展望台から見下ろせる、まるで星を象ったような城郭。そこには一面に桜が咲き乱れ、うららかな春霞が眠くなるような色合いで連なっていた。
藤原拓海はどちらかといえば新緑の季節のほうが好きだが、ほの寒さの残る風に運ばれて新芽や花のにおいが交じるこの時期も、決して嫌いではない。
(でもまさか、北海道まで来るとはなあ……)
デートといったシチュエーションであれば良い絶景ポイントなのかもしれないが、生憎今は拓海ひとりだ。展望台の手すりに肘をつき、ぼんやりとした表情のまま、拓海は函館・五稜郭を見下ろした。
北海道旅行とは聞こえはいいが、単純に藤原家──母親の用事のようなものだ。古くからの友人が再婚し、その式にお呼ばれしたということで遠路はるばるここまでやってきたというわけだ。
無関係の拓海は、もちろん北海道に行く予定などなかったのだが、母親がせっかく長期休暇が重なっているのだからたまには群馬以外でも遊んだらいいということで、
文太はブツクサ文句を言っていたが、
「ホテルで爆睡してたけど、まだ全然眠いな……」
昨晩の22時頃に出発し、休憩をしながらだが約10時間ほど運転し、青森の大間に着いたのは今朝。そうして大間のフェリーに揺られて約2時間かけて函館へ。
函館市内のホテルで一旦睡眠を取った後は、結婚式に同席する友人たちとの同窓会を兼ねた食事会で母親を集合場所に送り──その帰り、拓海は函館市を一望できる展望台にこうして
新幹線や飛行機、ましてや現地のレンタカーでもなく
(おふくろの迎えまで時間あるから色々回ろうと思ったけど……やっぱホテル帰ってもっかい寝ようかな)
観光自体には拓海はそれほど関心がない。母親は群馬以外でも遊べと都合よく言っていたが、結局は県外のドライブと送り迎えが目当てなのだ。
展望台に建てられた時計塔を見やってから、ホテルで二度寝でもしようとあくびをもらす。
駐車場へ戻ろうと踵を返したところで、
「っ! 痛ってー……」
ぼんやりとしていた拓海は、茂みから突き出ていた枝木に気が付かなかった。
傷は深くはないものの、晒された手の甲に赤く切り傷が奔り、傷口からどろりと血が浮かび上る。運転にこそ差支えはないだろうが、絆創膏や布といった止血できるものを持っていない。
「きみ、大丈夫かい?」
どうしようかとじんわりと滲む痛みと共に手のひらを持ち上げた矢先、後ろから声がかかった。
振り返ると、こちらの様子を窺うように、一人の青年が佇んでいた。深い紺色の袴姿で長い袋を背負っており、観光客ではないことは拓海の目でも分かる。さきほど拓海が痛みから一瞬声を上げたので、それで反応したのだろうか。
「ええと……」と拓海の口調が淀んでいる合間に、青年は拓海の手に奔る傷を見て、目を見張った。
「! 怪我をしているじゃないか!」
「あ、いや、さっき枝に引っかけちゃって……でも大したことないです。唾つけときゃ、治るかも」
「確かに唾液には抗菌と殺菌作用のある成分が含まれているけど、場合によっては微生物感染を起こすこともあるから、おまじない的な行為だと思ったほうがいいよ。ちょっと、ここに座って」
否応なしに促されるまま近くのベンチに座らされる。
青年は新品のペットボトルを躊躇いもなく開け、拓海の傷を水で洗い流すと、取り出したガーゼやらテープやらでテキパキと止血を施していく。ものの数秒の間にそれら一連の作業をこなしていったので、されるがままだった拓海も感嘆した。
「すげー、医者みたいだ……」
「ははは、これでも医者の卵だからね。そう言ってくれると嬉しいよ」
その小さな声を拾ったらしい青年がにこやかに笑った。
拓海は納得する。巻かれたガーゼも、きつすぎず緩すぎずちょうどいい。
いつしか行ったガムテープデスマッチという趣味の悪い経験も、こういう上手な人に巻いてもらえば運転の具合も変わったりするのだろうか、と見当違いなことを考えながら、拓海は頭を下げた。
