Fate/R.D. 作:鴨田屋 町人
「はい。じゃあ、身体には気をつけて。くれぐれも、何かあったらまたおいで」
「ありがとうございました。それでは」
優しく手を振る先生にぺこりとお辞儀をして、私は退院した。
2月3日。日本なら真冬の節分だけれど、オーストラリアは夏真っ盛りで、青々とした緑が往来で嬉しそうに揺れている。
この街――ウィントウッドの空は今日も晴れで、突き抜けるような青空と風に目を細めた。
「いやぁ! それにしても目出度いな。マスターの身体に問題がなくてよかったよかった。退院おめでとう!」
私は鞄の中からスマホを出して電源を入れてみる。電波を確認するが、左上には圏外と表示されている。
「地図とか見たかったのに……。充電はあるから、看護師さんがしてくれてたのかな。ともかく、しばらくは封印かな」
「ようし、じゃあマスターどこに行く? まずは拠点を探すか? それとも、他のマスターを探すか?」
私はキョロキョロと周囲を伺うと、病院の出入り門、その近くに街の地図のようなものを見つけた。駆け寄って確認する。中央には「Wintwood central hospital」の文字と、赤い三画があった。現在地のようだ。
「電車か地下鉄……。空港があれば一番だけど、さすがにないよねぇ」
「おい、どうしたんだよマスター。なんか言ってくれよ、昨日も言ったが、無視は傷つくぞ」
TrainかSubwayの文字を探して地図を辿るがわからない。
「やっぱ広域図が欲しいな……。コンビニとかスーパー探さないと」
「おい! マスター!」
ここで、ずっと無視されてたことに我慢ならなくなったのか、病院からずっと私の後ろにつきまとっていた大柄の男――ランサーと言っていた――が声を荒げて私の肩を叩いた。
衝撃で振り返る。ジロリと睨むと、彼は怪訝な顔をした。
「なんだよ、睨んだって無駄だぜ。傷つくもんは、傷つくんだ」
私はため息を一つつく。
「あのね。改めて言っておくけど、私はあなたのマスターになった覚えはないの。ついてこられると困るんだけど」
私の一言に、ランサーは目を見開いて驚いた。口をワナワナと震わせたかと思えば、大声で叫ぶ。
「はぁ!? だって、昨日はマスターって言ってたじゃねぇか!」
「うるさい……。あれは、理解の上で共通言語を使っただけ。承知した覚えはないってば。それに、そもそも良い年したおじさんが、高校生に自分のこと使い魔だなんて自己紹介するの、怖いからね」
「おじっ……。そ、そんなに老けてるかよ、俺」
「だいたいさ」
私はランサーに向き直る。
大柄で、長身。レザージャケットがはち切れそうな肉体。
「あんた目立つ」
「なっ!」
「そんな不審者連れてちゃ、帰れるものも帰れないわ。だから、私のためを思うのなら、放っておいてちょうだい」
ぶっきらぼうな物言いに、ランサーは眉をひそめた。
「おい、どうしてそうなるんだ。だいたい、マスターの願いを叶えるために俺はいるんだぜ。利用されども、邪険に扱われる謂われはないはずだが」
「だから、私の願いのためにどっかに行っててってお願いしてるの。わからない?」
「わからないね。そもそも、マスターだってなれない異国の地なわけだろ。信頼できる――俺を信用できてないかもしれないが、用心棒の一人くらい雇っておいて損はない。それに、こちら、費用はかからないときた」
鼻で笑う。
「何を言ってるんだか……。私の願いは、日本に帰ること。用心棒なんて必要ない」
だが、ランサーは息を吐いて俯く。
「あー、悪いんだが、その願いだけは叶えられない」
「? なんでよ」
「それは、マスターが聖杯戦争に参加しちまってるからだ」
聖杯戦争……?
「知らない。そんな物騒なものに参加した覚えはないわ」
「記憶がないからな」
釘を刺したつもりが、上手く言い換えされてしまった。
私は、今記憶がない。確かに、記憶を失う以前に彼となんらかの取引をして、その聖杯戦争とやらに参加した可能性はゼロではない。
「なぁ、わかってくれよマスター。何もとって食おうってわけじゃないんだ。後ろでついているだけ。構わないだろ」
「………………」
確かに、私に何らかの危害を加えたいのならば、サッサと押し倒せば良いだけの話だ。なんせこちらは女子高校生。体格の良い大人に、敵う道理はない。
「俺はマスターについて多くを知ってるわけじゃない。でも、今マスターが置かれている状況の半分くらいは説明できるはずだ。それを聞いて欲しい。そして、それでも俺が信用ならないってんなら、諦める。頼むよ」
愁傷に頭を下げてくるランサー。その姿を見ていると、なんだかコッチが悪いことをしている気持ちになった。
「……わかったわよ。降参。あんたを認めるわ」
観念して手をあげる。記憶を失った今、手がかりになるかもしれない情報をみすみす逃すのも惜しかった。
「でも、話をするのはまず腰を落ち着けてからよ。適当なカフェに入りましょう」
「ああ、わかった。ありがとう」
ランサーはニッコリと微笑んで、頬を掻いた。