、こつんと乾いた音を立てる。ヘイローの光はぼんやりと薄くなると、静かに消えていった。
サイレンのわんわんと鳴る静寂の中で、アルは動かなくなったオルを見ながら立ち上がると、ハルカとムツキに話した。「行きましょう。ハルカ、ムツキ」
二人とも小さく返事をしたが、ハルカは少しの間手を離すのをためらっていた。ゆっくりと右手をオルの体の上に乗せると、両手を上に添えて押さえていた。
コンピュータ室の扉が勢いよく開くと、普段の様子からは考えられないほど血相を変えたカヨコとゲッコウが飛び出してきた。
「社長!」大きな声を出すカヨコは珍しいと感じると同時に、ただならぬ事態が起こっていることを予感させた。「CLGがロケットの準備をし始めた!発射まで、あと十分もない!」
短い伝言は、今が一番の非常事態であることを物語っていた。同時に床が揺れると、サイロのもう一つの巨大な蓋が開いているのが分かった。蓋の隙間からサイロドームを照らす電灯よりも、遥かに強力な照明の光が漏れ出して、アルは思わず片手で目を覆った。完全に蓋が開いたら、今いる場所もなくなってしまうと考えて、ハルカがオルを抱えたのを確認すると、周りを輪状に囲んでいる連絡道へ登り避難する。
やがてネオ・チャレンジャー基地の最大級の秘密を隠していた蓋が開き切ると、眼下に広がった光景に思わず全員が息を飲んだ。まるで自分たちが微生物ほどの大きさになって砲身の中に入ったような、恐ろしさと美しさを兼ね備えた光景だった。八十メートル下にまで伸びた銀色の鏡のような空間は、直径三十メートルほどの広さの円筒状になっていた。地図で見た通りの形だったが、実際に見ると果てしなく深く、本当は深さ百メートル以上あるのではないか、と考えてしまうほどだった。空間の中心には、これまた鏡のような鈍い銀色をした巨大な銃弾がそそり立っていた。先端部分に近づくとますます細くなっていき、線引きされた場所から上だけは色が濃くなって分けられている。おそらくDAはここに積まれているのだろう。終端に近い部分からは三枚の巨大な尾翼が鉤爪のように伸びており、円錐型の床の上に組まれていた。
これが今から自力で空へ飛び出して、世界の心臓とも呼べる場所を攻撃しようとしているんだ!DAの炸裂と衝撃で被害は何キロ先にも及ぶだろう。ゲヘナの校舎は大丈夫か?トリニティも無事では済まないだろう。CLGはこの一撃で、世界が抱える火薬庫を一斉に爆破しようとしているんだ!しかも万が一攻撃を阻止できなければ、世界的テロの実行犯は自分たちになってしまう。
アルは全員の名を呼んで、視線を自分に集めた。
「聞いて、皆」事務的な口調で言う。「全員事情は同じだし、必ずやり遂げなければならないのだから、簡潔に説明するわ」
誰かが息を飲むのが聞こえた。「十分あれば最初にいた退避壕までは逃れられるはずよ。皆はそこまで逃げて」
「社長」カヨコがはっとした声で言うと、歩み寄った。「やめて。それだけはだめだよ。お願いだから、やめて」
「カヨコ」アルは珍しくカヨコを諭す側へ回る。カヨコの様子で話の続きを察したムツキは詰め寄り、ハルカとゲッコウは顔が青ざめた。
「この巨大なロケットが飛び立つのを防ぐ手段は多くないわ。すぐに決断して動き出さないといけないの」アルは歩み寄る仲間を手で制止した。
「私は」言いながら、ライフルを片手で持ち上げる。「ここの扉を閉めたら、サイロの下まで向かって、ロケットの下で最後の一撃をお見舞いしてやるわ」
「そんな!」ハルカは泣きそうな声で叫んだ。
「何言ってるの?なんでアル社長が犠牲にならなきゃいけないの?」ゲッコウはなんとか説得しようとして、アルを見ていた。
「皆の言いたいことも分かるわ」アルも真剣な表情で話す。「でも他に方法がある?今最も大切なのは、キヴォトスの大勢か、私一人か、ということよ。燃料に引火すれば、ロケットは内部から破壊されるからDAも誘爆するかもしれない。そうなれば一瞬よ。それに皆は逃げ延びられるわ。私はここに残る。自分の意思で決めたことよ」
アルは全員に笑顔を見せた。「それにこういう役回りって、すごくアウトローじゃない?昔から、この孤高で勇敢なまねをやってみたかったのよ」
ムツキは降ろした手を固く握った。「なんて言おうとだめだよ」彼女らしくない真剣な口調で、怒るように言う。「何か他の方法を考えよう。アルちゃんは優しいからそう言ってくれるのかもしれないけど、私たちがそんな終わり方で納得できる?アルちゃんはこんな所で死ぬべき人じゃないし、将来もっとすごいアウトローになるんでしょ」
ムツキは懐から、残っている最後の手榴弾を取り出した。「もちろん誰かが犠牲にならなきゃいけないなら仕方ないよ。でも一人であの兵器の下で引き金を引いて、ロケットもろとも粉々になるなんて方法はだめ。やるなら私も一緒に残って、これを使うよ。長い付き合いでしょ?私だけのうのうと生き延びるよりも、そのほうが良い。とにかく私も一緒が良い。この仕事は二人で一緒にやるんだよ」
カヨコもムツキの後に続けた。「ムツキの言う通りだよ。まだ諦めるには早いし、社長一人だけじゃだめ。私も残る。これも私自身の意思だよ」
ハルカも一歩前に出ると話した。「アル様のご命令でも、それだけは聞けません。私も残ります。アル様のいない世界に未練なんてありません!」
ゲッコウも一歩引いた位置から優しく話した。「諦めて犠牲になるなんて、アル社長らしくないよ。まだ時間はあるし、必ず止める方法はある。ずっと基地を見てきた私が保証するよ」
アルは優しい目つきになると、少し涙を見せた。「皆、ありがとう」短く、礼を言う。「そうね。まだ他に方法があるかもしれない。でも早く行動に移さなきゃいけないわ。せめて連邦生徒会の狙いだけでも外せればいいのだけど」
ゲッコウは狙いを外す方向で、知恵を絞り始めた。「まずロケットの狙いを外して落とすなら人のいない場所がいいね。思いつくのは海上か、山の中、砂漠とかかな。でもコンピュータは全てロックされてしまってるよ。どうやって狙いを逸らす?」
ムツキはふと手に持った手榴弾を見た。「これはどう?」ゲッコウの目を探すように聞く。「燃料のある場所にこれを仕掛けて、空中で起爆させるの。燃料にそのまま引火してくれれば、どこにも落とさずに破壊できるかもしれないよ!」
「確かにできるかもしれない。けど手榴弾をどうやって爆発させるの?」ゲッコウは鋭く尋ねた。
「そこでアルちゃんの出番だよ」ムツキはいつもの笑顔でアルを見た。「アルちゃんはサイロの外で待機してて。ロケットが打ちあがったら、手榴弾を狙撃して爆発させるの。ちゃんと見えやすいように目印をつけておくから安心して。私たちもできる限りの準備をしたら、コンピュータ室の中に避難するから大丈夫!」
全員の視線が再びアルに集まった。ただならぬ期待を寄せられていることに、アルは内心ひどく緊張していたが時間もない以上、迷っている暇はなかった。
「分かったわ。それでいきましょう」
腹は決まった。あとはやるだけだ。ロケット発射までの秒針は、あと三百秒──五分を告げていた。