「あの……ありがとうございます」
「どういたしまして。血は出ているけど傷自体は深くないから、明日には外しても大丈夫だと思うよ」
ところで、と青年は拓海を見上げた。
「君、一人なのかい? 地元民という感じでもなさそうだけど……」
観光客にしても、未成年の若者が一人でこんなところにいるのが不思議なのだろう。拓海は緩く頷いて、ここまでの経緯を簡単に話した。
「へえ、わざわざ車で……。群馬からというと、すごい長旅だろう? 高校生なのに、随分と車に乗り慣れているんだね」
「あっ……いや、まあ、親父の仕事の手伝いで……毎日配達の運転してて……」
まさか中学一年生から運転してます!とは言えないので、適当なことを言って誤魔化しておく。
一方で青年は、福城聖と名乗った。八幡坂大学医学部に通う地元の医学生である彼は居合道の達人でもあり、今日の大会の行きがけに展望台に寄ったのだそうだ。
(医学生って、みんな天から二物以上与えられてるんかな……)と、話を聞きながら、同様に医学部だと聞き及んでいるカリスマ的存在であり、拓海も尊敬している
「そうか、お父さんの手伝いで……」
話を聞いた聖は、なにやら神妙な顔つきで黙り込んだ。変なことを言っただろうかと拓海が若干困惑していると、顔に出てしまっていたのか聖が緩く笑ったあとで、首を横に振った。
「僕も昔から
「まあ、確かに雨の日も雪の日も強制的にやらされて朝も早いし眠たいですけど……運転するのは好きなので、続けられてるって感じですね……。でも、俺よりも福城さんのほうがすごいですよ、医学生ってだけでもたぶん大変なのに、剣道もやってて、それで父親の仕事も手伝ってるなんて……文武両道どころか、スケールがでかいっていうか」
「……。そうだね……それこそ僕も、医学の勉強も剣道も好きだし、父さんのことを支えたいからやってるんだ。藤原くんと、同じだよ」
父親のことを慕っていると暗に言われた気がして、拓海は否定も肯定もできず語調を濁らせた。家族愛だのなんだのと言う年齢でもないが、素直に認めるのも否定をするのも気恥ずかしかったのだ。
「おっと、もうこんな時間か。それじゃあ僕はこれで」
「あっあの、お礼……」
立ち上がった福城に対して拓海が慌てたように言うものの、「いいよいいよ、これくらい」と福城は手を振ったが、なんとなく申し訳なさそうな拓海の表情を見て、考えるように顎に手を添えた。
「そうだね……もし時間があったら、このあと旧函館区公会堂の大会で居合を披露するから、よかったら見学していってくれ。暇潰しにはなると思うからさ」
人当たりの良い柔和な笑みを浮かべ、福城は立ち去った。
振る舞いから返しまでスマートだった。二人しか医学生を知らないが、「やっぱ医学部ってすげー…」と、謎の尊敬を拓海は抱いたのだった。
実際に時間はまだある。剣道や居合の知識はまったくないが、せっかく福城がお膳立てしてくれたのだ、お礼になるか分からないが、見学に行ってみることにした。
「あれ? 拓海のお兄ちゃん?」
「ん? あ、お前……確か……」
黄色とブルーが鮮やかな外観の洋館に辿り着き、ハチロクから降りたところで聞き覚えのある声に振り返る。
江戸川コナン。忘れようもない、以前冬名山で出会った小さな探偵だ。コナンだけではなく、後ろから長い髪の女性とポニーテールの女性も連られてやってくる。
「コナン君の知り合い?」
「うん、この前の……冬名山の時に出会ったんだ」
「あっ、もしかしてお父さんも言っていた……運転が凄い人!」
「なんやなんや、この子有名人なん?」
こんな遠方で思わぬ再会をしただけではなく、途端に初めましてが増えて場が騒がしくなる。
「有名人というか……群馬で事件があった時に、色々あって、このお兄ちゃんに犯人の車を追い詰めてもらったんだ!」
