扉の外は、突き当たりまでまっすぐ伸びた廊下になっていた。アルの背に手を添えるソウ、アルの銃を持ったヘルメット、ムツキ、ムツキの装備を持ったヘルメット、アスの順で一列になって進む。その間、アルは先ほどのオアの話を思い返していた。彼女たちは自分たちに着けられたカイザーの首輪を引きちぎって、この世の全てに牙をむいた獰猛な番犬だわ!全学園のゲヘナへの統合は、かなりの反発が予想される。各学校の有力者たちも黙ってはいないだろうが、オアはそれに対してロケット基地を押さえたことで軍事的な圧力をかけることができる。彼女の言う通り、恐怖で新しい世界秩序を築こうというのだ。CLGを助けるために乗りこんだつもりが、いつの間にか自分たちの肩に世界の命運がかかってしまっていた。絶対に発射を阻止しなくては!
そう決心すると、次の悩みはどうやってこの絶望的な状況を突破するかだった。せめて武器を取り返せるだけでもないよりはましだが、それでも今後ろに控えているソウとアスの二人から逃げ切れるかは賭けだった。せめて一人だけでもいなくなってくれれば!そう思っていると、突き当たりで左右に廊下が分かれた地点へ来た。
「私はやることがある。アス、任せた」
「分かっている」
そういうと先ほどの願いが天に通じたかのように、ソウは金属音を立てながら自分たちとは反対へ行ってしまった。なんという奇跡だ!アルは背中に触れていた冷たい金属の感覚が取れると、この神のいたずらともいえる采配に心から感謝をした。あとは機会を見計らって、武器を奪い、逃げるだけだ。
廊下を進んでいると非常用階段を示す緑色の光が見えた。アルの銃を持ったヘルメットがその扉を開けると、アルは十五段毎に折り返しながら下がっていく非常階段を歩かされた。電灯が弱いのか、階段は薄暗くて掴める手すりもなく、油断すると足元を踏み外して下まで転げ落ちてしまいそうだった。
アルが足元に注意を向けて一段ずつ慎重に──どうやって武器を奪うかを考える時間稼ぎもかねて──下っていると、後ろでムツキがヘルメットに話しかけているのが聞こえた。「ここすごく暗いよー?新しい明かりに変えてもらってよー」
「黙って歩け」ムツキの後ろに控えたヘルメットが、せかすように言う。
「そう言われてもなー。こっちも慎重に歩かないとうっかり踏み外しちゃいそうで」
ここまで言った瞬間、ムツキはわざとらしく一段踏み外した。落下の感覚に驚いたような声を上げると、自分の後ろを歩いていたヘルメットの足元をとっさに掴んでバランスを崩す。突然の足払いで背中を階段に打ったようで、呻き声をあげるとそのまま階段を転げおちる。ムツキは落下の勢いのまま、自分の前を歩いていたヘルメットに全力で飛び掛かった。小さな体躯で体重も軽いムツキの体といえど、飛び出した勢いで人間一人がいきなり背中にぶつかってきては下へ向かう階段の途中で耐えることはできず、異常に気が付いて横に避けたアルを過ぎると、ヘルメットは勢いのまま折り返しの壁に激突する。
ムツキは飛びついたヘルメットからアルのライフルを奪うと、すかさず自分たちの後ろにいたアス──非常階段の入口近くにおり、上から列を見張っていた──に向けて、次々に弾を乱射した。アスは弾を死角に潜り込んでやりすごすと、片方の拳銃でこちらを狙おうとするが、再びムツキの打ち出したライフル弾に阻まれる。ムツキが組み伏せたヘルメットが動こうとすると、顔面に鋭い肘鉄が飛んで、また銃声。
アルは自分の前を転がっていったヘルメットがムツキの機関銃を手放したのに気づくと、階段の折り返しまで飛び降りて手に取る。そして痛みを抱えながらも動き出そうとしたヘルメット二人に向けてありったけの弾をくれてやると、すぐに二人とものびてしまった。銃口をアスの隠れている方向へ警戒するように向ける。
アスは非常階段での突然の一部始終に、驚きながらもやがて笑い声を挙げながら戦闘を歓迎していた。せまい非常階段口に響く銃声に負けない声で叫ぶ。
「いい根性だ!さすがにボスの昔なじみだな!」言いながら、こちらに向けて上半身を出すと二回トリガーを引く。
アルが折り返し地点から階段をさらに駆け降りると、アスは上から身を乗り出してこちらに狙いを定める。機関銃を上に向けて威嚇射撃をすると、ムツキはヘルメットからライフルのショルダーストラップを外して自分にかけて、ボストンバッグも奪い返した。アスのちょうど真下に来る位置にアルが身を隠すと、装備を取り返したムツキはアルの元まで階段を一気に飛び降りた。
「逃がすか!」
目の前に三メートルほど上からアスが飛び降りてきた。落下中から着地をしても、アルの顔から一切目を離さずに、すかさず眼前に拳銃を向ける。ムツキは反射的にアスの足元に体当たりをした。華奢な肩が左腿に当たると、アスは体の中心に空気砲をくらったように手を広げて大きく飛びのく。反撃とばかりに左手に持った拳銃がムツキの後頭部に振り下ろされると、石同士がぶつかったような鈍い音がした。攻撃を受けた箇所を両手で押さえていると、さらに蹴りが飛んでムツキの体がアルの足元まで転がった。
アルが射線上にアスしかいないのを確認すると、機関銃の銃口から硝煙が連続して排出された。飛び出した弾は何発か命中したが、後は後ろの壁に跡をつけるだけだった。
せまい非常階段での戦闘では、銃を向けるよりも近接戦の方が有利になることもある。アルは近接戦闘に長けたハルカがいないことを悔やんだ。だがこの場にいない仲間を頼りにしていてはこの急場を乗り切ることができないことは分かっていた。普段の前線でのハルカの戦い方を思い出す。打たれることも構わずに懐へ突っ込んで、銃で叩き、蹴り、そしてショットガンの重い一撃を食らわせる。私にできるだろうか?隠れていたアスがトリガーに指をかけた拳銃を握りしめて、ぱっと身を乗り出した。アルはムツキの機関銃を前で横に構えると、アスの向けた拳銃めがけて突っ込んだ。私に力を貸してちょうだいハルカ!
