暗闇の中を重力に引っ張られる。すると急な屈折で遠心力により壁にぶつかり、また滑り落ちる。
「一体どこまで続いてるのよ!」細い道の中に陸八魔アル渾身の叫びが響いた。
後ろを滑るムツキは反響するアルの高い声に、思わず顔をしかめて耳を塞ぐ。二人は長く続くスロープを胃の中に向かうように飲み下されていった。
だしぬけに足元に光が見える。やがて長い旅の末に、アルは赤い革張りのソファに頭から吐き出された。少し遅れてムツキが出てくると、アルの背中に飛びつくように着地した。肺の空気が口から押し出されて、いくらか咳き込んでから声を絞り出す。
「だ、大丈夫かしら、ムツキ?」
この問いにすぐに返事は来なかった。しかし背中のムツキが少しずつ動くのを感じ取り、ひとまず無事を確認する。「ムツキ?悪いけど苦しいから降りてくれないかしら?」
本当に苦しいというような声色で話すと、ムツキは静かに返事をした。
「あー、アルちゃん。私は無事だけど、これはちょっとまずいかもね」言いながらムツキが離れて、体が自由になるのを感じる。
周りの状況を確認しようとしたアルが初めに見たのは、眼前に向けられた小型自動拳銃の黒い口だった。銃を持つ腕を伝うように視線を上に移すと、目が合うより先に持ち主の声がした。
「動くな。ゆっくりと両手を挙げるんだ」腹に響くように低い声だった。
次に目に移ったのは、二人をぐるりと囲むヘルメットたちだった。資材搬入口で見たのと同じ装備をした彼女たちは、アルとムツキが導かれてきた教室一つ程の広さの部屋に二十人以上おり、全員の銃口もまたこちらを向いていた。どうやら従うしかなさそうね。アルはソファに座りなおると、言われた通りに両手を顔と同じ高さに挙げた。左隣にいるムツキも抵抗はせずに、手を挙げて部屋の中を観察していた。
部屋は詰所や退避壕と違って大企業の社長室のような豪華な作りで、ここにいると部屋の外が猛吹雪の山中であることを忘れそうだった。天井には金メッキの釣り針の先にチューリップの花弁を逆さにしたような電球が取り付けられたシャンデリアがかかっており、この明かり一つで部屋全体を照らしているようだった。部屋の隅には今にも折れそうな細い幹の上に葉が中心から六つに分かれたものが細かく枝分かれして生えていた。床には巨大な獣の皮の絨毯がのびているかのように横たわっている。クリーム色の壁紙が貼られた壁には、何人もの機械人の肖像画が古い木製の枠にはまって飾られており、その中にはほんの二時間程前に別れたアックスらしき人物もいた。これらを確認する間に、アルは自分が将来持ちたいと思っている社長室の内装に合致していることに気づいた。こんな部屋が自分のオフィスになってくれたら!そんなことを考えていると目の前で二丁の拳銃を構えていた彼女が、銃はこちらに向けたままゆっくりと後ろに二歩下がる。
金髪を頭の後ろで一束にまとめており、濃紺のインナーダウンの上に色を薄めたタクティカルジャケット、黒に茶を少し混ぜたズボンに黒のブーツというミリタリーベースの装いだった。彼女が顎を動かして指図すると、部下のヘルメット二人がアルとムツキの銃を取り上げる。ムツキの方は銃の他にボストンバッグにも手をかけた。
「それはお気に入りのバッグだから丁寧に扱ってね」ムツキが座ったまま上目遣いで言うが、ヘルメットはちらりとムツキの顔を見ただけで、バッグを肩にかけると元の位置へ戻ってしまった。
「ご苦労だった、アス」
アスと呼ばれた目の前の彼女は、二丁の拳銃を腰の前後に着けた革のホルスターにしまうと、部屋の端へ移動する。アルとムツキの目の前には、木のブロックを横に三つ並べた社長机と椅子に座ってこちらを見る白髪の女性がおり、その後ろの掛け軸には、大きく一日一悪と達筆で書かれていた。アルは便利屋68のオフィスに飾った掛け軸を思い出す。一体どういうことだろう?果たしてここまでの偶然があるだろうかと考えていると、視線が白髪の彼女のグレイの目と合った。こちらは白髪のロングヘアーにグレイのベストを着ており、薄紫のシャツ、ネクタイは濃い紫色のものをつけていた。彼女が片手をあげると、それを合図に部屋中のヘルメットの銃が下がった。続けて部屋の後ろ側──二人は社長机に向き合うように座っていた──の扉が開く音がすると、武器を持った二人以外のヘルメットは出て行き、やがてばたんと扉が閉まる音がした。
目の前の彼女は扉が閉まるのを確認すると、まだ手を挙げたままの二人に言う。「下ろしていい。銃を向けられていては、落ち着いて話ができないからな」
アルはその声に聞き覚えがあった。そしてそれはムツキも同じようだった。ロングの白髪がとたんにひどく懐かしいものに思えた。
「オア!天唯オアじゃない!」
机の向こうの彼女は名前を呼ばれたことでにやりとする。「元気だったか、アル社長?」
「うそ!オアちゃんじゃん、久しぶり!」ムツキも思わずソファから身を乗り出して、久しく見ていなかった幼馴染の顔を見た。
オアは机の上に両手を組んでいた。「二人ともしばらくぶりだな。最後にあったのは五年前だったか。便利屋68はまだ経営破綻していないのか?」
言いながらオアは首を左へ傾げる。アルはこの昔から変わらない奇妙な癖に思わず感嘆した。まさかこんな僻地で幼馴染に会うことになるなんて!これと同時に部屋の内装や掛け軸の謎も解けた。現在のような会社としての便利屋68が活動を始める以前に、ムツキとオアと三人で会社ごっこをやっていたことを思い出す。思い出という箔のついた輝かしい過去。素晴らしかった時代。当時を知っているオアなら、私好みのオフィスを知っていても不思議じゃないわね!
