早朝。
群馬県のとある峠を、一台の車が滑るように走っていた。
「くっそ~、霧のせいで視界が悪すぎて全然スピードが出せねえ! 昨日は普通だったのに、どういうこった!!」
車の中でそう小言を漏らしながらステアを切るのは、毛利小五郎事務所で探偵を営んでいる毛利小五郎である。
毛利小五郎が車を走らせているこの
現在も、鬱蒼とした濃い霧がフロントガラスいっぱいに広がっており、油断すると目の前にガードレールが
小五郎は慌ててブレーキを踏み、ハンドルを左へ切る。
車はほとんど横滑りでカーブを曲がり、大きな遠心力が身体を大きく引っ張る。同乗していた娘の蘭も、
「もー! さっきから危ないよお父さん!! ただでさえ視界が悪いんだから!」
「仕方ねえだろうが、このままじゃお前らの学校間に合わねえだろ!」
(そもそもの原因は、おっさんが依頼人のところで酔い潰れたからなんだけどな……)
後部座席でシートベルトを命綱のように握りしめながら、コナンが乾いた笑いを零す。
昨夜、群馬県のとある依頼人のもとを訪れた毛利一行。
よりにもよって、それが日曜日。
自営業である小五郎はともかく、蘭もコナンも学校がある。
そのため、翌朝の月曜日、明朝から視界不良の峠を爆走する羽目になっているのだ。
(ん……?)
ふとコナンは、背後からもう一つの気配と音を感じた。
顔だけで振り返る。
深く、白く煙る霧の奥から、ヘッドライトが二つ光っているのが見えた。
タイヤがアスファルトを切り、独特なエンジン音が霧をかき分けて猛スピードで近づいてくる。
(オイオイ、いくら前に俺たちの車があるからって……スピード出しすぎじゃねえか?)
視界が悪い中で、前方に車があれば安心するし、目印にもなるだろう。だとしても、その車は一切スピードを緩める気がないのが、コナンは少し気にかかった。
そうしているうちに、車間距離はあっという間に詰められてしまう。
コナンが目を凝らすものの、眩いヘッドライトを照り返す白いボンネットが見えるばかり。乗車しているのは一人だけのようだが……運転手の顔までは、よく見えない。
小五郎も後ろから迫る車の存在に気づいたのだろう、右側とルームミラーに目を移して「なんだあ?」と訝し気に声を上げた。
「コイツ、まさかこの霧の中で煽ってんじゃねえだろうなあ……!」
「お父さん! 安全運転!!」
ただでさえ焦っていて不機嫌なところに、煽り運転でもされれば堪ったものではない。不快そうに顔を歪めた小五郎に、蘭が釘を差すように一喝する。
暗に喧嘩を買うなと諭しているのだが、小五郎の性格上それは難しい話でもあった。
しかし、小五郎が感情のままアクセルを踏もうとするよりも早く、その後続車が先に動いた。
「なっ」
エンジン音に紛れながら、思わずコナンも声を出す。
スピードを保ったまま、右側から悠々と追い越していく車を、サイドのウインドガラスから呆然と見送る。
白く艶やかな車体に、横に黒いラインが走るツートンカラーの
背後まで迫ってきていたのは、圧をかけるためではなく、単に追い越すための動作にすぎなかったのだ。コナンが驚いたのは「どうしてこの状況で?」という疑問からだ。
車内のメーターを確認すると、既に80キロを超えている。小五郎ですらそれほどスピードを出しているので、あのハチロクはそれ以上の速度を出しているということだ。
「おいおい、何考えてんだあの車。スピード落とさねえまま行っちまったぞ!!」
小五郎も同じように驚いている。助手席の蘭も不安そうだ。
周囲の景色は白く覆われ、かろうじて近くのガードレールが見える程度の視界しかない。車を運転しない人間だとしても、この状況でスピードを出しすぎるのはただの自殺行為に過ぎないと分かる。
だというのに、
コナンは霧の中に薄らと佇む看板を見て、ハッとした。
看板自体には、なんの問題もない。ただ、この看板が立っている
「っこの先、すごく急な左カーブがあったよね! あの車、このまま減速しないと谷底真っ逆さまだよ!!」
「なんだと!?」
三人の視線が一気に前方のハチロクへ集中する。
あわや大惨事かとコナンたちが目を見張るのをよそに、ハチロクは、目の前で不思議な動きをした。
コーナーでリアを左へ振ったと思いきや、瞬時に車体方向を逆向きに!