込められた銃弾の重さも加えた機関銃の重量が、押し出した腕と地面を蹴る足によって勢いを増す。アスの拳銃とぶつかる感触があった。次いで銃声が一度響くと、アスを機関銃を挟んで壁に押しやった。
アスの拳銃が手から飛び出して、壁に跳ね返る。アスは歯を食いしばって機関銃を両手で押し返そうとしていた。拳銃が床に落ちて、乾いた音が聞こえる。目をつむり、相手を押し込むことに精一杯になっていたアルは、機関銃を押し返そうと壁を蹴ったアスの勢いに腰から上が押し返された。そのまま背中から床へ倒れると、今度はアスが全体重を乗せて機関銃をアルの首元に押し付けた。アルは重量上げのような体勢で肩と腕に力を込めるが、青い開かれた目がこちらを窒息させようと凝視していた。何か打開策はないか!足を動かして、背中に必死にぶつけるが、かえって自分に覆いかぶさる機関銃の重みが増すだけだった。
視界の上から現れた黒い物体がアスの顔面にぶつかると、機関銃を押さえていた手が離れて、呼吸が楽になる。横にはボストンバッグを両手で持って、大きく振りぬいた姿勢のムツキがいた。特大の打撃でアスの上体が起き、膝立ちのまま後ろへのけぞる。
アルは足を折りたたんで、アスの股下から脱出すると、今度は限界までしまい込んだ下半身をばねのように伸ばして、休む暇を与えずにアスの上半身へぶつけて奥の階段に叩きつけた。
アスの食いしばった歯の間からシューっと息がもれる。アルは飛び起きるように上半身を起こして、銃口をアスの体へ向けた。今だ!あとどれほどの弾丸が残っているだろう?仕留めそこなったりしないか?頭を不安がよぎりながらもアルは、汗だくの軍人かぶれの体に向けてトリガーを引いた。
大きなエンジンの駆動音と共に、アルは反動を感じた。続いて電動のこぎりのような耳をつんざく音。この頃になると、アルは腕に熱がこもるのを感じた。左手で拳銃を持っていた手が力をなくした。自分を凝視していた青い目が見えなくなった。アスの体が降りかかる弾丸に操られるように踊った。そして電動のこぎりの音が止むと、アスは階段を支えにするように仰向けに倒れて、体が"どさり"とコンクリートの階段にぶつかった。
アルは座り込んだまま、息が整うのを待った。勝手にぜいぜいと声がもれる。隣で立つムツキはボストンバッグを地面に下ろして、ライフルを肩から外すと、壁にもたれかかったまましゃがんで腰を落ち着けた。横顔や首に汗がにじんでおり、ゆっくりと乱れた白い前髪を手櫛でなでた。
アスは身動き一つしなくなっていた。機関銃をムツキの方へ置いて、ハンカチで顔を拭う。やがて小休憩を挟んで、先に口を開いたのはムツキだった。「疲れたね」
全くそうだというように首を縦に振る。慣れない近接戦とはいえ、スペクトル一人に二人がかりでこのざまでは、先が思いやられた。腕時計は、あと一時間弱で日付を超えようとすることを知らせている。
「誰かが来る前に行こっか。カヨコちゃんとハルカちゃんも心配だけど、まずは隠れなきゃ」言い終えると立ち上がって、こちらに手を伸ばす。
その手をとってアルも立ち上がると、それぞれの武器を手に取って近くの扉から基地の奥へと進んでいった。
二人が出ていくと、非常階段には静寂だけが残った。やがて衣服が擦れる音を立てると、アスの体がひねりあがってうつぶせになり、膝を立ててゆっくりと立ち上がる。地面に転がる拳銃を二丁とも取り上げてホルスターへしまうと、体を払いながら異常がないか確認した。手も足も問題なく動いたが、口の中を切って血の味がしたのと視界の右側がぼやけて見える。アスは扉を見ると、一度深呼吸をしてから階段を昇って行った。