仮倉庫での最後のやり取りから約一時間後、陸八魔アルは詰所を後にして通路を進む間に、こうした事前のやりとりを思い返した。
スノーモービルの旅は、はっきり言って苦痛でしかなかった。麓の雪の勢いはまだ易しいものだったが、中腹に近づくごとに雪の量は増していき、最終的には先が見えない猛吹雪の中で何者かも知らない機械人に命を預けることになってしまった。防寒着にはニット帽やゴーグルも付いていたが、それでも皮膚の露出している顔などは守るのに精いっぱいだった。つんざくような吹雪では雪の結晶の一つ一つが、まるで冷たい剃刀のように着実に肌を傷つけていくのが分かった。容赦なく体にぶち当たってくる暴風に思わず吹き飛ばされそうになり、最後の方は全員で固まってこの永遠とも思える地獄を乗り切るのに必死になっていた。この短い旅で唯一褒められたのは、まだ雪が浅い段階で見られた明かりが灯り始めたキヴォトスの夜景くらいである。
夜景が見えた方角と磁石を照らし合わせて、自分たちのオフィスからおおよそ北西に来たことがアルにも分かった。しかしここはなんという名前の山なのかは想像もつかなかった。果たして勉強で使った地理の教科書か地図帳に載っている山だろうか?かつての記憶を掘り起こして、地図帳でこの辺りの山の上に大きく「トレス」とだけ書いてあったことを思い出す。しかし渡された等高線図に描かれた地形が、はたしてそのトレス山脈かどうかは確信が持てなかった。遠くの山脈と手前に移る湖の色味の違いから合成としか思えなかったパノラマ写真を思い出して、アルはにやりとした。
退避壕通路は一回り小さいトンネルのようなつくりだったが明かりだけはしっかり通っており、こういう通路がつい与えがちな心霊的恐怖感はなかった。入り口から離れると吹雪の音は遠ざかって自分たちの足音だけになり、耳をすませばそれぞれの呼吸音や心臓の音まで聞こえそうだった。道の先は蛇の腹のように折れ曲がった通路で見えないため、自分たち以外の足音もしくは物音に気を配りながら歩く。改めて車の中で食事がとれたのは幸運だったわね!アルが選んだアンパンと牛乳と腹持ちのために加えたおにぎりはとても頼もしく、虫の呻き声で窮地に陥るというへまはせずにすみそうだった。
やがて進み始めて何度目かの屈折ポイントを曲がると、先が開けた空間になっているのが見えた。おそらく詰所のヘルメットが言っていた退避壕と倉庫を兼ねた部屋だろう。通路の途中でも部屋の中に置かれたコンテナや鉄くずの入った網目のかごが見えた。入り口に近づくと、かすかに話し声が聞こえて全員の歩みが止まる。足音を殺して注意深く進むと話し声は徐々に鮮明に聞こえ、部屋にいるのが一人で誰かと無線機で話していることが分かった。壁沿いに進んで入り口付近にくると、部屋の構造と声の主の姿、話の内容を観察する。退避壕兼倉庫は天井が高く二階の中心が大きく吹き抜けになっており、鉄で作られた足場が壁沿いに輪のように伸びていた。一階には人が一人隠れるほどの大きさのコンテナがいくらか無造作に置かれており、色や模様はばらけているがどのコンテナにもカイザーのロゴが描かれていた。
声の主は二階の輪状通路におり、こちらには気づいていない様子だった。資材搬入口や詰所で見た者たちと違って、ヘルメットを着用しておらず代わりに灰色のニット帽を被っており、背負った消火器よりも一回り大きな二つのボンベから伸びている管は口と鼻を覆うマスクにつながっていた。ニット帽から覗く茶髪は肩より下の辺りまで無造作に伸びており、彼女の性格──おおかたガサツな性格なのだろう──ゆえにまめな手入れはされていないようだった。彼女の背丈には若干大きめの若葉色のフライトジャケットは、腰から太ももにかけてのラインがはっきりわかる黒のスキニーと合わさって着ぶくれした印象を与える。ごてごてしたスキーブーツのような靴は足首の上まで覆うもので、走りまわったり急な動きには適さないだろう。おそらく呼吸器に何らかの問題をかかえており激しい動きが制限されているために、安定性を重視した服装をしていると見える。右手にはハルカが扱うショットガンのような銃が握られているが、大きく違うのは銃床がグリップから大きく上にねじ曲がったところだろう。彼女は滑り止め付きの灰色のぴったりした軍手をはめた左手で無線機を持って、面白くもなさそうに話していた。