あっという間に霧に煙る険しいカーブをクリアし、ハチロクはそのスピードを載せたまま、霧の奥へと消えてしまった。
「え、な、なに? 今の動き……?」
一瞬すぎる出来事に、助手席にいた蘭はひたすら困惑していた。
車の運転などしたことのない彼女からすれば、ただハチロクが不思議な動きをして曲がったようにしか見えないだろう。
(嘘だろ!? この状況で、ふつーにドリフトしやがった……!)
冷静に研ぎ澄ませていたコナンも、前方の車が何をしたのか理解こそはしていたが、驚愕に目を見開いていた。
(あの妙な動きと滑り具合、スピードによる慣性を利用したのか……)
慣性とは、物体がその運動状態を維持しようとする力のこと。
電車が発車する際、立っている乗客は後ろに倒れそうになり、逆に電車が停車した際は、乗客は前に倒れそうになる……といったように、電車には停止するための力が加わっているのに、人の体には停止するための力が加わらない。だから、乗客は走行中と同じ速度で進行方向に進もうとしてしまう。
車の運転においてもそれは同じだ。真っ直ぐ速度を出したままの状態でハンドルを切れば、フロントはハンドルを切った方向に曲がる。
一方でリヤもフロントに続き曲がろうとするが、慣性力のため、リヤを含めた車体の殆どは直進しようとする。そうしてタイヤと路面の摩擦力が限界を越えると、徐々に横へスライドし始め……慣性を利用したドリフトが出来上がるというわけだ。
『車体を滑らせる』のではなく、『車体が滑ってしまう』のを、スリップギリギリのところでコントロールする……つまり、ブレーキやアクセルをほとんど使用せず、限界までスピードを落とさずにコーナーに入ることができる。
(何よりもやべーのが、この悪条件の中でそれを普通にやってることだよな……慣れてる感じだったから、何度もこの峠を走ってんだろーけど……)
コーナーやガードレールすらほとんど見えない濃霧の中、レーシングカーでもない旧式の車で、その一連の動作を行っているのだから恐ろしい。
「なんだったんだあのハチロク……プロドライバーの幽霊でも見ちまった気分だぜ」
極限下で凄まじいテクニックを目の当たりにしたためか、小五郎もすっかり毒気が抜かれ、困惑している。
狐にでもつままれたかのような、どうにも釈然としない様子だった一行だが、しばらく車を走らせた先で、群馬県警の山村刑事たちが「魔女狩り」と評した検問を行っているところに出くわすことになった。
群馬の走り屋の聖地の一つであるここ冬名峠に現れた、白いFDに乗った伝説のドライバー「銀白の魔女」。4年前に突然現れ、突然姿を消した彼女が、最近になって再びこの峠に現れたのだという。
その噂を聞きつけた各地の走り屋たちが、銀白の魔女に勝負を挑んでは事故を起こすという悪循環を起こしており、警察が捜査のため動いているのだとか。
実際に銀白の魔女に会ったという山村刑事の過去も添え、一通り話を聞き終えた小五郎が「白いFDねえ……」と、顎を撫でながら胡乱げに呟いた。
「さっき見たハチロクのことかと思ったが、その銀白の魔女っつーのが乗ってるのがFDならちがうみてえだな」
「うん。真っ白じゃなくて、パンダみたいな白黒だったしね」
「ええ!? ハチロクですって!?」
小五郎と蘭の何気ないやり取りに、山村刑事が身を乗り出して詰め寄った。
興奮冷めやらぬ様子で詳細を伺ってくるので、コナンたちは先ほど出くわした旧式の車について語る。
「それってもしかしてもしかすると、
「秋名? 秋名って……冬名山の反対側にある山だよね?」
峠の途中に見かけた、
「そうそう! あっちの山にある
「幽霊ねえ……まあ確かに、背後霊みたいにぴったり張り付いてきたけどよ……」