「私は、概要はコナンくんやお父さんから聞いただけだけど……その前に冬名山っていう場所での凄い運転技術だけは見たことがあったから。走り屋の車を追い詰めたって話も納得しちゃった」
「そうなん!? すっごい度胸あんなあ。もしかして、その車?」
ハチロクにある「藤原とうふ店」という文字を見た和葉が指をさした。ひけらかすつもりもないが隠しているつもりもないので、拓海は「親父のですけど」と言いつつも頷いた。
「パンダみたいな色で可愛いよね」「ほんまやな~、お豆腐屋さんなんや」と二人が話し合っている。
友人同士なのだろうが、碓氷で出会った女性ドライバーたちとはまた違ったタイプの二人組だなぁと感じた。イツキがこの場を見たら、拓海は首を絞められていたかもしれない。
軽く自己紹介をし、コナンたちは知り合いが剣道大会に出るのでその応援に来たのだと説明した。
「ま、肝心の本人は怪盗キッドの方に無心してるのか知らんけど、欠場してしもとるみたいやけどな」
知り合いの幼馴染だという遠山和葉が、呆れたように溜息を吐いた。
「怪盗キッド?」
訝しげに呟いた拓海に、和葉がしまったという表情を浮かべた。
「あかん……そういえば今回の怪盗キッドの予告って、機密扱いなんやっけ」
「あ、いや……俺、その怪盗なんちゃらを知らないから反応しただけで……」
知らないとアッサリ言ってのける拓海に、逆に目を丸くしたのはコナンたちだ。
「お父さんや周りの人が警察関係者だから、私たちが詳しいだけなのかもね」と毛利蘭にフォローを入れられつつ、怪盗キッドのことを簡単に教えてもらった。
つまりは、ファンタジックかつミステリアスな泥棒ということらしい。手品の見世物のように大観衆の前で手際よく犯行を実行することもあるため、世間では犯罪者扱いというよりはもはやアイドルやヒーローのような存在で扱われ、熱狂的なファンさえもいるのだとか。
「へー、今時そんな奴もいるんですね」
車に対する意欲や知識は少しずつ身に付いてきたが、それ以外に関しては淡泊なままの拓海である。非常に関心の薄い反応に、そばにいたコナンが「知らねーこと含め、キッドが聞いたらすげー顔しそうだな……」と人知れず呟いていたりした。
「そういえば、藤原さんも、誰かの応援で来たん?」
「あ、まあ……。身内の用事が本命ですけど、時間があったから寄ったというか」
「じゃあ、せっかくだし一緒に見ませんか? ここで会ったのも何かの縁ですし!」
蘭が朗らかに笑って手を叩いた。ほぼ初対面相手にも臆さずなおかつ親しみやすい一行のおおらかさに良い意味で驚きつつも、特に断る理由もなかった拓海は頷いた。
車をきちんと移動してから合流する旨を伝え、拓海は一旦その場から離れる。
駐車場にハチロクを改めて停めたところで、先ほど教えてもらった怪盗キッドについてなんとなく記憶の奥底を漁った。
「怪盗キッド……怪盗キッド……どっかで聞いたことはある気がすんだけどなぁ……あ、そうだ」
そこで拓海は、以前学校でイツキたちがその話で盛り上がっていたことを思い出した。結局はぼんやりしていて話を聞き流していたので、覚えていなかったが。
「そういや、あんま詳しく聞かなかったけど、そいつは函館に何を盗みにきたんだろうなぁ……」
関心があるわけではないものの、感想としてそう独りごちながら拓海はハチロクから離れた。
フードを深く被った青年がすれ違い間際のその言葉に反応するように、拓海とハチロクを振り返り、また踵を返して歩き出したことも知らず……。
そうして北海道でさまざまな出会いを経た拓海は、普段のバトルとはまた違う非日常に、
あうっ い…いきなり(劇場版最新作から)始まるのかあっ
2024年の劇場版にもカーチェイスあったし、服部に怪盗キッドにと要素過多で面白かったなあと思ったので……ひとまず怒涛の顔合わせ回。