「そうだ、こっちは相変わらず静かだよ。誰の気配もない。あんたの言う四人組もな……なんだ、お得意の神様の啓示か。そいつは本当に信用できるのか?……ああ分かってる、すまなかった。CLGからの返事は?……あんたも俺も相当強情な奴らを敵に回したようだな。計画通りに頼む」四人組?私たち以外に侵入者がいるのか、そうでなければすでに侵入がバレているのか?それに神様とは誰のことだろう?啓示とは?アルには分からなかったが、どうやら相手は
話しぶりからして、ここでずっと侵入者の見張りをしていたのだろう。基地に侵入するにはこいつを乗り越える以外にないようにアルには思えた。自分の後ろにいるムツキ、通路の反対側の壁に控えているカヨコとハルカに片手で合図をすると、アルは退避壕の中へ勢いよく飛び出して、二階の彼女がこちらを振り向くより早くスナイパーライフルの照準を合わせてはっきり聞こえるように言った。
「動かないで」
こちらを視認したガスボンベの彼女は、いたって落ち着き払った様子だった。後に続いて同じく銃を向けたカヨコとムツキ、ハルカが姿を見せる。それでもガスボンベの彼女は表情一つ崩さずにくぐもった声で話した。
「四人組か。この吹雪の中でよくやってきたな、ずっと待っていたよ」視線をこちらに向けたまま、首をほぐすように動かして続ける。「ボスの言うことも間違いではなかったか」
そう言いながら右手に持った銃が動くのをカヨコは見逃さなかった。
「銃を捨てて。床に置いて」その話し方には一片の油断もなく、少しでも怪しい動きをすれば容赦はしないという気概を感じた。とても頼もしく思った。
ガスボンベの彼女はフンと馬鹿にしたように鼻で返事をすると、右半身をこちら側にしてゆったりした動作で床に銃を近づける。すると体をかがめた状態から顔を上げてこちらを見ると思い出したように言った。「そういえば、挨拶がまだだったな」
言い終えたと同時に、右手の裾から野球ボールほどの大きさのぼこぼこしたパイナップルのようなものが出て、階下にいるアルたちの方へ転がり落ちた。それが何なのかを脳が把握するより早く、反射的にその場を飛ぶように後ろへ下がると、続いて周りが見えなくなるほどの閃光と体中を震わせる爆発音が退避壕に響いた。爆発の近くにあったコンテナは熱と衝撃を受けた面が黒く焦げてひしゃげる。姿を近くにあったコンテナの陰に隠すと、続けてガスボンベの彼女がマスク越しに叫んだ。
「俺は上我オル!待っていたよ便利屋68、今のはほんの挨拶代わりだ。さあ、お楽しみといこうか!」話しながら銃をアルのいた方向へ向けると今度は控えめな破裂音。すると黄色く着色されたガスがアルとムツキが身を隠したコンテナ一帯を覆うように噴出した。
とっさに口と鼻を覆うが、裁縫針が漂っているような空気は目を開けていられないほどの刺激を二人に与えた。催涙ガスか!思わず苦悶の声が漏れる。別の地点からカヨコとハルカの銃声がする。そちらは被害を免れたのだろう。しかしさらに一発破裂音がすると、攻撃音は中断を余儀なくされた。
ムツキと二人で先ほどまでいた退避壕通路に退却して視界が回復するのを待とうすると、それを見ていたオルは壁についた恐ろしく多いボタンの中から一つを探し出して押し込む。アルとムツキはオルの行動を見てはいなかった。自分たちの足元で留め具のようなものが外れる音は聞こえたが、顔中を覆う刺激が取れないせいで回避行動が遅れてしまった。足元の床が急に傾いて、かなり勾配のついた滑り台になる。二人は落下する感覚に驚いてとっさに何かにつかまろうとしたが、コンクリートの口は無情にも二人を飲み込んだ。そして暗い闇の中に二人の姿が消えると、その口を固く閉ざしてしまうのだった。