山村刑事が検問を行っているこの場に引っかかっていないところを見ても、あのハチロクは秋名山に続く分かれ道に入っていったのだろう。
車種や芸術的なテクニックのことを考えても、コナンたちが見たのは正真正銘の秋名の幽霊であることは確かだった。
「でも……山村警部の話からして、その秋名の幽霊って、秋名峠にしか出てこないはずだよね? どうしてここにいるのかなぁ?」
「フフ……コナンくん、良いところに気が付いたじゃあないか。きっと秋名の幽霊は、銀白の魔女が蘇ったからこそ、ここに来ているんですよ!! きっと、自分こそが最強の走り屋だと証明するために、戦いを挑みに来てるんです! もしかしなくても、銀白の魔女VS秋名の幽霊……西と東の世紀の対決が見れたりしちゃったりして……!」
(この人ほんとに警察かよ……)
走り屋を取り締まるべき立場の人間が鼻息荒く大興奮している様子に、コナンは半目になった。
走り屋対決はともかく、山村刑事の昔話の中にあった、「霧の上に立っていたという魔女」というファンタジー染みた現象は気にかかるところだ。
どうやら小五郎もその突拍子もない話に関心を持っているらしく、コナンたちは日を改めて、冬名山へ繰り出すことになった。
──同時刻。
特徴的なフォグランプに、白黒のツートンカラーのボディ。そしてサイドの運転席ドアには、”藤原とうふ店(自家用)”というデカールが淡々と刻まれている。
「冬名峠……あっちに配達に行くたびに、
流れるような鮮やかさで
ぼんやりとしているようでいて、拓海の手元も足元も目まぐるしく動いていた。ステアを切ってシフトダウンの動作を行い、足元はブレーキを踏み込みつつ、アクセルを蹴る。車体が滑らかに横に流れ、カーブを過ぎ去った。その間、車体とガードレールの間は5センチにも満たない。
速度警告装置が車内でキンコンと警報音を打ち鳴らし続けている一方で、拓海は感慨なさそうに考え事を続けていた。
(
地元の秋名山はもちろんだが、反対側に位置する冬名山──そこにある宿泊施設にも、時折配達に訪れていた。そのため、今日のような濃霧であっても拓海にとっては慣れた山道でしかない。
そんな中──4年ほど前、配達の帰りに出くわした白い車があった。
それは恐ろしいスピードで追いかけてきた上に、カーブに差し掛かる際、凄まじい気魄の籠った声をあげてドリフトするのだ。
怒っているだとかそういうことではなく、単に気合いを入れているだけの雰囲気を受けはしたが……それが一度ではなく、二度三度遭遇するのだから、拓海の記憶にも残るというものだ。
(しかも、いつも後ろから来るから、まるで
もちろん相手が警察かどうかなど知る由もないのだが、
とはいえ、ここ最近は出会っていないし、それ以上の関心もない。
その程度の関心しかないからこそ、拓海はいま冬名山周辺で起こっている事件はもちろん、走り屋たちから伝説の存在と評される「銀白の魔女」の存在も、当然知らない。
そして、
拓海は欠伸を漏らしながら二つの峠を越え、悠々と帰路につく。
家に帰った頃にはもう、その白い車のことも忘れていた。
しかし。
秋名の幽霊とも評される最速の少年は、後日、その「銀白の魔女」にかかわる周囲と事件に巻き込まれることになる。
今更ですが頭文字Dを履修し、車のこと全然分かんないのにすっごいおもろい!!!と色々と漁っていたところ、コナンほんへにイニDをパロった峠やら車やらエピソードやらが出てくると聞いて………車知識カスなのにいてもたってもいられず。。。
ちなみにお忘れの方に先に言うと、銀白の魔女の正体は佐藤刑事です。
コナン世界だと公道レースしない代わりに、なんやかんや事件に巻き込まれてカーチェイスに巻き込まれるしかないぜ!