「決して良いとは言えないけど、悪くもないわよ!それに今は社員も増えて楽しくやっているわ!」近況報告を済ますと、取り残してきてしまった仲間の二人を思い出す。まだ戦っているであろう二人のためにも、名残惜しいがここで昔話に長く興じているわけにはいかなかった。「ところでここはどこなの?見たところ素晴らしい社長室なのはわかるのだけど」
この問いを聞くと、オアの表情から友好的な部分が消えて事務的な顔になった。
「お察しの通り、ここは社長室だ。本来なら今私が座っている席には、二人をここへ送り込んだCLGの社長が座るはずだっただろうな」
ムツキは今の説明で、目の前の幼馴染の立場をなんとなく察したようだった。「ということは、オアちゃんってもしかして……」
するとオアはこちらをじっと見つめて、まだ解答にたどり着かない子どもに説明するような口調になった。「改めて紹介させてもらおう。今の私はスペクトルのリーダー、天唯オアだ。そうだともムツキ、君らが追っていた首謀者というのは私なんだよ」
アルは少し時間をかけて今の発言を吟味する間、体は硬直したままだった。ムツキは笑顔を崩さないが、先の人物を見る目が若干細くなり、諦めたような声で相槌を打った。「噓でしょ……どうしてあなたがそんな」
情報をやっとのことで飲み下したアルが静かに訊ねると、オアは張り詰めた声で話した。
「十二歳までは知っているだろうから割愛しよう。二人と別れた後、私はゲヘナ学園中等部へ入学した。二ヶ月程そこで学んだが、すぐに不登校になった。だが今ではあそこで教育を受けなくて良かったと思うよ。後の教育は全て戦場で受けた」アルには白髪の幼気な少女が銃弾の飛び交う中を、武器を持って走り回る姿が容易に想像できた。「十五の時にはすでに裏社会の中では名の知れた傭兵になっていたよ。キヴォトスでは年下が年上を上回ることは珍しいことではないがな。この頃は私の周りには、おこぼれのお裾分けにあずかろうとするパイロットフィッシュがいたものさ」
オアは懐かしそうに言葉をもらした。「そのうち信頼に足る何人かを集めて会社も作ったよ。アルが便利屋68を結成したようにな。"RAXA"という名前だった。要請を受けて戦場から戦場へ渡り鳥のように飛ぶ傭兵会社だよ。あの時は素晴らしかった。十五で一つの山の大将になって、他の山を次々となぎ倒していったんだ。ゲヘナ生徒にトリニティ生徒、ある時は軍事企業のボディーガードたちを、ボウリングのピンを倒すように蹴散らしていったよ」
オアはここで話を一旦切ると、机の横にあるボタンを一つ押して沸かしたお茶を持ってくるように言いつけると、座り直して話を続けた。「だが少々おいたが過ぎたんだな。ある時、私はキヴォトスの転覆を図った疑いをかけられた。犯人は昔助けてやったにも関わらず、私たちを快く思わなかったお偉いさんたちだった」
オアの顔が険しくなると、出る言葉にも力が込められる。「金次第で動く傭兵集団の矛先が、自分たちに向くことを恐れたんだろうな。私たちを倒すために過剰なまでの兵力が投入されて、その中にはゲヘナやトリニティの有力な生徒もいた。人海戦術だ!RAXAは抵抗の末に壊滅、解散」ここでオアは閉じた右手をぱっと開いて、爆発のジェスチャーをした。
「荒野に残ったのは私と、そこにいる下尊アスの二人だけだ。それ以来私たちは地下に潜伏してほとぼりが冷めるのを待ちながら、同志を集めて部隊を先鋭化し、再起を待った。私たちをごみのように捨てた奴らへの怨念がある限り、亡霊は何度でも現れ続ける。この世の不条理を許さず、愚者どもに死を与える。それがスペクトルの本質なのだよ!」
オアが一息ついて、髪を手櫛で軽く梳かすと、後ろから入ってきたヘルメットがオアの机にお茶を置いて、アルとムツキの座るソファのひじ掛けについた二つの丸い机にもお茶を置く。仕事が終わるとヘルメットは無言で部屋を出て行った。
「二人ともすまないな。もう少し早く出すように言うべきだった」オアはそういうと、お茶を軽く飲む。つられてアルとムツキもお茶に口をつけた。アルがお茶の熱さに小さく苦悶の声をもらすと、オアはまっすぐ二人を見る。「さて二人とも。お聞かせしたかったのは、この身の上話だ。退屈させないようにしたつもりだったがどうだったかな?」
「面白かった!」隣でムツキは軽く手を叩きながら言った。「すーっごく面白いお話だったよ!でもさ、だったら
「それも確かに面白いな。しかし私たちはただ闇雲に死を与えるではなく、仇をなす者たちに死をもたらすのさ。それに死神を名乗るのは、今の私にはとてもできない。啓示が受けられなくなるからな」
この言葉にアルは引っかかった。なんだか話の雲行きが怪しくなってきたわよ!怪訝そうな顔を向けると、オアは再びにやりとした。
「信じられないのも無理はないな。私は神と会話ができるんだよ」